4:NOTE「その探偵、指示棒を携帯する」

 私たちは客間を後にし、廊下を挟んで対面の部屋に進みます。対面の部屋は、中心に襖戸ふすまどをつけた広い和室。ふすまを解放すれば、一部屋になる構造です。

 手前側の部屋には、背の低い座卓テーブルや、湯飲みなどが入ったシックな食器棚が置かれています。食器棚の奥には、大きなネコが書かれた青色の茶碗と対になるように、小さなネコが書かれた赤い茶碗が置かれています。


比嘉ひが様は、小動物趣味があったようですね」


「理解できない趣味だな。ネコとは、どうもそりが合わない」


「なんと、あんなにかわいいのに」


「あいつら、大体が強いし、人の話を聞かないんだ。気を許した次の日には、親のかたきかってくらい足元を蹴ってくる。厄介なやつらだよ」


「……もしかして先生は、ネコちゃんの気持ちがわかるのですか」


「匂いで何となくね。特に、確認したことはないけど」


 なんと羨ましいお話でしょう。先生の嗅覚があれば、ネコちゃんと意思の疎通そつうができるということです。

 ご苦労もたくさんあることは重々承知しておりますが、これほど先生の鼻を羨ましく思ったことはありません。

 ネコちゃんとの会話に思いをはせつつ、私は部屋の捜索に戻ります。

 奥の部屋には、二人は寝転がれそうな大きな寝台ベッドが鎮座しています。寝台ベッド脇には化粧台けしょうだいが置かれ、押入れには畳まれた布団ものぞき見えます。


「どうやら、手前側が居間で、奥が寝室の様ですね」


「ふん。一人暮らしにしては、分不相応な広さだな。なんでわざわざ、こんな屋敷に住もうと思ったんだか」


 寝室の入り口に足を進めます。小ぶりな杖置きや、室内履き入れスリッパラックを横目に、まずは大きなきり箪笥タンスあらためます。

 しまわれていたのは、着物ばかり。履物はきもの草履ぞうり雪駄せったしかありません。

 比嘉ひが様は、異国趣味ではなかったようです。化粧台けしょうだいに置かれた白粉おしろい等の化粧品を見ても、それは見て取れます。

 続いて、寝台ベッドを調べます。枕元の引き出しを一つずつ開けていくと、一つの引き出しに小さな茶封筒がありました。くしゃくしゃになった封筒の中には、男女が二人で写った、古い写真が入っています。

 写真に写る妙齢みょうれいの女性が来ていらっしゃる着物は、先ほどタンスの中に入っていたものと同じ柄です。おそらくは、この屋敷の主であった比嘉ひが良子りょうこ様でしょう。

 そして、隣に映る男性は、黒色の紳士服を着て、龍の装飾をあしらった小さめの杖をお持ちです。

 私たちは、この杖の造形に見覚えがありました。


「これは……水島みずしま様の写真、ですよね」


 先生が私の肩口からひょいと写真を覗き、うへぇと声を出します。


「ふん。この屋敷に住んでいたのは、ずいぶんといい趣味をしている女性だったようだな」


「“いい趣味”と言う言葉で済ませてしまって、よろしいのでしょうか」


 私はぞっとする思いで写真を元の場所に戻し、寝台ベッド脇の壁に沿うように置かれた、腰高こしだかの小物入れに歩みを進めます。先生は、寝台ベッド下の収納を調べながら、少しガスマスクをずらしては「苦い!」と叫んでゲホゲホ咳き込んでいます。


