三幕_2


 季節はすっかり夏をむかえた。着物はすずしいに、足はあしよそおい。しきの庭や裏のしやめんの木々からは、ふうりんの音すらかき消しそうな?せみの大合唱がひびいている。

 神楽まいの練習は夜明け前のまだ涼しいうちから始まり、ひるを前にひとまず終わった。以前連雀が言っていた通り、暑気が増してからはすっかり練習時間は減っていた。あのままだったら死んでいたところだ。

「出かけるぞ」

 えんがわで朝顔をながめながらうりをかじっていると、突然連雀がおとずれた。あおいは何事だろうと首をかしげる。

「出かけるって、お散歩?」

「午後は暑い。夕方は神楽の練習だ。買い物に行くなら今のほうがいい」

「買い物?」

 あおいは目を丸くした。散歩は奨励されたけれど本当にただ道を歩くだけで、たなのぞいたりだとか少しだれかと会話をするような事も連雀はさせてくれない。それが、買い物だという。

「何を買うの? わたしもついて行っていいの?」

「当たり前だ。お前のしようを仕立てに行くんだからな。さっさとたくをしろ」

「わたしの衣装?」

 ちゃっかり瓜をたいらげてからあおいは立ち上がった。支度をしろといわれても、整えるような身なり品は一つも持っていない。二人はすぐにろうを歩きはじめた。

「神事で着る千早だ。はくつる屋は訪問売りをしないから、めんどうだが直接行くしかない」

「訪問売りをしないって、えち屋さんみたいな感じのおおだなってこと?」

 あおいはおどろいて一瞬足を止めた。

 しよみんの多くは一生を古着で過ごす。ふく問屋で着物を買えるのはゆうふく層だけだ。

 ここに来てからは呉服問屋の訪問売りを受けていたけれど、それをしないということはさらに大きな店ということだ。きんちようと期待に?ほおが染まる。

(まさか大店に出入りできるなんて……なんだか心臓がどきどきする!)

 ふわりふわりとした足取りで、あおいは連雀のあとをついて屋敷を出た。



「よう、連雀。久しぶりだな」

 白鶴屋へと向かうちゆう、時折り見知らぬ鳥仙たちが連雀に話しかけてきた。

 散歩中にもよくあることで、決まって彼らはあおいをしようかいするように言うのだが、連雀は「今度な」とすげない答えを返して別れてしまう。今日もその例にもれず、あいの「あ」の字もなく別れてしまった。

「あなたに友好性が欠けてるのか、それともわたしを紹介することに不都合があるのか、よくわからないわ」

 誰も彼もにこんな態度なのだろうか。吉備以外に友達がいるのか勝手に心配になってしまう。連雀は全く悪びれのない顔だ。

「今度と言ったら今度だ。──ついたぞ」

 連雀が足を止めたのは、鳥界山のおもてだなで最も間口の広い呉服問屋だった。『呉服物品々』の大看板とともに白鶴のもんかかげられている。

「……すごい」

 げ戸の暖簾のれんをくぐると、奥へ横へと続く広い上がりがまち。その上にこしをかけた多くのせんたちが、白いねずみじゆうせいたちに食事やの接待を受けながらたんものの説明を聞いていた。てんじようからは売り物なのか見本なのか、仕立ての済んだ着物がずらりとり下げられている。

 商品が収められたたな?たんの数もはんではない。更に奥には蔵もあるのだろうから、取りあつかっている品数は相当なものと思えた。

 あおいがその規模と活気にあつとうされていると、毛並みのきれいな白鼠がまえけをこすりながら声をかけてきた。

「へい、いらせられませ。連雀様と、お連れのおじようさま。今日はどのような」

「千早だ。奥に上がらせてもらう」

「千早でございますか。では、ご案内をわたくしが」

 白鼠はひげをそよそよと動かしながら先をうながした。あおいたちはき物をいでたたみきの框に上がり、さらに番頭さんの座る帳場をけて奥へと進む。

 通されたのは八じようほどの広間だった。開け放たれた障子からは中庭の小さな池が見える。

 あおいたちを案内した白鼠はすぐに茶と菓子ののったしきを運んできた。

「では、ごゆるりと。白鶴様を呼んでまいります」

 そう頭を下げて、白鼠は下がっていった。

「白鶴様って、白鶴屋のだんさま?」

「ああ、この店は鶴仙のものだ。とはいっても仙貨を集めているわけじゃない。神事の衣装を仕立てるのが白鶴にあたえられた仕事なんだ。だん着るようなものまで扱っているのはまあ、道楽のようなもんだな」

