7:NOTE「その探偵、激怒する」
「僕は、常々思うんだよ」
私が
窓の外には、高架橋が
「依頼主とは、どうして自分のことを語りたがるのだろうね。ここは精神医療科でもなければ、
その言葉に真実への足掛かりがあるならば、喜んで耳を傾けよう。しかし、その中に果たしてどれほどのミスリードが潜んでいるか。言葉を全て受け止めてしまえば、たちまち真実など
ああ、いつもの先生です。
何を言っているのかわからない、とばかりにぽかんと口を開ける
私は、誰にも見られないように背を向けて指で目じりを拭いました。
「つまるところ、先生は
「うん。まるっきり聞いていなかった。
かくかくしかじかと、これまでの私の推理と、
一通り聞き終えた先生は、立ち眩んだかのように頭を押さえて、よろよろとたたらをふみました。
「な、なんてどうでもいい話なんだ。結局、幽霊が存在するとかしないとかには、まるっきり寄与しない話じゃないか」
「どうでもいいお話、ですか」
先生の身もふたもないお言葉に、思わずおうむ返しをします。先生は、舞台役者のように、両手を大げさに振り始めました。
「他人の色恋話ほどにどうでもいい話は、この世にはないよ。ああ、なんてことだ。いつもの浮気調査みたいなもんじゃないか。この世で最も下らない、この世で最もどうでもいい依頼を、
大体、あんた」
先生が、
「わ、わしか」
「あんた以外に誰がいる。
全く持って、根性がなさすぎだろう。
そもそも、
情報は商売人の命だろう。情けないとは思わないのか。恥知らずのトーヘンボクめ」
それは確かにその通りなのですが、それを先生が
一通り言い切ると気が済んだのか、先生はなんでもなかったかのようにあごに手を当て、軽い声を出しました。
「いや、でもそうか。そういう話だと、僕が嗅いだ屋敷を守ろうとする意志は、その
「
「すべての嫌な臭いを貫き通すような、圧倒的な意志だったよ。一念岩をも通すと言うし、
「
「き、貴様なんの話をしているんだ。
「ああ、僕はそういうのが感じられるんだよ。人間の感情や心の動き、死者が残した思いもね。僕自身、なかなかにオカルティックな存在なのさ。
もちろん、信じるも信じないもあんたの勝手だがね。しかし、そうか。あれが祟りってやつなのかな。だとしたら、いいものを見た」
「た、祟りなど」
「滅多なことを言うな。ゆ、幽霊などこの世にはいない。祟りなどもっての外だ」
「あんたは、その“もっての外”が怖いから依頼したんだろ。ああ、そうだ。せっかく
気を付けた方がいいぞ。あの屋敷に絡みついていた意志は、真実の意志だ」
それは、先生が匂いをほめる際の、最上級の言葉です。
真実から生まれる意志は、何よりも強い。
「あれだけの意志があれば、屋敷を壊そうとすればもちろん、あんたが生きているだけで影響が現れるかもしれない。それこそ、直接あんたにいくつもの“偶然”が訪れるかもしれないぜ。せいぜい、
「ば、ば、ばかな」
「もちろん、信じないなら信じる必要はないよ。どうせ、僕にはどうすることもできない。まあ、安心しろよ。あんたから言わせれば、
“死者は、生者を侵せまい。それが、正しい世の理だ”
それは、
先生は、「しかし、」と仰いながら、ガスマスク越しにもわかるほど、不敵な笑みを浮かべました。
「真実は、正しきを挫く」
「ふ、不愉快だ! 帰る!」
先生はもたれかけていた窓から離れ、女性をエスコートする紳士のように、
「どうぞどうぞ。お帰りはこちらだ。何か“偶然”が起こりましたら、また依頼してくれたまえ。まあ、僕にできる事なんて、幽霊の存在を証明することぐらいだろうけどね。いやあ、やっぱりこういう依頼は、恨まれている人から受けるに限るなあ」
早足で事務所を出ていく
「いやあ、いい気味だ。見たかよ、あの顔。
「……珍しいですね、先生。わざわざ脅かすなんて」
私は、
「ただの脅しってわけじゃないよ。あの屋敷に真実の意志があったことも、多くの不自然な偶然があったことも事実だ。あの偶然を引き起こしたのが幽霊だとしたら、あいつを害すのが自然だよ」
「けれど、いつもならあそこまで、わざわざ不安をあおるようなことを言いませんよね」
冷凍庫から作り置きのアイス珈琲を取り出し、二つのグラスに注ぎます。
「だってあいつ、この僕に真実を
私は、高笑いを上げる先生の対面に座り、アイス珈琲を持ちました。
依頼終了後の乾杯は、
私は、グラスを目の前に掲げて、先生がグラスを持つのを待ちます。
「何よりあいつは、
先生が突然放った言葉に、私は手に持ったグラスを取りこぼしそうになります。私が感情的になってしまった事に、気づかれていたようです。
「ふざけた奴だったよ。塩でもまいておくか。いや、そうすると幽霊も成仏しちまうのか。ダメか」
先生は、いつも通り大仰な動きをしながら、一人
先生は、どこまでも感情に素直で、やりたいことしかやらない方です。今回のことも、先生が不快だったから脅かしただけのことで、私のためと言う意識はないでしょう。
しかし、先生にとってたいしたことが無いその行動が、私にとってどれほど大きなものか。私はいつも先生の優しさに助けられ、救われているのです。
察しの悪い先生が、私への多大な影響に気づくことはないでしょうけれども。
「ありがとうございます、先生」
掲げる二つのグラスが、事務所の窓から差す日に照らされて、木製テーブルにガラス影が写ります。そして、その影が静かに一つに重なり、チンと小気味良い音を立てました。
さて、このお話には後日談があります。
私は一週間後、再度屋敷を訪れました。
最後に残った謎を、突き止めるために。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます