好機

 警察……変わった世界でその存在が注目されなくなったのは割と初期の段階からだった。最初は良かった。自衛隊と協力し、混乱した世界の中でも市民達を守ろうと奮闘していた。

 だがどんな高尚な組織も、所詮人間が歯車となって動かすもの……その歯車がこの腐った世界でまともに動き続けるはずもなく、すぐに錆つきを見せ始めた。

 まず真面目に自分の義務を果たしていた警察官が守るはずの市民に襲われた。そしてその様を見た警官達の中から、己の職務を放棄する者達が現れ始めた。

  後はあっという間だった。穴が空いた人員で混乱した市民の安全を守るなど出来るだはずなく、ほどなく警察という組織は崩壊した。

  この事を、俺は一時行動を共にしていた警官――否、警官から聞いていた。だから、警官と会った所で保護して貰えるとかそういう甘い考えは無かった。

  だが――



(まさかここまで腐っているとはな……)

 


  流石にいきなり発砲されるとは思わなかった。

「待て! 俺は人間だ!! ゾンビなんかじゃない!」

  何とか身を起こし、近づいてくる元警官達にそう主張する。

「あーん? 生きてやがるのか?」

「当たったのは足だって言っただろ。それだけで死ぬわけがない」

  だが二人の目は変わらず俺のこととして見ていた。

「あん? そんなの知ってるよ」

「!」

  デブが何を今更言ってるいるのだとばかりに、俺を見て馬鹿笑いをしてきた。

「おいてめぇ。ボロボロだが制服を来てるってことは学生だろ? なら知ってるはすだ。ここら辺で学生のグループがいるって聞いたんだが、そいつらのことを喋れ」

「学生のグループ……」

  それは間違いなく、俺とクラスメイト達のことを言っているのだろう。この辺りの学生達は可能な限り助けていたので、間違いない。

「それを知ってどうするつもり――ですか?」

「あん? 決まってんだろ」

  馬鹿かお前はと、デブが手に持つ拳銃の狙いを俺の唯一動く腕の肩に定め――

「奪うんだよ」

  引き金を引いた。

「がっ!?」

  痛み。足と同じ灼熱の激痛だ。両方あのデブの銃によるものだから当たり前と言えば当たり前なのだが、それでも呻かずにはいられない。

「つぁっ!」

「こ・ん・な・風にちょっと痛めつけてやれば喜んで差し出すだろ? 食糧も女も!」

  耳障りな馬鹿笑い。それを聞きながら俺は何処か他人事のように思った。

  ああ、俺はここで死ぬんだな――と。

  こんな自分の欲望を満たすために平気で人を殺すことが出来る奴らに今から俺は殺されるんだ。

「くくく――」

  仲間に裏切られ、何もかもを失った俺にはお似合いの最期だ。

  惨めで無様で、笑いすら込み上がって来た。

「なんだこいつ? 突然笑いやがって――頭でもイカれたのか?」

「正解じゃないか? こいつ、腕が片方とれてる。ここに来る前に何かあったんだろ」

  何かあった? ああ、あったとも。信じていた奴らに裏切られ、ゾンビ共の餌となり、そして――



『あなたは私の王様だから』



  そしてどうなった?

