”幽霊屋敷”ノート

First:NOTE「その探偵、ウキウキする」

 皆様、ご機嫌きげんうるわしゅうございます。

 私は、下羽しもはね薄雪うすゆき。東京は銀崎区安孫子町ぎんざきくあびこちょう、通称探偵街たんていがいに所在する、犬飼いぬかい探偵事務所唯一の従業員にして、所長である犬飼いぬかいかおる先生を敬愛する探偵助手です。

 犬飼いぬかい探偵事務所は、世間的には非常に評判が悪いです。何故ならば、犬飼いぬかい先生が、常にガスマスクをしている変態な上、必ず依頼を失敗する欠陥けっかん探偵だという、非常に悪質あくしつうわさが流れているからです。そのうわさが限りなく真実に近いこともあり、我が事務所は赤字経営の自転車操業じてんしゃそうぎょうが常でした。

 今回のお客様は、表に出ている看板を見て、最も依頼料が安い事務所に、飛び込みで入ってきたとのこと。非常に客足が遠い我が事務所にとっては、願ってもない珍事だったのです。

 しかし、持ち込まれた依頼は私としては、その……あまり、歓迎したくないものでもありました。




「どうぞ、即席インスタントですが」


 氷を入れた珈琲のグラスを、事務所備え付けのお客様用四脚椅子に腰かけた身なりのいい老紳士……水島みずしま新平しんぺい様にお出ししました。慣れない場所で落ち着かないのでしょうか、珍しいりゅう装飾そうしょくがあしらわれた小さめの杖を、せわしなくいじっておられます。

 本日は、ポカポカとした五月晴れ。外を歩いてきて体に熱を持っていられるでしょう、額に汗をかいた水島みずしま様は、私に軽く会釈をして一息に飲み干します。

 水滴が手についたのでしょうか。水島みずしま様が、ポケットからネコの絵柄の入ったハンカチーフを出しました。


「お可愛いがらのハンカチですね」


「ん、ああ。ネコがね。好きなんだよ」


 水島みずしま様はハンカチをしまいながら、声をおかけした私を、つま先から頭の頂点まで舐めるように見つめます。さらに、その大きな目をぎょろりと動かして、事務所の中をねめつけました。

 この探偵事務所に信頼を置けるか、見定めているのでしょうか。何にしろ、男性からこのようにじろじろ見られるのは、居心地が良くありません。

 先生は、いつも通り寝椅子ソファに深く座り、肘かけに頬杖ほおづえをついています。しかし、やはり水島みずしま様の視線が気になるのか、貧乏ゆすりをしたり、トントンと肘かけを指で叩いたりしたりと、落ち着かない様子です。イライラしているというか、不機嫌そうな感じがします。

 私は、先生の隣に立ち、水島みずしま様に深々とお辞儀じぎをしました。


「それでは、依頼内容をうかがいます」


「ん。うむ」


 水島みずしま様は、避役カメレオンのようにぐるぐると動き回る両目を止め、まっすぐに先生を見つめました。


「結論から言う。君たちには、わしの屋敷に幽霊がいる、という不快なうわさを払しょくしてもらいたいのだ」


「幽霊……ですか」


 私の背中に、悪寒が走りました。

 私は幽霊やお化けと言った、この世ならざるものに少々、苦手意識があります。物理学が目覚ましい発達を遂げた昨今さっこん、そのような非科学的なものはどうにも肌に合いません。

 いや、あくまでも苦手なだけです。怖いわけではないのです。


「うむ、その通りだ。その屋敷は、榊原区さかきばらくにあるのだが」


 詳細を語ろうとする水島みずしま様の言葉は、私の耳に入っておりませんでした。

 そもそもそういう話なら、探偵ではなく祈祷師きとうしまじなを頼るべきなのです。素人の私たちが幽霊なんてものに手を出したら、たたられてしまう可能性だって、ないとは言えません。昨日読了した少女雑誌の恐怖漫画にも、そう描いてありました。

