曖昧、けれどもハッキリと。

甲乙 丙

 おや?

 なにやら「お化けのお話」なあんていう企画に皆様お集まりのご様子。せっかくですから私もお邪魔させて頂きましょうか、ヘヘ、すいませんね、前、通りますよ、ヘヘヘ……。

 はい、私は何者か、ですって? いやいや、そんな大層な人間ではございません。名乗るのも恥ずかしいぐらいの、ただの老いぼれでございますよ。へへ。それじゃ呼ぶ時に困ると仰るのでしたら、どうぞ私の事はピョーコツペーとでもお呼び下さい。ええ、ピョーコツペーです。よろしくお願いしますね、皆様。


 ◇


 ほおほお、皆様素晴らしい怪談話をお持ちですねえ。背筋に、まるで筆かなにかでなぞったみたいな感覚が走りましたよ。ああ、怖い、怖い……。


 ――さてさて、次は私がお話させて頂いてもよろしいでしょうか。はい、ありがとうございます。ヘヘヘ。


 ◇


 お化けに出会った時というのは不思議なもので、その場その瞬間には、お化けだと気づかないものでございましてね。自然に会話をしたり、見たりできるんですけども、後になって考えてみますと、あれ、あの時いたアイツってちょっとおかしかったよなあ、なんで自分はあの時普通に接していたんだろう、なんて不思議に感じた時、そこに至って初めて怖気が走ったりする、という事がまあ、ある訳ですね。


 これもそういった種類のお話で、もちろん実話でございます。


 私、こう見えましても昔は料理人を目指した身でありまして、学生の頃からそういったお店、特にイタリア料理店で下働きをさせて頂いておりました。

 国道沿いにある、海の見えるイタリア料理屋。私が住んでいる所辺りではちょっと有名なお店なので、あまりに特徴をいうとわかってしまう方もいるかもしれません。薄いピンク色に漆喰を塗った、可愛らしいお店でございます。「虎の目」という、卵と五種類のチーズとサフランを使ったオリジナルリゾットが人気でございました。エヘヘ……。

 そのお店で夕方の六時から夜中十二時まで、週に二、三回程度ですが、働かせて頂いておりました。


 そこに私より二つ年下の、「エムラ」君という若いコックがおりまして――もちろん、仮名でございますよ。このエムラ君が後々、この話の重要な役回りとなりますので、すこしご紹介しておきましょう。


 エムラ君は体がひょろりと細長い、男の私から見れば少々頼りない、とぼけた顔をしている青年なんですけれども、これがよく女にモテました。少しおっちょこちょいなところもあってよく失敗をするんですが、母性をくすぐる、とでもいうんでしょうか、「仕方がないなあもう」なんていって従業員の女の子が集まってきたりするんですね。男である私でさえ、素朴なこの青年に好印象を持っておりました。


 ある時なんかは、お茶目なこの店の店長――五十代のちょっと強面な顔のお人なんですがね、その店長のイタズラに引っかかって、ハバネロを一口でパクリと食べた事があります。ハバネロ、ご存知ですか? 辛くて有名な、見た目はプリッとした可愛らしい外見をしている唐辛子の一種なんですけれども、当時はまだそんなに有名じゃなくて、エムラ君はそれを海外のピーマンと勘違いしたんですね。口に頬張って、シャクシャクと食べてしまいました。

 営業中のお店に響く絶叫。キャーとかギャーなんてものじゃありません。「ピビャー」です。確かに私の耳には「ピビャー」と聞こえました。間違いありません。

 店長は自分が唆したくせに、「コラ、静かにしろ!」なんてエムラ君を叱る訳ですよ。エムラ君は涙目になって必死に水を飲んだりうがいをしたりするんですが、セカセカチョロチョロとキッチンの中を動き回ります。

 私や他の従業員はその様子を面白おかしく見ていて、ハハハ、ウフフと笑っておりました。


 またある時、店の営業時間が過ぎて後片付けを済ませますと、皆一斉に店から出てそれぞれの家へ帰るんですけれども、自転車で来ていたエムラ君が、車で帰ろうとしていた私に向かって半べそになってこう言うんです。

「先輩、自転車のサドルが盗まれてしまいました。送って下さい」と。

 見てみますと、確かに自転車の座る部分、サドルだけがスッポリと失くなっておりました。当時、なぜかその界隈では、サドルだけ盗む自転車泥棒というのが流行っておりまして、その被害にあってしまった訳です。

 私はふざけて、「乗れないこともないんじゃないか?」と、エムラ君にサドルなしの自転車に乗ることを勧めてみました。素直な彼は、乗りました。そして段差でガクンと自転車が揺れますと、悶絶しました。