 そういえば、とあおいはおくを思い起こす。神楽かぐら舞をやれと言われた時も、「お前にはすでに任された仕事がある」とか言ってなかっただろうか。あの時は連雀の態度にすっかりむきになっていて深く考えなかったけれど、仙にお仕事をさいはいするような人物がいるということだろうか。

「ねえ、仙ってみんな仕事を誰かから与えられているの? あまり働いているようには見えないんだけど。例えば、あなたとか」

 ぶっ、と連雀は口をつけていた茶をき出した。あわてて畳を手ぬぐいできながら、じろりとあおいをにらむ顔はわずかに赤い。

「ば、ばかをいうな! 毎日仕事してるだろうが!」

「もしかして、神楽舞を教えるのが連雀の仕事?」

「ちがう。俺の仕事は神事の準備を調ととのえることだ。ばんとどこおりの無いように手配を済ませておく。そのうちの一つがお前に神楽舞を仕込むことだ。──本来は津久見がやるべきなんだが、彼女はまだ誰かに教えられるほどのうでがないからな」

「それってつまり、連雀のほうが津久見さんよりも上手うまいって事?」

「年に四度の神楽舞は仙の教養だから、誰でもある程度は身につけているものだ。俺の場合、そばで見ていた年月が長いからその分けているんだろう」

 年月が長い、という言葉がふとあおいは気になった。仙は不老不死だという。この目の前にいる見た目が青年姿の仙は、いったいどれほどの月日をもって『長い』といっているのだろう。

(聞いたら失礼? 女性じゃないからいいかな? でも、千年とか言われちゃったら、なんか化け物感が出てきていやかも……)

 あおいがみような顔つきでなやんでいる間に、廊下から「失礼」と声がかかった。

 すっとふすまがひかれ、三つ指をついた女性が現れる。い上げたかみあざやかないろつやのある美人だ。白鶴と呼ばれていたけれどおそらくたんちようづるなのだろう。

「いらっしゃいませ。連雀、今日は千早の仕立てとうかがったのだけれど、津久見は引退なさるのかしら?」

 連雀がうなずくと、白鶴は「では」とあおいへと視線を移す。髪と同じ丹色のくちびるが白いはだに鮮やかで、あおいはつい見とれてしまった。

「こちらのむすめさんが舞子となる仙でよろしいのかしら? 近ごろ吉備がひなを連れて歩いているとは聞いていたけれど。──はじめまして、わたくしは鶴仙。白鶴と呼んで下さいな」

 雛と呼ばれたことにまどいながら、あおいも指をついて頭を下げる。

「はじめまして」

「この雛の名はあおいという。不如帰ほととぎす仙とかつこう仙の間に生まれた雛だ」

 連雀が紹介すると白鶴は驚きと、次いできようしんしんの表情をかべた。

「この娘さんが、うわさの……見つかったとは初耳ですわ」

「後は何も聞かないでほしい。どうせ神楽舞の集合練習になれば多くの仙が知ることにはなるんだが、今は静かに舞の練習に打ち込みたい。なによりあおいはまだ飛ぶこともできないんだ。さわぎになるのはなるべくおそいほうがいい」

 飛べないと聞くと白鶴はさらに目を見開いてあおいを見つめる。そんなに驚くような事なのかとあおいも逆に驚いた。飛べないと何か困ったりするのだろうか?

