ダイヤルワンオーエイト

吉岡梅

子供たちの部屋(マカデミアナッツ、古書店、ポスト)

 寛成ひろなりはランドセルを背負ったまま、何気ないふりをして電話ボックスへと入る。周囲に目を走らせ、誰にも後を付けられていない事を確認すると、父の書斎の引き出しの隅から見つけたテレフォン・カードを差し込んでダイヤル108ワンオーエイトをプッシュした。2回目のコール音を聞いたら一度電話を切り、再びダイヤル108をプッシュする。3コール後にガチャリという音を響かせた受話器の向こうからは、妙に甲高いかすれた声が聞こえてきた。


「パスワードは」

「ゴリラ・ゴリラ・ゴリラ」


 興奮を隠して寛成が答えると、受話器の向こうから、OK、という呟きが聞こえてくる。さらに、


「午前6時に丸ポストの影を右に回せ」


との返事と共に電話が切れた。


 。そんな感動が寛成の胸いっぱいに広がる。思わず電話ボックス内で両手を握りしめ、軽くカッツポーズをとった。しかしすぐ、まだまだ本番はこれからだ、と思い直すと、何事もなかったかのように扉を開けて外に出た。


――朝の6時か。明日は早起きをしなくてはいけない。両親にはなんと言い訳をしよう。いや、それはどうにかなる。それよりもまず、丸ポストの特定が先だ。


 寛成の住む街には、何本かの丸ポストがある。郵便局や学校の前のポストは四角いが、妙善寺へ入る道と大貫ダムの前のポストは丸だったはずだ。そのどちらかだろう。悩んだ末、大貫ダム前の丸ポストへ行くことにした。明善寺前の方は、学校で浩一郎こういちろうに事情を話して行って貰おう。きっと信じてくれるはずだ。それとも、やはり誰にも話さずに明後日にでも自分で行こうか。2つの選択肢を検討した結果、寛成は浩一郎にメモを見せる事にした。


 そして翌朝5:30、寛成は飼い犬のドンキーの散歩を口実に家を出た。朝もやの中、薄明るくと静まり返った町内を犬と一緒に慎重に進む。明善寺の丸ポストに着いた所で姉から無断で拝借してきたスマホを見ると、時刻は5:48分だった。合図の時間には少し早い。


"午前6時に丸ポストの影を右に回せ"


 寛成は電話の指示を思い返し、ポストのいろいろな箇所に手を押いて、ぐいっと力を込めてみた。しかし、ポストは回る気配はない。そうか、「影」だ。影に何か秘密があるはずだ。寛成はそう考えると、朝日を受けてポストの根本から西へと伸びている影を見た。すると、その影の先端あたりに、ひとつのマンホールの蓋があるのに気が付いた。


――ひょっとして、これだろうか?


 ポストにドンキーを繋ぐと、マンホールに埋め込まれている取っ手部分を引き出す。両手をかけてみると、見かけに反して異常に軽い。これは何かある。ぐるっと右回しに回転させるとマンホールは簡単に開いた。寛成は、慎重に中をのぞき込む。2mほどの梯子の下に、暗渠と小道があるようだ。ためらった末、ドンキーへひと声かけると下へ下へと降りていった。


 地下の小道は、狭いものの、立ったまま歩けるくらいの高さはある。壁面には所々に明かりが灯っていた。耳を澄ましてみても、脇に流れる水の音以外は何も聞こえない。寛成は目を凝らして奥を見てみたが、行き止まりは見えない。しばし逡巡したものの、意を決すると奥へ奥へと進んでいった。

 しばらく進むと、小道が左手に折れている。その角を曲がると、目の前に、壁と小さな鉄製の扉が現れた。完全に行く手を塞いでいて先は見えない。ドアの脇には、小さな南京錠が取り付けられている。つまりは、行き止まりだ。どうやら今回の成果は、ここまでのようだ。寛成は残念なような、そして、少しホッとしたような気分になった。


 ふと、左側の壁を見てみると、そこに小さな窪みがあった。そして、この場にそぐわないガシャポンのカプセルがひとつ置いてある。カプセルを開けると、中には小さなメモとマカダミアナッツ・チョコレートがひとつ入っている。


“私を信じる者よ、そのチョコをどうぞ召し上がれ”


 メモにはそう書いてあった。どうやらまだナゾはお終いではないらしい。寛成はチョコをまじまじと見つめる。この得体のしれないチョコを食べろという事だろうか。それとも、他の何かのナゾの手がかりなのだろうか。しかし、屋外に置いてあった誰の物ともわからないチョコを口にするのは躊躇われる。寛成は逡巡したが、ここまで来たのだからという思いが勝った。意を決して目をつぶってチョコを口に入れると、思い切り噛んだ。


