2:NOTE「その探偵、枕にこだわりがある」

「俺たちは解体の依頼を受けて、あの屋敷に行ったんだがな。玄関から入って、細長くて薄暗い通路を歩いていると、後ろからギシギシ……、と音がした。

 あの屋敷の辺りには、野良ネコが多いからよ。そいつかと思って、振り向いた。けど、何もいない。廊下を戻っても外に出ても、誰もいない。

 こりゃどうしたのかと思ったら、また屋敷の中からギシギシと音がした。廊下を見ても、やっぱり何もいなかった。

 あれは、幽霊の仕業としか思えねえよ」


 ひい。


「おいらが聞いたのは、屋敷の中の家具を運び出しているときだ。

 突然、赤ん坊の声が聞こえた。近くの家から、とかじゃねえ。床下とか、頭の上とか、ほんとすぐそばからだ。恨めしそうに、オアアアーって。しゃがれきって間延びした声がさ。

 あれは、この世に未練を残した幽霊の声だよ。絶対」


 ひゃあ。


「飯を食った後、ちょっと外にたばこ吸いに行ったんさ。戻ってきたら、食い残していたおかずが無くなっていてなあ。幽霊も、腹減るんかね」


 ぴぎゃあ。




「いやあ、素晴らしき心霊現象の数々。こいつは間違いなく、幽霊がいるな」


 座布団に胡坐あぐらで座りながら、先生はウキウキと体を揺らします。

 榊原区さかきばらくの隣町である黄金色郡こがねいろぐん。帝都15区にほど近いここは、労働者階級の皆様が多く住むことで知られています。

 駅からほど遠くに構えられた、高層長屋こうそうながや。列車を積み重ねたような建物の4階に位置する、日当たりのいい六畳一間です。

 この部屋の中央に置かれた卓袱台ちゃぶだいの前で、私たちは本日の調査の結果を、メモにまとめておりました。


「最後の現象だけは、なんだか幽霊らしくないような気もしますが」


 鉛筆えんぴつとメモを手にする私は、せめてもの抵抗とばかりに水を差すのですが、先生はどこ吹く風といった様子。本日は、私のため息が鳴りやみません。

 私たちは、実際に心霊現象を体験した、屋敷解体の作業員の皆様を訪問し、そのお話を聞きました。すると、出るわ出るわ心霊現象の数々。


 幽霊の足音。


 赤子の鳴き声。


 無くなったお弁当。


 こうして、得た情報をメモしているだけでも身震いしてきます。

 そして、今私たちがいるこの部屋の主こそが、水島みずしま様の屋敷で起こった怪現象の、最後の一つを体験した方の部屋なのです。


「おう、待たせたな。大したもんじゃねえけど、飲んでよ」


 ミシミシと安普請やすぶしんな音を立てて、キッチンからお茶を運んできた巨漢の方。木梨きなし権助ごんすけ様が、この部屋の主です。

 私は、三つ指をついて、深々と頭を下げました。


「突然の来訪をこころよく迎えていただき、誠にありがとうございます。些少さしょうではございますが、謝礼金もご用意しておりますので、調査にお力添えいただければ幸いです」


 木梨きなし様は、お茶を卓袱台ちゃぶだいに置きながら、大柄な体を縮こめて、窮屈きゅうくつそうに座ります。


「いや、謝礼とかは別にいいんだけどさ。ほんとにあんたら、やめた方がいいぞ。祟られるかもしれねえし」


「心配には及ばない。聞いたことくらいあるだろう。僕こそは、あの犬飼いぬかい探偵事務所所長その人、犬飼いぬかいかおるだ。この僕にかかれば、幽霊など恐れるに足りない」


 木梨きなし様が、はっと目を剥きます。先生のガスマスクをつけた顔をしばらく見つめた後、何回か、首を横に傾げました。


「いや、知らねえ」


「そうですよね」


 どこからきた自信だったのか、全く分かりません。先生は、カンラカンラと高笑いを上げます。


「まあまあ、そんなことより、早く聞かせてくれたまえよ。君が経験した、世にも恐ろしい心霊現象とやらを」


 木梨きなし様は、目尻を下げて、うつむきます。見た目はまるっきり熊さんなのに、不安げに身をちぢこめるその姿は年若い幼子の様です。


「俺っち、結構霊感が強い方でよう。先輩から色々心霊現象が起きてるって聞いて、もうぶるっちまってたんだ。絶対なんか起きるって、根拠こんきょはねえけど確信があってさ。怖いなあ、怖いなあって思いながら、作業してたんだよ」


 木梨きなし様は、びくびくと怯えるように話すので、それがまた怪談話のような様相ようそうていします。その雰囲気に反比例するかのように、私の続きを聞きたくない気持ちは、どんどん膨れ上がっていくのです。

