或る弱い男の回顧録

三角海域

第1話

拝啓  


 誰かに手紙を書くというのは初めてなので、どういったことを書けばいいのかわかりませんとお伝えしたところ、どんな内容でもいいと仰っていただけたので、回顧録というわけではありませんが、少し自分のことを振り返ってみて、それを手紙として送らせていただきたいと思います。

 私はいわゆる普通の一般家庭に生まれ、いたって普通に成長しました。変化があったのは、小学校に進んだ時です。

 私は祖父母の影響で本をよく読んでおり、それを趣味としておりました。私は出不精な子供だったので、本を読みながらファンタジー物に出てくる架空の国に思いをはせたりするのが好きでした。

 今にして考えれば、そうしてフィクションの中の理想像に浸っていた私も悪かったのかもしれません。

 彼らが興味を持つことに何一つ興味を持てず、しだいに私はクラスから孤立し、からかわれるようになり、ぶたれるようになりました。なんとなくムカつくから。抽象的すぎて当時の私には理解ができませんでしたが、こうして振り返ってみると、彼らは私のような異物を排除することで自分たちの正しさを肯定したかったのかもしれません。子供というのは純粋な悪意を孕んでいるものですが、現代においては理性に根差した利己的な悪意を持っているのかもしれません。今がどうなのかはわかりませんが。

 さて、小学校で躓いた私は、結局躓きっぱなしで中学に進みました。

 先生の言葉を借りるなら、多感な時期な彼らの私に対する悪意は、小学生の時のそれとは比較にならないほど肥大化し、私に襲い掛かりました。

 ぶたれる、などというものではなく、私は暴力にさらされました。殴られ蹴られ笑われ。何故こんなことをするのかと問えば、気持ち悪いからという返答。なんとなくよりも質が悪いと思います。

 ある日のことです。下駄箱に向かう私をみつけた不良が、おどけながらこちらに走ってきます。口元に笑みを浮かべ、私に近づくと、何も言わずに私の肩を殴り始めました。握力が自慢。腕相撲で負けたことがないということをやたら声高に叫んでいただけあるのか、私の肩は上がらなくなり、大きくはれ上がりました。

 その時、遠巻きに私をみている生徒を見つけました。ですが、彼らは一瞬だけ私に憐憫の感情を向けると、さっさと歩き去りました。大丈夫? という一言ももらえず、私はなんだか情けなくなり泣きました。肩の痛みよりも、ただただ一人であることがつらかったのです。弱かったともいえるでしょう。助けてと言えばいいとその時期読んだ小説に書いてありましたが、助けてと言える人間は強い人間です。

 私はいじめられていることを親に隠してきましたが、流石に大きくはれあがった肩を隠し通すことはできず、バレてしまいました。

 どんなことをされてきたのか問われ、詳細を話すと、母は泣きだし、気付かなくてごめんと言いました。父はそんな母の肩を抱き、同じように私に謝りました。その時私の心の中に渦巻いていた感情は、親に対する感謝や私を愛してくれていることへの嬉しさというよりは、申し訳なさでした。すべて私が弱いから悪いのだ。こんな優しい親を泣かせてしまうなんて私はなんて悪い人間なのかと。

 親と共に先生にいじめの事実を告げると、前述したように多感な時期なので感情の整理ができないのだと前置きしたうえで、解決するために頑張ろうと私を励ましました。なぜそんな前置きをしたのかと考えてみましたが、こうして大人になってから考えてもよくわかりません。保身でしょうか。ともかく、先生のおかげでいじめはなくなりました。あまりにもあっけなく。私に向けられていたエネルギーはなんだったのか、どこにいったのか。一瞬でかき消えてしまうような、そんな小さなものだったのか。あまりにも大きく感じていた悪意が、当事者からしてみればそんなものでしかなかった。いじめがなくなった安堵もありましたが、それ以上に疑問の方が大きかったように思えます。

 中学を卒業し、高校に進学し、大学も親のおかげで出ることができました。

 私は小売店に就職し、普通の日常を過ごしていました。

 だからこそ、あなたたちは私に関わるべきではなかった。

 私に関わらなければ、あなたたちは死ぬこともなかったのですから。

 ですが、これだけは言わせてください。中学の同窓会への誘いが私の元へ来た時は、私はあなたたちを手にかけようとは思ってはいませんでした。不参加に丸をし、送り返せばいい。ただそう思っただけです。

 私の肩をはれあがらせたK君から、私にどうしても参加してほしい。みんなで当時のことを謝りたいと直接連絡があった時も、無駄なことをするものだなぁと思った程度です。しつこく問答するのも疲れるので、結局私は参加することにしました。

 会場に出向くと、あなたたちはサプライズのように私を迎え、私に頭を下げました。

 断言します。私があなた達に殺意がわいたのは、その瞬間です。

 あなた達は私に謝りましたが、その顔は、私へのいじめをやめたあとの無関心さと同じでした。そしてK君。彼はすっかり普通のビジネスマンとなり家庭を持ったと聞きましたが、その顔に浮かんだ笑みは私に暴力をふるった時に見せたおどけたような笑い顔とまったく同じでした。

 気が付くと、私はテーブルのナイフを持ち、K君の目を突き抉っていました。悲痛なK君の雄たけびを聞いても、罪悪感はありませんでした。正確に言うと、K君を刺したことへの罪悪感はありませんでした。親に一生罪を背負わせることになるのかという罪悪感はあったのです。K君の髪を掴み、二度三度刺すと、K君は動かなくなりました。

 散り散りに逃げようとする中から近くにいた女の首を掻き切り、そうやって近くにいる奴を片っ端から切り刻んでいきました。

 私の周りに誰もいなくなった後も、逃げようだとか、捕まったらこんなことを言おうということはなく、ただただ自らの弱さを呪いながらその場に立ち尽くしていました。自殺も考えましたが、何度試みても軽い傷をつけるくらいしかできません。人を殺すことは思ったよりも簡単でしたが、自らの命を断つことはできない。これも私の弱さ故なのでしょうか。それとも、人とはそういうものなのでしょうか。

 K君を殺めたのは、私の弱さ故です。何度も弱い弱いと自分を表現するのも、そうすることで自分が安心していたからだと思います。

 奥様は、私を憎んでいるでしょう。私が殺めた方の遺族の中からK君の奥様を手紙を送る相手に選んだのは、前述した通りこの事件を引き起こしたきっかけがK君との再会にあったからです。

 K君はあの後、どんな人生を歩んできたのでしょう。どういう経緯で奥様と出会ったのでしょうか。

 どれだけ謝ろうと、奥様は私を許さないでしょう。この手紙へのお返しも期待できないと思います。

 ですが、これだけはお伝えしたい。

 踏みつけられた弱者ほど。自らを呪いながら生きる弱者ほど。誰かを下に見ることでしか快楽を得られない弱者ほど、凶暴性を秘めているものなのです。

 

これで、私がお話したいことはすべてです。一方的な内容になってしまい申し訳ありません。

K君は、私のことを忘れているべきでした。


敬具

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