四幕_2

「いいか、くれぐれも気をつけるんだぞ」

 しきに帰り汗をふいて着替えを済ませ、すぐにまた出かけようとするあおいに連雀はそう声をかけてきた。あおいがに片足を突っ込んだまま振り返ると、「買い物に行く気だろう?」と聞くのでなおにこれに頷く。

 連雀は何度も汗でかき上げたかみがそのままくせになっていたのをくずしながら、あおいに座るようにとうながす。あおいは仕方なく上がりがまちこしを下ろした。

「気をつけるって、何に?」

 早く外に出たいとれる気持ちをおさえながら尋ねると、連雀はあおいのとなりに腰を下ろす。それだけの事がなぜかすごくうれしくて、あおいはひそやかに髪の乱れがないかを手でかくにんする。だいじよう、後頭部でい上げた髪はきちんときれいに留まっている。

 そっと胸をで下ろせば、今度はその胸がどきどきとどうを打って熱くなる。あおいはあわてて深呼吸をり返した。

「おまえ、さっきのせんで買い物がしたいんだろう」

「……わかる?」

「それくらいはな。初めて仙になったばかりの雛というのはみな、仙貨を使いたくてしょうがないものだ。おまえの場合は生まれついての仙だが、仙貨を自分で出せたのは初めてだからな。同じようなものだろうと思った」

「……連雀が受け取らないんなら、ちょっと自分で買い物してみようかなって。やっぱりかな」

 父がくなって以来、欲しいものはすべあきらめてきた。母と弟を食べさせるのに必死で、そんなゆうなどなかったからだ。給金はほぼ全額を母にわたし、残りでたまに湯屋に行き、どうつくろっても繕っても着られなくなった着物を古着屋で買い替えるのに使えば何も残らない。

 買い物をすることはあおいの夢だった。

かんざしが欲しかったの。白鶴屋の近くの店、のきさきにも見本をかざってるでしょ? ちょっと、気に入ったのがあって……」

「別に買うなと言いたいんじゃない」

 調子に乗ってしまったと反省していると、連雀は首を振る。

「俺はこの後仕事があるからついていけない。だから、自分でしっかりと気をつけるんだ。仙貨というものは便利だが、同時にやつかいなものであることを絶対に忘れてはいけない」

 そのあまりに真剣なまなしに、あおいは少したじろいだ。

「厄介って?」

「ここは仙の住む仙界だが、お前が思うような夢の世界じゃないということだ」

「それってつまり、仙貨をったりするようなやからがいるって事?」

「似たようなものだ。仙気を練って作る以上はさいるようにはいかないが、おどして出させることは不可能じゃない」

「そんなこと、だれが」

 おんな話に、あおいは無意識にりよううでいていた。脅して仙貨をごうだつする?

 連雀は厳しくまゆを寄せた。

「いいか、じゆうせいは仙貨──つまりは仙気を集めるためにここで働いている。それは精から仙にしようかくするためだ。そのためにきばかくしている者も中にはいる。多いのが肉食の獣の精だ。あえて挙げるならきつねおおかみなどがそうだ」

「彼らが危険って事?」

「必ずではない。だが気をつけろ。いいか、獣精はせつしよう禁止、肉食禁止なんだ。魚を食べることも、小鳥を食べることもできない。獣精が仙を目指すためにそれは絶対で、その禁を破ればたんにただの獣にもどる。だからこそ肉食の獣精たちはよくを抑えてここで働いている。しかしそれも仙になるまでの話だ」

「仙になったらお肉を食べてもいいの? ……あぁそういえば、わたしもうなぎ食べたっけ」

 連雀はそうだと頷いた。

「肉食なのに肉を食えない獣精の多くはあせりやいらちをかかえていることが多い。早く仙に昇格しないと思う存分しよくができないからだ。時にそれは暴走する」

 そこまで言うと、連雀は不安そうにあおいの顔を覗き込んだ。理解できているか心配といった様子だ。

「なによ、ちゃんと聞いてるわ」

「──例えば、あと一〇文の仙貨で昇格のための仙気がまる狐がいるとする。そいつは小店を営んでいて、客はお前一人、しかもちょうど一〇文分の品を買った。…………どんな危険があるかわかるか?」

