【短編】セルロイドには戻れない
注意:【短編】表記の話は日記ではありません。過去に別サイトで公開していたけど非公開になった短編小説をこの場を借りて公開したものです。
――――――
セルロイドには戻れない
掌の中でシェイクハンドのラケットが回る。両面に貼った赤と黒のラバーが目まぐるしく入れ替わるが、私の目はぴくりとも反応しない。それほどまでに見慣れたルーティン。
インターハイ、全国。予選を勝ち上がった高校生が集う日本一の高校と選手を決める場所――建前上は。
卓球という競技全体において、
まあ、それは所詮私たちのような全国進出がせいぜいの連中の場合――だ。
私たちのような圧倒的強豪校のいない県でなら、夢を見ることができて、運が良ければ夢を叶えることだってできる。
全国大会出場という、思い出づくりの。
――思い出づくり、がんばりなよ。
県予選で優勝したその日に、意を決して電話をかけた時の冷淡な声がいまだに耳から離れない。
当たり前だ。
卓球選手にとって最も重要なものは何か。
それは時間だ。時間の差は、あまりにも残酷にすべてを突き放す。
どれだけ早く卓球と出会うか。どれだけ早くラケットを握るか。どれだけ早く練習環境を整えられるか。
その最初の一歩が早ければ早いだけ、時間を多く得られる。単純な算数だ。
城和栗の両親はともに元卓球国体選手。栗が五歳の時にラケットを与え、自宅に卓球台や用具一式を揃えた卓球場を作った。両親から指導を受け、小学二年生で全日本選手権バンビの部で地区予選を一位通過し、全国大会で準優勝。
地元の卓球クラブに所属し、小学生のころから各地の大会に参加。中学生や社会人を相手に勝ち続け、特に中学生以下が参加対象の市民大会では小学四年生から中学三年生まで、六年連続で優勝している。
私はそれを、ずっと近くで見てきた。
私の家はまろんの家の近所で、幼稚園から小学校卒業までずっと一緒だった。小学校の集団登校でも同じ班だったし、クラスが別になっても下校時は一緒に帰っていた。
まろんが「天才卓球少女」としてメディアで持て囃され始めると、小学校にも取材のクルーが時々訪れるようになった。そうした時、学校でのまろんの様子を聞かれるのは、決まって同じクラスのどうでもいいような相手だった。
私は卓球に手を出さなかった。
それがまろんの信頼に応えることだと、信じていた。
取材が終わった日の帰り道、まろんはいつも弱音を吐いていた。卓球は好きだけど、こんなふうに日常を侵食されるのはイヤだ。みんな本当の私を見ていない。卓球選手としての私しか見ていない。いりすだけだよ。私を見てくれてるのは――。
中学に上がると、まろんは県内の強豪校に進んだ。私はそのまま、小学校と同じ学区の公立中学校に上がった。
まろんは毎日電車で通学、私は変わらず徒歩ですぐ近くの校舎に向かう。時間帯も移動手段もまるで違ってしまったので、私たちは互いに顔を合わせることもなくなっていった。
中学校で部活動に所属することになって、私は大いに迷った。無難に変哲のない運動部にするか――卓球部にするか。
卓球をするまろんの姿は、私の目にずっと焼き付いていた。テレビや雑誌が取材を始めるずっと前から、私の目はラケットを振るまろんの躍動を捉えている。
憧れは――あった。自分もあんなふうにピン球に回転をかけて打ち込み、フットワークで動き回り、スマッシュを打ち抜けたら。有名人となったまろんに対してではなく、卓球をするまろんへの、シンプルな憧れ。
でも、私は卓球に手を出さないことで、まろんの特別でいられた。私が卓球を始めたら、まろんを裏切ることになってしまうのではないか。もう顔を合わせることもなくなった相手への見えないつながりが私を躊躇させた。つながりが見えなくなってしまっても信頼に応えたいと思うくらいには、私にとってまろんは特別だった。
卓球部が練習をしている体育館に足を運んだのは、同じ体育館で練習をしているバドミントン部の練習を見学するためだった。卓球部のことは極力頭に入れないようにしていたので、体育館を使っていることもその時は知らなかった。
体育館の壁際でバドミントン部の練習を見学していると、イヤでもすぐ隣で練習している卓球部が目に入った。思わず失望してしまうような弛んだ練習はしておらず、まろんとはとても比較にはならないが、みんな基礎はきちんとできている。
足下に転がってきたピン球を見て、私は思わず声を上げそうになった。これを拾って感触を確かめれば最後、もう戻れなくなる――そんな予感があった。
私が硬直していると、卓球部の見学に来ていた私と同じ小学校出身の一年生が、私を指さして言った。この子、まろんちゃんの幼なじみなんですよ――。
まろんちゃん、というのがメディアでのまろんへの呼び方だった。同級生でその呼び方を用いている時点で、彼女がまろんのことを身近な有名人としてしか捉えていないのがすぐにわかる。
私は半ば強引に卓球部が練習を行うスペースに連れていかれた。先ほどまで見学していたバドミントン部ですら、「まろんちゃん」の名前を聞くと私を率先して卓球部に引き渡した。
まろんちゃんの幼なじみ?
卓球はやってた?
まろんちゃんの家が近所なの?
なんで一緒に卓球しなかったの?
まろんちゃんは――まろんちゃんに――まろんちゃんが――まろんちゃんって――まろんちゃんまろんちゃんまろんちゃんまろんちゃんまろんちゃん――
矢継ぎ早にやってくる質問に、私は「はい」か「いいえ」で答えていった。途中からはもはやなにを訊かれているのかすら判然としなかった。ただひたすら、「まろんちゃん」への質問を浴びせられた。
そのまま、私は卓球部の練習を体験させられた。
普通、初めてラケットを握る相手には、ラケットの上でピン球をバウンドさせる単純な動きを練習させる。慣れていないと数回バウンドさせることすら難しく、ボールタッチとコントロールの基礎を学ばせるのと同時に、新入部員が簡単に卓球台について練習させてもらえない理由を痛感させる目的がある。
ところが私はいきなり卓球台につかされた。質問の過程で私が卓球に詳しいと勘違いされたか、あるいは単純にまろんちゃんの幼なじみを名乗る私に身の程を思い知らせるためか。
練習用の劣化したラバーのボロラケットではなく、卓球部の誰かの新品同然の裏ソフトラバーが両面に貼られたシェイクハンドラケットを渡された。握ってみて意外と重いことにびっくりした。まろんはこれより分厚い裏ソフトを使っているから、より重いラケットを振ってあんなに軽やかに動けるのか――。
フォアハンドでのラリーが開始される。私は初めて握るラケットと触れるピン球に翻弄され、最初はまるでラリーが続かなかった。だが私をいたぶるためか、飽きずにラリーを継続しようとする相手についていくうちに、打球感が伝わる掌、腕から脳までの間になにかがカチリとはまった音がした。
気づくと百回以上、ラリーが続いていた。相手がバックハンド側に打ってきた時も、即座にシェイクハンドでのバックハンド打法で返球することができた。
ここまでくると、ただまろんをずっと見ていた、では説明がつかなくなっていた。
見るのと、実際にプレーするのはまったく違う。すべてのスポーツで言えることだが、特に卓球という競技においては、経験者と未経験者には明確な隔絶がある。どんなに運動神経が卓越した他の部活のエースだろうが、あらゆる才能に恵まれないが日々練習を行っている卓球部員には絶対に勝てない――卓球というスポーツの中ではそれほどまでに経験と練習と時間が物を言う。
私はこの時まで、卓球に手を出していなかった。だがほかの新入部員たちが数ヶ月をかけてやっとまともにできるようになるラリーを、平然と行っている。卓球部の部員たちはやっぱり経験者だったかと勝手に納得しているが、私は恐ろしい事実に行き当たって、ひとり震えていた。
私には卓球の才能があった。凄まじく、ずば抜けた。
初めてラケットを握って百回を超えるラリーを成立させる。これがどれだけ異常なことなのかを私は知っていた。現にほかの入部希望の新入生たちは、水平にしたラケットの上でピン球をバウンドさせることすらまともにできていない。
勝手に盛り上がっている卓球部員たちは、いきなり試合形式の練習を私を相手に始めた。半ば呆然としたままの私は言われるがままに台につく。
サーブ権を先にとった相手が、強烈な下回転をかけたショートサービスを台の中央、ネット際に打つ。卓球はボールにかける回転が物を言う。こんな場所に出された
だが当然と言うべきか、初めてのプレー、初めての相手、初めてのレシーブではそうそううまくはいかない。私の打球はネットに引っかかり、自分のコート上に戻ってくる。相手の得点。
サーブ権は二点ごとに交代する。次も相手のサーブ。同じフォームで同じ場所に下回転。先ほどの打球感をフィードバックして、角度と回転を調節したツッツキ。今度は相手のコートに入った私の打球を打ちあぐねて、下手くそなツッツキで返ってくる。ツッツキはつなぎの技術であり、いかに相手に打ちにくい返球をするかが重要となる。私の台上に返ってきた打球は長く、弱い。つまり、絶好球。
相手がツッツキをした時点でもう、私の身体は動いていた。フォームを作りながらラケットを下に沈め、長く伸びた返球に合わせてすくい上げるように振り抜く。
鋭い打球音とともに、私のドライブが相手のコートを貫く。
ドライブ打法。ラケットを振り抜くことによってボールに上回転をかけ、速度と回転でポイントを狙うエース打球。
これを打ったことで、私が卓球経験者だということが卓球部の共通認識となった。
一も二もなく入部を迫られ、私は自分で自分に困惑しながら、結局は入部を決めた。話をややこしくするだけなので、本当に今日初めてラケットを握ったことは黙っておく。
一瞬でも、考えてしまったら、そこまでだった。
私の中に眠っていたこの途方もない才能があれば、まろんと並び立つことも可能なのではないか――と。
ゴールデンウィークに行われる市民大会に参加した私は、そこでまろんと再会した。
まろんが電車で通っている中学校は卓球では県で一番の強豪校だったが、はっきり言ってまろんのレベルとは釣り合っていない。
まろんは家族と相談した結果、中学は県内の家から通学可能な学校で妥協することを決めたらしかった。すでに全日本卓球選手権大会にカデットの部だけではなく一般の部でも参加し結果を残しているまろんを受け入れたい学校は日本中にあっただろうが、生活を一変させることを躊躇したのか、部活動の練習だけではなく卓球クラブでの練習も合わせれば全国でも通用するという自信があったのか。
いずれにせよ、こんな田舎にまろんのような有名人が残っているということがちょっとした事件ではあった。まろんが各学校の待機場所となる観客席に姿を現すとすぐにざわめきが起こった。
観客席の待機場所は指定されていないが、各学校がおおよその
私の学校は一番隅の観客席に陣取っており、まろんからは遠い。挨拶に行こうかとも思ったが、こんな浮ついた空気の中で気軽に声をかけられる気がしなかった。
体育館の壇上から、順番に試合を行う選手の呼び出しのアナウンスが行われる。私の名前が読み上げられると、それまで観客席でじっとしていたまろんが急に立ち上がった。
初めての対外試合に緊張しながらも、私は一回戦を突破した。フロアを出て待機場所に戻ろう階段に向かった私の前に、まろんが立ちはだかった。
「いりす」
「あ――まろん――」
私はここで、自分がまろんの信頼を裏切ったこと、その事実を今日まで黙っていたことに思い至る。
「卓球、できたんだ」
「えっ、いや、始めたのは四月からで――」
「知ってるよ」
そうだ。だって、まろんは。
「いりすのこと、ずっと見てたもん。だから、驚いてる」
卓球を始めて一ヶ月で、先ほどの試合内容。まろんはきっと誰よりも私のプレーを凝視していた。まろんは私が卓球の初心者だと知っている。その上で達人の領域に入っているまろんになら、わかったはずだ。私の突出した才能が。
「まろん、あのね――」
「いいんじゃない? 卓球は生涯スポーツっていうし、部活、楽しみなよ」
違う。
そんなことを言ってほしいんじゃない。
まろんを裏切った私にちゃんと腹を立ててほしかった。
私の才能にあわよくば嫉妬してほしかった。
どこまでも自分勝手な願望だった。まろんはそれを見透かしていた。だから、断言する。
「いりすじゃ、私には絶対に届かないよ」
冷淡に、私を切り捨てる。もう、まろんの眼中に私が入ることはない。
まろんを裏切った私への、当然の態度だった。
私はそれでも、部活を続けた。練習は誰よりも熱心にやったし、体育館の割り当ての都合で部活が休みになった時は基礎トレーニングに精を出した。
実際、成果は目に見えて出た。私は一年生にして卓球部のエースの座を手にしたし、個人戦で県大会にも進出した。進級しても放課後と休日はひたすら練習に打ち込み、実力をつけて県内では少しは知られた選手になっていった。
中学最後の中体連は、あと一歩で全国出場、というところで負けた。
私たちの地区の中学最後の大会は、市民大会になる場合が多い。八月の酷暑の中、初めて大会というものに出場した体育館で最後の試合を行う。
すでにこの地区に、私に比肩する選手はいなかった。
決勝戦。私は初めて、まろんと試合を行った。
結果はストレート負け。一セット目など、暗黙のタブーである
まろんは淡々と、格下相手への余裕の試合運びを行った。私は簡単にまろんにもてあそばれ、何もできないまま負けた。絶望的なまでの実力差。この地区で私と対等の試合ができる相手はもういない。まろん以外の相手なら私は楽に勝ててしまい、まろんが相手ならば私はこんなに簡単に負ける。
すでに全日本で結果を出しているまろんが、なぜこんな田舎の市民大会に参加するのか。きっとこれは私への見せしめだ。私が絶対にまろんに勝てないという事実を突きつけるため、高校は遠くの県にある全国トップレベルの強豪校に進学するまろんからの最後通告。
複数の高校から来ていたスポーツ推薦は全部断り、私はそこそこの進学校に自力で合格した。まろんのおかげで、自分が卓球選手としては通用しないことを理解できた。
それでも、高校でも懲りずに卓球部に入った。
練習も中学時代よりハードなものを日々行った。
練習を続けるほどに、大会に出場する都度に、私は己に足りないものを痛感するようになっていった。
時間。その積み重ね。その速さ。
どれだけ毎日練習を重ねようが、幼少期から卓球に打ち込んできたトップ選手には絶対に追いつけない。加えて私はゴールデンエイジをほぼ棒に振っている。
たった六年しか卓球をやっていないのに、中途半端に結果を出せてしまうことが、かえって辛かった。
私には才能があった。飛び抜けた卓球のセンス。そのおかげでいま
だけど、才能なんかでは絶対に積み重ねた時間は覆らない。六年ぽっちの卓球人生の集大成としてインターハイ全国出場を果たした私は、より高い場所で戦っているまろんたちから見れば、ただの思い出づくりにやってきた観光客だ。
なぜ、もっと早く卓球を始めなかったのか。口実はいくらでもあったはずだ。私はあの城和栗と幼い時からずっと一緒だった。まろんに触発されて、自分もラケットを握ってみたいと言い出していれば、私は、今ごろ――。
卓球に手を出さなかったおかげで、私はまろんの特別になれた。だけどその特別すら、自分で捨ててしまった。その結果が今の私だ。
これから、まろんと試合を行う、私だ。
これが文字通りの最後だった。私では絶対にまろんに勝てない。ここで負けた時点で、私の卓球人生は終わりを迎える。これからは大学受験のための勉強の日々が待っている。「勝負の夏」をインターハイ出場の代償としてほとんど失った私は、より一層の厳しい追い込みが必要になるだろう。
でも、今だけは、せめて。
まろんに、私を見てほしかった。
互いにドライブ主戦型。だけど試合前の相手のラケット確認で、まろんは少し眉を顰めた。私のラケットの片面に貼られたラバーが、ドライブ主戦型で用いる裏ソフトラバーではなく、守備型の選手が用いる粒高ラバーだったからだ。
試合はやはり、一方的な展開になった。
圧倒的な実力差でまろんが私を責め続ける。私も相手のドライブをドライブで打ち返して食い下がるが、素早い強打やバックハンドでのカウンターを自在に織り交ぜるまろんにはまるで歯が立たない。
まだだ。まだ、ここじゃない――私はぐっと自分を抑え続ける。
まろんのサービス。私のバック側に複雑な回転をかけた短いサーブが出される。普通には打ち返せない、強烈な回転をかけて強引に打ちにいくチキータをするにも難しい、絶妙なサービス。
だからこそ、ここで仕掛ける。
私はバックハンドでラケットの面の角度を合わせ、前方へ押し出すようにプッシュする。
粒高ラバーの数少ない攻撃手段、プッシュ。相手の回転の影響を受けにくいラバーの特性を利用して、相手の回転をほとんど無視することによって本来なら難しい自分の狙ったコースへ打ち抜く。
まろんのフォア側へ突き刺さった打球に、まろんは瞬時に追いつく。私のフォームを見て即座にコースを見極め、卓越したフットワークによって着地点ですでにドライブの構えをとっている。
だがプッシュは打球の際の隙が少ないことも大きな武器。まろんの反撃がくることを見越していた私は、まろんが狙いにくるコースも見えていた。バック側でプッシュした私の反対側――私から一番遠いフォア側に、まろんのドライブが突き刺さる。
私はそれを半分飛びつく体勢で打ち返す。互いに台から離れ、凄まじい速度と回転量のドライブの応酬が続く。
まろんがそれまで続いていた打ち合いの呼吸をほんの一瞬遅らせたことが私にはわかった。決めにくる――私は前に跳んだ。まろんが狙ってくるのは打ち合いから外れたコース。つまり私のバック側。
ここだ。ここしかない。この時を待っていた。
打ち合いの最中で強引にコースを変えるためには繊細なボールコントロールが必要になる。それはそのまま、その打球に十全な力を込められないことを意味する。本来なら百パーセントの力でなくとも、相手の返球できないコースに打つことさえできれば得点できるのが卓球だ。
だが、私はこれを、この打球だけをずっと待っていた。
バックハンドのラケットを台のすぐ手前で地面とほぼ垂直に立て、予測したコースにきたまろんのドライブを、柔らかく包み込むように力を吸い込み、ラケットを下方向に切り下ろす。
ふわりと浮いた私の打球は、まろんのコートのネット際に落ちると、バウンドと同時に強烈な下回転によって私のほうのコートへと戻ってきた。
ドロップショット。おおよそまともな試合では見ることのない、半ば曲芸のような一打。
会場が大きく沸いた。あの城和栗を相手に、見たこともない打球で一点獲った無名の選手。
この一打が、私の答えだった。全国出場が決まってから、慣れない粒高ラバーに慣れるためだけに練習を行い、まろん相手にこのドロップショットを決めるためだけに戦術を組み立てた。
曲芸じみた打球でまんまと一点を奪われたまろんの姿は多くのひとの目に留まった。ひょっとしたら取材にきているカメラの映像に残り、ニュースのスポーツコーナーで繰り返し流れるかもしれない。それほどまでに鮮烈な一打だった。
こんな名声を傷つけるみたいなやり方でしか、私にはもう、まろんを振り向かせることはできなかった。私たちは同じ時間を過ごしていたはずなのに、私が卓球という時間に踏み込んだせいで、はっきりとした断絶が生まれてしまった。
だけど、全部が間違いだなんて思いたくはなかった。私は私なりに卓球という競技に向き合ったし、好きになっていた。まろんのように世界で戦うことは無理に決まっていても、私は私にできる精一杯をやった。
でも、結局は全部、まろんの言う通りでしかなかった。私はまろんには絶対に追いつけないし、全国出場も、見ての通りの思い出づくりでしかない。
でも、いいか。
まろんがしっかりと私を見据えたから。
つまり、手も足も出せずにまろんにボロ負けした、ということだ。
「いりす」
私が早々に撤収作業をしていると、まろんが真剣な表情で歩み寄ってきた。
「私のこと、恨んでる?」
「えっ?」
「私がいりすに卓球を一緒にやろうって言ってたら、今ごろいりすは世界で戦えていたかもしれない。そのくらいの才能が、いりすにはあったから」
ああ、そうか――。
まろんはまろんで、私だけが本当の自分を見てくれると、私をまろんの特別にしてしまったことを悔いていたのか。幼いころからともに競い合う仲間になっていれば、もしかしたら私とまろんが同じ世界の舞台でともに戦うことができていたかもしれない、と。私の才能を見た時からずっと、ひたすらに後悔し続けていた。
なんて、不遜で、現実的な考えなんだろう。才能では絶対に時間の差を超えられず、時間を失った私に奇跡が起こせないことを自明の理として受け入れている。
私は、気づくと笑っていた。
「ううん。きっと、一緒に卓球やってたら、私がまろんのこと嫌いになってた」
「いりす……」
「たまに地元に帰ってきたらさ」
私は笑顔を浮かべる。屈託はない。もうやることは全部やったから。
「また一緒に遊ぼうよ。私たち、もともとそういう関係でしょ」
静かに、まろんから力が抜ける。強張っていた身体と表情がやわらぎ、私の知っている、私のまろんへと、戻っていく。
「――うん。そうだね。地元に帰る時は絶対連絡するから。付き合ってよ」
「オッケーオッケー。じゃあまずはさっさと優勝してきなよ」
「は? 当然。私がインハイで負けるわけないでしょ」
こいつ――もともとこういう奴なんだよな。カメラの前だといい子ぶるけど、私とふたりの時はいつもこんな感じだった。
たったいま、決して埋まらない時間の差が、すっかり埋まった気がした。
公募の常識非常識 久佐馬野景 @nokagekusaba
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