 ちなみに先生は、被りつくように前のめりになって、うんうんと首を縦に振っています。ガスマスクの下は、輝く笑顔なのでしょうね。


「で、うちの組は昼食後に休憩時間を取るんだけど、俺は前の日も遅くまで現場やっててな。すげえ眠くなってきちまったから、客間に置いてあった寝椅子ソファで横になってたんだ。その内ウトウトしてきたんだけど、ふと気づくと、体が動かなかった」


「それは、いわゆる」


「ああ、金縛りっちゅうやつだな」


 私は、ごくりと唾を飲みました。

 先生は、少しマスクをずらして、すぐにつけ直しました。何も言う様子はありません。おそらく、木梨きなしさんの言葉に嘘の臭いはないのでしょう。

 いっそ出鱈目でたらめならばよかったのですが。


「指の一本も動かせなくてよ。そしたら、足元から何かがいずってきたんだ。逃げ出したくても体が動かねえし、声を出したくてもなんも出てこねえ。俺っちもうたまらなくて、必死に転がろうとしたんだ。

 そしたら、いきなり金縛りがけて、体が寝椅子ソファから落ちた。硬い床の上に、しこたま打ち付けてよ。助かったと思って、仰向あおむけになったらよ……」


 木梨きなし様は、うつむき言葉をひそめました。声が小さくて、聞き取りづらいです。

 私が、少し耳をそばだてた瞬間、木梨きなし様はバッと顔を上げました。


「天井に、俺を見つめる人の顔があったんだよぉーっ!」


 間延びした、甲高い悲鳴が響き渡りました。

 その悲鳴が私自身の声だと気が付くには、少々時間がかかりました。とにかく手近なものを、力いっぱい抱きしめながら、息を整えます。

 胸から飛び出てしまうのではないかと思うほど、心臓がバクバクと高鳴っています。


「き、木梨きなし様。絶対面白がっておりますよね」


「いやあ、すまんすまん。なんか、あまりにも怖がってくれるもんだから、つい」


 照れくさそうに笑う木梨きなし様。

 先ほどまで、祟られるかもしれないと心配していた方のすることでしょうか。腹立たしいやら恥ずかしいやらで、私の腕にさらに力がこもります。


「あの、薄雪うすゆき君。苦しいんだけれども」


 先生の、かすれた声。

 気が付けば、私の腕の中には先生の首がありました。横からチョークスリーパーをしているような形です。私は、慌てて飛びのきます。


「す、すみません先生。大丈夫ですか」


「首が折れるかと思った」


 先生が、げほげほと咳き込みます。オロオロする私を見て、更に笑う木梨きなし様。この方は、もう一度屋敷に行って祟られた方がよろしいのではないでしょうか。

 木梨きなし様は、仕切り直しをするように、お茶を一口飲みました。


「まあでも、話は本当だ。天井には知らねえ、しわだらけのばあちゃんみてえな人の顔があって、そいつが俺をにらみ付けていた。ありゃあ、怖かったなあ」


「睨み付けていた……ですか。な、なんでそんなに怖い顔をしていたんでしょうね」


「さあなあ。あの家に住んでた女は、手首っ切って自殺したっちゅう話だし。いろいろ恨みとかあったんじゃねえの」


 何やら聞き捨てならないことをおっしゃった気がします。私は思わず、両手を出して制止しました。


「お待ちください木梨きなし様。あのお屋敷にお住いの女性は、自殺されたのですか」


「なんだ。あんたらそんなことも知らなかったのかよ」


 木梨きなし様が、あきれたような目を私たちに向けました。


「理由はよくわかんねえけど、風呂場で死んでいたんだ。そば遺書いしょがあって、その中には“唯一などなく、全てはまやかし”とかって書いてあったとかなんとか。まあ、ただのうわさだから、詳しいことはわかんねえけど。