 なんだかためされている。そうわかったけれど、正直なところ連雀の例え話には大した危険を感じなかった。

 もちろん狐が肉食である事くらいは知っている。仙貨がちょうど溜まって仙になれば、肉食の禁が解かれることもわかった。狐はきっと目の前のものさつそく捕食しようとたくらむのだろう。

(でも狐なんて。小さいし、力も弱いし、ちょっとおどかせばすぐにげるおくびような動物じゃない。くまとか狼だったらこわいけど)

 むしろ狐は好きだ。みちばたでばったり見かけたらものすごくうれしい。

 思ったことが顔に出ていたのか、連雀はまなじりり上げてあおいのりようかたをがしっと?つかんだ。

「きゃ!」

「おまえは危険意識が低い! 仙気を自在にあやつれないということは、仙の雛どころか鳥の雛と同じだ。危機がせまっても戦うすべも逃げる術もない。だからこそ用心深くしないといけない! ──覚えておけ、獣の仙、特ににくしよくじゆうの仙は危険だ。ただの狐とはわけがちがうぞ。仙に昇格したとたんに、お前一人楽にまる?《の》みできるんだからな」

 あおいはぎょっとした。想像したのはきよだいようだ。

「ちょ、ちょっと、そんな危険なやつ、鳥界山に住まわせてていいの!? もしかしたらおそかってくるかもしれないやつに仙貨をはらうのって、じんこうだと思うんだけど!?」

 仙貨を払った途端にぱくり? じようだんではない。

 途端に青ざめたあおいに、連雀は少し躊躇ためらう様子を見せた後、意を決したように口を開く。

「俺も昔、目の前で仲間を失った。俺もあいつもまだ仙としては未熟なひなで、肉食獣の仙にあらがう術を持たなかった」

 そう語る連雀のひとみには、驚くほどさまざまな感情の色がれていた。いつものんだ眼差しではない。悲しみやこうかいのうあらしがそこにかび上がっていた。なにか胸に迫るような激しい感情にあおいは息を?んだ。

(連雀が、雛のとき……仲間を)

 以前吉備が言っていた、連雀の過去に関係した話だろうか。連雀は何か過去の出来事を引きずっている、だからよくへんのできないあおいをかごに入れておきたい……確かそんな話じゃなかっただろうか。

 くわしく知りたい。けれど、その話を切り上げるように連雀はかたから手をはなし、あおいの手を取って立ち上がった。数度のまばたきの間に複雑な瞳の色は消えている。

「誰かを使えきするということはそういうことだ。その危険の分、肉食獣はいい仕事をする。いいかあおい、仙貨はただ便利なものではない。地上界と同じ金銭の感覚でつかうと痛い目を見るぞ」

「…………はい」

 先ほどまでとは打って変わってあおいがしんみよううなずくと、連雀は満足げに頷いた。

「仙は不老不死だが死なないわけじゃない。人のように寿じゆみようや病、えや寒さ暑さで死なないだけにすぎない。重傷を負わされれば死ぬ。失血すれば死ぬ。食われればひとたまりもない」

「……はい」

 返事をすると、行っていいぞとばかりにぽんと背を押す。

あなどられるな。仙として未熟だと思われると足元をすくわれる。絶対に翼変できないことや仙貨を自在には出せないことを知られるな。──いいか、きようあくな獣精ほど仙をだまそうとするからな」

 気をつけるんだぞ、とさらに念押しのような声を背に聞きながら、あおいは足取り重くしきを出たのだった。





 連雀の忠告を聞いた後では、最近ではすっかりと慣れてきた鳥界山の大路もまた様子がちがって見える。

 大屋敷のへいが並び立つせんの住む区域。ここでは門番などを任されている強そうな獣精の姿が多い。今までは「二本足で歩く熊はあんがいあいきようがあってかわいい」などと考えていたけれど、今のあおいにはやそんなお気楽思考はいてこなかった。