  そうだ。俺はもう今までの俺じゃなくなっていた。

  俺は――――





「王様いた」





「っ!?」

  幼い声。間違いない。あの幼女の声だ。

「バカ野郎!! こっちに来るな!!」

  子供なんて関係ない。今のこの元警官共は女だったら誰だろうと容赦はしない。

「ふひひ! おいおい! ガキだが最高の上玉がいるじゃねえか!」

  そして俺の予想は正しかった。あの電波幼女を見た瞬間、男達の――特にデブの方の目がギラつきがやばかった。

「ガキ過ぎないか?」

「ふひ! そこがいいんじゃねえか! あれぐらいガキなら確実に初物だぜ!」

  下卑た笑みを浮かべるデブ。同性である俺ですら吐き気を催すほどの剥き出しの欲望を幼女に向ける。

「やあ。お嬢ちゃん。そこは危ないよ。こっちにおいで」

  片手に拳銃を持ち、猫なで声を出す様はいささか滑稽だが、今は笑っている場合ではない。

「どうして?」

「どうしてって簡単だよ。ここら辺にはまだゾンビがうようよいるからね。危険なんだよ」

  ゾンビよりも今はお前の方が危険な気がすると内心突っ込みながら、俺はこの絶対絶命の状況を打破するために頭をフル回転させる。

  焦るなよと、自分自信に言い聞かせる。これまで俺はこの腐った世界を生き残ってきた。この程度のピンチは簡単に乗り越えられるはずだ。

(まずは時間稼ぎ……だな)

  逃げるにせよ、反撃するにせよ、今の状況ではどちらもまともに完遂することは不可能だろう。出来るだけ会話を引き延ばしつつ、が訪れるのを待つしかない。

  そして出来れば、元警官達の意識をこちらに向けさせるように話すことが好ましい。

「待ってくれ。あいつはやめてくれ!」

  今にも幼女に飛びかかりそうなデブの出鼻を挫く意味合いでも、大声を張り上げる。

「あん? なんだてめぇ。あいつの知り合いか?」

「ああ、そうだ!」

  予想通り、デフは気分を害したとばかりに不機嫌そうに俺を見た。よし、とりあえず第一条件はクリアだ。

「あいつは俺の大切な奴なんだ!」

「大切ねえ。なんだお前ら、どんな関係だ?」

「それは――――」

  しまった。その返答を考えていなかった。

  兄妹……は駄目だ。あいつと俺の容姿は違いすぎている。いくらなんでも嘘だとばれるだろう。

  友達というのも、時間を稼ぐにはインパクトが薄すぎる。

  ならば――



「あいつは俺の――恋人だ」



  ……これしかない。もしかしたら他にいい誤魔化しかたがあったのかもしれないが、咄嗟に思いついたインパクトがでかいのはこれだけだった。

「は? お前、マジて言ってんのか? あの子まだ子供だぞ?」

「――そうだ」

  本当は違う。俺はロリコンではない。あの幼女はいくらなんでも守備範囲外だ。だがここはそんな本心を隠して、デブの言葉に頷くしかない。

「おいお嬢ちゃん。こいつの言ってることは本当か?」

「……」

  幼女が少し驚いた顔で俺を見る。俺は視線で訴えた。とりあえず話を合わせろと。俺の意図を理解したのか幼女は大きく頷いた。





「将来を誓いあった仲です」





  ……なんかスケールが大きくなっている気がするが、気にしなくてもいいだろう。銀髪幼女の頬が若干赤く染まっている気もするが気にしなくてもいいだろう。

「ふひひ、笑えるなおい! お前変態かよ!」

  お前には言われたくないぞデブよ。あの幼女見て鼻息荒くしている奴にだけは言われたくない。

「おい樋口……」

  と、今まで黙っていたひょろり男がデブの肩を掴んだ。

「なんだよ?」

「あのガキの目を見てみろ」

「目だと? ……!!」

  今までニヤニヤと、幼女を値踏みするような目で見ていたデブ――いや樋口の目が見開かれた。

「てめぇ! ガキ! ゾンビだったのか!?」

  銃口が俺から幼女に向けられる。

(しまった!)

  あの幼女の目がゾンビ達と同じ深紅の色をしていたことを失念していた。これでは片腕を無くし、両腕が使えない俺よりも先にゾンビの疑いがあるあの幼女の方を殺そうとするだろう。



(いや、これはか?)



  その時俺の中の悪魔が囁いた。

  今こそが逃げる好機だと。

  今元警官達の意識は完全にあの幼女に向いている。加えて俺に向けられていた銃口も外されている。

  まさか、こんなにも早くが訪れるとは思わなかった。あの幼女を見捨てれば俺は逃げられ――――



(本当にいいのか?)



  俺に残った最後の良心がそう俺に問いかけてきた。

  得体の知れない奴ではあるが、あんな小さな子供を自分が助かるために見捨てる――――そんなことが許されるのか?

(何を考えている俺は!!)