 その時です。ギシ、と天井から音が聞こえたのは。


 足を止めて耳をますと、トトトと軽い音が聞こえるような気がします。音の出所を探すと、どうやら寝室の端。最も廊下側に近い壁の辺りから聞こえたようでした。

 言い知れない不安が私を襲いましたが、まだ何もわかっていない状態で、先生をお呼びするのも申し訳ありません。慎重に少しずつ、寝室の壁に近づきました。


 ギィ、と。


 今度は天井からではなく、床からきしむような音が聞こえました。

 もう一歩近づきます。


 また、ギィ。


 音は、壁を挟んで廊下側から聞こえてくるようです。

 これは、離れた方がいい。離れて、先生に指示を仰ぐべきです。そう思い、そのままゆっくりと後ろに一歩下がりました。


 ギィと、音が私に近づいてきました。


 心臓が止まるような衝撃。確かめるように、もう一歩下がりますが、床はまた一つ音を鳴らします。しかも、こちらに近づいてくるかのように。

 どれほど慎重に歩を進めても、音は確実に、私が下がるのに合わせて、こちらに近づいてきます。


 そして、ついに音は壁のすぐ向こうまでやってきました。これ以上下がると、壁を突き抜けてきてしまうのではないか。そう思うと、もはや一歩も動けません。

 私は、眼が熱くなるのを感じながらも、あくまでも冷静に声を出します。


「しぇんせい。この、かべ。かべのむこう。おと」


「ふうむ、この部屋はこんなもんかなあ。薄雪うすゆき君。次に行こうか」


 視界の端に映る先生は、寝台ベッドの下の収納を根こそぎひっくり返し、満足げな様子です。私は、何度も必死に壁を指差しました。

 しかし、私の動きを見た先生は、ウキウキした様子で近づいてくるのです。


薄雪うすゆき君。この名探偵たる僕にジェスチャーゲームで挑もうとは、随分と挑戦的じゃないか」


 なんということでしょう。

 先生の察しが悪いのはいつものことですが、今の私にはそれをとがめる余裕もありません。

 必死に助けを求めるべく、届きもしない両手が宙をふらふらときます。


「ろーか、あるくと、おと、ちかづいて」


 先生は、きょとんとした様子で、事もなげに言い放ちました。


「ああ、床がきしんでいるね。それがどうかしたのかい」


「そう、ゆか……。え?」


 先生は、床を指さしました。寝室に敷き詰められた床板が、壁の向こうに消えているのが見えます。


「寝室と廊下の床板ゆかいたが繋がっているんだよ。寝室は、入口廊下のすぐ隣にあるだろう。この壁だけ、後から急遽きゅうきょ組み上げたんだろうね。誰かが寝室の床板ゆかいたを踏むと、古くなった板がシーソー状にきしんで、廊下側で音がするのさ。ところで、それがどうかしたのかい」


 沈黙が場を支配しました。

 先生の頭の上に、乱れ飛ぶクエスチョンマークが見えるかのようです。私は、一つ咳払いをして、先生に顔を見られないよう、頭を下げました。


「それが、木梨きなし様のおっしゃっていた、幽霊の足音の正体でございます」


「ええ! そうなのかい?」


 露骨ろこつに肩を落とす先生を横目に、私は顔が熱くなります。

 冷静になって聞いてみると、床の音は確かにきしみであり、足音にはとても聞こえません。当然近づいてくるなどということもなく、私が動けば音の発生地が自然と変化しただけの話です。足音を聞いた作業員様は、先に屋敷に入った作業員の方が、寝室を歩いたときの軋みを聞いたのでしょう。

 私の冷静さを奪ったのは、当然この屋敷に幽霊がいるという前情報でしょう。びくびくしていると、ありもしないものを自分の想像力で補い、実在するかのように思ってしまう。

 なるほど、幽霊の正体見たり枯れ尾花とは、実に的を射た格言です。


「しかし、これは……。何とも言えないなあ」


 先生は、あごに手を当てて思案顔しあんがおです。いえ、実際には顔などガスマスクで見えないのですが。

 私は腕を組み、眼鏡をクイッと上げます。


「先生には申し訳ありませんが、やはり幽霊などと言う非科学的な現象は、今の時代にそぐわないのかもしれません。もう調査は終わりにして、水島みずしま様にご報告なさっても良いのではないかと存じます」


 先生は、ポリポリと頭を掻いた後、指を一本立てました。


「いや、まだ謎は残っているぜ。ほら、赤子の鳴き声が聞こえたとかっていう」


 オアアアアー。

 寝室入口方向。玄関から見て最奥にある食堂から聞こえた声に、私と先生は顔を見合わせました。先生は火が付いたように駆け出し、私がそれをおっかなびっくり追う形になります。