(でも確か熊は雑食だし、動物を襲うよりも木の実のほうが好きだって死んだじいちゃんが言ってた気がするから……多分大丈夫)

 そう思いながらも、同時にたしか「死肉は好んで食べる。むしろ好物」とも言っていたことを思い出して、あおいはぎゅっと身を縮めて早足で歩いた。ちょこまかといつしよけんめい働く獣精が、怖い存在にもなるだなんて知らなかった。

(もしかして、前は外出を反対されてたのって、こういうことだったの?)

 鳥仙として未熟だったころに仲間を失って。同じことをり返さないようにあおいの身を案じて?

 あきれとみが混じった息がれた。

「だったら、閉じ込める前に言ってくれればいいのに。まあ、連雀らしいけど」

 最近自由を許してくれるようになったのは、鳥で言えば巣立ちの練習のようなものなのかもしれない。雛はだんだんと巣から離れてひとりで近くの枝を散策するようになる。危険をともなうけれど、それを乗りえなければ飛び立つことはできない。

 町屋街にたどり着けば、案外肉食のじゆうせいの姿は少ないようだった。さすがにわらわらといたら困るということだろうか。気を張って周囲をけいかいしながら歩いていたあおいは取りあえず小さくあんの息をついた。

だいじよう、そもそも堂々としてればいいのよ。わたしが仙としてナメられたりしなければいいし、ほかの仙から見えないような所に入らなければいいんだから」

 自分にそう言い聞かせて、まずは一つ目の目的の店へと向かった。

 白鶴屋の近く、『小間物』の看板がかかった店だ。店先に立てられた棒には大小たくさんのかんざしかざられている。あおいはそっと暖簾のれんをくぐった。店内に仙の客がいるか、そして店主はどんな獣精かを確かめる。

(よかった、これなら大丈夫)

 店主はねこだったので危険かそうでないかは判断しづらいところだけれど、かわりに鳥仙の客が四人。しかもからすの女仙たちなのだろうか、れたような黒いかみと瞳をもった彼女たちはみな堂々としていてはくりよくがある。彼女たちがいれば安心だろうという気持ちになった。

 店内を見回せば、簪のほかにも紅や白粉おしろいくしや体を洗うための可愛かわいぬかぶくろなどまで並んでいる。

(わあ、いいなあ!)

 おどおどとしていたあおいの気分は一気にはなやいだ。人生で初めて、こんなにもむすめらしい店に買い物に来た。浮かれる気持ちをおさえることができなかった。

 金や銀の花簪、さんすいを用いた高価なものから、みがいたつげやうるしった細工物、しんちゆうにかわいらしい蜻蛉とんぼだまのぶら下がった安価なもの、びいどろでできためずらしいものまで品数とそろえはばつぐんだ。

 簪の一つ一つを手にとって髪に当ててみる。品だなのちょうどいい位置に備え付けられた鬢鏡てかがみでそれを見て、右を向いたり左を向いたり似合うかどうかを夢中で確かめた。

(歩くたびにゆらゆら飾りが揺れるのがいいな。せっかくなんだから、ちょっといいやつ。これとか、これとか、こっちは大人すぎるし、こっちは派手かな。夏だからびいどろのもいいかも。氷みたいですずしげだし……)

 結局あおいは鴉の仙たちが帰り、入れわりにつばめらしき女仙が入店してきたころになってようやく一本の簪を選び終えたのだった。それはしゆりの棒にしやくやくの花がついた簪で、花飾りの下に揺れる小さなつぼみが連なっているところがとても気に入った。価格としても安く、一〇〇文の品だ。

 奮発しようと決意してやってきたあおいだったのだが、結局みついたびんぼうしようはそう簡単にはけないらしい。この一〇〇文だって結構な決意が必要だったくらいだ。一〇〇文あれば、祭りで売られるがんの簪が五十本も買える。それを思うとありったけの勇気を出して一〇〇文があおいの払える最高値だった。

(あれ、だけど一〇〇文の品に四〇〇文弱の価値のべつこうで払うのっておかしいかな? 仙貨が自在に出せないんだってばれちゃう? 連雀にりようがえしてもらえばよかった?)

 このままではおりが多くなってしまう。手から自在に仙貨を出せる仙の暮らしには、重さで価値が決まる豆板銀などの便利な銀貨もないのだ。

 少し迷ったあおいは、じつは入店からずっと気になりつつも無視をしていた品物に目を向けた。紅と白粉だ。ぶつよくふたをしなければ限りがない。けれど今日だけ。今日だけ夢をかなえてみようと手をばす。美しいとはとてもいえない地味な自分でも、しようをしたら少しでもきれいに見えるだろうか。

(連雀も、めてくれるかな?)

 化粧をして、簪をして。そうしたら瑠璃姫ほどではないにしても、少しはきれい、かわいいと思ってくれるのだろうか。そう思うと、かすかに?ほおが熱くなった。

 あおいはつくろったいくつかの化粧道具とあわせて?《しゆう》のきんちやくも二つ手に取った。これであわせて二〇〇文。

 店主にはらいの声をかけ、鼈甲の仙貨をさしだす。

 三毛猫の店主はやはりみような顔をした。

はらい額をちがえてらっしゃる。全部でちょうど二〇〇文でございます」

「いいの。その巾着、二つともとっても気に入ったから今すぐに使いたいの。簪と化粧道具をその大きいほうの巾着に、釣り銭を小さいほうの巾着に入れてちょうだい。なの?」

 あおいがめんどうくさそうに言うと、三毛猫はいかにも変な客だという顔をしながらも指示通りにしてくれた。

「ありがと。ほら巾着にぜになんて、なんだか地上界みたいでしんせんじゃない?」

「そ……うでございますね。またご贔屓ひいきにどうぞ」

 あおいは大きい巾着を手にげ、ずっしりと重い仙貨のまった巾着をそでの下にいれてようやく店を出た。

 大路にでて、あおいはほっと息をつく。

「買い物は楽しいしうれしいけど、いちいちこんなにどきどきするのはつかれちゃう」

 のんびりといろんな店をのぞいて回りたかったけれど、あおいはあきらめて吉備の店へと向かうことにした。はじめて仙貨が出せたことを報告したかったのだ。それにやさしい吉備ならきっとあおいの買った簪をほめてくれそうな気がした。

 けれど、裏木戸にある吉備の店に行ってみればいつものごとく暖簾は下げられ、吉備もまた留守だった。残念に思いながらあおいは最後の目的の店へと向かう。

 ひるを知らせるかねひびく。焼け付くような夏の日差しが真上から降っていた。

 少しでもかげに入ろうと店ののきしたをつたいながら歩く中、てんびんぼうかついだ行商の獣精たちが客引きの声を上げながら大路の真ん中を行き来している。毛むくじゃらできっとあおいなんかよりもずっと暑いだろうに、それでもがんって商売にはげむ獣精たちは、やはりけなで可愛いような気がしてしまう。

(彼らだって、多くは懸命に働いてせんをためてるのよね。一部の凶悪な獣精におびえて彼らをいろ眼鏡めがねで見るのっていけないかも)

 あおいはふとそんなことを思った。

 暑い中行商をしたり、仙を乗せて重い駕籠かごを担いだり、屋敷に仕えて家事をしたり、仙の身の回りの世話をしたり。そういった獣精たちの姿はむしろ、日々あくせくと働いていたしよみんの姿によく似ている。

 少し前まで下働きをしていたあおいは、ふと自分の手のひらを見つめた。そこにはまだかた肉刺まめが残っている。だれよりも朝早く起き、少ない賃金でよるおそくまで仕事をした。住み込みだったあおいはていても呼びつけられることなどざらで、そして毎日おなかをすかせて働いていた。

