あなたのための特別な、何の変哲も無い一品だけど
アイオイ アクト
あなたのための特別な、何の変哲も無い一品だけど
アキオはちょっとだけ、『意識が高い』人。ミカは彼をそう評している。
出会った専門学校のサークルでは、気合いが空回りしたサークル長を務めていて、皆から慕われつつも、弄られていた。
そんな彼に恋をしたのは、ミカだけだった。
結婚してからも、会社と共に成長すると息巻いて、深夜帰宅が当たり前のブラック企業勤めを辞めようともしない。
年収はもいえば、毎日定時退勤のミカとほぼ一緒。
少し困った人だけど、ミカは彼に何も言わない。
「やっとクオリティコントロールもクリアしてアソシエイトプレビューもパスしたところだったんだけどね、実装がうまくいかなくて」
無理に横文字を使うアキオは微笑ましい。
少しでも自分を賢く見せようとするところはアキオの駄目なところでもあり、良いところでもあるとミカは思う。
「そうだったのね。相変わらず私には高度過ぎて分らないわ……疲れてるでしょう? お茶漬けの用意、出来てるわよ」
「え? ああ、君流のお茶漬けだね」
ミカの体に電流が走った。
アハハ、君流って。
お茶漬けの素に鮭フレークを添えただけのありふれた茶漬けよ。この国民食が私流とはね。本当に抜けてる人。
しばらく稼ぎは期待出来なさそうね。
本来は一人暮らし用のマンションだから、アキオの安心しきったかのような深呼吸すら、台所に立つミカに聞こえてしまうほど狭い。
でも、常にアキオが近くにいる生活に、ミカは満足していた。
「お茶漬けなのに麦茶をかけないなんて、素晴らしい発想の転換だね」
再びミカの体がゾクゾクと震える。
そして思う。
私の旦那様は、どうしてこうも可愛いのだろう。
テレビも見て新聞も読んでいるのに、どうして一般的なお茶漬けすら知らないのかしら。
今日も、このお茶漬けに最高の味付けをしてくださって、ありがとう。
何の変哲も無いこの一品は、あなたの蒙昧という素敵な香辛料で、私にとって最高のご馳走になるの。
ミカの感慨など露知らず、アキオは旨そうにお茶漬けを啜る。
「そんなにおいしい?」
「うん。あまり覚えていないんだけど、昔水と米が美味しくないところに住んでいてね、麦茶でお茶漬けにしないと食べられなかったんだ」
ミカは必死に笑いをかみ殺す。
アキオは暗に海外生活をしていたことを言いたいようだ。もちろん、何度も聞いた話だ。
それもまた、ミカにとってはたまらなく可愛かった。
「それよりも美味しいでしょう?」
「もちろんだよ……会社で自慢したいくらい」
「うん。是非してみてよ」
血圧が、上がっていく。
アキオに聞こえてしまわないか心配になるほど、ミカの心臓は早鐘を打っていた。
そうよ。早く会社で自慢していらっしゃい。そして、恥をかいていらっしゃい。
あなたが恥をかく様子はいつも、あなたと同じ会社に入った後輩の女の子に教えてもらっているのよ。気付いているのかしら。
「げほっ!」
アキオの咳とともに、コメが数粒飛ぶ。
待ち構えていたかのように、ミカが台拭きで拭き取る。
眠そうなアキオはお箸も正しく扱えなくなっていた。
それもまた、ミカにはたまらない。
「はい、スプーンで食べたらどう?」
「うん、ありがとう」
なんとかスプーンを口に運ぶアキオの情けない姿も、ミカにとっては至高の快楽だった。
あらあら、汚い食べ方。ワイシャツにもぼろぼろこぼしちゃって。
クリーニング代が高いネクタイを外していなかったら大惨事になるところだったが、アキオはミカの教えをしっかり守っていた。
「……君は食べないのかい? とっても美味しいよ? いつも、食べてると……安心して、眠くなっちゃうよ……」
ミカは微笑みながら首を横に振る。
「私はもう食べたわ。明日は早く帰って来てね」
「うん……そうするよ……」
アキオの顔は今にも茶碗にぶつかりそうだった。
食べながら眠気に負けそうなんて、まるで離乳食を食べる赤ん坊みたいだと、ミカはいつも思う。
「はい、あーん」
ミカは興奮で震える手をなんとか治め、アキオの頭を持ち上げ、もう片方の手でスプーンを口に近づける。
「……あーん」
アキオが眠気と戦いながら、スプーンの上の米を口に入れる。
だが、ミカが二口目を差し出しても、アキオが口を開くことは無かった。
あらあら、完全に眠ってしまったわね。
そうよ、それでいいの。
あなたは私がいないと何も出来ない人になればいいの。
そうやって、食べることすらままならないくらいが、私にはちょうどいいの。
でも今日はちょっと、混ぜる量が多すぎたかしら。
あなたのための特別な、何の変哲も無い一品だけど アイオイ アクト @jfresh
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