第9話 

がたんごとん、がたんごとん。

電車という乗り物特有の周期的な揺れが体に心地いい。ゆりかごの中とでもいおうか。あまり満足に眠れていない体はその揺れに体を任せて泥のように眠りたいと訴えかけ、隣と膝の上に感じる暖かさが更に睡魔を連れてくる。

気を抜けば眠ってしまいそうなほど心が安らいでいるという自覚があった。

「…真琴?眠たいなら眠ってていいよ。ボクが起こしてあげるから」

耳元で耳朶を擽る優しい声。囁かれる言葉の一つ一つが溶けるように脳に染み込んでいく感触。声の主は我が幼馴染、安桜摩耶あさくらまやである。

豊満というわけでは無いにしろ小さくない胸が俺の体に当たっているという状況から、僅かに意識を保てているのだが、こんな風に囁かれるとそろそろ意識も限界に近い。

「もうとっくにブレイズも寝ちゃってるしね。今更真琴も寝ちゃったくらいで怒ったりしないし早起きとかにも慣れてるからもう私の目は冴えてるから寝ようと思っても眠れないよ」

そう言われ、膝の上のブレイズを見るといつの間にか、俺の体に身を預けるようにして眠りに落ちていた。

あまり手入れのされていなかった髪の毛は今朝出る前に摩耶によって半ば強引にブラッシングされていた。ぼさぼさの髪の毛はちゃんと櫛で梳かれたことで流麗な絹織物のような様相を呈していた。その色は燃え盛るような紅蓮。染められたものではないとどんな人間でも気が付けるほどその幼気いたいけな美貌との相性が良く、疑うことすら失礼に値するだろう。

女性らしく長く伸びたまつ毛と僅かに動く口元は美の神すら退かせるほどの魅力を兼ね備えており、少女趣味の無い一般的な人間、それも老若男女問わず虜にしたとしても何ら不自然ではない。

こんな少女が破壊と殺戮の権化などどんな人間であろうと露ほどにも思わぬだろう。

事実、先ほどから近くでつり革につかまっている女子高生がこちらを見てひそひそと話しをしている。高校生にもなって電車の中で騒ぎ立てるといった迷惑行為はしていないまでも、どこか興奮したかのように頬が赤い。

もしかして俺が見ていることに気が付かれたのだろうか。女子高生といえば少し年下なのでそういう目で見れなくも無いのだが、ここには二人の美の神もかくやという美少女が居る。目移りするのは失礼というもの。

「あぁ、悪い…ちと寝かせてもらうわ。…昨日は状況が状況なだけに寝付けなかったし」

「…ごめんね、あんまり寝かせられなかった」

「誤解を招きそうな言い方はしないでいただこうか」

その時、電車が駅に停車して目の前に座っていたサラリーマンが慌ただしく出て行く。駅名から予測するとあと五駅分くらいは時間がありそうだ。

必死そうに走って行くサラリーマンを見て、人生って大変なんだなぁと思いつつ傍らの少女にゆっくりともたれかかる。

「ちょっと肩借りるぞ」

「い、いいけど…?恥ずかしくないの?」

ちょっと本気で意味が分からなかった。今更こいつが恥じらいを俺に説くだと?

けれども割と真面目に狼狽しているようで反応に困る。

もたれかかった瞬間にもビクンと体を強張らせていたことも気になる。

「どした?急にそわそわして」

「ボク、女の子だよ?」

「知ってるよバカにしてんのか。何年一緒にいると思ってんだよ」

「だ、だって恥ずかしいじゃん!周りにいっぱい人いるんだよ?」

あぁ、それで。

今までの経験から言えることが一つある。摩耶は意外と押しに弱い。

自分からぐいぐい押していくのは大の得意なんだがこっちが手を出して「ん。」とかやると恥ずかしがって手をつなごうとすらしない。自分からは抱きしめにくるくせに。お風呂にも入ってくるくせに。キスとかしようとするくせに。

「昨日の夜ほどじゃないだろ別に。今更恥ずかしがんなよ…。俺もちょっと気になってきたじゃんか」

「ご、ごめん。いいよ別に、肩くらいいつでも使ってよ」

これ以上会話を重ねると恥ずかしさで死んでしまいそうなのでそれ以上何も言わずもたれかかる。女性特有の柔らかな質感が服を来ていても感じられてすこしドキマギするが、家族ぐるみで旅行に行ったりした車の中でなんか、摩耶は平然と膝枕を要求する。それに比べれば今更だろうと割り切り眠ることに集中する。



集中する。



集中し続ける。



集中し続けて。



「無理だ眠れねぇ」

結論はこうなる。致し方ないと思います。心拍数は全力疾走後とまではいかないにしろ早まっていて、眠気なんてどこかへ行ってしまった。

酷く落ち着かない。これも全部こいつが可愛いのが悪い。

「あ、あのっ…ちょっといいですか…?」

不意に幼さの残る声が聞こえた。

目の前から。

何だと思って固く瞑った目を開けてみればそこには耳まで真っ赤になった女子生徒が三人ほどいた。二人用の座席が向かい合うような形になっているので、一人は相変わらず立っているが。