(仙は、お金持ちのやとい主に似てる。獣精はわたしのような庶民。庶民がお金持ちのさいったり、ごうとうに入ったりなんて、江戸でだっていくらでもあった)

 犯罪を許す気持ちはないけれど、江戸でつうだったことならここでだって普通でもいいのではないか、そんな気がした。

 もちろんがいにはあいたくないし、食われたくもない。だけど、江戸で気にせず普通に生活できていたのだから、ここでだって特にとりたてておそれるようなことではないのだ。仙貨を使うときに、警戒をおこたらなければいい。

 そう思うと、あおいの気持ちはき物が落ちたようにすっきりとした。

 普通でいいのにおどおどしていたさっきまでの自分が鹿みたいだ。

 あおいはだるような暑気の中、それでも軽くなった足取りで歩く。向かった先は、『じよう』の看板が上がる店。連雀が贔屓にしている金つば屋だ。

「いらっしゃい。あら、今日は連雀様はごいつしよでないのね」

 暖簾をくぐると、赤茶の髪をい上げたきれいな女店主がむかえてくれた。彼女は一見普通のがらな女性に見えるのだが、さるの獣精なのだと連雀が言っていた。仙貨がまり、仙に近づくほど人型に似た姿を取れるらしい。特に猿はもともと人と似ているから容易なのだという。

 しかしそれも本人の意志だいなのだそうで、見た目で仙貨の溜まりぐあいを判断してはいけない。

「連雀はお仕事。今日はわたし一人で買い物なの。連雀にはお土産みやげを持って帰ろうと思って。金つば二個くださいな」

「ご贔屓にどうも。外は暑かったでしょう、今包みますから冷たいお茶でものんで涼んでから行ってくださいね」

 がおで冷えた茶を入れてくれる彼女の手のこうには、猿を思わせる赤毛がふさふさと生えていた。けものを思わせるのはそれと?の赤さくらいだが、?は?ほおべにに見えないこともない。

 金つばをていねいに包む店主の背に当たりさわりのない話をしながら、あおいはそっと帳場台のうえに金額分の仙貨を置いた。これなら巾着から出したことは気付かれない。

 金つばの包みを受け取り、あおいは帰路についた。



 しきまでの長いのぼり調子の道。午を迎えて夏の日差しはれつさを増していた。

 それでもあおいの足取りはどこか軽い。巾着の重みが嬉しかったし、かかえた焼きたて金つばの包みはほのかに温かく、まるでその温度が胸の中までしみこんだようだった。

 生ぬるい風が着物のすそをかすかにらす。背にはじんわりとあせいていたけれど、不快には思わなかった。

(わたし、すごく気分がいい)

 自分でも自覚できるほどにはずんだ気分だった。

 ずっと練習してきた神楽かぐらまいなつとくの行く良い舞ができた。しかもその直後に仙貨まで出せたのだ。たった一枚だけだけれど、まだ自在に出し入れできるようになったわけじゃないけれど、それでもやはり嬉しかった。

 自分が仙であるということが、自分にも連雀にも確固として証明できたような気がする。

(初めて出せた仙貨で、初めて自分で買い物ができたわ。ほうこうの初給金より、ずっとずっと嬉しい)

 ついつい歩きながら口元がほころぶ。奉公の初給金はあおいが受け取ってすぐに母が取りに来た。あおいは自分のための団子一つ買うこともできなかったのだ。

(お母さん、今どうしてるかな。連雀がいっぱいゆいのうきんを入れてくれたから、きっと苦労はしてないんだろうけど)

 地上界の母に会いたいという気持ちは今でもある。けれど帰りたいという気持ちがずっとずっとうすれたのは、きっとあおいがここに自分の居場所を見つけ始めたからだ。

 その居場所を確固なものにするための第一歩がやはり仙貨を出すことで、それが一時的にでもできたことが嬉しい。

 あおいはほくほくとした顔で、大路の先に見えてきた屋敷の門へと視線を向けた。

「──あら?」

 もんが開かれ、中から数人の仙が出てくるところだった。だれだろう、とあおいは目をらしてみたが見たことのない仙たちだ。

 彼らはそのまま門の近くでたむろし、あおいが門前にとうちやくするとそれを待っていたかのように声をけてきた。

「ねえ、きみ。ここの屋敷にそうろうしてる新参の仙だろう?」

「はい。そうですが」

 人数は四人、そのうち一人は女仙だった。声をかけてきたのは茶まだらのちようはつをもつ男。あざやかな金色のひとみがどこか恐ろしげで、あおいは思わず半歩を下がった。

不如帰ほととぎす仙のむすめだとかいうのって、本当?」

「……はい」

 ?うそをつく必要性を感じなかったあおいはしんに思いながらもうなずいた。確かこの事はなるべく知られないようにと連雀がせている情報のはずだった。

 不安を感じて彼ら一人一人を見回した。瞳の色は男仙は金、女仙の一人だけが大きな黒目だった。かみいろはそれぞれ色味が異なるものの似たような茶系のまだらで、みなふんがよく似ていることに気付く。近種の鳥仙なのだろうか。

「ねえ、つばさを見せてよ」

 一人がどこか険のある目でそう言った。仲間たちもそれに同調してあおいを囲む。

「俺も見たい。見せて、早く」

「鳥仙として初めての二世なんでしょう? いったいどんなすばらしい翼を持っているのか、ぜひ知りたいわ。さぞ見たこともないほどの美しい翼なんでしょうねぇ」

「出ししみなんかしてないで、ほら、はやく見せてくれよ」

 あおいはきんちやくと金つばの包みをぎゅっとき寄せた。彼らのほうもうはだんだんとあおいを中心にせばまってくる。

 もはやこんわくというよりもきように近かった。彼らの意図はわからないけれど、悪意を持ってからんできていることだけはわかる。

「おいおい、早くって言ってんだろ」

「生まれついての仙だからって、いい気になってんじゃないわよ」

 次第に彼らの表情からは、無理やりに浮かべていたような笑みすら消えた。

「……俺らのこと馬鹿にしてんのか?」

「お高くとまりやがって」

「……ちょ、ちょっと、やめてくださいっ」

 はくりよくのある金色の目がせまる。その目がもうきんるいのものであるとあおいはようやくさとった。背筋に本能的な恐怖が走る。

 助けを求めようと屋敷の門を守るじゆうせいを見たけれど、連雀ていの門番は少し大きいだけのたぬきだ。彼らもおどおどと右往左往しているばかりで、手に持った棒を猛禽の仙たちに向ける気配は無い。

 どん、とかたを強く押された。

 よろめいて後ろにたおれるあおいを受け止めた一人が、「重いんだよ、せんが!」とき捨てる。誰かが今度は前へとき飛ばした。さらにそこにいた女仙にえり?つかまれ、あおいはちりくずのように地面へとたたきつけられた。

 荷物を抱えていたあおいは受け身をとれずに?ほおから地面にげきとつし、弾んだひように耳と頭部もしたたかに打ちつけた。

「…………い、た……っ」

 なんとか手をついて上体を起こす。

 手を?に当ててみれば、こびりついた砂のかんしよくとともに、そこが血でぬれていることがわかる。痛みと混乱、恐怖といかりが頭の中でないまぜになったまま見上げれば、彼らの口元にはちようしようが、そして目には怒りのようなものがあふれていた。

「偽仙、ただびとがっ」

 再び一人がそう吐き捨てる。

 あおいがげんまゆをひそめると、猛禽の女仙がいまいましげに顔をゆがめた。

「あんた、確かに仙気はあるわ。けれど、それがなに? 駕籠かご屋の兄弟に聞いたわよ。よくへんもできないんですって? 鳥仙があかしである翼も出せなくて、何が仙なの!? そんなのおかしいじゃない。なにが二世の純血仙よ。仙気をあやつれないなら只人と何の変わりもないじゃないっ!!」

