4:NOTE「その探偵、指示棒を携帯する」
私たちは客間を後にし、廊下を挟んで対面の部屋に進みます。対面の部屋は、中心に
手前側の部屋には、背の低い
「
「理解できない趣味だな。ネコとは、どうもそりが合わない」
「なんと、あんなにかわいいのに」
「あいつら、大体
「……もしかして先生は、ネコちゃんの気持ちがわかるのですか」
「匂いで何となくね。特に、確認したことはないけど」
なんと羨ましいお話でしょう。先生の嗅覚があれば、ネコちゃんと意思の
ご苦労もたくさんあることは重々承知しておりますが、これほど先生の鼻を羨ましく思ったことはありません。
ネコちゃんとの会話に思いをはせつつ、私は部屋の捜索に戻ります。
奥の部屋には、二人は寝転がれそうな大きな
「どうやら、手前側が居間で、奥が寝室の様ですね」
「ふん。一人暮らしにしては、分不相応な広さだな。なんでわざわざ、こんな屋敷に住もうと思ったんだか」
寝室の入り口に足を進めます。小ぶりな杖置きや、
しまわれていたのは、着物ばかり。
続いて、
写真に写る
そして、隣に映る男性は、黒色の紳士服を着て、龍の装飾をあしらった小さめの杖をお持ちです。
私たちは、この杖の造形に見覚えがありました。
「これは……
先生が私の肩口からひょいと写真を覗き、うへぇと声を出します。
「ふん。この屋敷に住んでいたのは、ずいぶんといい趣味をしている女性だったようだな」
「“いい趣味”と言う言葉で済ませてしまって、よろしいのでしょうか」
私はぞっとする思いで写真を元の場所に戻し、
その時です。ギシ、と天井から音が聞こえたのは。
足を止めて耳を
言い知れない不安が私を襲いましたが、まだ何もわかっていない状態で、先生をお呼びするのも申し訳ありません。慎重に少しずつ、寝室の壁に近づきました。
ギィ、と。
今度は天井からではなく、床から
もう一歩近づきます。
また、ギィ。
音は、壁を挟んで廊下側から聞こえてくるようです。
これは、離れた方がいい。離れて、先生に指示を仰ぐべきです。そう思い、そのままゆっくりと後ろに一歩下がりました。
ギィと、音が私に近づいてきました。
心臓が止まるような衝撃。確かめるように、もう一歩下がりますが、床はまた一つ音を鳴らします。しかも、こちらに近づいてくるかのように。
どれほど慎重に歩を進めても、音は確実に、私が下がるのに合わせて、こちらに近づいてきます。
そして、ついに音は壁のすぐ向こうまでやってきました。これ以上下がると、壁を突き抜けてきてしまうのではないか。そう思うと、もはや一歩も動けません。
私は、眼が熱くなるのを感じながらも、あくまでも冷静に声を出します。
「しぇんせい。この、かべ。かべのむこう。おと」
「ふうむ、この部屋はこんなもんかなあ。
視界の端に映る先生は、
しかし、私の動きを見た先生は、ウキウキした様子で近づいてくるのです。
「
なんということでしょう。
先生の察しが悪いのはいつものことですが、今の私にはそれを
必死に助けを求めるべく、届きもしない両手が宙をふらふらと
「ろーか、あるくと、おと、ちかづいて」
先生は、きょとんとした様子で、事もなげに言い放ちました。
「ああ、床が
「そう、ゆか……。え?」
先生は、床を指さしました。寝室に敷き詰められた床板が、壁の向こうに消えているのが見えます。
「寝室と廊下の
沈黙が場を支配しました。
先生の頭の上に、乱れ飛ぶクエスチョンマークが見えるかのようです。私は、一つ咳払いをして、先生に顔を見られないよう、頭を下げました。
「それが、
「ええ! そうなのかい?」
冷静になって聞いてみると、床の音は確かに
私の冷静さを奪ったのは、当然この屋敷に幽霊がいるという前情報でしょう。びくびくしていると、ありもしないものを自分の想像力で補い、実在するかのように思ってしまう。
