6:NOTE「その探偵、出番がない」

「まず、ただの元女中にあのような立派な屋敷をお貸しするという時点で、違和感がありました。本来、独り身の女性には分不相応なお屋敷です。しかも、比嘉ひが様が住まれた頃は通勤にも向いておらず、働き口もないような場所でした。ならば、何故あそこを住処に選んだのか」


 私は、一瞬こみ上げる不快な気持ちを押さえ、言葉を続けます。


水島みずしま様は、たいへん好色なお方とお聞きしております」


「なにを言っている。どこからそんな、根も葉もない話を」


「確かな情報筋から、とだけ」


 それは真実です。この世で、先生の鼻以上に確かなものなどありませんから。


「そんな水島みずしま様が、女性に家を貸す。端的に言ってこれは、囲い込みだったのではないかと考えます。あの屋敷は、水島みずしま様が不倫相手と密会するための鳥かごであった、と」


「馬鹿なことを言うな」


 水島みずしま様は、持っている杖を私に突き付け、声を荒げます。


「何の根拠があって、そんなことを」


「根拠は、水島みずしま様がつかれた嘘です。水島みずしま様は、あの屋敷を比嘉ひが様に貸して以来、顔を合わせたことが無いとおっしゃいましたね」


「そうだ。それがどうした」


 私は、眼鏡の弦をクイと上げました。


「草履と雪駄しか履かない女性の家に、靴ベラ」


 水島みずしま様は、ご自身が履かれている革靴に一瞬目を落としました。


「小ぶりな杖用の杖置き。水島みずしま様の杖は、少々小さめの杖でございます。

 ネコ柄の夫婦茶碗と、夫婦箸。水島みずしま様は、ネコがお好きと仰られてましたね。

 そして何よりも、屋敷内に置かれた水島みずしま様の写真」


 水島みずしま様が、「写真だと」と、ぽそりと呟きました。あの写真は、水島みずしま様にとっても想定外のものだったのでしょう。


「先生も先ほどおっしゃられていました。偶然も、幾重ともなれば必然です」


 先生は、もはや興味はないといった具合に、俯いています。先生の真実は、証明し終えました。ここからは、言うなれば事後処理です。

 そのような細かい仕事は、犬飼いぬかい探偵事務所唯一の従業員である、私の仕事です。


「証拠などない。そのような絵空事を、よく言ったものだ」


 水島みずしま様は、強い語調で吐き捨てるように言います。

 それに対して私は、首を横に振りました。


「確かに、決定的な証拠はありません。これが警察の捜査であれば、採用されないでしょう。しかし探偵にとっては、この程度の状況証拠があれば十分です。

 何よりも、水島みずしま様のその顔が、雄弁に事実を物語っております」


 額に脂汗を溜め、私を睨み付けていた水島みずしま様は、はっと顔を俯かせました。


「ですが、お二人の関係には問題があったようですね。水島みずしま様がどうかはわかりかねますが、少なくとも比嘉ひが様は水島みずしま様を憎んでおられたはずです」


 思い起こすのは、くしゃくしゃになった、水島みずしま様と比嘉ひが様の写真。

 写真の中の水島みずしま様は今と同じく、黒色の紳士服と、龍の装飾があしらわれた特徴的な杖をお持ちでした。

 あの杖が写っていなければ、私はあの写真の男性が水島みずしま様と、判別することはできなかったでしょう。


「写真に写った水島みずしま様の顔は、ズタズタに切り裂かれておられました」


 水島みずしま様が、目を点にしました。それはそうでしょう。写真の、しかも顔だけを切り裂くなど、その思いが愛情だけであれば、できることではありません。

 思えば、あの封筒はぐしゃぐしゃにしわが寄っていました。比嘉ひが様はあの写真を封筒と共に、捨てようとしていたのかもしれません。しかし、それでもなお、捨てきれない想いがあったのでしょう。

 先生が屋敷中から感じていた苦い臭いも、埃やカビではなく、比嘉ひが様の憎しみの残り香だったのではないでしょうか。


「きっかけは、恐らく屋敷の売却に関することではないでしょうか。あの土地は、以前は二束三文だったのでしょうが、近年開発が進み、別荘地としての価値が高くなってきています。

 水島みずしま様は、ホテルや貸別荘として使えるようにするため、比嘉ひが様に屋敷を出ていくよう言ったのですね。幽霊話の払しょくを急いでいるのも、比嘉ひが様が亡くなる前から、立て直しの話を進めていたからではないでしょうか。