 白鶴は何かを胸にしまうようなしんみようさで「承知いたしました」と答えた。

「千早はお前の裁量でいい具合に仕立ててやってくれ」

 連雀が言うと、一転して今度はぱっと表情を明るくさせる。

「まあ! ではさつそく

「あの、よろしくお願いします」

 あおいはもう一度頭を下げた。白鶴はまるで我が子の晴れ着を仕立てるかのようにはずんだ表情だ。

「さあお立ち下さいな。あぁ、千早の新調だなんてしばらくぶりですこと。しかも噂の仙の千早だなんて、腕が鳴りますわ」

 白鶴がせんしゆを打つと、それを合図に白鼠たちが一列になってやってきた。みな手に掲げているのは反物をせたぼんだ。

 こうたくある素材は一目で上等とわかる絹。先頭の鼠が掲げた純白からだいに色味を増して行って、あわももに紅に黄にみどりにとほうもない色数。さらには金糸や銀糸が織り込まれたものまである。

(すごい!)

 そのかがやきに思わずかんたんの息がれた。圧倒されるままに、さらに鮮やかな糸の数々、そして輝かしい金銀のかんむりまでもが二畳半めいっぱいに積み上げられた。

「あなたの母の時の千早はつばさにあわせてほしいという要望で、正直地味でしたのよ。津久見はりに茶金の?《しゆう》が要望で……。でも岩戸神楽は本来にぎやかで派手なまいでしょう? わたくしとしては、もっと女性らしくて明るいのが一番だと常々思っていましたのよ。いかがかしら?」

「ええと……」

 目がくらまんばかりの輝きに何も言葉が出てこない。困って連雀を見れば、いつの間にか菓子の折敷をかかえながら庭をながめてくつろいでいた。

「白鶴に任せたらいい。彼女は玄人くろうとだからまちがいない」

 連雀の言葉に白鶴は心底うれしそうに手を打った。





 腹が減ったか、と聞かれてあおいがなおに頷いたのは、白鶴屋を出てすぐのことだ。

 かつては一日二食だったことが?うそのように、いまではきっかりひるには腹の虫が鳴る。ぜいたくに染まってしまったのだとあおいはつくづく思った。

「それにしても、つかれたぁ」

「お前は何もしてないだろう。動いていたのは白鶴だ」

 あおいが店に置かれていた団扇うちわをさっそく手にとってあおぎだすと、連雀はあきれたようにあおいを見た。二人は近くのかばき屋で少しおそめの昼飯を頂くことにしたのだ。

「確かにほとんど立っていただけだけど、それがあんがいつかれるんだから。慣れてないっていうのもあるんでしょうけど、かたの上につぎつぎにをのせられて、ああでもないこうでもない、そこに更に糸をのせて、この生地ならこの糸、こっちの生地ならこの糸で、頭に載せるのはこれかこれかこれかこれ! ……わけわからないし、重いし、暑いし」

「だがいいのができそうだろう」

 運ばれてきたうなぎぜんを受けとりながら連雀がそういうのを、あおいは少し意外な思いで聞いた。

「いいのがって、ちゃんと見てたの?」

「当たり前だ。何のために俺も同席していたと思ってる」

「だって、おばかり食べてたし、庭をひまそうに見てたし」

「初めはな。ある程度決まってからでないと見ても仕方がないだろう。淡い朱鷺ときいろに銀糸と金糸の刺?。あたまかざりは銀にわずかな金粉のまえてんかんい髪の形も悪くない」

「あ、ありがとう」

 さんしようを打ち出しながら、あおいは照れて小さくうつむいた。

 服を仕立てる楽しみというのはよくわからなかったけれど、異性にしようめてもらうのはやはり嬉しいものだ。しかも千早選びに無関心かと思っていた連雀がきちんと見ていてくれて、そして褒めてくれたことがなおのこと嬉しかった。