 警察が捜査したけど、少なくとも他殺ではねえってことで、ただの自殺ってことになったらしい」


「……よくご存じですね」


「おう。心霊話は趣味だからな。そんな話を仕入れたところで、その屋敷に仕事行くってことになってよ。俺はもう、気が気じゃなかったんだよ」


 木梨きなし様は、肩を抱いて震えます。

 そんなに怖いなら、余計な話を仕入れなければいいのではないかと思うのですが。


「なるほど、状況はよくわかったよ。それはもう完全に幽霊だね」


 先生が、ガスマスクを少し上げてから、高らかに宣言しました。

 よっぽど、木梨きなし様の話にうそがないことが嬉しかったのでしょう。木梨きなし様と握手をして、今にも肩を組みそうな勢いです。

 しかし私は、怖さに震えながらも、ある可能性が頭に浮かんでおりました。眼鏡のつるを押し上げ、木梨きなし様を見つめます。


木梨きなし様は、眠りが浅い方ですか」


「え。俺の話か」


 先生に、腕をぶんぶん振りまわされながら、木梨きなし様は空を仰ぎます。


「ああー。そういや誰かに言われたことあるな。なんか、いびきがひどいらしくて、寝相も悪いとかって。そのせいか俺、すぐ夜中に目が覚めちまうんだよな」


「もしかして、これまでに金縛りにあわれたことはありますか。例えば、心霊現象が起こると噂されている現場に行った後など」


「な、なんでわかんだ!」


 木梨きなし様は床の足音の話をしたとき、「霊感は強い方」とおっしゃっておりました。すなわち、これまでに幽霊を意識する事柄ことがらがあったということです。

 私は、先生に向き直りました。「まだ現場に行かないの?」と言わんばかりにソワソワしています。


「先生。木梨きなし様の状況をお伝えします」


 立ち上がり、玄関へ向かおうとしていた先生が、ぴたと止まりました。

 先生は、私の話に必ず耳を傾けていただけます。黙殺もくさつされたことは、ただの一度もありません。


木梨きなし様は、前日に睡眠不足でした。また、木梨きなし様は普段から眠りが浅い上、当日の仮眠場所は慣れない寝椅子ソファで、落ち着かない状況でした。さらに、直前まで幽霊の存在により、強いストレスを受けていたと思われます。

 この環境で木梨きなし様が寝た際、体が動かなくなるというのは、もしかしたら……」


睡眠麻痺すいみんまひか」


 先生が、露骨に肩を落とします。長いため息をついて、その場にへたり込んでしまいました。

 木梨きなし様は、焦ったように私と先生を交互に見ます。


「ど、どういうこった。探偵の先生は、どしたんだ」


「結論から言いますと、恐らく木梨きなし様の金縛りは、心霊現象ではなく、生理現象だということです。私も、以前先生から少し教えてもらっただけなので、詳しいことはよく知らないのですが」


「レム睡眠と、ノンレム睡眠だよ」


 先生が、頭を掻いてよろよろと起き上がりました。


「人は眠っている間、浅い眠りのレム睡眠と、深い眠りのノンレム睡眠を繰り返す。夢を見るのは、レム睡眠だ。通常の睡眠はノンレム睡眠から入るのだが、まれに生活習慣の乱れや精神的な不調などから、先にレム睡眠が来ることがある。

 そうなると、体は寝ていて動けないのに、頭だけが覚醒かくせいしている睡眠麻痺すいみんまひという状態になるのだ。要するに、生理的な金縛りだな」


「お、俺がそうだったってことか」


「もう、どこからどう見てもそうだ。ただでさえ普段から眠りが浅いのに、慣れない環境でさらに浅くなる眠り。前日寝ていないことによる、睡眠リズムの乱れ。連日の勤務による身体的ストレス。挙句の果てには、眠る直前まで幽霊騒動による興奮状態だ。誰がどう見たって、睡眠麻痺すいみんまひ以外のなにものでもないよ」


 相変わらず、木梨きなし様の話をほとんど聞いておられなかったのでしょう。

 先ほど、完全に幽霊だとおっしゃっていたことは、もうすっかりお忘れのご様子です。


睡眠麻痺すいみんまひ中は、悪夢を見ることが多い。仰向けで体の上に手でも置いていれば、何かがかってくるような悪夢を見る可能性は高くなる。老婆の顔や声は、その辺が原因の可能性が高いな」


「い、いやあ。夢かぁ」


 木梨きなし様が、うんうんと腕を組みます。まだ納得いかないご様子ですが、先生は無視します。


「ちなみに言っておくと、今までの君の金縛りも、十中八九じゅっちゅうはっく睡眠麻痺すいみんまひによるものだ。怖がりならば、あまり心霊スポットには足を運ばないことだな。その興奮を引きずると、家に帰っても悪夢を見ることになるぞ。質の良い眠りを心掛けたまえ。

 なんなら、この僕が君のためにまくらを見立ててやるから、いつでも事務所に来い。枕界隈まくらかいわいにおける名店も、すべてここに入っている」


 先生は、トントンと頭を人差指で叩きました。

 同時に、今度こそ振り返り、玄関へと歩いていきます。私は、木梨きなし様に頭を下げ、懐から封筒を取り出しました。


「本日はありがとうございました。こちらが、謝礼金でございます」


 ぽかんとした木梨きなし様を横目に、先生の後ろ姿を追いかけます。

 これで、金縛りは解決しました。しかし、残る心霊現象は三つ。


 廊下を歩く、幽霊の足音。


 すぐそばから聞こえる、赤子の鳴き声。


 無くなったお弁当。


 それに、木梨きなし様が見たという老婆の顔も、完全に解決はしていません。

 まだまだ、前途は多難の様です。

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