2:NOTE「その探偵、枕にこだわりがある」
「俺たちは解体の依頼を受けて、あの屋敷に行ったんだがな。玄関から入って、細長くて薄暗い通路を歩いていると、後ろからギシギシ……、と音がした。
あの屋敷の辺りには、野良ネコが多いからよ。そいつかと思って、振り向いた。けど、何もいない。廊下を戻っても外に出ても、誰もいない。
こりゃどうしたのかと思ったら、また屋敷の中からギシギシと音がした。廊下を見ても、やっぱり何もいなかった。
あれは、幽霊の仕業としか思えねえよ」
ひい。
「おいらが聞いたのは、屋敷の中の家具を運び出しているときだ。
突然、赤ん坊の声が聞こえた。近くの家から、とかじゃねえ。床下とか、頭の上とか、ほんとすぐそばからだ。恨めしそうに、オアアアーって。しゃがれきって間延びした声がさ。
あれは、この世に未練を残した幽霊の声だよ。絶対」
ひゃあ。
「飯を食った後、ちょっと外にたばこ吸いに行ったんさ。戻ってきたら、食い残していたおかずが無くなっていてなあ。幽霊も、腹減るんかね」
ぴぎゃあ。
「いやあ、素晴らしき心霊現象の数々。こいつは間違いなく、幽霊がいるな」
座布団に
駅からほど遠くに構えられた、
この部屋の中央に置かれた
「最後の現象だけは、なんだか幽霊らしくないような気もしますが」
私たちは、実際に心霊現象を体験した、屋敷解体の作業員の皆様を訪問し、そのお話を聞きました。すると、出るわ出るわ心霊現象の数々。
幽霊の足音。
赤子の鳴き声。
無くなったお弁当。
こうして、得た情報をメモしているだけでも身震いしてきます。
そして、今私たちがいるこの部屋の主こそが、
「おう、待たせたな。大したもんじゃねえけど、飲んでよ」
ミシミシと
私は、三つ指をついて、深々と頭を下げました。
「突然の来訪を
「いや、謝礼とかは別にいいんだけどさ。ほんとにあんたら、やめた方がいいぞ。祟られるかもしれねえし」
「心配には及ばない。聞いたことくらいあるだろう。僕こそは、あの
「いや、知らねえ」
「そうですよね」
どこからきた自信だったのか、全く分かりません。先生は、カンラカンラと高笑いを上げます。
「まあまあ、そんなことより、早く聞かせてくれたまえよ。君が経験した、世にも恐ろしい心霊現象とやらを」
「俺っち、結構霊感が強い方でよう。先輩から色々心霊現象が起きてるって聞いて、もうぶるっちまってたんだ。絶対なんか起きるって、
ちなみに先生は、被りつくように前のめりになって、うんうんと首を縦に振っています。ガスマスクの下は、輝く笑顔なのでしょうね。
「で、うちの組は昼食後に休憩時間を取るんだけど、俺は前の日も遅くまで現場やっててな。すげえ眠くなってきちまったから、客間に置いてあった
「それは、いわゆる」
「ああ、金縛りっちゅうやつだな」
私は、ごくりと唾を飲みました。
先生は、少しマスクをずらして、すぐにつけ直しました。何も言う様子はありません。おそらく、
いっそ
「指の一本も動かせなくてよ。そしたら、足元から何かが
そしたら、いきなり金縛りが
私が、少し耳をそばだてた瞬間、
「天井に、俺を見つめる人の顔があったんだよぉーっ!」
間延びした、甲高い悲鳴が響き渡りました。
その悲鳴が私自身の声だと気が付くには、少々時間がかかりました。とにかく手近なものを、力いっぱい抱きしめながら、息を整えます。
胸から飛び出てしまうのではないかと思うほど、心臓がバクバクと高鳴っています。
「き、
「いやあ、すまんすまん。なんか、あまりにも怖がってくれるもんだから、つい」
照れくさそうに笑う
先ほどまで、祟られるかもしれないと心配していた方のすることでしょうか。腹立たしいやら恥ずかしいやらで、私の腕にさらに力がこもります。
「あの、
先生の、