「……おいしいね」

 あまからいタレでこうばしく焼かれた蒲焼きは最高においしい。気分がいいせいか、食事の幸せがいっそう増しているような気さえする。

「そうだな。たまには外食も悪くない」

 膳をはさんで向かい合う連雀も、きつい印象のする目元をなごませて頷く。

 なぜだかこんなひと時がすごく楽しくて幸せだと思う自分がいることに気がついて、あおいは内心かすかに戸惑いを覚えた。

(な、なんだろう、この感じ……。吉備さんとだって、お茶してるし、連雀よりもずっと会話も多いし、がおだし。それなのに、なんだろう……)

「ん、どうした?」

「べつに、すごく、おいしいなぁって」

 ふいに、連雀にがつがつ食べているところを見られているのがずかしい気がしてきて、あおいは体の向きをさりげなさをよそおってずらした。しんな様子をみせるあおいを、連雀は更にいぶかるようにじっと見つめてくる。

「なんでもないの、ほんとに」

「そうか? 金つばでも買ってから帰ろうかと思ったんだが、具合が悪いようなら駕籠かごを拾ってまっすぐ帰るか」

「それは、具合なんて悪くないから!」

 声を上げてから、あおいはしまったと思った。これではまるで、金つば食べたさに食い意地を張っているように聞こえてしまうではないか。

(──だけど、駕籠でまっすぐ帰るのは……なんだかイヤ)

 それはいやというよりも、もったいない、というような感覚だった。

 駕籠は一人乗りだ。しかも鳥界山には町駕籠のような、乗り手が丸見えの駕籠が存在しない。その辺で拾って乗るような駕籠でさえ、どれも箱状になった高級な駕籠しかない。それで帰るということは、しきに着くまで顔すらあわせないということだ。

 それはなんだか味気なくて、さびしい。

 二人で並んで、おもてだななんかをのぞきながらのんびり歩いて帰ったほうがいい。──そんな気がした。

「そんなに金つばが好きなら、ポ太郎に届けさせてもいいぞ?」

「そ、そうじゃなくて。別に食い意地張ってるわけじゃないの。本当に具合なんて悪くないし、それにほら、金つばが食べたいのは連雀のほうでしょ?」

 白鶴の店で菓子を口に運ぶ連雀はどこか幸せそうで、きつい見た目とは裏腹に、あんがい甘党なのかもしれないという印象をいだいていた。そういえば、以前吉備もそのようなことを言っていた気がする。

「よくわかったな」

「やっぱりそうなんだ。わたしも好き、甘いもの。金つばなんてじようは口にしたことないけど」

「じゃあ、きるほど食べたらいい。あれはこの世で最高の菓子だ」

 連雀は金つばがよほどの好物なのか、心の底から嬉しそうな笑みをかべる。あおいの視線は思わず彼の笑顔にくぎけになった。

(…………それ、反則だわ)

 目つきの悪い連雀は、笑うと険しさがうすれてがらりと印象が変わる。そしてその笑顔がどうしようもなくあおいの視線を引き寄せて放さない。

 胸のどうが速くなる。

 なんだか苦しくて、それをさとられないように無理に笑顔を作った。

「……じゃあ、えんりよなく。仙貨が出せるようになったら、必ず恩は返すから」

「こういうときは男が出すものと決まっている。返されたら面子めんつがつぶれるからやめてくれ」

「そうなの? せんかいも地上界と変わらないのね」

 店を出るとき、あおいはさりげなく胸を押さえた。

(…………なに、これ……)

 熱く、苦しく、高鳴る鼓動。熱とともに何かむずむずとしたしようどうきあがる。

 ──これは、この感情は。

(まさか、わたし……わたし連雀のこと……)

 好き、なの?

 まさか、と否定しようとしながらそれができない。このひとの笑顔を見ると、自分でも不思議なくらい嬉しくて胸が高鳴る。

 どんなに目つきが悪くても。玉の輿こしだとだまして連れてきた張本人だとしても。あおいを空から三度も落とした相手だとしても。

 いつしよに歩きたい、そう思うこの気持ちはどう考えたってこいだ。

 自覚したら、?ほおがかあっと熱くなった。

 そんな顔を見られたくなくて、あおいは連雀の一歩後ろを俯きがちに歩いた。


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