 がきっ、と何か硬い物が歯に当たる。急いで吐き出すと、手のひらの上に現れたのは、小さな鍵だった。――もしかしてこの鍵は。ドアの脇の南京錠に差し込んでみると、ぴったりと嵌り、かちりと鍵が外れた。

 寛成は慌てて残りのチョコレートを全て捨ててしまうと、ドアを開けた。すると、その向こう側には、小部屋が広がっていた。全ての壁には赤いゆったりしたドレープ・カーテンが下げられ、真っ赤に彩られている。暗渠の中とは思えない部屋には真っ赤な毛の長い絨毯が敷かれ、その中央にも深紅のソファが置かれていた。そして、そのソファには、黒猫を膝の上に載せた、銀色の髪の少女が腰かけていた。


「ようこそ」


 少女は、別段驚くでもなく当たり前のように、そう告げる。寛成は驚きのあまり、入口に立ち尽くしていた。


「ようこそ。『子供たちの部屋』へ。私はナジェーズダ。ナージャと呼んで。この子はキスキス」


 少女は膝の上の黒猫を撫でながら寛成へと笑顔を向ける。


「ぼ……僕は寛成。君があのメモを?」


 寛成は部屋の中へと歩みを進める。きょろきょろと室内を見渡してみたが、やはり一面真っ赤だ。


「ええ。私があの本に挟んでおいたの。私の事を信じてくれて、一緒に大人と戦える子供スターターを見つけるためにね」

「大人と……戦う……?」

「そう。大人オールダーはずる賢い。寛成もそう思っているでしょう。今、この瞬間も私たち子供スターターを騙そうと悪だくみを働いているに違いないわ。ドント・トラスト・オーバー・サーティーン。小学生以下と猫しか信じちゃ駄目。今はもう、そういう時代。大人の使わなくなった公衆電話を使い、入りたがらない狭い場所に隠れて反撃の機会を伺うのよ」


 少女は寛成を真っ直ぐ見つめてそう言った。『小学生以下と猫しか信じるなドント・トラスト・オーバー・サーティーン』。寛成が胸の中でそう繰り返していると、突然、姉のスマホが鳴った。


「姉ちゃんのなんだ」


 寛成はナージャに言い訳をするように説明すると、スマホに出た。電話の向こうからは姉の声が聞こえて来た。


「もしもし、寛成ね」

「姉ちゃんごめん、ちょっと散歩の途中でドンキーの写真撮ろうと思って……」

「浩一郎くんは預かったわ」

「え?」


 姉の声は、怒っている時の声ではなく、聞いた事もないような、冷たい、突き放したような声だった。


「浩一郎君は私たちが捕まえた。返してほしければ、銀髪の女の子と一緒に家に来なさい。今すぐにね」

「なんで? てか姉ちゃんどういうこと?」

「期限はお昼まで。じゃあ、伝えたからね」


 姉は一方的にそう告げて電話を切った。寛成は何がどうなっているのかが分からずに、ナージャを見た。すると、ナージャは落ち着き払って寛成に確認してくる。


大人オールダーね」

「姉ちゃんなんだ。中学生の」

「”オーバーサーティーン”よ。もう私たちに気付いたのね」

「ごめんナージャ。たぶん僕のせいだ。君を連れて行かないと、友達の浩一郎が捕まってるらしいんだ」

「そう」

「ごめん。でも、連れてはいけないよ。わけがわからないけど、それは君に迷惑がかかるんだろ? 何かの間違いだよ。姉ちゃんに謝ってみる」


 浩一郎が部屋を出ようとすると、その肩をナージャが掴んで引き留めた。


「行くわ」

「でも……やっぱり迷惑なんだろ?」

「寛成」


 ナージャは、部屋の片隅にある棚の方へ行くと、何やらごそごそと取り出し始めた。ゴムの髪留め、空のガラス瓶、いくつかのキャンディ、そして猫じゃらし。


「寛成、私は既に報われているの。寛成が私を信じてに来てくれたことで。だから、今度は私がその恩に報いる番よ。あなたのお姉さんがどんな人かは知らないけど、中学生ならば、わ。だったら、戦うしかない」


 ナージャは緑と赤のゴムを寛成に手渡して、力強くにっこりと笑った。


「戦うの」

「僕が」

「そう、私たちが」


 寛成はナージャの碧い目を見て頷いた。そして、二人と一匹は並んで歩き出した。赤い部屋子供たちの部屋から、ドアの外へと。

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