5:NOTE「その探偵、失敗する」
私たちが屋敷を調査した、翌日。
その対面に座る先生は、脚を組んで
「それでは、報告を願いたい。電話では、無事終了したと聞いた」
「ああ、そうだね。今回の依頼は、無事に終了したよ」
先生の横に立つ私には、お二人の声がほとんど聞こえておりませんでした。頭の中のそろばんで、今回の報酬の使い道を探っていたからです。
まず、たまっていたお家賃を支払い、
ああでもない、こうでもないと、思考が頭を流れます。
その横で先生は、右手を胸に当て、ゆっくり頭を垂れました。
「弁明の余地もない。この依頼は、完全な失敗だ」
「は?」
私の
「説明を求めよう」
「喜んで」
先生が立ち上がり、まるで舞台上の劇役者のように、明朗に声を張りました。
「全ての現象に、説明はついた。後ろからする足音は、古くなった
作業員が体験した心霊現象は、これらの偶然が合わさった結果だ」
「ならば、幽霊はいないということではないのか」
「何を言っているんだ、あんたは」
先生は、やれやれと言った風に頭を振ります。
「それだけの偶然が、あの屋敷に
なるほど。
確かに、全ての心霊現象は、多くの偶然が重なり合って起きたものでした。たまたま、寝室と廊下の
それほどの偶然が重なることなど、あり得るのでしょうか。
一つならば単なる偶然でも、それが三つも四つも重なってみれば、その偶然の
「偶然も、幾重ともなれば必然だ。これだけの偶然を引き起こす何かがあるかもしれないという疑念を、
「だから失敗、だと」
「そうだ。僕らが得た情報だけでは、真実を突き止める事はできなかった。完全な力不足だったよ。これほど明確な失敗もあるまい。
故に、幽霊がいないことを証明するという、この依頼は失敗だ。報酬も、もちろんいらない。回れ右して帰っていただければ、それで終わりだ」
先生は、早いところ
「それは、困るな」
汗が吹き出た額を、かわいらしいネコのハンカチで拭います。
「あの別荘の工事には、すぐにでも取り掛かりたいのだ。別の探偵に依頼する時間も惜しい。そもそも最初から、幽霊はいなかったという報告書を書いてくれればそれでいいと言ったはずだ」
「そいつは、無理だな」
ピシ、と。先生の空気が、一気に張りつめました。
先生は、真実を最も重要と考える方です。だからこそ、
「今話した通りだ。幽霊がいなかった証明などできない。そう判断するには、情報が少なすぎる。この依頼は失敗したのだ」
「そもそも、そこがおかしいのだよ。幽霊などいないのだ」
「全てが偶然だったんだろう。ならば、それで終わりではないか。いないものをいないと言うだけの、簡単な仕事だ。それで、金を受け取ればいい。
偶然が必然などと、君の言っていることはまるで理解できない」
「なんかさ、すっごい渋い」
先生は、ネコのように細い
いつの間にかガスマスクを脱いでいた先生は、鼻を一度引くつかせるたびに、不愉快そうに
「あんたから、凄く渋い匂いがするんだよね」
「いきなり何を言っているんだ、君は」
コミュニケーションが
「先生。渋い匂いと言うのは、どういうことでしょう」
渋い匂いは、恐怖の匂い。それが、
先生は、特に私に応えるでもなく、独り言のように言葉を続けます。
「ああ、わかった。あんた、幽霊がいないと思っているのに、幽霊が怖いのか。いや、待て。怖いということは、信じているということだろう。なのに、幽霊などいるはずがないとも思っている。
だったら、なんで怖いんだ。もう、さっぱりわからん。あんた、屋敷の幽霊さんに、祟られる心当たりとかあるかい」
「た、祟りだと」
「わ、訳が分からん。祟られる心当たりなど、あるはずがないだろう」
その返答を聞き、私の中に違和感が生じます。
先生の発言は、匂いで感情が読めるという前提がなければ、意味不明なものです。
しかし、
その瞬間です。私の頭の中に、線が繋がる音が響きました。
まだ、話の全容はつかめていません。しかし、既に
私は目を
暗闇の中、私しか存在しない空間で、懐からそろばんを取り出し、球を揃えました。
これが、私にとって最も落ち着く思考方法です。
「願いましては」
ぼそりと、呟きました。
まず、一つ目の違和感は、屋敷の立地。
そんな不便な場所に、女性が一人暮らしをする意味とはなにか。
ぱちと、そろばんの球が鳴る。
二つ目の違和感は、屋敷の内装。
考えてみれば、様々に不自然な点があった。
これらの物品が示すものは、一つしかない。
ぱちと、そろばんの球が鳴る。
三つ目の違和感は、屋敷の中に置かれた
元主人と、二人で写った写真。妻を持つ男性と二人だけで写るのも違和感があるが、その写真をあのようにするとなれば、ただならぬ関係であったことは間違いない。
では、その関係とは、何か。
ぱちと、そろばんの球が鳴る。
女性が自殺したという事実と、
そして、先生が感じた匂い。
『あんた、屋敷の幽霊さんに、祟られる心当たりとかあるかい』
最後の球が、弾かれた。
「ご破算です」
目を開き、意識が浅瀬へと浮かび上がります。
脳の酸素を使いすぎてふらつく視界の端で、まだ
私は、手を膝の前に置き、静かに会釈をしました。
「先生。恐れながら申し上げます」
蛇。
先生は、
「構わんよ。言いたまえ」
「
「なぜ、それを」
先生は、高笑いを上げ、
「うちの従業員は優秀なもんでね」
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