 そうです。門外漢もんがいかんの私たちが簡単な気持ちで依頼を受けるのではなく、幽霊専門の商売人を探してお伝えすることが、何よりの誠意と言えましょう。


「かしこまりました、水島みずしま様。少々お待ちくださいませ」


 水島みずしま様のお話をさえぎり、電話帳がしまわれている本棚へと足を向けました。

 銀崎区ぎんざきくにも、祈祷師きとうしは何人かいたはず。そちらをご紹介すれば、今日の依頼は解決です。みんなが幸せになれる、完璧な選択肢といえましょう。


「幽霊、と言ったか」


 電話帳を手にする直前、よく通る声が響きます。声の出所を見やると、両足で洋卓テーブルが動かんばかりの勢いで貧乏ゆすりをしていた先生が、少し首をひねりました。

 いつも依頼人の話など一切聞いていない先生が、このタイミングで口をはさむことはまれです。

 とても、嫌な予感がします。

 先生が、ガスマスクを少し上にずらし、グエと声を出しました。ゲホゲホと咳き込んだ後、先生は顔を上げました。

 鉄色の外皮に透明なレンズがはまったガスマスクの奥に見える目が、おもちゃを見つけた幼児のように、にやりと細まりました。


「非常に興味があるな。詳しい話をしてくれ」


 私は、先生の都合のいい耳を恨めしく思いました。


 * * *


 曰く、水島みずしま様は貸別荘や旅館ホテル経営で一財を成した社長様だそうです。

 水島みずしま様自身は20年ほど前に結婚し、妻子と共に小石川区こいしがわくにお住まいです。榊原区さかきばらくにも別荘として一つ古い屋敷を所有しており、この屋敷は長年人に貸しておりましたが、最近借主様が亡くなりました。

 借主様は、水島みずしま様の本邸ほんていで働いていた女中で、比嘉ひが良子りょうこ様と言います。水島みずしま様は15年ほど前、比嘉ひが様が職を変える際に屋敷を一つ貸し与えたのです。

 ずいぶんと太っ腹なお話ですが、水島みずしま様は「私は大したことはしておらん。それ以来、顔を合わせたこともないしな」とのこと。

 探偵は依頼料の安さで選んだのに、と少し思いましたが、もちろん口に出すような不躾ぶしつけなことはいたしません。

 比嘉ひが様は生涯独身しょうがいどくしんであり、後継ぎや身内もいなかったため、屋敷は水島みずしま様の手元に戻ってまいりました。最近、榊原区さかきばらくは開発が進められていることから、水島みずしま様は古くなった屋敷を取り壊し、貸別荘を建てようと思ったそうです。

 しかし、取り壊し作業に当たった作業員から、訴えがありました。

 屋敷に、幽霊が出ると。


「何人かの作業員が、心霊現象を体験したという。たたりがある等とのたまい、一向に工事に着手せん。全く、困ったことだ」


「なるほど。しかし、そう言ったお話ならば、祈祷師きとうしまじななどにご依頼された方がよろしいのではないでしょうか」


 すかさず、みんなが幸せになれる提案をしました。

 何度でも言いますが、私は幽霊が怖いわけではなく、苦手なだけです。この提案は、決して私がこの依頼を受けたくないわけではなく、もち餅屋もちやと言う職業倫理しょくぎょうりんりのっとったものなのです。

 水島みずしま様は、表情を変えぬまま口の奥で笑います。


「あんな、幽霊が実在することを前提にしているペテン師どもに、払う金などない。幽霊など、おらんのだからな」


水島みずしま様は、幽霊を信じていらっしゃらないのですか」


「当然だ。死者は、生者を侵せまい。それが、正しい世の理だ。こじつけでも何でもいい。なんなら、今この場で報告書だけ書いてくれても構わん。幽霊なんぞこの世にはいないということを、証明してくれたまえ」


 私は、ほっと胸をなでおろしました。

 水島みずしま様は、幽霊は存在しないという前提の元、屋敷に幽霊がいるという噂を払しょくする為の報告書を書いて欲しい、とおっしゃっています。実際に調査に行く必要性もないと、お考えなのでしょう。

 これならば、どれほど無能な探偵であっても、簡単に成し遂げられる依頼です。水島みずしま様が、最も安い依頼料の探偵事務所を訪れたというのも、うなづける話です。

 しかし、この依頼。先生の真実を突き止めるというスタンスからは、かけ離れたものです。普通に考えれば、手間もかからず、非常に有益ゆうえきな依頼ではありますが、恐らくは断ってしまうのでしょう。幽霊に関わる機会がなくなるのは、私個人としては喜ばしいことです。