 私は悪い悪いと謝って、車内に彼を招き入れました。彼は先程まで尻を抑えて身悶えしていたのに、車内に入りますと、「おや、先輩。この曲(車内に流していたBGMの事です)僕好きなんですよ。ちょっと音大きくして下さい」なんて、ケロリとした顔で言います。その切替の早さに私なんかは笑ってしまいます。彼が愛される理由ですね。

 三々五々に散って行く従業員たち。別れの挨拶は忘れません。

 会釈をする者。ブンブンと手を振る者。「バイバーイ」と可愛らしく声をかける者。

 それぞれに挨拶をしながら車の横を通り過ぎて行きますので、私とエムラ君はその波が通り過ぎるまで、ひたすら車内で手を振ります。本当に仲の良い職場でございました。


 さてさて、この会は「エムラ君の話」をする会ではなく「お化けの話」をする会でございましたね。すいません。ヘヘヘ。そろそろお化けさんにも登場していただきたい所ではありますが……。

 実は既に登場しております。

 当時の私は一向に気付かず、自然な様子で過ごしておりましたが、確かにこの時点でも、おかしな事があるのです。今になって思い出しますとやっとその存在に気づく。そんな事があるのです。


 エムラ君がハバネロを食べた時。確かに皆で笑っておりましたが、アレレ、あの時、キッチン内に女性はいただろうか。ウフフと春風のような吐息を漏らすあの声は、一体誰だっただろうか。


 車内に聞こえた別れの挨拶。「バイバーイ」というその声は、大音量のBGMが流れる中、何故はっきりと聞こえたのか。アレレ。その声は何故車の後ろ、トランクの方向から聞こえたのか。


 なぜ、その時の私たちはそれを不自然と思わず、当たり前のように受け入れたのか。


 そのような事例が他にもたくさんあるのですが、この調子で話しますと、もしかしたら皆様は、「それは気のせいだ、勘違いだ」とお思いになるかもしれません。

 ですので、あと二例ばかり。「ああ、お化けの仕業なんだな」とわかりやすい出来事を紹介する事にしましょう。


 先にも言いましたが、そのお店は海を見ながら食事ができるイタリア料理屋、という事で、雑誌なんかにも取り上げられたり、過去には映画の――ちょっとした一場面ではありましたが、ロケ地に選ばれた事もあります。営業時間は昼の十一時から中休みを挟み、夜中の十二時まで。ランチタイムとディナータイムでは少し雰囲気を変えて料理を提供しておりました。私は夜の部で働いておりましたが、私の都合が付く時などは昼の部にも顔を出しておりました。

 お酒も提供している夜の部とは違い、昼間は車で来られるお客様が多いんですけれども――。


 キッチン西側の端には大きなシンクがありまして、そこで鍋やフライパン、食器を洗ったり、エビの背ワタ抜きやイカの皮剥ぎといった下ごしらえをしたりするんですけれども、顔を上げますと、横幅一メートル、高さ五十センチ程の、小さい小窓が嵌められております。

 そこから、駐車場に入ってくる車の確認をしたり、時には海を眺めて一息ついたりするんですけれど、シンクが大きい為、ちょっと背伸びをしてグイーと首を伸ばし、シンクにもたれかかって、やっと建物の下にある駐車場を覗く事ができる、といった具合だったんですね。私なんかはその作業を手間に感じ、ほとんどは、離れた距離で海を眺める為だけに使っておりました。


 ある昼時、店に凄まじい形相をした女性が来店し、そのままキッチンに怒鳴り込んできました。しきりに女を出せ、女を出せと店長に向かって叫んでおります。一旦気を落ち着かせまして話を聞いてみますと、そのお客様は車を駐車場に止めて、ふと下から建物を見上げたそうです。すると窓から――場所的にシンクの所にある小窓のことでしょうが、女が憎々しい顔をしてお客様を睨んでいたそうなんです。胸元まである黒い髪の束を左肩から垂れ下げて、白いブラウスに調理帽のようなものを被った女だったと。

 その時、キッチンで働いていたのは私と店長、そしてエムラ君でした。もしかしたらホールで働く女性従業員の誰かかもしれない。そう思い、店の人間全員が頭を下げ、その時は許していただきました。

