第3話 日常

「ともあれ、しっかり服着ろよ。」

「だっテ着る服ねェし。もともと素っ裸デ顕現しタもんだカらそこのハンガーにかかってタパーカーを拝借したダケだシ。」

…一瞬想像してしまった俺を全速力で助走を付けながらぶん殴りたい。

努めて感情を表に出さぬよう、表情を整えて言葉を紡ぐ。

「…じゃあ好きな服貸してやるよ。そんな格好で街中うろつかれたら何時いつか警察かやばいお兄さんたちに捕まる。」

「既にやばイお兄さンに捕まってる件についテ。」

「うるせえ脱がすぞこのロリ」

「許セ。」

「ええで。」

茶番を挟みながらなんとか服を着るという手段をとらせることに成功した。壁に掛けられた黒い時計の針は四時を指している。試験開始は九時を予定されているため移動時間を含めても四時間近く猶予があるということを意味している。本来はこんなに早起きする予定はなかったのだが、必然というべきか、見慣れない状況というのは目を冴えさせてしまうものらしい。今身をもって実感した。

「ンじゃあ今日こレ貸してくんネ?」

俺のタンスを漁ること十数分。着てきたのはベージュのチノパンに少し大きめのサイズの無地の白Tシャツ。加えて先ほども身に纏っていた黒いパーカーである。脱衣所で着替えを終え、出てきた少女の姿は見るからに男物の服を着ていながら大きく覗く鎖骨を始め、魅惑的な印象を与える。着る者が違えばここまで印象が変わるのかといった具合で、改めてこいつは美少女なんだと再認識する。普通にどこにでも売っているような服であるにもかかわらず、彼女が袖を一度通せば、世界でただ一つ、彼女のためだけに仕上げられた服のように似合う。勝気そうな瞳と相まって、男物の服でも意外なことに上手く組み合わさる。

組み合わせコーディネートとしては別段おかしいところはない。適当に着ていく服としてたまにやるものだし。

ただ…一つ問題を提起するのであれば。

「ちょっとアレな質問だけどさ。その、下着って…」

「おまエのを借りタ。何か問題ガ…?」

おいちょっとまてこいつ、今何と言いやがった?俺の下着を借りたと言わなかったか?もしそれならば由々しき事態である。

俺が犯罪者と言われても仕方のないレベルになってしまう。

少女に男物の下着、それも自分が身に着けていたものを着用させたとなれば警察が光の速さで飛んでくる。

しかしまぁこいつに常識を求めたところで無意味だ。殺戮大好きロリだぞ。

まともなわけがあるまい。

「だから全部聞こエてんだっテの。ワザとやってんのカ。

…まァ確信犯だけどサ。下着なしで方がズボンを履かせル方がよっぽど悪質だとハ思わネぇか?」

「一理ある…が、今日中にお前の身の回りの品は買い込みに行くぞ。

流石にそんな状態でいられたらいろいろと困る。」

理性の面でもそうだが、純粋に一人暮らし用の準備しかしていない。そこに二人住むとなれば必然的に荷物も増えるし、必要なものも新たに出てくるだろう。

通販に頼ってもいいが、慣れない買い物だ。よくわからん商品が届いても困る。


そこで不意に机に伏せてあったスマートフォン型の携帯端末がSMSの着信を告げるバイブレーション機能を作動させた。

こんな時間に何事かと思い、メッセージを見ると、見知った友人からのメッセージで試験は改修工事の遅れ、及び事故の為一週間ほど先に延期になるというホームページのURLが送られてきていた。

『延期だってよ!どうせお前のことだから早起きでもして待機してたんだろ。ざまぁああああああwwww』

俺なんでこいつと友達やってるんだろう。端末の電源を一旦落として意識を集中させようとした矢先、今度は通話の着信がきた。

朝早くにこうも堂々と電話をかけられては苛立ちを通り越して呆れる一方だ。まぁ一応出るんだけれども。めんどくさくなる予感しかしないので早々に通話を切りたいところだが…。

「ああ、もしもし…こんな朝早くになんだよ摩耶まや。」

安桜摩耶あさくら まや。幼馴染というか腐れ縁というか。なんだかんだで高校まで同じだった近所の知り合いである。俺が一人暮らしするのに合わせて同時に一人暮らしをしはじめたのだが…。ここまではまだ幼馴染ポジションということで容認できる。この後が問題だ。何とこいつ、空手と柔道、合気道で同時に全国レベルの実力を有している正真正銘の超人である。こいつに喧嘩を吹っ掛けたDQNが吹き飛ぶ様を見たのは一度や二度じゃない。本人は加減しているつもりなのだが敵の攻撃を利用して投げ飛ばす技などを用いた場合、敵の攻撃の威力が半端に強いと容赦のない威力の一撃が応酬となる。

…簡潔に言って、俺の知り合いで敵に回してはいけない人間ナンバーワンだ。

一人暮らしを始めてから二度玄関の扉を蹴破られた。訳が分からん。扉は仕事しろ。

「よう、真琴。ちょっといきなりで悪いんだがお前テレビ見てみろよ。ボクが言ってたニュースが今流れてる。ちなみにチャンネルは8な。」

訝しみながらもテーブルの上に置いてあるリモコンに手を伸ばす。ブレイズは空気を読んでか、クッションの上に女子らしく割座わりざをして静かにこちらを見つめている。ちらりと横目で俺が流し見ると同時に何かを警戒するかのように玄関の方を向いた。人差し指を立て、唇に当てるジェスチャーが表すのは『少し黙れ』。

耳を澄ませば何者かの話声が僅かに聞こえる。誰かと話しているようだが、足音の数は一つしかない。明らかに常人ならば行わない行動だ。

「こちらニ来てル…。こんな知り合イ居るのカ?」

無言でかぶりを振る。俺の知っている限りでは見えない何かが見えているような知り合いは断じていない。

「ねぇ…聞いてる?真琴ってばー、おーい。」

「あ、あぁ、なんだっけ?」

「ったく…テレビつけたか?そしたら校舎に大穴が穿たれてんの写ってるだろ。あれが原因で復旧するまで試験はおろか、学校に在籍してる生徒すら登校できないらしい。」

「へ、へぇ?そうなんだ…。」

「おい。なんだよ寝ぼけてんのか?お前らしくないぞ、その雑な返事。さっきから返事がどことなく上の空だし…お前ん家行くわ。どうせ暇だし。」

おい、まずいぞ…。このままこいつが家に来たら家の前にいる奴と鉢合わせることになる。そんなことがあれば摩耶の身に危険が…危険が…?どちらかというと危険なのは家の目の前にいる奴じゃないのか?

「というかもう既に家の前まで来てるんだわ。ピンポンするからあけて。」

ぴんぽーん。

この緊迫した状況に似つかわしくない間抜けた音声が響く。

「まさかとは思うが俺の家の前で通話とかしてないだろうな」

「そのまさかだけど」

「オイまじかヨ。警戒して損シたぜ。」

念のため来訪者の存在を確認してみたが…。摩耶だ。寸分の疑いもなく摩耶だ。

穴から見えるように手を振ってくる奴なんて俺の知り合いにはこいつしかおらん。

がちゃり。ドアが開く音とともに朝五時にもかかわらずテンションの高い見知った顔があった。

「へへ、真琴アナタの摩耶の参上だぜっ!」

「帰れ」

「ちょちょちょ、まっ、まって」

「嘘だよ早く入れ」

本当はもう少し懲らしめてやりたかったが朝早い時間に玄関先で騒ぐのは少しはばかられた。閉めだして騒ぎ立てられた挙句扉を打ち抜かれることだけは避けなければならない。

「んー。久しぶりに真琴の部屋に来たな…ぁ?

あれ、あれあれ。ボク以外の女の子の匂いがする。どういうことだよ真琴ぉ」

からかい半分、マジトーン半分の声音で俺の名前を呼ぶ摩耶は壊れかけのブリキの人形の如く、ぎこちない動きでこちらを振り向いた。見てないのに嗅覚だけで存在を炙り出す実力に内心舌を巻く一方で恐怖に似た薄ら寒いものすら感じていた。

しまった完全に忘れていた。ブレイズがいるんだここには。

そもそも他の人間には見えるんだろうか。

「そいつが今しガた通話してタやつカ?」

「真琴って、ちっちゃい女の子がタイプだったんだ…。」

「えっ」

「おい、人の目の前デちっちゃいとカ言うンじゃねエよ。」

怒りというほどではないにしろ、僅かにいら立ちを抱えたブレイズ。実は気にしてたんだと気が付き少し反省。

右は戦闘技能最強の女傑、左は崩壊と殺戮の権化。

一度琴線が弾かれればこの場を今すぐに戦場へと姿を変えてもおかしくない。息が詰まるような重圧が部屋一面に漏れなく押し付けられ、呼吸すらすべきでないような錯覚に見舞われる。

「まぁ…真琴は女の子連れ込む度胸なんてないからね。ボクは多分何らかの理由があると推察するよ。であるならば深く突っ込みは入れるべきではない。そうでしょ?」

「正解ダ、なかなか話がわかルらしい。」

ふとその重苦しい空気が摩耶の言葉を皮切りに霧散する。弾けんばかりのプレッシャーは嘘のように消え失せ、緊張感のない穏やかな空間が広がっている。

ちょっと待てよ。

ここで摩耶が来たのは逆に好都合じゃないか?

静かになった部屋で不意に俺だけが口を開く。


「摩耶。ちょっとお願いがあるんだが。」

「…ん?何かな?エッチなお願い以外ならいいよ。」

頭の後ろに右手を回しながら苦笑いで質問に返答する。冗談の交えかたは普段通りの彼女のものであり、先ほどまで放っていた訓練された闘犬のようなオーラとはまるで異なる。同じ犬でも愛玩動物に近い印象を受ける。

呆れたように嘆息するブレイズは先ほどと同じように割座をしなおし、俺たち二人に体を向ける。

「いや俺は別に――」

「押しかけちゃった上に変な空気まで作っちゃったからねぇ。この際ボクにできることがあるならできる範囲で言ってよ。今回はエッチなお願いでもいいや。」

「オイそこの女。こいつヲあまりたぶらかすナ。焼き殺スぞ。」

眼窩に嵌まるルビーが一層強い紅の光を宿す。付き合いが長くない俺でも分かる。彼女なりの殺戮の前の最終忠告だ。何がそこまで彼女を突き動かしているのかはわからないが、只ならぬ状況であるのは変わりなかった。

「落ち着けって…。お願いってのは他でもない。摩耶、こいつの服を見繕ってくれないか。」




俺の質問を受けた摩耶は口元に細い指を這わせながら逡巡しゅんじゅんする。しばらく迷っている様子だったが、やがて何かを決めたらしく、顔をあげた。


「んー…真琴も一緒なら」




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