シャワー

  ダチの埋葬も終わり、隠れ家に帰ってくると壁にかけられた時計はもう夜の8時を示していた。

「とりあえず、身体をキレイにするか――」

「うん」

  俺もココロも土まみれだ。まずはこれを綺麗にしないと始まらない。幸いこのデパ地下には社員用のシャワールームも準備されている。電気と同じで水が使えるのはさっき確かめたからシャワーで身体の汚れを落とすことも出来る。

  デパ地下の生活用品店からシャンプーやボディーソープなどの入浴に必要な物を失敬した。おかげで今ではありえない普通・・の洗浄が出来る。

「――さて、早速行くとするか」

「おおー」

  無気力な声で拳を上げるココロ。気のせいか、若干眠そうだ。

「zz……」

  いや気のせいではない。ていうか、立ったまま寝てやがる。

「おい起きろ。寝るならせめて身体洗ってから寝ろ」

「眠い――から、ちょっときつい」

  一瞬起きてもまたすぐに船をこき始めるライカに、溜め息をついた。駄々をこねる子供の面倒見る親の心境ってこんな感じがなんとなく分かった。

「……そんなに眠いなら入るだけで全自動で身体を洗ってくれる家電3種の神器の一角があそこにあるぞ」

  家電コーナーの洗濯機を冗談半分に指差して言ってみる。



  ――そう、冗談のつもりだったのだ。



「行ってくる」

  だというのに、ココロの奴は眠そうな瞳を輝かせ、本気で洗濯機に入りに行こうとするので、流石の俺も本気で焦った。

「おいちょっと待て、このバカ娘」

  慌ててあいつの軽すぎる身体を後ろから持ち上げて、動きを止める。

「おおー。高い~Zzz……」

  そしてまた寝始める。

  ああ、うん。ここまで来たら悟ったよ。ダメだコイツ。シャワールームで身体洗うとか絶対無理だろ。

「しっかりしろココロ。このままだと俺がお前の身体を洗うぞ?」

  勿論これも半分は冗談で、後の半分は軽い脅しのつもりだった。

  いくらぼーっとしているココロでも性別は女。羞恥心ぐらいは持ち合わせているだろう。そういう予想があっての発言だった。

  だが、俺はこの後に痛感させられる。ココロはどうやっても俺の読みの斜め上を行く奴だということを。

「そうして欲しい」

  さっきまで眠そうに半分瞼が閉じかけていたのに、何故かココロは瞼をしっかりと開き、そう言ってきた。

「いや、おい待て。いくらなんでもそれはまずいだろう」

「否、これはおいしい展開……サービスシーン」

「お前、世間知らずのくせに、なんか俗なことは知ってるよな」

  急に元気になったココロに溜め息をつく。

「そんなに元気なら一人で入れるだろう」

「Zzz……」

「寝るな!」

  俺に寄りかかって寝息をたて始めるココロ。

  なんかもう色々諦める必要があった。

「……分かった。俺が洗ってやる」

「ぐぅれいとー」

  瞼を開け、親指をつき出すココロに、俺はもう一度深々と溜め息をつくのだった。





  冷静に考えてみた。黒崎の死体を埋葬するのを手伝ってくれたココロを俺が洗ってやるのはむしろ自然なことではないだろうか?

  そうこれはあくまで自然な行為であって、なんらやましいことはな――

「……やめだやめ」

  もう何を言っても言い訳がしく聞こえる。ならもう吹っ切ったほつが俺らしい気がする。

  今から幼女の身体を洗う――以上。

「よし始めるぞ」

  準備はすでに万端だ。ココロの服は脱がせ、シャーワー室に準備した風呂用の椅子に座らせたし、女性用のシャンプーとリンスも準備した。完璧だ。

「あいさー」

  ビシッと敬礼をするココロ。気楽でいいよなお前は。こっちは無理矢理にでもテンション上げないと心が折れそうだ。

「とりあえず頭から洗うぞ?」

「ん――」

  了承を得て頭からシャワーをかける。温度は既に適温。抜かりなどない。

「あう―」

  頭からお湯がかかると、ココロが苦しそうな声をあげたので慌ててシャワーを止めた。

「ん!」

「うわ、バカ! お前!!」

  ブルブルと頭を横に何度も振る。それにより長い銀髪が横に揺れた。それはいい。問題はココロのその動きのために俺がびしょ濡れになったことだ。

「犬かお前は!」

「? 私はココロ」

  会話が成り立ちません。本気で不思議そうに首をかしげるココロに、俺は諦めるしかなかった。

「ああ、もういい。シャンプーつけるぞ」

「あいさー」

  再び敬礼するココロ。もう何も考えるな俺。速やかに任務を全うしろ。

  手にシャンプーをつけ、ココロの髪を透くような手付きで洗ってやる。シャンプーが泡立ち、ココロの髪か泡で覆われた……

「シン、ちょっとまって」

 だがそこでまた問題が発生した。

「……今度はなんだ?」

「泡が目に入って――痛い」

「ガキかお前は!?」

「はい。幼女です」

 自分で言いやがったこの野郎! 

「目をつぶっとけ。それなら泡も入らない」

「つぶるけど、また泡が入るかもしれないから怖い……」

「……面倒な奴だ」

 ああ、分かった。分かりました。こんなこともあろうかと用意しておいたさ。秘密兵器を。出せばいいんだろ? だしてやるよ! 

