意外な特技
「……ン」
声が聞こえる。
「シ……ン」
誰かを呼ぶ声だ。
「シン……起きて」
(いや違う……)
『誰か』じゃない。
(これは、俺を呼ぶ声だ……)
「……ココロか?」
「ん。おはようシン」
目を覚ますと、俺のすぐ隣に寄り添うような形で銀髪の幼女――ココロがいた。
「目、覚めた?」
「ああ――まあな」
「ちょっと心配だった……シン。ずっと起きなかったから」
「ずっと……だと?」
待て。まさか俺はそんなに寝てたのか?
「俺が寝てたのはどれぐらいだ?」
「三日」
「なに!?」
がばっと起きる身体にかけられた掛け布団が落ち、俺とココロの肌をあらわにする……
「って、ちょっと待て。なんで俺裸なんだ?」
ココロが寝た後、俺は眠ったままのココロの身体を洗って、バスローブを着せてからこのベットに寝かしつけたはずだその時は俺、服着てたよな?
……ならその後は?
やばい。まったく記憶がないぞ。
まさか俺――やっちまったか?
(……って、そんなわけないか)
冷静に考えてそれは有り得ないと思った。記憶がないのは、多分心身共に疲れ切っていたから、ココロを寝かしつけると同時に俺も寝てしまった……おそらくそんな所だろう。
……待て。なら、必然的に犯人は一人しかいないよな?
「ココロよ」
「なに?」
「俺の服を脱がせたのはお前か?」
「ん」
もう存在しないおまわりさんこいつです。犯人はこの幼女です。
「なんで脱がせた?」
「寒かったから」
「いや意味分からん」
寒かった=俺の服を脱がすの理由がどうしても俺には理解できない。
「シン。知らないの?」
「あ?」
「寒い時は、人肌で温めあうのが一番」
「……」
ドヤ顔でそう言うココロに俺は何も言えなった。
「えーっとな……」
額に手を置く。もうこのバカ娘どうしてくれよう? なんか行動が色々電波すぎて「ここは雪山じゃない!」とかいうツッコミすら出てこないぞ?
「てか、お前まさか三日間ずっと俺で暖をとってたのか?」
「ぽかぽかぬくぬくだった」
「……さよですか」
もう何も言うまい。とりあえず、話題を変えよう。じゃないと話が永遠に前に進まないような気がする。
「三日間なにしてた?」
「食べて、本読んで、寝た」
典型的なニート生活だなそれ。読んでたっていうのは足元や枕元に転がっている本のことか。こんなに大量の本をどこから……と思ったがそう言えばこのデパ地下には本屋もあったことを思い出す。本当になんでも揃った便利な隠れ家だ。
「食べたって言ってたが、なに食ったんだ?」
間違って腐ったものでも食っていたら体調に影響を与える可能性がある。一応なにを食べたか軽く確認したほうが良さそうだ。
「ん」
俺の問いにココロは指を差した。
その指先は質問者である俺を指差していた。
「……おい」
これが他の奴ならブラックジョークで済んだだろうが、こいつは俺の腕を食ってたという前科がある為、俺は笑えなかった。
「ちなみに、どこ食ったんだ?」
「一通り全部」
「……」
本当に笑えなかった。 全身を確認したところ、欠損部分はないが、これは俺の身体の脅威的な再生能力のおかげだろう。つまり俺にはココロの言っていることを確かめる術がない。
え?てことはあれか? 俺、こんな幼女に全身をいただかれたということか? それってつまり――
「……とりあえず俺、シャワーを浴びてくることにする」
いや、やめよう。これを考えるのはなしだ。そんなことより暑いシャワーを浴びて色々洗い流すことにしよう。
「分かった」
「?」
「なに?」
「いや、すまん。ちょっと意外だっただけだ」
てっきり「一緒がいい」と言うと身構えていた俺としては肩透かしをくらった気分だった。
「準備……あるから」
「なんの?」
ココロが言う『準備』に皆目見当がつかない俺が聞くと、ココロは胸の前にぐっと腕を組み、気合を入れて(無表情だが)言った。
「朝ごはん」
「ゑ?」
…………かつてこれほど他人の料理に恐怖を覚えたことがあっただろうか?