 彼らはにくしみのこもった視線であおいを見下ろす。

「只人と変わらぬものが、どうして神楽をう資格がある」

「津久見もお前も、どうして資格のないものが毎回選ばれるんだ!!」

「夏の神楽舞にはふくろう仙であるふくこそがふさわしい!」

「ねえ、お前」

 女仙がかがみこみ、紅が鮮やかな口のはじり上げてあおいに顔をよせた。

「舞子に選ばれるために、連雀をろうらくしたんだろう」

 あおいは絶句した。

 この女はいったい何を言っているのだろう。

「あのひとがこんな地味なむすめに食指を動かされるなんて、まさか思わなかったけど。それとも何かい、地上界のゆうかくで男を夢中にさせるぼうちゆう術でも学んできたのかい?」

「なにを……っ」

「青鵬の君には何をおくった? 鳥仙同士に子をさずかる方法をずっと探していたからね、やっぱりそれかい?」

 おそらくは、彼女が仲間の言う梟仙の福乃なのだ。神楽の舞子に選ばれなかったことを、しかも選ばれたのが仙気も操れない未熟なあおいだと知っておこっているのだ。けれど!

「連雀を、鹿にしないで」

 あおいはキッと福乃を見つめ返した。

「わたしはたしかに未熟で、仙気を自在にできるわけじゃないけど、だけどそれと連雀は関係がないわ! 連雀は何も悪くない! 彼のことを悪く言うのは許さないっ」

「口ごたえするんじゃないよっ!」

 福乃はぎしりが聞こえそうなほどの表情で地面の砂を?み、それをあおいの傷ついた?になぐるように押し付けた。

 痛みは感じなかった。

 痛覚をさせるほどの怒りがはらの底からこみ上げる。

「連雀のこと、謝って!」

だまれ小娘!」

 福乃がうでり上げた。

 あおいはどうだにしなかった。

 けたくない。悲鳴の一つどころか、まばたきの一つも見せたくない!

 歯を食いしばってあおいは女仙の目をにらみ続けた。

 しかし、

「──やめろ」

 割って入った声。福乃の目だけを見ていたあおいは、それでようやく彼女の手がだれかに?まれていることに気がついた。

「……連雀」

 地面に近い位置にいるあおいに、立った長身の連雀の顔はひどく遠い。それでもわかるほどに、彼の今の目つきはさいきように険しかった。

「連雀、私は!」

「だまれ、福乃。神聖なる鳥界山で何のさわぎだ。それでも神に仕える仙たる身か」

「だけど、この娘は……」

「談判ならいくらでも聞く。だがその前に、みそいでこい。けがれある心を洗い清めてからまた来るんだな」

「………………」

 連雀が?んでいた腕をはなすと、福乃はそのまましおれるように肩を落としておもてせた。ばつの悪そうな表情。仲間たちが不満もあらわな顔で彼女のわきを支えて立たせ、去ろうとする。

 一度だけ、福乃は振り返った。

(……あ)

 それはにくにくしげにあおいを睨む目ではなく、連雀に向けた切ないばかりの表情だった。

 それを見て、あおいはわかった気がした。彼女はきっと、連雀にひそかなおもいを寄せていたのだ。だからこそ、とつぜんいて出たあおいが連雀のしきに住まい、そればかりか未熟者の分際で神楽かぐらまいに選ばれたことが許せなかったのだろう。

だいじようだったか、あおい」

 連雀の温かい指が、ためらいがちにあおいの?にれた。傷にこびりついた砂をそっとはらうその指が、その表情があまりにやさしくて。その優しさがうれしいと同時に申し訳なくて、あおいは彼の手をやんわりとこばんだ。

「大丈夫だから。ちょっと、転んだだけ。それよりも、着物よごしちゃってごめんね」

「着物より、お前のほうが心配だ」

「ううん。わたしはがんじようにできてるから。でも着物は連雀に買ってもらったものだし」

 自分が半人前で未熟で、仙貨すらも自在に出せないから。

 だから連雀はかわりに仙貨を払い、かわりにろうされなければならない。

「馬鹿をいうな。立てるか?」

 手を差しのべてくれたけれど、それをとることはできなかった。あおいはよろよろと自力で起き上がり、かかえていた荷物に視線を落とした。きんちやくを開いてみればかんざしは折れ、白粉おしろいの入れ物は割れて中身も粉々に散っていた。そして、

