Last:NOTE「紫陽花と、猫と、幽霊屋敷」
梅雨に入り、榊原区の舗装が行き届いていない道には、野生の
午後から蒸し暑い雨が振り始めた今日は、木の葉にぽつぽつと透明な球ができては落ちていきます。その様子を横目に、私は先ほど雑貨店で購入した
どうやら、まだ屋敷の取り壊しはされていないようです。祟りを恐れているのでしょうか、「立ち入り禁止」の札だけが、大きな
私は、つい数時間前のことを思い返しました。
「おねーちゃん」
神奈川県
灰色チェック模様のスラックスを履き、胸元を少し広めに開けたワイシャツの胸ポケットに黒の万年筆。女性としては珍しい洋装姿は、藍色の着物にハンドバックを合わせた私とは対照的です。
私の実の妹、
「
片手を上げて声をかけると、
ああ、なるほど。
合点がいった私は、無言で立ち上がります。両手を広げると、
私は、
「おねーちゃん、久しぶり。寂しかったよう」
「お姉ちゃんも寂しかったよ。今日は、時間を作ってくれてありがとう」
「ううん、全然。わざわざ神奈川まで来てくれたのに。アタシからしたら、おねーちゃんが元気な顔を見せてくれてありがとうだよ」
歯を見せて笑う
私の、自慢の妹です。
しばらく抱き合った後、対面の席に座りました。
「これ、
依頼を解決した後、
無理は承知でしたが、記事にしないことを言い含めて依頼の話をすると、「そいつは気になるねー」と、二つ返事で了解をしてくれました。
「本当にありがとう。今の写真って、こんなに
「技術の進歩だよねえ。まあ、もちろんアタシの腕がいいのもあるけどね」
二の腕をポンポンと叩く
そこに認められていたのは、
“あなたの心を知りました。私にとって唯一の
こんな屋敷、所詮は物です。屋敷が惜しいわけではありませんでした。ただ、あなたとの日々を感じられる場所が、ここしかなかっただけ。屋敷なんていらない。お金もいらない。あなたからの愛だけが欲しくて、ずっと待ち続けておりました。
結局、私は都合のいい道具でした。やり直すには、もう年を取りすぎました。憎いのに、憎いのに、それでもあなたを憎み切れない。
私にとっては、あなただけが唯一の人でした。あなたにとってもそうだと、私は信じておりました。けれど、“
「“唯一などなく、全てはまやかし”」
それが、この手紙の最後を締めくくる言葉。
「憎いならば、離れればよかったのに」
もちろん、世の中がそううまくいかないことなどは知っています。
愛しているからこそ憎くなり、憎いからこそ離れられない。そのような気持ちがあることを、私はよく知っています。
そのために苦しんでも、愛することをやめられない。人は、なんと不自由な生き物でしょうか。
しかし、この手紙により、私が感じていた違和感が、確かなものとなりました。
先生が感じた“屋敷を守りたい”という匂いは、
やはり、
ならば、先生が嗅いだ「屋敷を守りたい」という意志とは、一体誰のものだったのでしょうか。
「おねーちゃん、大丈夫?」
「大丈夫。
「えー、もう帰るの」
「
「じゃなくて」
「おうち、顔出さないの」
私は思わず一瞬目を伏せますが、すぐに
「お父さんとお母さんが、私を心配しているのは知っているよ。
でも、今顔を合わせたら、またケンカになっちゃうから。今の私のことを、二人にちゃんと話す自信がついてから、会いたいんだ。だからもうしばらく、二人のことは
「ちゃんと、帰ってきてね。おねーちゃんがいないと、寂しいよ」
「もちろん。いつまでもこのままでいいとは思ってないよ。時期が来たら、必ずちゃんと話をする」
「ほんとにほんとだよ。嘘ついたらだめだよ」
「
私は中腰になり、椅子に座っている
「なんかおねーちゃん、素直になった」
「そう、かな」
「探偵さんのおかげなのかな。おねーちゃん、おうちにいるときより全然笑わなくなったのに、ずっと楽しそうだよ」
私たちはお店を出た後、最後にもう一度抱きしめあい、手を振り合って別れました。
そうして神奈川を後にした私は、その足で
私は、
「おそらくは、食堂か床下、天井裏ですかね」
この屋敷を守りたいという意思を持つ者。それが
まずは、外を回って床下から、と思ったその時。
にゃあ、と声が聞こえました。
注意深く、耳を
寝室が所在する位置の、軒下を覗き見ます。そこには、薄汚れて濡れたモップの先のような、毛玉がおりました。
