3:NOTE「その探偵、幽霊を語る」
そこかしこに【
別荘地として開発され始めたのは、つい最近。温泉が
急速に観光地化は進められ、山は削り取られつつあります。自然主義の方々は声高に
そんな、時代の変化を生き
決して大きすぎない、2階建ての小ぢんまりとした洋風屋敷。そこを囲む小さな庭園はよく手入れされており、
可愛らしい木造の白壁。玄関上に取り付けられたバルコニーもまた真っ白で、明るさに満ち溢れた雰囲気を
決して
「小汚い屋敷だな」
先生が、一刀の下に断ち切るかの如き発言を繰り出しました。私の
「先生、決して依頼主様の前では、そのような発言はなされませんよう」
「ふん。わかっているさ。さあて、幽霊
私は、
10秒ほど、そうしていたでしょうか。
鍵を持ち、立ちすくむ私に、ついに先生が声をかけました。
「入らないのかい」
先生が、幽霊なんて言葉を出すからです。せっかく、忘れかけていたのに。
金縛りは
「その。少々、勇気が必要でして」
「なるほど。確かに、これほど古い家に入るのは勇気が必要だ。恐ろしい
「ああ、もういいです。大丈夫です。入りましょう」
こうして、屋敷の調査は始まりました。
玄関扉を開けると、靴ベラがかけられた大きな下駄箱が目に飛び込んできました。中には、いくつもの
次に注目したのは、奥で右に折れている、細く長い廊下です。電気がついていないため薄暗く、
「ああもう、物凄く鼻が苦い。依頼主の悪臭といい、今回はガスマスクが手放せないな」
幽霊の匂いを嗅ぎたいのに、とぶつぶつおっしゃっている先生を横目に、私は廊下を進みます。
廊下の両辺には
一番近い
「どうやら、この部屋は客間として使われていたようですね。となるとこの
「ということは、あれが顔の正体か」
先生は、天井のある一点を見つめていました。そこには
どうひいき目に見ても、とても顔には見えません。
「あれが顔、ですか」
「シミュラクラ現象というものだ。人間は、3つの点が集まっている形を見ると、顔と認識してしまうように、脳が設計されている。
「しかし、いくら何でもそのような勘違いをするものでしょうか」
「幽霊の正体見たり枯れ尾花、というだろう。怖がっているときは、ただの花すら人に見える。幽霊に怯えていた
さあ、次の部屋に行こうと
「先生は、幽霊の存在を確かめたくて来たのではないのですか。そんなにもあっさり物理現象と片付けてしまって、よろしいのでしょうか」
先生は、驚いたように首をすくめた後、くつくつと笑い始めました。
「
愉快そうな声を上げる先生。いい機会です。私は依頼を受けた時から気になっていたことを、先生に問いかけました。
「今更ですが、先生が幽霊を信じていることも、意外です。そう言った
「それを言ったら、僕の鼻も十分に
「感じるだけの何か、ですか」
先生がおっしゃることは、たまによくわからないことがあります。
こうやって一緒に事件を解決していく中で気付いた事なのですが、先生は、案外お話し好きなところがあります。
「そもそも、人はどうやって存在というものを感知しているのか。それは、五感の作用に他ならない。
像を映す、視覚。耳で聞く、聴覚。
「味覚」
「他者を認識する為の味覚」と言う言葉に口付けを連想してしまい、思わず自分の唇を押さえました。つまり先生は「口付けさえも、他人を認識する五感の一つである」と言いたいようです。
なんというか、先生の言いぐさにはまるで
「このように、人は五感で認識して初めて、存在を知覚できる。では、幽霊とはなんだ。視覚に感じ取れないものが“いる”とき、人は何を感じ、どのように認識するのか。そこに、僕はとても興味が引かれるんだ」
なんとなく、想像がついてきました。
目で見えないものが“いる”時、何を
「つまり幽霊といえども、五感が通常ではありえない捉え方をする存在のことであり、一つの物理現象に過ぎない、ということでしょうか」
「僕はそう
そして、僕の鼻は通常ではありえない捉え方をすることができる。何しろ、死者の残した匂いを嗅げるくらいだからな。もちろん、死者の臭いは残り香だから、今その場にいる匂いの方が鮮烈に感じるけどね」
私は、以前の事件を思い出しました。
『
「そんな僕ならば、幽霊の臭いなんてものを嗅げるかもしれない。実におもしろそうだと思わないか」
先生は、どこまでも先生です。
おっかなびっくりしている私が、馬鹿らしいような気持ちになってきました。胸をなでおろし、少しほっとします。
その時です。どこからか、視線を感じたのは。
後ろを振り向きますが、なにもありません。しかし、確かに感じました。染みなどではない、確実な意志を持った、“何か”の視線を。
私は、先生の
「先生」
私が先生に向き直る頃には、既にガスマスクを取り払い、スンスンと鼻を引くつかせていました。しかし、すぐに咳き込み、またガスマスクを被ってしまいます。
「苦い臭いが強すぎるな。ある程度当たりをつけないと、それ以外の臭いの出所は探しようがない。しかし、何かがいることは間違いなさそうだ。やっぱり、幽霊かなあ。ふふふ」
「で、でも、まだ決まったわけでは……」
嬉しそうにほくそ笑む先生。私は、幽霊と言う見解を
いくら物理現象かもしれないという話を聞いても、よく考えたら私に捉えられない現象が存在するという恐怖は変わりません。
「いや、一つ気になっていることがあるんだ」
なのに先生は、そんな私の
その後の言葉を聞いた私は、さぞ絶望的な顔になっていたことでしょう。
「この屋敷のどこかから、苦い臭いを貫いて、強烈な匂いがするのさ。この屋敷を守りたいという、真実の意志の匂いがね」
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