  裏切られたばかりだろう。人を信じないと決めたばかりだろう。なのに何故躊躇う? どうしてあの幼女を見棄てることを即決出来ない?

(見捨てろ! 見捨てろ! 見捨てろ! 見捨てろ!)

  自分の事だけを考えろ。冷静に状況を分析しろ。助けられる見込みがどこにある? 仮に助けた所でまた裏切られるだけだぞ? この腐った世界では下らない正義感など何の価値もない。そのことを学んだばかりだろうが。

  他人は全て有効に利用しろ。あいつを囮に逃げるんだ。それがベスト。それこそが正しい。それこそがこの世界で生きていく上で必要な――――

「王様――」

  銃口を向けられているというのに、幼女の視線はただ俺だけを見ていた。後ろめたさを感じる。俺を見るな。俺は今からお前を見捨てるんだ。自分が助かりたいからお前を囮にしようとする最低な男なんだ。だから――――

  幼女の様子を伺った俺の視線と彼女の視線が交わる。

「どうして?」

  彼女が首を傾げる。不思議そうに、本当に不思議そうに俺に尋ねてきた。





「どうして泣いているの?」





「っ!?」

  言われてようやく気が付いた自分が泣いていることに。

  泣いている理由は分からなかった。泣いていることに気が付かないぐらいた。分かるわけがない。

「……分かった」

  だが本人である俺でも分からないのに、幼女は一つ頷くと小さく呟いた。



「王様は私と同じで一人ぼっちで、寂しいんだ」



「……」

  一人ぼっち――――その言葉は不思議とひどくしっくりきた。幼女の言う通り俺は今一人だ。

「でも大丈夫。私も王様も寂しくなくなるいい方法ある」

「な、なに言ってやがる?」

  本当に何を言ってるんだあの電波幼女は。

  止めろ。それ以上言わせるな。今の俺にあいつが言おうとしていることは毒だ。聞けば間違いなく俺のこれからの行動に強い影響を与えてくる。

  なのに、俺は止めることが出来なかった。



「ずっと一緒にいよ?」

 

 

  言われた。今俺がもっとも心の底から望んでいる言葉を。仲間に裏切られ、心に空いた穴にその言葉はするりと入り込んで来た。

「――――はあ」

  そうすると、なんか吹っ切れた。幼女を見棄てるとか見棄てないとかで悩んでいた自分が馬鹿馬鹿しく思えてきた。

「ああ、もういい」

  思えば目覚めてから色々下らないことで悩んでいた。自分が変わったとか、変わってないとか、そんなどうでもいいことで悩んでいた自分が情けない。

「おいデブ」

「あん?」

  声を出す。命を握られ少なからず恐怖を感じていたのに、今はそんなもの微塵もない。それどころか笑いさえ込み上がって来た。

「てめぇ、まさか俺に言ったのか? わけわかんねえ会話をゾンビとしている段階で、頭おかしいと思ってたが、まじでイカれてたのか?」

「否定はしない。だがお前らよりはましだと思うぞ?」

「なんだと? てめぇ、あんまり嘗めてっと――――」

「……だ」

「あん?」





「本当のが現れた」





  瞬間。元警官達にとって死角となる背後から、ひょろ男の方を『何か』が襲いかかった。

「な!? こいつは!!」

  咄嗟に背後からのし掛かって来た相手を投げ飛ばそうとしたのは、腐っても警察官だった人間だと言える。

(だが、もう遅い)

  接近を許してしまった段階で、すでに手遅れだ。

  何故なら――――

「ああああああ!!」

  相手は俺の臣下であるゾンビ。窓から飛び降り、地面に頭からダイブしたあいつだからだ。

「ああああああああああああ!!」

「ぎゃあああああああああああああああああああ!!」

  悲鳴があがる。痛みもあるだろうが、それ以上にゾンビにという事実が、男に悲鳴をあげさせたのだ。

  ゾンビに噛まれた――――それはすなわちデッドエンドを意味し、同時に人としての最期バットエンドを意味する。

  この瞬間。腐った世界の数少ない生き残りの一人が、終わりエンディングをむかえた。

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