よくよく見ると、毛玉は2つ。奥には、私の頭ほどもあるような大きなものが、ピクリともせず横たわっています。その前に立つ小さな毛玉は、突然の
歯をむき出しにして立つ生まれたばかりの子ネコは、既に亡くなった母ネコを守っているかのようでした。
「あなたが、この屋敷を守ろうとしていたんですね」
先生の鼻が嗅いだ、屋敷を守ろうとする意志。それは、この子のものだったのでしょう。
「ごめんね。もっと早く気づくことができれば、お母さんも助けられたかもしれないのにね」
私が母ネコに手を伸ばすと、子ネコは
それでも構わず手を伸ばすと、びりびりと手をひっかかれました。一瞬手を引き戻しそうになりましたが、
恐らく、亡くなってから一週間は経過しているのであろう母ネコを掴み、胸に抱きとめます。
その間も、子ネコは延々と私の脚をひっかいたり、噛んだりをやめませんでした。
しかし、私が落ちていた園芸用スコップで土を掘りだすころにはそれもなくなり、結局母ネコを土の中に埋めるまで、子ネコは私のそばを着かず離れずうろついておりました。
墓石代わりの石の前で手を合わせると、子ネコはその横でじっと石を眺めます。この子にも、分かることはあるのかもしれません。
私は屋根の下で、すっかり濡れそぼった服や髪をハンカチで拭きながら、それが自然の成り行きであるかのように、子ネコに手を伸ばします。
「来る?」
子ネコは一瞬戸惑うように、母の眠る墓と私の手を見比べました。
じっと待っていると、何かを決意したかのようにてててっと駆けてきて、私の手をぺろぺろと舐めてきました。
こうして私は、首に傘を挟み、子ネコを抱き上げて、屋敷の
「お前の名前は、なんにしようかねえ」
私が頭をなでながら聞くと、子ネコは口を開けました。
「……ゴァ」
か細い、妙な声です。前足の脇を持ち、
違和感。その正体に気づくと同時に、鳥肌が立ちました。
私は、先ほどどうやってこの子を見つけたというのでしょうか。
母ネコは、亡くなってから1週間は経過しておりました。この子は、声が出ません。では、さっきの鳴き声は一体。
にゃあ。
背後から、声が聞こえました。振り返るも、そこには何もありません。
『この屋敷のどこかから、苦い臭いを貫いて、強烈な匂いがするのさ。この屋敷を守りたいという、真実の意志の匂いがね』
私は、先生の言葉を思い出します。
『何しろ、死者の残した匂いを嗅げるくらいだからな。もちろん、死者の臭いは残り香だから、今その場にいる匂いの方が鮮烈に感じるけどね』
先生の鼻は、死者の残り香を嗅ぐことができます。しかし、守りたいという意思を持ったものが“その場にいた”ならば、その匂いは死者の……
『幽霊とはなんだ。視覚に感じ取れないものが“いる”とき、人は何を感じ、どのように認識するのか』
視覚に感じ取れないものが、その場に“いる”ならば。
「……お母さん、ですものね」
思い出すのは、両親のこと。
探偵事務所で働くことを認めてもらえず、ケンカ別れ同然に家を飛び出した。そのとき、怒鳴るお父さんを押しのけ私を追いかけようとした、お母さんの必死の形相。
結局追いつかれることなく汽車に乗り込みましたが、あの時お母さんは私に何をしたかったのでしょうか。
怒られるか、叩かれるかだと思っていました。しかし、今思えばただ心配で、追いかけて来ただけなのかも知れません。
子を思う母の気持ちは、死してなおそこに“ある”ほど、強いものなのですから。
私は、屋敷に一礼をしました。
「この子はちゃんと、守ります」
胸に抱いた子ネコは、もはや何もいないはずの屋敷を、まっすぐに見つめ続けていました。
これにて、『幽霊屋敷』をめぐる事件は一応の終結を迎えました。
私が連れ帰ったこの子ネコは、今後
余談ですが、この文を認めている現在、なおも
この通り、失敗だらけの
真実を知りたいと願う依頼者様には、必ずお力になれると思います。
それでは、よしなに。
犬飼探偵の芳しき失敗 無知園児 @mutiennji
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。犬飼探偵の芳しき失敗の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます