第三十九話 冬のスーパーカブ

 その場の思いつきのように発起した小熊と礼子、椎のツーリング計画は始動した。

 寒く長い冬に嫌気が差した三人は、これから季節という途方もなく大きな物から走って逃げることにした。そして南アルプスの麓まで春を持ち帰って来る。

 一度は店を出ようとした小熊と礼子は、店内に引き返す。コーヒーのおかわりを頼もうとしたら、もう椎の父が三つのカップにコーヒーを注いでくれていた。

 明日とかいつかではない、今すぐ動きださずには居られない、三人は寒さなんてとっくに忘れていた。

 三人でイートインスペースのテーブルを占拠し計画を練り上げた。出発は出来るだけ早く行くことで三人の意見が一致する。この旅より優先すべき用なんて無い。椎の両親にはその場で許可を取る。椎に初めて旅をさせる父は、表にあるミニを指して、車を出すから保護者同伴で行こうと提案したが、女子三人の圧力と椎の一言で折れた。

「何があっても大丈夫だよ、スーパーカブが一緒だから」

 小熊と礼子はあまり頼れる同行者として期待されていないらしい、礼子は「ハンターカブはもっと強いし!」と意地を張っていた。

 

 翌日から旅の準備が始まった。カブも免許も持っていない椎は、礼子のハンターカブの後ろに乗せて行くことにした。重荷を乗せた走行では、シリンダーブロックのボーリング修正で五十二ccに拡大したエンジンを積んだ小熊のスーパーカブは、一一〇ccのハンターカブに一歩譲る。それに自動二輪免許を取って一年未満の小熊は、まだ道交法で二人乗りが禁止されていた。

 最初は小熊の後ろに乗りたがり、無駄に飛ばす礼子のハンターカブに乗ることを渋っていた椎は、礼子に「怖いことはしないでね」と約束させた。

 礼子はしないしないしないと繰り返していたが、全く当てにならないことを小熊は知っている。椎も礼子という人間は口約束など約束のうちに入らないという思考の人間だということを、実体験で知ることになるだろう。

 ハンターカブの後部ボックスは取り外され、二人乗りのため後部まで延長されたダブルシートが取り付けられた。ダブルシートは乗車姿勢の自由度が大きいので、二人乗りの用途だけでなくカブでスポーツ走行をする人間によく使われていて、礼子も以前解体屋で見つけた物を一つ押さえていた。

 最初はキャンプツーリングをする積もりで、冬用のシュラフやテント、タープなど、あれこれとアウトドアグッズを見繕っていた礼子は、三人分の旅荷物を積んで走ることになる小熊に「オモチャの展示会に行くんじゃない」と釘を刺され、結局道中の宿はネットカフェやビジネスホテルで済ませることにした。


 せめてこれだけはと言って礼子が四合炊きの円形飯盒を持っていくことを提案したので、小熊はその中に入る分だけの道具を積むことを許可した。礼子は重ねてコンパクトに収納出来るアウトドア用食器のコッヘルとシェラカップを飯盒に納め、さらにエベレストでも使えるというガスコンロまで詰め込もうと努力していたが、飯盒に満杯の容量は小熊に幾ら頼んでも追加を認められず、結局エスビットの固形燃料を入るだけ押し込んだ。

 椎がどうしても小熊と礼子にまともなコーヒーを飲んでもらいたいと言い、マキネッタという直火でエスプレッソを沸かす器具を持ってきたが、上下二段構造のコーヒーポットを見て嵩は問題無いと思った小熊は、手で持ってみて重量で失格点をつけた。

 消沈した椎に小熊は礼子から巻き上げたパーコレーターを持たせた。パーコレーターと固形燃料があればコーヒーを沸かすだけでなくお茶やインスタントフードに使うお湯が沸かせる。

 実際にパーコレーターでコーヒーを淹れ試飲した椎は、お店で出すにはワイルドすぎる味だけど、旅先には似合っていると合格点をつけてくれた。礼子が小熊は椎に甘すぎると文句を言っていたが無視する。

 着る物は各々の着替えを一枚、下着は二セットまで、椎がジャージの上に着る防寒服は小熊と同じスキーウェアとウールの手袋。効果と性能は小熊と礼子が自分自身で確かめている。ヘルメットは礼子が買ったけどサイズが小さすぎたため放置していたジェットヘルメットを貸した。


