第8話 パターン

「…きて…起きて…起きてよ真琴…!」

あたまがぼうぅっとする。誰かが俺を呼ぶ声。髪を手で撫でるように優しいその声。

何時までも聞いていたい声音が耳朶を擽り、心地よい微睡みの中で幸福感が生れ落ちる。永劫に続けばどれだけ幸せなのだろうか。

体から力が抜けきった状態のまま布団に横になっている状況は何物にも代えられない幸福な時であることは誰にも否定できないのではないだろうか。

「起きてよっ、真琴!」

「…んぅ…?」

この声は…摩耶、か?湯船いっぱいに張り詰めた湯から引き上げられるように思考が徐々に明晰になっていく。この世界に俺という存在があること知覚…夢と現実の区別…最後のステップとして瞼を開け…

「起きないと…キスしちゃうよ…?」

「…っ」

やっぱり、固く目をつぶった。

「…はぁ、起きてるの分かってるから。なぁに?そんなにキスしてほしいんだ?」

「何だよ朝からビビらすなよ」

若干期待したじゃないか、と心の中で付け加えて…なんとか上体を起こす。

気が付いたら朝になっていた。一睡もしていないつもりだったのだが、一日中動き回ったことで疲れは溜まっていたということなのだろうか。恐らく四時くらいに寝て五時である今に起こされたと。そりゃ倦怠感やばいわ。

人間の睡眠のリズムは三時間周期だと聞く。一時間とか馬鹿にしてんのかめっちゃ眠いに決まっているじゃないか。

「だってこうでもしないと起きないじゃない、真琴朝弱いんでしょ?」

「うぐ…まぁ強い方ではないな。たまに目が覚めて早起きする時もあるけどそれは結果論に過ぎないし」

「…ひとつここでお知らせがあります」

「なんだよそっちから質問振っておいて…。んでお知らせってなんだ。そもそもまだ五時じゃねえか」

我が家の時計が指し示すのは5の文字。早起きである摩耶からしてみれば普通の事なのだろうが、俺のような人間にとっては少々起きるのはきつい時間帯。正直言えば寝ていたいところだが。

「実は。さっきニュースで確認したところ。軍の大学が修復されたみたい」

…もしかして俺何日も寝てたとかそういう…

「端的にいってあり得ないんじゃないかそれは。如何に修復技術が進歩したと言っても半壊もした建物をこんな短期間で修復できるわけがないんじゃ。

もし俺が何日も寝てたとかなら話は別だけどな」

「あぁ、いや、別に真琴が何日も寝てばっかりだったとかそういうわけじゃないよ?ボクだって朝起きてからびっくりしたよ…。派手にぶっ壊れてたのにさ。きれいさっぱり元通りなんてそんなことある?」

言われてみれば、リビングのテレビからは女性キャスターのものと思われる声が聞こえてきていた。内容は確かに大学が再建されたというニュースらしい。

『なお、日本軍付属大学は受験を望んでいるという生徒に向けて、建物を公開するとコメントしています。これには修復は万全だという事実を目を以て認識させるという狙いがあると思われます』

のろのろとリビングに出てみれば、先ほど摩耶が口にした通りの状況になっていた。当たり前のように破壊された建物はそこにあった。何事もなかったの如く佇んでいる様はある種の存在感をカメラ越しにでも伝えている。

「どうやラ、マジらしいナこれ」

椅子に腰かける俺の膝の上に当たり前のようにちょこんと腰かけるブレイズは相も変わらず片言の日本語。西洋人形ビスクドールのような姿と相まって外国人のような印象を受ける。小動物的な愛らしさがあり、初対面の頃の妖艶さはどこへやら。

「本当みたいだな…。んで?公開されるってなったら行くしかない、って感じか」

そして自然に肩の後ろから腕を回して柔らかく抱きしめ、頭の上に軽く顎を乗せる。

「そうだねぇ、ちゃんと修復できてるか心配な状況で入学とかしたくないし」

更に当たり前のように椅子を寄せ、肩までぴったりと密着する摩耶。

よくもまぁこんな短期間でパターン化されたな、なんて思いながら外を見やる。外はまだ暗い。空の端は僅かに白み始め、夜の終わりを告げようとしている時間帯。小鳥のさえずりが僅かに聞こえはじめた。

「ほんとは真琴とブレイズと一緒にお家でイチャイチャしてようと思ったんだけどねぇ。世の中そううまくいかないものだねぇ」

少し落胆したように言葉を発すると摩耶はおもむろに立ち上がりキッチンの方へと向かっていく。すると程なくして鼻孔を通って胃袋を刺激する美味しそうな匂いが漂ってきた。俺の胃袋は朝ごはんの存在を認識し、素早く起きた。

「ン?なんだカいい匂いが…?」

「ふふん♪今日はちょっと朝ごはんを頑張ってみました!お味噌汁はちゃんと出汁から取ったし、お魚も焼きたてだから美味しいよ!」

「なぁ、なんでお前はこうも万能なの?すごくね?嫁修行何週目よ」

「そんなに褒めないでよ真琴ぉ!ただボクは真琴の理想の女性になろうとしているだけだよ」

「どこまで極めるつもりだお前は」

「真琴がお嫁さんにしてくれる日までいつまでも続くのさ!あ、あぁいや、お嫁さんにしてくれても日々邁進しますけど!」

「よく分からんけど俺がめちゃくちゃ幸せ者なのは理解できた」

ここまで思ってもらえるほど優れた器じゃないとは思うが…彼女がそこまで言ってくれるなら自分を否定することも彼女の思考を否定することになる。

こりゃ迂闊に自分を責められないぞ。

「ささ、食べよ?出来立てを召し上がれっ!」

「「いただきます』

まずは味噌汁に手を付ける。

ちなみに味噌汁から先に食べるというのは箸にご飯粒が付かないようにするためのマナーとして認知されているので覚えておいて損は無い。聞きかじりの知識だから正しいかは知らんけど。

まず見た目。具は豆腐とネギ、油揚げにわかめと結構具が入ってて男子的な視点から見ても良い。ブレイズより具が若干俺の方が多めなのは男性である俺を気遣ってのものだろう。一口味噌汁を口に運ぶ。出汁からとった味がしっかりと生かされており、インスタントにありがちな味噌の味のごり押し感は全くない。味噌の香りと出汁の旨味が咥内に広がる。水分をよく吸った油揚げもポイントが高い。

次いで今度は魚の方に箸を伸ばせばほろほろとほぐれた白身が湯気を放つ。大根おろしや醤油といった和の調味料に付け合わせて口に運べばえもいわれぬ柔らかさと魚のいい香りが立ち上る。

長々と感想を述べたが。

「端的にいってめっちゃうまい。なんかこう、優しい」

「褒めてくれるのは嬉しいけどあんまり急いで食べなくても大丈夫だよ。まだ五時過ぎだから時間はいくらでもある。ほら、ご飯粒ついてるよ」

「…?どこだ?どこについてる?」

「あぁ、もう、じっとしてて」

ご飯粒の場所を見つけられない俺にしびれを切らしたのか身を乗り出す摩耶。一瞬その胸が大きく揺れたのは見なかったことにしておこう。

「ほら、頬っぺたについてるから。…はむ」

「っ!?」

「よしとれた。急に動かないでよびっくりしちゃったじゃんか」

「おい摩耶、お前今何をしたかわかってるのか」

何を隠そう、摩耶こいつは今まさに俺の頬についていたと思われるご飯粒を取りやがった…!

「…すごく仲良しなのはいいんだガ…見てるこっちガ恥ずかシいレベルだぞそれは」



ほんとその通りです面目ない

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る