なるほど、幽霊の正体見たり枯れ尾花とは、実に的を射た格言です。
「しかし、これは……。何とも言えないなあ」
先生は、あごに手を当てて
私は腕を組み、眼鏡をクイッと上げます。
「先生には申し訳ありませんが、やはり幽霊などと言う非科学的な現象は、今の時代にそぐわないのかもしれません。もう調査は終わりにして、
先生は、ポリポリと頭を掻いた後、指を一本立てました。
「いや、まだ謎は残っているぜ。ほら、赤子の鳴き声が聞こえたとかっていう」
オアアアアー。
寝室入口方向。玄関から見て最奥にある食堂から聞こえた声に、私と先生は顔を見合わせました。先生は火が付いたように駆け出し、私がそれをおっかなびっくり追う形になります。
階段を通り過ぎ、私が食堂についたころには、先生は既に食堂の捜索をしていました。ガスマスクのレンズから覗き見えるその目は、
天井から、トトトッと音が聞こえました。
これは、先ほど私が廊下の
「先生、今のは……」
「しっ」
先生は、懐から銀色の小さな棒を出しました。
棒の両端を左右に引くと、棒は見る見る長くなります。どうやら、指示棒を携帯していたようです。
「先生、どうしてそんなものをお持ちで」
「僕は、
質問の答えになっていません。
先生は、指示棒を持たない手で私を制した後、ガスマスクを外し、私に手渡します。先生にとってガスマスクは、
「当たりさえついていれば、匂いで分かる」
先生は、一瞬物凄いしかめっ面をしたあと、必死の形相で天井に向かってクンカクンカと鼻をひくつかせました。
先生は物凄く真剣なのですが、光景だけ見ると物凄く面白いことになっています。
やがて、先生が天井のある一点を鋭く見つめました。
「そこか」
先生が天井に向かって、指示棒をフルーレのように構えました。シュッシュと少し素振りをした後、前後に軽やかなステップを踏みます。
恐らく、先生も楽しんでいます。
「ケィーッ!」
先生が絶叫と共に、指示棒を勢いよく天板に突き刺しました。
すると、天板がバタンと大きな音を立て、同時に甲高い悲鳴が聞こえてきました。
「ブニャーッ!!!」
どたどたと、天井裏を
私と先生は、それを
しばしの沈黙。私がなんと言ったものか悩みあぐねている間に、先生は指示棒を下ろし、ぽつと呟きました。
「ネコだね」
「ネコでしたね」
姿は見えませんでしたが、鳴き声が明らかにネコのものでした。
先ほどから感じていた視線も、このネコのものだったのでしょうか。今思えば、天井からしたトトトという音は、ネコが歩く音に
「そういえば、この辺りには野良ネコが多いと、作業員の方がおっしゃっていましたね。ということは、食事が減ったというのも……」
「ふん。ネコが食べてしまったのか」
先生は
胸に抱えたガスマスクを、先生に手渡します。先生は、その目を床に向けたまま、静かに装着しました。
先生は、今回の心霊現象は全て
しかしながら、これで依頼は
「なんにしろ、これで依頼は終了ですね。先生、お疲れ様でした」
「……ああ、そうだね」
まだ下を向いている先生を元気づけるべく、明るい声を出しましたが、先生の声にはなおも張りがありません。何事かをぶつぶつと呟きながら、玄関へと向かいました。
その後を追いながら、私はメモに書き込みます。
廊下を歩く幽霊の足音は、廊下の
赤子の鳴き声と無くなったお弁当は、ネコちゃんが原因。
老婆の顔は天井の染みで、金縛りは
作業員の皆様からお聞きしていた心霊現象は、全て説明されました。
そこでふと、私は封筒に入っていた
そう言えば、先生が
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