「これを使うぞ」

「なにこれ? 真ん中があいた気円斬?」

「違う。ていうか、なんでそんな鼻のない地球人最強の代表技は知ってるんだよ」

 強烈な世間知らずなのに、ほんとにろくでもないことは知ってんな。

「シャンプーハットだ。これをつけたら泡が目に入ることはない」

「……! ほんとだ。画期的」

 冗談半分で用意したんだが、大当たりだったようだ。また新しい問題が浮上する前に手早く終わらせてしまおう。

「……シン。髪洗うの上手」

「そうか?」

 初めてやったから実は若干不安だったんだが、ココロの反応を見る限り不快にはさせてないようだ。

「シンの、気持ちいい」

「髪洗うの――をつけような」

 それだと完全に別物に聞こえる。

「気持ちよくて、眠くなってくる……」

「寝るなよ、絶対寝るなよ」

 髪は洗うが、身体はココロ自身に洗わせるつもりなんだからな。ここで寝られては正直かなり困る。

「がん、ばる」

 俺にもたれかかりながら言われても、説得力0だな。

「――ちょうどいい。ココロ眠気覚ましにお前に聞きたいことがあるんだ」

「なに?」

「そうだな……」

 と言っても、こいつに対して聞きたいとなんてそれこそ山ほどある。どこにいたのか、お前は何者なのか、なんで俺についてくることにしたのか?



 そして『王』とはなんなのか?


 

 どれも重要なことだ。だが、今俺にとって最も重要な大切なことは――



「お前は、なにがあっても俺を裏切らないか?」



 そう。俺にとって今もっとも聞かなければならないのはこれだ。

 我ながら女々しい質問だと思う。そしてまったく意味のない質問だ。裏切ることのある奴が、この質問に馬鹿正直に「いいえ、裏切ります」なんて答えるはずなどないし、今は裏切る気がなくても極限状態に追い込まれたら、自分の言葉を簡単に曲げられるのが人間だ。

 だからこの問いはただの自己満足でしかない。

「……信じられない?」

「ああ」

 さっきまでとは違い、はっきりとした声のココロの問いかけに俺は頷いた。

 自分でもうんざりするほどの即答だった。だが、嘘偽りない俺の本心でもあった。

「……なら、手っ取り早い方法がある」

 髪を洗うのが終わった。シャワーのノズルに手を伸ばし、流出していた水を止める。

「なんだよそれ?」

 そんな方法があるとは思えない。今の俺が信じられるのは、命のない道具ぐらいだ。それこそ、今この隠れ家の入口を警備させている樋口たち『臣下』のゾンビぐらいのも――――

「……おい、ココロ」

 待て。まさか、その手っ取り早い方法というのは――

「ん」

 ココロが振り返った。何の感情も込められていない瞳。それが俺の視線と交わった。



「私を殺して、あなたの力で『臣下』にすればいい」



 そうすれば信用できるはずだと、ココロは言った。自分が死ぬことを何でもないと言ってのけたのだ。

「お前、分かってるのか? それはつまり、お前の意思はなくなるってことだぞ?」

「ん」

 ココロはすぐに頷いた。承知してる、愚問だと言わんばかりにすぐに頷いた。

「でも、シンとは一緒にいられる」

「……死ぬことよりも、一人になることの方が嫌だっていうのか?」

「そう」

「……」

 その考え方を、以前の俺――皐月 心なら真っ向から否定しただろう。たとえ一人になっても命ある限り生きるべきだ。

 生きていれば必ず希望が生まれる――そんな甘いことを本心から言えるような男だった。



 だが今の俺――シンは違う。



「そうだよな――」 

 裏切られ、本当の孤独を味わった俺はココロの考えを正面から肯定した。

「一人は怖いよな……」

 もし、こいつに出会わなければ今頃俺は身体は生きていても心が孤独に殺されていただろう。きっとただの抜け殻で、何も考えずにただ死を待ち続ける存在になっていたはずだ。

(馬鹿だな俺も……)

 人間として当たり前である疑うこと・・・・ができるのもこいつのおかげだ。

 信用できないとか、もうそんなことを言う隙間は俺たちにはなかった。

「すまん。変なことを聞いた」

 一心同体。多分これが俺たちの関係を表現するのに、一番しっくり来る。出会って一日しか経ってないが、もうココロは俺の半身に近い存在となっている。 

「気にしないでいい」

 目を閉じ、ココロが抱きついてきた。

「ココロ――俺はお前を殺さない」

 俺は受け止め、その雪のような白い背中に手を回した。

「俺はお前を守る」

 これは誓いだ。この腐った世界で生きていくために、自分自身に決める絶対のルールだ。

「それはお前のためだけじゃない。俺自身が生きていくためにもだ」

 孤独にならないため。俺という存在を保つためにも俺はこの先何があっても、ココロを守っていく。

 だから――





「俺とずっと一緒にいてくれ」





 子供にいう言葉じゃないが、多分今の俺とココロに一番必要な言葉だ。

 たとえ傷の舐め合いだとしても、俺はココロが必要で、ココロも俺が必要なのだから。

「……」

 返事はなかった。俺の言葉の意味をちゃんと考えているのか、それともどう返答していいのか迷っているのか、あるいは両方か――

「Zzz……」

 いずれにせよココロは何も答えず、ただ俺の腕の中で穏やかな寝息を――


 ん? 寝息?


「おい、ココロ?」

「Zzz……」



 …………





 ……



「…………寝てやがる」

 最悪だ。なんだよ、今の俺、ひどい道化だ。というか、聞かれてないと分かったら、急に自分がすごく恥ずかしいことを言ったという自覚が芽生えて来たぞ……

 いやまあ、それはいい。いや、全然良くないが、誰にも聞かれてないし、さっきの誓いは俺の黒歴史ということで心の奥底に封印ができる。

 だからまあいいさ。本当に問題なのは――

「勘弁してくれよ」

 こいつの身体を結局俺が洗うはめになったということだ。

「はあ……」

 ここに誰もいないことは分かっている。だがあえていないはずの誰かに尋ねたい……





 そろそろ俺泣いてもいいよな?

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