気が付けば、私の腕の中には先生の首がありました。横からチョークスリーパーをしているような形です。私は、慌てて飛びのきます。
「す、すみません先生。大丈夫ですか」
「首が折れるかと思った」
先生が、げほげほと咳き込みます。オロオロする私を見て、更に笑う
「まあでも、話は本当だ。天井には知らねえ、
「睨み付けていた……ですか。な、なんでそんなに怖い顔をしていたんでしょうね」
「さあなあ。あの家に住んでた女は、手首
何やら聞き捨てならないことをおっしゃった気がします。私は思わず、両手を出して制止しました。
「お待ちください
「なんだ。あんたらそんなことも知らなかったのかよ」
「理由はよくわかんねえけど、風呂場で死んでいたんだ。
警察が捜査したけど、少なくとも他殺ではねえってことで、ただの自殺ってことになったらしい」
「……よくご存じですね」
「おう。心霊話は趣味だからな。そんな話を仕入れたところで、その屋敷に仕事行くってことになってよ。俺はもう、気が気じゃなかったんだよ」
そんなに怖いなら、余計な話を仕入れなければいいのではないかと思うのですが。
「なるほど、状況はよくわかったよ。それはもう完全に幽霊だね」
先生が、ガスマスクを少し上げてから、高らかに宣言しました。
よっぽど、
しかし私は、怖さに震えながらも、ある可能性が頭に浮かんでおりました。眼鏡の
「
「え。俺の話か」
先生に、腕をぶんぶん振りまわされながら、
「ああー。そういや誰かに言われたことあるな。なんか、いびきがひどいらしくて、寝相も悪いとかって。そのせいか俺、すぐ夜中に目が覚めちまうんだよな」
「もしかして、これまでに金縛りにあわれたことはありますか。例えば、心霊現象が起こると噂されている現場に行った後など」
「な、なんでわかんだ!」
私は、先生に向き直りました。「まだ現場に行かないの?」と言わんばかりにソワソワしています。
「先生。
立ち上がり、玄関へ向かおうとしていた先生が、ぴたと止まりました。
先生は、私の話に必ず耳を傾けていただけます。
「
この環境で
「
先生が、露骨に肩を落とします。長いため息をついて、その場にへたり込んでしまいました。
「ど、どういうこった。探偵の先生は、どしたんだ」
「結論から言いますと、恐らく
「レム睡眠と、ノンレム睡眠だよ」
先生が、頭を掻いてよろよろと起き上がりました。
「人は眠っている間、浅い眠りのレム睡眠と、深い眠りのノンレム睡眠を繰り返す。夢を見るのは、レム睡眠だ。通常の睡眠はノンレム睡眠から入るのだが、
そうなると、体は寝ていて動けないのに、頭だけが
「お、俺がそうだったってことか」
「もう、どこからどう見てもそうだ。ただでさえ普段から眠りが浅いのに、慣れない環境でさらに浅くなる眠り。前日寝ていないことによる、睡眠リズムの乱れ。連日の勤務による身体的ストレス。挙句の果てには、眠る直前まで幽霊騒動による興奮状態だ。誰がどう見たって、
相変わらず、
先ほど、完全に幽霊だとおっしゃっていたことは、もうすっかりお忘れのご様子です。
「
「い、いやあ。夢かぁ」
「ちなみに言っておくと、今までの君の金縛りも、
なんなら、この僕が君のために
先生は、トントンと頭を人差指で叩きました。
同時に、今度こそ振り返り、玄関へと歩いていきます。私は、
「本日はありがとうございました。こちらが、謝礼金でございます」
ぽかんとした
これで、金縛りは解決しました。しかし、残る心霊現象は三つ。
廊下を歩く、幽霊の足音。
すぐそばから聞こえる、赤子の鳴き声。
無くなったお弁当。
それに、
まだまだ、前途は多難の様です。
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