第4話 吐露

 雑多な人影が跋扈ばっこする都市部の一角。数年前からできたショッピングモールに俺とブレイズ、摩耶はやって来ていた。人数ひとかずは平日ということもあり、学生の想像するものよりは多少劣るものの、都市部に位置しているため決して少なくはない。地方の地域と比べれば多いとすら言えるほどだと俺は思う。

 この人数の多さは無論のこと、世間一般で言う春休み期間に当てはまるから、という理由も存在するだろうが。

 試験も終わっていないのに春休みを俺らが普通に迎えられているのは軍の学校はギリギリまで試験が行われない、という点にある。理由としては試験を受けてから入学するまでの期間が大きく開くと、戦闘の空気に一度は慣れても時間を置けば置くほど元の平和な日常へと戻っていってしまう。だからこそ一気に戦闘の道へと引きずり込む方法がとられている。何しろ一度や二度で緊張感は身につかないもの。加えて一度戦闘の恐怖を味わい、そこから平穏な日常に戻ると軍に対する苦手意識がどうしても大きくなってしまうという問題が発生しやすくなる。生粋きっすい戦闘狂トリガーハッピーであるならば別として。一発で引きずり込まないと逆に軍人として功績を残すことは難しいものになる傾向がある。

 本来の学生であれば、この時期になっても試験を受けていないということは高卒で働く目途が立っているというのがほとんどである。言うまでもないが、大学へ進むだけが人生ではない。高卒で活躍している人だってたくさんいるのだから一概に否定するつもりもないし、できるわけもない。というか高卒の人とかめちゃくちゃいると思うんだ。中卒はそんなに多くはないかもしれないけれども。

 別に、中卒に対する偏見などは一切持ち合わせていない事を理解していただきたい。自分はそういう生き方はできないと言いたいだけである。高校まで行けたはいいがここで軍に落ちたら正直な話、中々笑えない将来が待っている。

 就職先の目途は立っておらず、結局アルバイトを探すことになる。それでは家庭を支えることはできないし、お世辞にも決して裕福とは言えない家庭でわざわざ高校まで通わせてくれた母親への裏切りになる。非常に狭き門でありながら、絶対にくぐることは避けられない登竜門。

 軍の試験には二つの科目があり、一つが戦闘技術に関する訓練。いわば白兵戦などを想定した実技テストだ。これは既述なのでカットする。

 もう一つ、筆記試験なるものがあるが、こちらには高校や中学で習ったお堅い数式なんて微塵も出題されない。精々魔力に関する理論を説明せよといった問題が最難関というもので、大量に解かされるのはチェスや将棋の図に、自分が思いつく、最適解に近いプロセスで相手の主将の駒を取りなさい、と言った問題が多数である。

 言うまでもないが軍用魔術の運用方法は入学してから学ぶのであって、試験で出るようなものではないということだけ注釈しておく。

 頭脳は数式や文法などよりも柔軟性に富んだフレキシブルな判断を行うために使わねばなるまい、といった教義ドクトリンがあり、戦略ストラテジーに対応した頭脳を涵養かんようすることこそ軍の筆記試験を受ける者にとって最も必要なことであると言えよう。

 故に棋士から軍の司令官になったという人の話を聞くことは特に珍しいことではない。敵の行動を読み、手元にある情報と思考をリンクさせ、最適解を導き出すことが頭脳労働役たる司令官に課された義務であり使命。無駄に手駒兵士を使い果たすことなく、時には自らすらもおとりにして戦況を有利にするように立ち回ることができる者が本物であり、自らの身を固めるためだけに手駒を使うような人間は無能と蔑まれ続ける。そんな愚の骨頂とも呼べる行為を行えば相応の仕打ちは当然だと言えるし、駒とは厳密には異なり生きとし生ける者。自立した思考を持ち、自らの意思で行動する。そんな存在を無下に扱うことは許されないのだ。

「真琴?考え事でもしてるのかな?」

「凄い表情してタぞ。剣呑けんのんナ雰囲気振り撒かレちゃ困るゼ。」

 ふとここで意識は現在に戻る。遅まきながら自らが思考の波に溺れていた事に気が付いた。出かけた先で何をやっているんだ…という呆れの声もあるかもしれないが、それほど俺にとって重要な内容だということだけ理解してほしい。