 階段を通り過ぎ、私が食堂についたころには、先生は既に食堂の捜索をしていました。ガスマスクのレンズから覗き見えるその目は、にらむように天井を見つめています。

 天井から、トトトッと音が聞こえました。

 これは、先ほど私が廊下のきしみを発見する前に聞いた音に、相違そういありません。


「先生、今のは……」


「しっ」


 先生は、懐から銀色の小さな棒を出しました。

 棒の両端を左右に引くと、棒は見る見る長くなります。どうやら、指示棒を携帯していたようです。


「先生、どうしてそんなものをお持ちで」


「僕は、撃剣フェンシングたしんでいる」


 質問の答えになっていません。

 先生は、指示棒を持たない手で私を制した後、ガスマスクを外し、私に手渡します。先生にとってガスマスクは、命綱いのちづなに等しいもの。私は、決して落とさないよう胸にギュッと抱え込みました。


「当たりさえついていれば、匂いで分かる」


 先生は、一瞬物凄いしかめっ面をしたあと、必死の形相で天井に向かってクンカクンカと鼻をひくつかせました。

 先生は物凄く真剣なのですが、光景だけ見ると物凄く面白いことになっています。

 やがて、先生が天井のある一点を鋭く見つめました。


「そこか」


 先生が天井に向かって、指示棒をフルーレのように構えました。シュッシュと少し素振りをした後、前後に軽やかなステップを踏みます。

 恐らく、先生も楽しんでいます。


「ケィーッ!」


 先生が絶叫と共に、指示棒を勢いよく天板に突き刺しました。

 すると、天板がバタンと大きな音を立て、同時に甲高い悲鳴が聞こえてきました。


「ブニャーッ!!!」


 どたどたと、天井裏を何処どこかへ駆けていく音。

 私と先生は、それを茫然ぼうぜんと見送りました。

 しばしの沈黙。私がなんと言ったものか悩みあぐねている間に、先生は指示棒を下ろし、ぽつと呟きました。


「ネコだね」


「ネコでしたね」


 姿は見えませんでしたが、鳴き声が明らかにネコのものでした。

 先ほどから感じていた視線も、このネコのものだったのでしょうか。今思えば、天井からしたトトトという音は、ネコが歩く音に酷似こくじしていたように思います。


「そういえば、この辺りには野良ネコが多いと、作業員の方がおっしゃっていましたね。ということは、食事が減ったというのも……」


「ふん。ネコが食べてしまったのか」


 先生はうつむき考え込みながら、「なるほど、な」と呟きました。

 胸に抱えたガスマスクを、先生に手渡します。先生は、その目を床に向けたまま、静かに装着しました。

 先生は、今回の心霊現象は全て偶然ぐうぜんの産物であり、幽霊などいなかったという結論に消沈しょうちんしているのでしょう。

 しかしながら、これで依頼は完遂かんすいです。ようやくたまっているお家賃を支払いできると思い、私はほっと胸をなでおろしました。


「なんにしろ、これで依頼は終了ですね。先生、お疲れ様でした」


「……ああ、そうだね」


 まだ下を向いている先生を元気づけるべく、明るい声を出しましたが、先生の声にはなおも張りがありません。何事かをぶつぶつと呟きながら、玄関へと向かいました。

 その後を追いながら、私はメモに書き込みます。


 廊下を歩く幽霊の足音は、廊下のきしみ。

 赤子の鳴き声と無くなったお弁当は、ネコちゃんが原因。

 老婆の顔は天井の染みで、金縛りは睡眠麻痺すいみんまひ


 作業員の皆様からお聞きしていた心霊現象は、全て説明されました。

 そこでふと、私は封筒に入っていた水島みずしま様の写真を思い出しました。

 そう言えば、先生がいだ“屋敷を守りたい”という意志の匂いは、誰が出していたのでしょうか。

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