極度の世間知らずの上に、俺を文字通り食べる幼女の手料理。
これに恐怖を感じない人間はきっとこの世に存在しないと断言できる。
「……どうする?」
シャワーを浴び、バスローブを羽織った俺は頭を抱えていた。
「終わったら、従業員用の休憩室に来て……」
なんでも、そこではガスコンロなどの料理が出来る環境が整っているらしい。
「だけどな……」
正直怖い。まともな料理が出てくる可能性は限りなく0。とんでもないゲテモノが来ることを覚悟しなければならない。
「……行くか」
下手をしたら初めてゾンビ共とやりあった時を超える恐怖を感じながら、俺は休憩室に足を向けたのだ。
従業員の休憩室は結構な広さがあった。テレビの前などに数個の机が置かれ、更には脇には喫煙室がある。デパートの従業員用の休憩室は初めて見たが、なるほど。これなら休憩中に食事も出来るだろう。
「おいココロ。どこにいる?」
「ここ」
名を呼ぶと、声は背後から聞こえた。
「行き違いになったみたいだ――」
振り返り、ココロの姿を見た俺は絶句した。
「…………なにやってんだお前?」
「裸エプロン」
はっきりと言い切るココロのその姿は裸にエプロンを着ただけのアレだった。
「興奮、する?」
「しない」
「欲情は?」
「しない!」
「……残念」
本気で残念そうに肩を落とすココロ。むき出しの肩や太もも。ロリコンなら垂涎ものだが、ノーマルな俺はため息しかでない。
「なんで裸エプロンなんかしてんだよ?」
「……空気を読んで?」
「そんな空気は微塵もない」
「シン。こういうの好きでしょ?」
「心の底からどうでもいい」
「ちなみに下着は履いてない」
「どうでもいいって言ってるだろ!? なんでドヤ顔!? しかもこっちに絶対領域を見せつけるな!」
目のやり場に困るんだよ!
「……ツンデレめ」
「お前は俺にどういうリアクションを求めてたんだ……」
不機嫌そうになるココロに、俺は頭を掻いた。なんだ? なんか俺悪いこと言ったか? なんでココロは若干怒ってんだ? まるで意味が分からん。
「それで? 飯はどうするんだ?」
俺としてはこのままココロの危険料理(仮定)を食べるよりは安全なカップラーメン辺りにしたいのだが?
「準備、完璧――」
そうか完璧なのか。ということは、俺の逃げ場は完全にないということだな……
いや待てよ俺。まだ回避方法が一つだけあるぞ。
「なら料理を運ぶのを俺が手伝おう」
「シンが?」
「ああ。少しは手伝いたい」
俺の考えた回避方法――それはココロの料理を運んでいる最中にここっそり落とすという安直だが効果的なもの……
我ながら性根の腐りきった最低の作戦だが背に腹は変えられない。
それにこれはココロのためでもある。ラブコメ主人公のようにまずい料理をうまいという無為な優しさを生憎俺は持ち合わせていない。まずいものはストレートにまずいと言う。どうせ傷つけるなら俺が料理を落としたうっかりものを演じてやったほうが、ココロへのダメージも少ないだろう。
だからすまないがココロの料理は地に返し、安全なカップラーメンを食べ――
「だめ」
「え?」
拒否されることなど考えてもいなかったため、思わず本気で驚いた声を上げてしまった。呆気にとられている俺を意に介さず、ココロは背を向けた。むき出しの背中や小振りな尻が見え――って、なに見てんだ俺は!?
「おい待てココロ!」
「……シン」
視線を反らし、制止の声をかけた俺に対するココロの返答はいつも通り無機質で――
「男は黙って座ってて」
「……了解した」
そして、いつもにはない逆らいがたい妙な迫力があった。
「とりあえず、手料理の王道――カレーを作った」
椅子に座り、俺の前のテーブルに置かれたココロの手料理はなんというか、あれだった。
(すごく……カレーです)
そう。ちゃんとカレーだったのだ。変な異臭もしないし、醜悪な見た目も晒していない。誰が見ても間違えようのないカレーがそこにあった。
(普通だ……)
そのことに軽く衝撃を受けている俺は間違いなくかなり失礼な男なのだろう。自覚はあるさ。反省はしないがな。
「召し上がれ」
「……なあ、ココロ。ちなみにこれを作る際、材料なに使ったんだ?」
いくら電気があって冷蔵されていたとしても、肉や野菜は傷んだ食材しかないはずだ。となると、下手すればちょっと腹を壊すやつも入ってたりするんじゃないのか?
「心配ない。ちゃんとシンが心配することの対策は完璧」
「そうか。わかったーーー」
俺も覚悟を決めよう。何を言っても逃げられないことは、もう嫌と言うほど分かったからな。
人生、時には博打に出ることも必要だ。
スプーンでカレーを一口分すくい、口に持っていく。
さあ、行くぞ!!
「いただきす!!」
「召し上がれ」
かつてないテンションで俺は一気に口の中にココロのカレーを突っ込んだ。
瞬間。走る刺激!!
「あれ?」
などなく、舌で感じたのはむしろひどく好ましい味で――
「うまい……だと?」
え、嘘だろ。なんで普通にうまいんだよ!?
「ココロ。お前まさか料理出来るキャラだったのか?」
俺が本気で面食らっていると、ココロはどや顔で、ない胸を張った。
「乙女……ですから」
そんなココロの意外な特技を堪能した俺は、彼女が入れてくれた食後の紅茶を飲みながら、今後の方針を言うことにした。
「とりあえずココロ。今からお前、着替えろ」
「? もしかして、外行くの?」
「ああ」
「なにやるの?」
「決まってるだろ……」
カップに残った残りの紅茶を飲み、俺はココロに笑みを浮かべてみせた。
「ゾンビのスカウトだ」
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