5:NOTE「その探偵、失敗する」

 私たちが屋敷を調査した、翌日。

 犬飼いぬかい探偵事務所の応接室には、先日と全く同じく、椅子に座ってきょろきょろと視線を動かす水島みずしま様がいらっしゃいました。その手には変わらず、龍の飾りをあしらった杖をお持ちです。

 その対面に座る先生は、脚を組んで無作法ぶさほうに座っていらっしゃいます。その指は落ち着かず、ひじ掛けをカタカタともてあそびます。水島みずしま様からあふれ出る悪臭に、必死に耐えていらっしゃるのでしょう。

 水島みずしま様は、お出ししたアイス珈琲を先日と同じように一息で平らげ、口を開きました。


「それでは、報告を願いたい。電話では、無事終了したと聞いた」


「ああ、そうだね。今回の依頼は、無事に終了したよ」


 先生の横に立つ私には、お二人の声がほとんど聞こえておりませんでした。頭の中のそろばんで、今回の報酬の使い道を探っていたからです。

 まず、たまっていたお家賃を支払い、消耗しょうもうしていた事務用品を補充します。ああ、先生の自室の消臭噴霧器消臭スプレーも、そろそろ替え時でしょうか。水島みずしま様がお帰りになられた後に、先生からお聞きせねばなりません。

 ああでもない、こうでもないと、思考が頭を流れます。

 その横で先生は、右手を胸に当て、ゆっくり頭を垂れました。


「弁明の余地もない。この依頼は、完全な失敗だ」


「は?」


 私ののどから、思わず声が出ました。

 水島みずしま様は声こそ出さなかったものの、目を見開き、きょろきょろと落ち着きなく動かしました。こつっと、杖を一度床につきます。


「説明を求めよう」


「喜んで」


 先生が立ち上がり、まるで舞台上の劇役者のように、明朗に声を張りました。


「全ての現象に、説明はついた。後ろからする足音は、古くなった床板ゆかいたきしみ。赤ん坊の声と無くなった弁当は、忍び込んだ子ネコが原因。こちらを見る顔は天井の染み。金縛りは睡眠障害すいみんしょうがい

 作業員が体験した心霊現象は、これらの偶然が合わさった結果だ」


「ならば、幽霊はいないということではないのか」


「何を言っているんだ、あんたは」


 先生は、やれやれと言った風に頭を振ります。


「それだけの偶然が、あの屋敷につどったんだぞ。そこに、何者かの意志が介在していないと、どうして断定できる」


 なるほど。

 確かに、全ての心霊現象は、多くの偶然が重なり合って起きたものでした。たまたま、寝室と廊下の床板ゆかいたがつながっている場所がきしんでいた。たまたま、取り壊しの日にネコが侵入した。たまたま睡眠障害すいみんしょうがいを持つ木梨きなし様が作業員として屋敷に入り、たまたま仮眠の際に睡眠麻痺すいみんまひがおこり、たまたま天井のシミを老婆の顔と誤認ごにんした。

 それほどの偶然が重なることなど、あり得るのでしょうか。

 一つならば単なる偶然でも、それが三つも四つも重なってみれば、その偶然の連鎖れんさ自体が異常と言って差し支えありません。


「偶然も、幾重ともなれば必然だ。これだけの偶然を引き起こすがあるかもしれないという疑念を、払拭ふっしょくすることはできない」


「だから失敗、だと」


「そうだ。僕らが得た情報だけでは、真実を突き止める事はできなかった。完全な力不足だったよ。これほど明確な失敗もあるまい。

 故に、幽霊がいないことを証明するという、この依頼は失敗だ。報酬も、もちろんいらない。回れ右して帰っていただければ、それで終わりだ」


 先生は、早いところ水島みずしま様を追い返したいのでしょう。右手をしっしと追い払うように振りました。


「それは、困るな」


 水島みずしま様の表情は、まるで変わりません。しかしその目は、僅かな焦りを含んでいるかのように揺れ動いています。

 汗が吹き出た額を、かわいらしいネコのハンカチで拭います。


「あの別荘の工事には、すぐにでも取り掛かりたいのだ。別の探偵に依頼する時間も惜しい。そもそも最初から、幽霊はいなかったという報告書を書いてくれればそれでいいと言ったはずだ」