「……つぶれちゃった」

 焼きたてのほかほかだった金つばは無残につぶれ、包みが破れて一部は砂にもまみれていた。


「…………ぅ」

 こらえきれなかった。

 体中からきあがった感情が目から溢れるかのように、なみだがつぎからつぎへと溢れ出てとまらない。意地でもえつをこらえると、かわりにかたがしゃくりあげるようにゆれた。

「あおい」

 づかう連雀の声。その優しさがつらくてあおいは顔をおおう。

 悲しくて、辛くて、くやしくて、なにより仙らしくない自分が情けなくて、それがいきどおろしくてなくて。

「痛いのか、あおい? りようするから、早く中に入れ」

 あおいは首をふった。世話になりたくない。何もできない自分が連雀に何から何まで世話になるなんて、やっぱりおかしいのだ。

 優しく背を押しても動こうとしないあおいに、連雀がこんわくしているのがわかる。

 それでも屋敷に入る気にはなれなかった。中に入ればきっとじゆうせいたちが傷の手当てをし、えを用意しかし温かな茶をれてくれるのだろう。だが彼らに仕事の対価として仙貨をはらっているのはやはり連雀なのだ。あおい自身が仙貨さえ出せれば、あおいは自分で住まいを用意し獣精をやとうことだってできるはずなのに。

「どうしたんだ、あおい」

 困り果てた様子の連雀。あおいはがんく首をふった。涙が止まらない。あふれる感情がとまらない。あおいはただ泣きじゃくった。

 あきれ果てた連雀があおいをおいて屋敷に帰ってくれたらいいのに。そうしたら、あおいはきっと泣きんで、がむしゃらに鳥界山を下って江戸に帰るのに。

 そう思っていると、ふと肩に温かいかんしよくがした。もう一つ、後頭部にも温かな……手の感触。おどろくあおいがいつしゆん顔を上げると、今度は温かい着物の感触が額に、そして?ほおに触れた。

「泣くな、あおい。もう泣くな」

「…………ごめ、ん、なさ……」

「なにを謝るんだ。俺が悪かった。あいつらとはちわせさせて悪かった」

「ちがっ、わたしがっ! わたしが不甲斐なくて!」

「歌を、教えてやる」

 あおいは泣きはらした目を上げた。見上げた連雀は少し困ったようなみをかべていた。

「俺がお前に神事で歌う歌を教えてやる。だから、泣くな」

「でも」

 そででごしごしと涙をぬぐう。きっといま自分がひどい顔をしているのだという自覚があった。ずかしくて再び顔をうつむかせる。

「でも……連雀、おんなんでしょう? だから、教えたくなくて……」

「だっ、だれが音痴だ、誰がっ。ちようせんの男は人前で歌を歌わないのがつうなんだ。──だが、教えてやる。かんぺきなまでにたたき込んでやる。そしてあおい、誰も文句の言えない歌と舞をあいつらにろうしてやれ」

 一瞬止まった涙が、再び溢れてくる。

「わたし、いても……いいの?」

「どこに行く気だった。鳥界山はおまえの世界だ」

「だって、わたし、何にもできない、し」

「おまえはまだ、からから生まれたばかりのひなだ。雛鳥がすぐに飛び立てるはずがないだろう。大器晩成ともいう。ああいうやつらには、うつわがでかいから羽ばたくまでに時間がかかると言ってやれ」

「ちいさかったら?」

「仙の寿じゆみようは永久だ。いくらでも大きく育てる時間はある。さあ、中に入れ。俺のとっておきの秘密のあんもちを出してやる」

 うながされて、ようやくあおいは門へと足を向けた。









続きは本編でお楽しみください。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ようこそ仙界! なりたて舞姫と恋神楽/小野はるか 角川ビーンズ文庫 @beans

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