「あ、ああ悪い悪い。なんだったっけ?」

「しっかりしなよ、真琴が努力してるのは知ってるけど、詰め込み過ぎたら体に毒だよ?今日くらい忘れてボクとデートしよっ♪」

 言うが早いか、豊満とは言えない。されど貧層でもない確かな弾力と柔らかさを実現している自身の胸で俺の左腕をホールドする。下手に動かすとマシュマロみたいな質感が余計に伝わってしまうので、もがくことすらままならない。もがいたら最後、更なる柔らかさに翻弄ほんろうされることになる。こうしている間にも理性がぐらぐらと音を立ててダメージを受けているのが分かる。中学校三年生くらいからこんな風に一気に距離が詰まったような気もする。にしても慣れない。女子特有の甘い果実のような香りと相まって理性による歯止めを破壊しようと常に攻撃してくるのだ。

 俺が並大抵の男であれば彼女と恋人の真似事ではなく、本当に恋人になっていてもおかしくないのだ。むしろ俺がそうしていなかったことに自分で今疑念を抱えている。

 そうこうしている間にも摩耶の体が俺に密着し始め、本気で嬉しいけど好ましくない状況におちいりつつある。

 …くそっ、ブレイズさん助けてくださいマジで。言葉には出さずに念じると、ブレイズがピクリと反応して俺と視線を合わせる。一つ嘆息し、渋々と言ったように口を開く。

「その辺にシておけ。今日の目標ヲ忘れた訳でハないだろウ?」

「…む?そっか。君の日用品を買いに来たんだったね。失敬失敬、久々に真琴と出掛けられると思うとうれしくてつい。だって最近ずっと忙しそうだったから…。」

 言われてみればその通りだ。基本的に俺は友達同士で関係を広く作っていられるほど金銭的にも時間的にも余裕がない。付き合いが続いているのは特に仲のいい友人が数名、いずれも男だ。摩耶はもともと古くからの知り合いだから高校からの付き合いという意味では女子との関わりはあまり持っていなかった。持っていたとしてもすべて摩耶で、他の女子の介入する隙などそれこそ蟻の這い出る隙もないほどであった。軍の学校に進学するためにオセロや将棋、チェスをはじめとしたボードゲームや、ポーカーといった戦略性や心理的要素が多く関わってくるものについて考察を長い間行っていた。一応念のために弁解しておくと遊びをしているわけではない。人の顔色を読むということは何事においても必要とされる技能だし、重要性も高く取得すべき優先度プライオリティは非常に高い。身近で顔色を窺う能力や、思考を読み取る能力、相手の癖などを見つけ出す観察眼などを養えるのがそれらのゲームである。例え実際に顔を合わせていなくても手札の切り方や不可思議な動きに目を付けられればその手のゲームの勝率は向上する。俺が考えている考察というものはそれらが司令官たる人間の思考回路に良好な影響を及ぼすのではないか…?というものである。筆記試験にはそのような問題も出たことがあると聞く。予め思案しておいて損はないはずだ。

 とまれ、このまま思考の渦に呑まれていては予定をいい意味で裏切られたことによってできた休日を無為に過ごすことになる。

 俺としてもそんなことは誠に不本意だ。

「…だな。今日くらいは考え事抜きにするか。」

「うんうん。ボクみたいに適当に生きるのも楽しんだけどなぁ。やっぱり結婚しようよボク達。」

「お前まだ言ってんのかその話。最初に言いだしたの何時だっけ?」

「またそうやってはぐらかすんだから。確か中学校二年生の時かな?クラスのみんなに囃し立てられて半ば強引に結婚の約束したような…。」

 懐かしい話題を引っ張り出され、今は失われた時間に思いを馳せる。

 マセガキばっかのクラスに在籍していた俺たちはクラスの中に恋人がいないのはおかしい!という謎の風潮に巻き込まれていた。中学二年生と言えば多少恋愛には興味を持つものの、極端にのめりこむ事はないはず…というのが俺の考えなのだが、やはり時代の波とは子供の思考をどうも簡単にこじらせてしまうらしい。誠に遺憾である。巻き込まれた俺たちは唯一フリーの男子と女子として存在していた。

 別に二人ともモテなかったとかじゃない。むしろ摩耶に至ってはモテモテだった。結局それは今も変わらないわけだがそこは今回の話では触れないものとする。

 しかしながら摩耶はその全ての告白を断っていた。色恋沙汰に興味がなさそうな人間ではなかった故に曰く、男には興味がないという珍妙な噂が流れたこともあった。実際は正直よく分かっていなかったというだけであり深い意味はなかったのである。何故俺と恋人の真似をするようになったのかと言えば、単に俺がよく知っている仲であったというそれだけのことである。後に自らが結んだ約束を思い出して顔を真っ赤にしていたのはめちゃくちゃ可愛らしかった。