ともあれ、その子たちは何やら興味津々といった感じにこちらを見つめている。

無視するわけにはいかないので仕方なく名残惜しい幼馴染の方から頭を引きはがす。

「どうしました…?何が御用でしょうか」

「あの、その…。助けてほしいんです…」

我が耳を疑った。何を言いだすかと思ってみれば助けて、だと。この状況で出てくるような言葉ではないと思うのだが。

しかし少女たちの様子は只ならぬものであったので、無下にするわけにもいかなかった。どうせ眠れはしないのだし、何かするべきことがあるというわけでもない。

「実は、その…痴漢に…」

あぁ、そういう類の。

確かに目の前に座っている女子生徒はそこそこ顔立ちが整っている。個人的な意見ではあるがモデルかなにかにスカウトされてもおかしくないといったあどけなさの残る美貌を有していた。紅潮した肌はどこか艶めかしく、魅力になれていないものが見てしまえば劣情を催しても納得できるというものだ。

「それは…大変だな」

「はい、なので少し私の近くにいていただけませんか?一人だと怖くて…。うちは女子高で身内にも信頼できる男性というものが居なくて」

嫌な予想がついてしまった。身内にも信頼できる男性が居ないという言葉から推測するには少し突飛だと思われてしまうかもしれないが、一つは家庭内の男性、即ち父親が亡くなっているという場合。二つ目は両親の離婚などによって父親がいない場合。

このような状況であればもう手の打ちようがないのだが、最悪なのは三つめのケースである。虐待を受けているというケースだ。

性的虐待や家庭内暴力などといった事件は実際は少なくない。両親との関係が悪化してそのような状況に陥っている知り合いも俺には数人心当たりがある。

そして残念なことに、俺の仮説は確証へと変わる。

少女の柔肌には目を凝らさなければわからないような生傷や裂傷などがいくつか見受けられた。最悪なことに、髪で隠れたり、袖で隠れるような場所ばかりにある。

腹部などは凄まじいことになっていたとしても疑問ではない。よくいじめなどでばれないように腹部や足の付け根などを攻撃することが多いと聞く。

単純に言ってばれにくいから。恐怖で押さえつけなくても、見せるのをためらう場所であったなら中々人の目には触れない。

最悪の人間がよく好む手口。

そしてそのような事情を見抜いてしまった自分への罪悪感が心につのってゆく。

「…悪いけど『はいそうですか』とは俺から言うことはできない。痴漢冤罪なんて言葉もあるくらいだし、何か俺に不利益があったら笑い事じゃないからな」

「そんな…っ。いえ、そうですよね、すみません、失礼しま――」

申し訳なさそうな顔をして少女は立ち去ろうとする。急に変な頼みごとをした自分に対して苛立ちを覚えているのが手に取るようにわかる。

…残酷になれない自分自身が嫌になった。

「人の話は最後まで聞くといい。別に君が俺に被害を及ぼさないって言うなら近くで立っていてやるくらいはしてあげる。だけど俺が乗ってから降りるまでの間だけっていう条件は呑んでもらう」

自分でも何を言っているのかわからなかった。何故こいつを助ける必要があるのかと理性が何度も語りかけてくる。事実その通りだ。助ける必要性なんて皆無だし、助けようと思っても裏切られるリスクだってある。目の前のいきなり出てきた人間を信用しろと言うほうがおかしいのだ。

「…はぁ、真琴はいっつもフラグを立てるよね」

「まって何で俺が悪いみたいになってんの?」

「あァそうだナ。流石ラノベ主人公みたいな見た目ト名前してル」

「急に起きてきていうのがそれか」

なんか空気が茶番に近くなってきた。本来であればもっと真剣な話なんだろうがこいつらの発言のせいで緊張感が微塵もない。

ジト目で膝の上と隣の席から生暖かい視線を送られる。とてもつらい。俺が何をしたというのか。そしてそれは断罪されるべきであったのか。甚だ疑問でならない。

「えっと…私はここから二つ向こうの駅で降りるんです。乗り始めるのはここから七つ前で…」

「真琴、ボクたちと乗る駅一緒じゃない?」

傍らの摩耶に指摘されてやはりそうだと確信を得る。ここから七つ前ということはそれ即ち俺達の家の最寄り駅だ。

降りる駅は俺たちのほうが一つ遠いので、帰りの場合は不便だろうが行きの時はさしたる問題は無い。俺たちはいつも学校に行く時間に電車に乗っているので電車に乗る時間は同じだろう。

「では…その。お願いできますか?」

心配そうに聞いてこられて、これでダメですだなんて言えない。俺だって男なのだから上目遣いに覗き込まれては流石に断る気も失せる。

「…いいけど、別に俺が抑止力になるなんて期待しないでくれよ。

そもそもなんで俺に頼んだんだよ。もっと信頼できそうなやつはいるだろ」




「ほら、とても可愛らしい奥さんとお子さんがいらっしゃるので…私なんかに手は出さないだろうと思いまして」


「自分を卑下しすぎなのはまぁ置いておくとして。ごもっともな判断基準ですね」

別に家族ではないんですけど、と付け加えて視線を泳がせる。

「「~~~~~!!」」



そして声にならない叫びが膝の上と隣から聞こえてきたのはまた別の話。

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ソウルティア・ブレイズ いある @iaku0000

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