 しかし、比嘉ひが様はそれを断った。それに対して憤慨した水島みずしま様は、比嘉ひが様の殺害を計画した……というのは」


「ば、馬鹿なことを言うな!」


 水島みずしま様が、勢いよく立ち上がりました。

 先生も、それに応じるようにゆっくりと立ち上がります。何かあれば取り押さえようと思ったのでしょう。

 しかし水島みずしま様は、それ以上私に近づいてくることはなく、両手で机を思い切り叩くにとどまりました。


「そんなもの、根も葉もない妄想だ。わしが良子りょうこを殺すなど、そんなはずがあるか。あれは、自殺だ。正真正銘の自殺だよ」


 先生は、ゲホッと吐き出すように咳をして、ガスマスクを装着しました。どさっと大きな音を立て、深々と椅子に座ります。


「嘘はない」


 その言葉を聞いて、若干緊張感が緩みます。目の前の方が殺人犯である可能性は、零ではありませんでした。

 先生の言葉に唇を歪める水島みずしま様を、まっすぐに見つめます。これが、大詰めです。


水島みずしま様が何を否定しようともかまいません。ですが、もしも“私の根も葉もない妄想”通り、水島みずしま様が比嘉ひが様から恨まれるだけの理由があり、それを恐れているのだとしたら、それを私どもが解消することはできません。私どもが“幽霊がいない”という結論をつけたとしても、それは見せかけのものです。

 私どもが報告書を書くことで、噂を払拭ふっしょくすることはできましょう。しかし、水島みずしま様が真に安心を手に入れることはできません。これ以上、私たちが水島みずしま様のためにできることはないのです。どうか、お引き取りくださいませ」


 水島みずしま様は、しばらくの間何かを言おうとしてはそれをやめ、口をパクパクと動かします。しかし、その内がくりと肩を落とし、深々と椅子に座りこみました。


良子りょうこには、次の住居も保証すると言ったのだ」


 水島みずしま様が、ぽつぽつと語り始めました。


「わしは、良子りょうこを本当に愛していた。だからこそ、屋敷も与えたし、生活費も全て出した。たまに会って、わしと愛し合えばそれでいい。それだけで、金が手に入るのだ。最高の生活だろう。現に良子りょうこは、一度だってわしに逆らったことがなかったのだ。

 なのに、奴はわしに歯向かった。わしは、あの屋敷を売って、商売がうまくいけば、よりよい生活を与えられると言ったのだ。もっと便のいい場所に、新居も用意すると。より良い生活を与えられると。いい話だろうが。それなのに、あいつは嫌だと言った」


 ああ、この方はきっと。

 私が握る両の手に、力がこもるのを感じます。


「榊原区の屋敷を、離れたくないと。理由を聞いたら、思い出があるからなどと、まるで稚児ちごのような我儘わがままを言いよる。それでも、わしが叱りつけると、良子りょうこはすぐに「わかりました」と笑ったのだ。

 あいつは、幸せだったはずだ。あんな下らない事で、なぜ自殺などしたのか。わしには、全く理解ができん」


 水島みずしま様が、吐き捨てるように言葉を終えます。

 私は、奥歯を噛みながら、懸命に声を出しました。


水島みずしま様は、比嘉ひが様に何か贈り物をしたことはございますか」


「そんなもの、したことがあるか。生活費を保証しているのだ。欲しいものなど、自分で買うだろう」


比嘉ひが様は遺書に、“唯一などなく、全てまやかし”と書かれていたそうです」


 声が、震えました。

 水島みずしま様が、憎々し気に私を睨み付けますが、私はその目をまっすぐに見つめ返します。


「屋敷に飼い殺され、水島みずしま様の都合のいい慰み者として扱われ、何が幸せなのでしょう。それでも比嘉ひが様があの屋敷にいたのは、水島みずしま様を愛していたからではないですか。比嘉ひが様が守りたかったのは、屋敷に詰まった水島みずしま様との思い出だったのではないですか」


 比嘉ひが様が、水島みずしま様に初めて申し立てた異議。どんな思いで、言葉を放ったのでしょう。それを、全く受け止めてもらえず、どのような気持ちだったのでしょう。

 この方は比嘉ひが様のことを、少しでも知ろうとしたのでしょうか。


比嘉ひが様は、気が付いてしまったのです。水島みずしま様からもらった唯一の贈り物であるお屋敷に、水島みずしま様自身が何の未練もないことに。水島みずしま様との愛が、まやかしであったということに」


 人を愛するという事は、なんと残酷なことか。

 このお二人の関係が不貞ふていであるからこそ、その愛は他人に認められることなく、罪悪感が付きまといます。比嘉ひが様が水島みずしま様を愛し、屋敷で暮らした十数年間は、地獄そのものだったのではないでしょうか。

 比嘉ひが様にとってただ一つの救いは、水島みずしま様と育んだ愛だったのでしょう。しかし、それすらも“まやかし”と知ったその時、どれほどの悲しみが比嘉ひが様を襲ったか。私には、見当もつきません。

 その渦中にいる人間が、己の罪も自覚せず生きている。これ以上、救いのない真実があるでしょうか。

 私は、ただの探偵助手です。比嘉ひが様や水島みずしま様と、個人的な関係があるわけではありません。他人の人生の背景も知らず、無責任なことを言うことなどできません。

 だから私は、ただ願うことしかできないのです。


「人生の全てを捧げた愛を、まやかしと断じた比嘉ひが様のお気持ちを。誰にも相談せずに命を絶たれた、比嘉ひが様のことを。お願いします。もう一度よく、考えてください」


 私は、目に滲む涙を隠すように、水島みずしま様に深々と頭を下げました。

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