「思い出話するナとは言わねェけド、ブレイズさんも混ざれル話にしてくんないと困るゼ。」

 眉を顰めながら俺たちの会話に割り込む。その表情は少し不機嫌な様にも見える。

 当然と言えば当然である。急に自らが関われない話を楽しそうにされてしまえばブレイズの事だから結局律儀に話を進めさせてあげるだろう。短い期間しか同じ空間で過ごしていない…それどころか昨日見た夢の中で出会った存在なのであくまで漠然とした人柄しかつかめていない。だけどなんやかんやで本当に人が嫌がることはしようとしなくて。昔話に花を咲かせる奴らの話を自らが混ざれないからといって急に遮るような無粋ぶすいな真似ができる奴ではない。今の介入もある程度話の区切りがついたタイミングで行われたもの。すなわち今も遠慮していたということであり純粋に俺たちの気配りが欠けていたというわけだ。

「あぁ…その。すまんかった。急に身内話始めちまって。」

「いヤそんなに真剣ニ謝られタらこっちが悪イことしてル気分になるからやめロ。あとおまエは買い被りしすギだ。信用されルことは嬉しイし信用されテ困ることはない。でもそれハ信用というより妄信もうしんに近イ気がしてならないんダ。」

「妄信って…俺は別に――」

「別に責めてるわケじゃねェし、疑ってほしイ訳でもねェ。おまエのことを気に入っテるってのは本当のことダし、中々代わりなんて見つけられなイ稀有《けう

 》な存在だっテ思ってる。」

 俺の反駁はんばくを左手を掲げることで静止。いつになく真面目な表情で語る言葉はしっかりと吟味ぎんみして尚、信じるに値する。そんな俺の思考を見透かしたように満足げに一度頷くと一呼吸おいて一際大きな声で言葉を紡ぐ。

「だからこそ、怖いんダ。…ワタシ以外の誰かニ奪われテ、おまエを失うのが。」

 周りの人達が数人振り向いてこちらを向きながらひそひそと話を始める。しかしそんなことはお構いなしとばかりに言葉を紡ぎ続ける。語る瞳には真に迫るものがあり、心の俺自身が知らない奥底まで見透かされて値踏ねぶみされているのではないかと錯覚すら覚える。

欺瞞ぎまんだって思ウならそレでもいい。詭弁きべんだと思われたって構ワない。…回りくどい言い方してモ、あれだかラ簡潔に言うぞ。

 ――今ワタシがこの世界デ一番大切にしたイものは、おまエだ。」

 傍らに立つ摩耶が息を呑むのが分かる。

 こいつは今、大切にと言った。その言い回しが意味するのは今はまだ判断が付きかねており、未完了の状態であるということだ。先ほどの発言を反芻はんすうするようだが、向こうからのコンタクトとは言え、ほぼ初対面の人間を何より大事に扱うというのはなかなか難しい。気に入った人間とは言っても現時点では同居している赤の他人に等しい。

 まだはっきりと言葉の意味を噛み砕けたわけではないが、結論としては大切にされる、またはされ続けるという目標が俺にはできたらしい。

「…っテ、真昼間まっぴるまのショッピングモールでする話じゃ無かっタな。あんまリ気にしなイでいいぞ。さて、日用品を買イに行こうカ。」

「ノリノリで話と空気切り替えてくれたとこ悪いけど俺の金だからな。必要以上のものは買えないぞ。身に着けるものと歯ブラシなんかの生活雑貨、食料に寝具とかくらいかな。」

「あれ?終始私空気じゃなかった?」

「気のせイだろ。あと寝具ハおまエと一緒でいいから気にしなクていい。」

「どう考えても気にしなきゃいけないよねそれ。」

 先ほどまでの重い空気を払拭ふっしょくして俺達一行は日用雑貨が揃う店へ足を運ぶ。先ほどまで周りにいた人たちから聞こえてくる噂話を背に。


「あの家族すごいわねぇ…。特に娘さんの言葉を最初に聞いたときはぎょっとしたけれど…。娘さんの話の凄みと説得力と言ったらすごかったわぁ」

「そうねぇ。一番大人びてたような気もするわ…。ちなみにあの子はあの二人の何歳の時の子なのかしら…。最近の高校生だとあの年齢で子供がいるのは普通なのかしら。」





 ごめんなさい俺達そういう関係じゃないですっ!!!!

 心の底から叫びたい気持ちだった。

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