 計画を思い立って二日足らずで、小熊と礼子、椎は旅の準備を終えて北杜の町を出た。春の訪れを告げる桜は逃げない、むしろ時間と共に近づいてくるが、だからこそモタモタしていると、春を捕まえに行くという、冬にしか出来ない幸せな時間がそれだけ短くなる。

 椎を後ろに乗せた礼子のハンターカブと、旅荷物を積んだ小熊のカブは、ひたすら西へと向かった。南下して太平洋岸に出ればもっと早く桜を見られるが、それではつまらない。

 飯盒で炊いたご飯とレトルトフードだけの食事を続け、ネットカフェやカプセルホテルに泊まりながら走り続けた三人は、三分咲き、五分咲き、八分咲きになっていく桜を見ながら西進し続ける。まるでカブで時間を越えて走っているような気分だった。

 西日本の片田舎で満開の桜に出会った三人は、そこでささやかなお花見をした後、桜前線と共に引き返して行き。望み通り南アルプスの町に春を持ち帰ってきた。

 分厚い防寒服を脱ぎ捨てた小熊と礼子は、冬の冷気が去った北杜の町を春の陽光に照らされながら走った。過ぎ去った冬に思いを馳せる、やっぱり冬に乗るスーパーカブは面白い。


 それから数日後、椎が小熊の携帯に電話をかけてきた、すぐに来て欲しいと言っている。

 小熊が冬よりも身軽になったカブで椎の店まで行くと、店の前には水色のカブが停まっていた。

 スーパーカブよりタイヤの径が一回り小さいリトルカブ。スーパーカブの製造拠点が海外に移りプラスティック製の新型車体になってからも、銃器のようなプレス鉄板で作られた旧型車体のまま国内の熊本工場で製造されている、小熊や礼子のカブと同じ車体を有するカブ。

 小径タイヤやハンドル、レッグガードの形状変更で女性にも乗りやすく改良されたリトルカブは、業務需要がメインで塗装色の限られたスーパーカブと違い、様々なカラーリングで販売されている。

「あの、小熊さんと礼子ちゃんに相談しようと思ったんですが、見に行ったらこれがあったので、買っちゃいました」


 先に来ていた礼子が椎に頬を擦り付けながら言う。

「新車とか金持ってんじゃな~い」

 椎は自分の後ろ、店内から見ている両親を振り返ってから答える。

「掘り出し物の格安新古車だっていうんで、値切りまくって半分は自分で出して、残り半分は卒業したら絶対返すからって言ってパパに借りました」

 椎はカブに乗る小熊と礼子に出会い、カブに救われ、カブと旅をすることで、自分のカブを買うことを決意した。その場の思いつきで買ったわけじゃない。

 ずっと抱いていた夢を叶えるために、もっとも必要なものが何かを探し続けていた椎は、まだ何も出来ない、どこにも行けない自分の小さな体を誰よりも強く大きくする物が必要で、自分がそれを扱うことの出来る人間になることが必要だと気づいた。

 そのために高校生の身で借金まみれになることなど、今の椎には怖くもなんともない。


 小熊はまだ椎の体には大きそうに見えるリトルカブを指しながら言った。

「春はバイクで走るのが気持ちいい、だから道にバイクが増える、気をつけないといけない」

 礼子も椎よりちょっとだけ余計にカブを知る者として、偉そうな小言を垂れる。

「それから夏、バイクで走ってれば涼しいなんてウソだから、気を抜いてるとブっ倒れるくらい暑いわよ」

 礼子に釣られたのか、小熊も経験則からの注意を言い足す。バイク乗りの悪いところ。

「すぐに秋が来て冬になる。冬は寒い」

 椎は小熊と礼子の言葉を話半分程度に聞きながら、水色のカブを愛おしげに撫でている、答えは口うるさいバイクの先輩より、誰のものでもない自分のカブに聞くらしい。

 それは何でも出来る魔法の機械じゃないけれど、人があらゆる困難に立ち向かい、何かを成し遂げようとした時にきっと味方になってくれる。己の力では敵わぬものに唯々諾々と従うだけでなく、全力で足掻き、抗おうとした時、それを苦行ではなく楽しみに変えてくれる。 


 冬のスーパーカブは、辛く厳しく、面白い。


(終)

  

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スーパーカブ2 トネ コーケン @akaza

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