「そいつは、無理だな」


 ピシ、と。先生の空気が、一気に張りつめました。

 先生は、真実を最も重要と考える方です。だからこそ、水島みずしま様の言葉は、先生の逆鱗げきりんに触れ得るものです。


「今話した通りだ。幽霊がいなかった証明などできない。そう判断するには、情報が少なすぎる。この依頼は失敗したのだ」


「そもそも、そこがおかしいのだよ。幽霊などいないのだ」


 水島みずしま様は、こつっと一度杖を鳴らしました。


「全てが偶然だったんだろう。ならば、それで終わりではないか。いないものをいないと言うだけの、簡単な仕事だ。それで、金を受け取ればいい。

 偶然が必然などと、君の言っていることはまるで理解できない」


「なんかさ、すっごい渋い」


 先生は、ネコのように細い漆黒しっこくの瞳で、水島みずしま様を射抜いぬきました。

 いつの間にかガスマスクを脱いでいた先生は、鼻を一度引くつかせるたびに、不愉快そうに眉間みけんしわをよせます。


「あんたから、凄く渋い匂いがするんだよね」


「いきなり何を言っているんだ、君は」


 コミュニケーションが暗礁あんしょうに乗り上げました。私は探偵助手として、現状を回復しなければなりません。


「先生。渋い匂いと言うのは、どういうことでしょう」


 渋い匂いは、恐怖の匂い。それが、水島みずしま様から感じ取れるということは、水島みずしま様は何かを恐れているということです。

 先生は、特に私に応えるでもなく、独り言のように言葉を続けます。


「ああ、わかった。あんた、幽霊がいないと思っているのに、幽霊が怖いのか。いや、待て。怖いということは、信じているということだろう。なのに、幽霊などいるはずがないとも思っている。

 だったら、なんで怖いんだ。もう、さっぱりわからん。あんた、屋敷の幽霊さんに、祟られる心当たりとかあるかい」


「た、祟りだと」


 水島みずしま様が、ガシガシと頭を掻きます。見るからに、狼狽うろたえているといった風情ふぜいです。


「わ、訳が分からん。祟られる心当たりなど、あるはずがないだろう」


 その返答を聞き、私の中に違和感が生じます。

 先生の発言は、匂いで感情が読めるという前提がなければ、意味不明なものです。

 しかし、水島みずしま様は、先生の数ある言葉の中から、という言葉だけに、非常な反応を示しました。

 水島みずしま様には、屋敷の幽霊に恨まれる心当たりがあった、ということでしょうか。


 その瞬間です。私の頭の中に、線が繋がる音が響きました。

 まだ、話の全容はつかめていません。しかし、既に欠片ピースは揃っている。それを、私の無意識は感じています。後は、整えるだけ。

 私は目をつぶり、思考の深みへと潜ります。

 暗闇の中、私しか存在しない空間で、懐からそろばんを取り出し、球を揃えました。

 これが、私にとって最も落ち着く思考方法です。


「願いましては」


 ぼそりと、呟きました。




 まず、一つ目の違和感は、屋敷の立地。榊原区さかきばらくは、最近急速に開発されつつある地域だ。しかし、あの屋敷は築20年ほど経過している。すなわち、あの屋敷が建築された当時は、辺りはまだ山中だったということ。

 そんな不便な場所に、女性が一人暮らしをする意味とはなにか。

 ぱちと、そろばんの球が鳴る。


 二つ目の違和感は、屋敷の内装。

 考えてみれば、様々に不自然な点があった。草履ぞうり雪駄せったしかない屋敷の玄関に、靴ベラがあったこと。一人暮らしの女性の家に、夫婦箸ふうふばし夫婦茶碗ふうふちゃわんがあったこと。寝室に、杖置きがあったこと。

 これらの物品が示すものは、一つしかない。

 ぱちと、そろばんの球が鳴る。


 三つ目の違和感は、屋敷の中に置かれた水島みずしま様の写真だ。

 元主人と、二人で写った写真。妻を持つ男性と二人だけで写るのも違和感があるが、その写真をするとなれば、ただならぬ関係であったことは間違いない。

 では、その関係とは、何か。

 ぱちと、そろばんの球が鳴る。


 女性が自殺したという事実と、木梨きなし様から聞いた遺書の概要。

 そして、先生が感じた匂い。

『あんた、屋敷の幽霊さんに、祟られる心当たりとかあるかい』


 最後の球が、弾かれた。




「ご破算です」


 目を開き、意識が浅瀬へと浮かび上がります。

 脳の酸素を使いすぎてふらつく視界の端で、まだ水島みずしま様が先生をにらみ付けています。おそらく、私が思考していたのは、時間にして3秒ほど。

 私は、手を膝の前に置き、静かに会釈をしました。


「先生。恐れながら申し上げます」


 水島みずしま様が、今にも先生につかみかからんばかりに押し寄せる上半身を、グイッと腰から曲げて私に向けました。その姿に、以前ペット屋で見た蛇が思い浮かばれます。

 蛇。水島みずしま様にぴったりのイメージなのでしょう。女性の人生を絡めとり、己の欲望のはけ口としたこの方には。

 先生は、あらわになった素顔の唇を、にやりと歪めました。


「構わんよ。言いたまえ」


水島みずしま様が心配されているのは幽霊がいるかどうかではなく、己がもてあそんだ挙句死に至った女性が水島みずしま様を恨んでいたかどうか、ではないかと存じます」


 水島みずしま様が、ただでさえ大きい目を更に見開きました。


「なぜ、それを」


 先生は、高笑いを上げ、水島みずしま様の肩をポンポンと叩きました。


「うちの従業員は優秀なもんでね」

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