 先生が、きちんとお話を聞いていれば、の話ですが。


「なるほど。よく理解した」


 先生が、声を上げました。まだ話を聞く集中力が残っているとは、大変珍しいことです。よっぽどこの依頼に、興味がある様子です。

 私が何かを言ういとまもなく、先生は右手を握手の形に差し出しました。


「僕に任せたまえ。幽霊の正体、この僕が暴いて見せよう」


 水島みずしま様が、「ん? お、おう」と躊躇とまどいながら、先生と固い握手をします。

 私は、静かにため息をつきました。最後の口ぶりからして、先生は全く話を聞いていらっしゃいませんでした。現場を訪れ、調査をする気満々なのでしょう。

 水島みずしま様は何か言いたげでしたが、先生の勢いに押し切られるまま契約書にサインをし、事務所を後にされました。

 二人きりになった事務所で、消臭噴霧器スプレーを振りまく先生に、ホット珈琲をお出しします。


「おや薄雪うすゆき君。いつも消臭剤を巻き終わってから珈琲をくれるのに、珍しいね。それに、最近暑い日が続くから冷えた珈琲が多かったのに、今日はホットだ。なにか、心境の変化かい」


「ただの先生への嫌がらせですので、お気になさらず」


「……さっきから、薄雪うすゆき君からすごく渋い臭いがただよってくるんだけど、何か怖いことでもあったのかい」


 先生が、心底不思議そうに小首をかしげます。なるほど、渋い匂いは恐怖の感情なのですね。そこまで感じ取れるなら、私が何を怖がっているのか、わかっていただきたいところではあります。

 もとより、先生に察する能力など期待はしておりません。私は大きく息を吐き、先生の向かい、先ほどまで水島みずしま様が座っていた椅子に座ります。


「申し訳ありません。私事わたくしごとの八つ当たりですので、本当に気にしないでください」


私事わたくしごとの八つ当たりを受けた側としては、薄雪うすゆき君のご機嫌がとても気になるのだけど」


 その意見は無視しましょう。


「それより先生。今回の依頼には珍しく非常に興味を引かれていたようですが、それほど価値のある依頼だったということでしょうか」


 先生はしばらく心配そうに見つめてきたのですが、やがてあきらめたようにガスマスクをずらし、ホット珈琲を飲みはじめました。


「いや、単純に、最近では一番面白そうな依頼だったってだけだよ。なんせ、4件連続で素行調査なんかしているからな。あんな無駄な仕事はないよ。浮気しているかしていないかなんて、ちょっと嗅いだだけでもすぐわかるのに、誰も信じやがらない」


 先生は、以前依頼主に「お互い様だよ。君も浮気してるじゃないか」といって、怒らせたこともあります。

 やはり、先生に察する能力は期待するべきではありません。


水島みずしま様は信頼に値する方だったのですか」


「いやあ、汚物以下だな」


 先生の予想外の言葉に、私は飲みかけの珈琲を噴き出しました。カップが口元にあったのが幸いです。


「大事なことは、金と快楽。臆病な上に誇りもないから、その本心を表に出すこともできない。虚勢きょせいを張って、自分を大きく見せることにご執心だ。僕が一番嫌いなタイプの臭いだよ。

 しかも、好色ときた。この事務所に入ってきたときも、薄雪うすゆき君を品定めしていたな。それもまた不快だった」


 先生は、オエッと一回えずきました。水島みずしま様の臭いを思い出したのでしょうか。相当不快だったようです。

 私もまた、水島みずしま様の舐めるような視線を思い出し、気が重くなりました。考えようによっては、幽霊よりも怖いお話です。


「そんな方の依頼を受けたんですか」


「そりゃあもう。だって、ものは幽霊だろう。あんなクズ、祟りの一つや二つ受けていても、全くおかしくないからね」


 先生は、楽しそうに外出の支度をはじめました。新規依頼の事務仕事もそこそこに、早速調査を始めるようです。

 私は、犬飼いぬかい探偵事務所唯一の従業員です。先生がこれほど乗り気なのに、「調査の必要はありませんよ」と水を差すことなどできません。もう一度、深いため息をつきました。

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