 しかし、よくよく後から考えてみますとどうも符におちない。車が入ってきて、そのお客様が怒鳴り込んでくるまで、その小窓の前ではエムラ君が食器を洗っていたのです。

 それに、その小窓から駐車場を覗くには先に言ったような無理な体勢をしなければいけないのです。

 お客様が言ったように白いブラウスや、頭の帽子が、下から確認できるようにするには……。

 私たちはふと天井を見上げました。


 建物の下から小窓を見て、上半身が確認できたとしたら、それは、その女は……、天井に張り付いていたのではないか。


 私たちはその時になって初めて、「お化け」という存在を意識するようになりました。

 ……といっても、海沿いにある店ならどこでもお化けの話の一つや二つ、持っているものです。私たちは冗談話をする調子で、「お化けがエムラ君に取り憑いているのかもなあ、ハハハ」なんて、笑ってその後を過ごしました。


 わかりますか。この不自然さが。

 私たちは、たった今、女を実際に見たという人が現れたのにそれを冗談話と受け流して、ごく自然に日常へと戻ったのです。後になってその奇妙さに気づくのです。

 ……ちなみに、怒鳴り込んできたその女性の名前を一応確認していたのですが、奇遇にも「エムラ」といって、つまり、エムラ君と同性の方なのでした。


 最後にもう一つ。

 長く同じ職場で働いていますと、どうしても別れというものがやってきます。

 エムラ君が店を辞める事になりました。暗い理由ではなく、独立して店舗を持つ為のステップアップとして、修行に行くという事でした。

 エムラ君が店で働く最後の日を、私たちは寂しい気持ちを抱えながら、同時に応援する気持ちも抱えながら、共に過ごしました。

 エムラ君は最後までおっちょこちょいでした。鍋を焦げ付かせたり、パスタを茹ですぎたり、挙句の果てには、高い位置にある収納棚から、カシャン、カシャンと何枚もお皿を落として割ってしまいました。その棚の下には皿に手を伸ばした本人がいる訳ですから、もう少しでエムラ君は怪我をする所でした。

「気を付けろよお、新しい職場でヘマばっかりするなよお、ハハハ」

 なんて、普段なら叱る筈の店長でさえ、その日は笑って許すのでした。


 そのまま、エムラ君のおっちょこちょいで済ませてもよかったのですが、ここにも一つ。後から気づく事がありました。

 通常、その収納棚にある食器という食器は、普段使うものではないのでラップや新聞紙で一塊にされております。奥にいくにつれて勾配がついており、滑り落ちてくる事もありません。一枚、二枚と落ちてくる理由がないのです。何故でしょうか。誰かが間違って、一塊に食器を包むのを忘れていたのでしょうか。


 おや、最後と銘打ったにしては薄い内容と感じましたか?

 確かにそうですね。これは気のせい、勘違いの類の話に聞こえるかもしれません。

 けれども私は直感しております。あれはお化けの仕業であると。

 何故かといいますと、まあ言葉にするのは難しいのですが、人間誰だって、思い出を頭の中から掘り出す時、その光景や言葉、印象的なナニカが頭に浮かびますよね。私はこの、エムラ君が皿を落とす瞬間を見ていましたから、ありありとそのイメージを頭に思い浮かべる事ができます。

 ですが思い出す度に感じるのです。

 あの時は気づかなかったけれど、収納棚になにか黒いモヤがかかっていた気がする。黒いモヤと思っていたけれど、なんだか人の形をしていた気がする。人の形のモヤはなんだかエムラ君を憎んでいる気がする。ああ、あの少女はきっと、エムラ君の事が好きで、そして憎んでいる。

 そのイメージは妄想ではなく、ハッキリとした輪郭を持って、私の頭の中に浮かんでおります。これは事実だ、現実だと叫びを上げております。

 ですから私は確信しているのです。エムラ君には少女が取り憑いていると。


 どうでしょうか。実際に目にした時はそれと気付かず、後で思い返せば「お化け」だと確信できる。そんな、曖昧ではあるが確かな存在の一端でも、お伝えする事ができたでしょうか。


 以上で、私のお話は終了となります。

 長々とご清聴ありがとうございました。


 ああ、それと……、これは「お化けの話」に関係がないので余談ではありますが。


 店を辞めたエムラ君はその後、独立に成功し、小さいですが小洒落た料理屋を開きました。

 せっせと働いて、お付き合いしていた女性との結婚が決まろうとしていたんですが、突然首を吊って、死んだそうです。エヘヘ……。


 ◇ ◇ ◇


※作中にて実話であると明言しておりますが、この話は実話をかなり脚色したフィクションです。実在する人物、団体、店舗とは一切関係ありません。もし、作中で描写されている店に類似した場所を知っていたとしても、お店の名前をコメント等に残すのは控えていただきますよう、宜しくお願い申し上げます。

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曖昧、けれどもハッキリと。 甲乙 丙 @kouotuhei

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