三幕_2
季節はすっかり夏を
神楽
「出かけるぞ」
「出かけるって、お散歩?」
「午後は暑い。夕方は神楽の練習だ。買い物に行くなら今のほうがいい」
「買い物?」
あおいは目を丸くした。散歩は奨励されたけれど本当にただ道を歩くだけで、
「何を買うの? わたしもついて行っていいの?」
「当たり前だ。お前の
「わたしの衣装?」
ちゃっかり瓜をたいらげてからあおいは立ち上がった。支度をしろといわれても、整えるような身なり品は一つも持っていない。二人はすぐに
「神事で着る千早だ。
「訪問売りをしないって、
あおいは
ここに来てからは呉服問屋の訪問売りを受けていたけれど、それをしないということはさらに大きな店ということだ。
(まさか大店に出入りできるなんて……なんだか心臓がどきどきする!)
ふわりふわりとした足取りで、あおいは連雀のあとをついて屋敷を出た。
「よう、連雀。久しぶりだな」
白鶴屋へと向かう
散歩中にもよくあることで、決まって彼らはあおいを
「あなたに友好性が欠けてるのか、それともわたしを紹介することに不都合があるのか、よくわからないわ」
誰も彼もにこんな態度なのだろうか。吉備以外に友達がいるのか勝手に心配になってしまう。連雀は全く悪びれのない顔だ。
「今度と言ったら今度だ。──ついたぞ」
連雀が足を止めたのは、鳥界山の
「……すごい」
商品が収められた
あおいがその規模と活気に
「へい、いらせられませ。連雀様と、お連れのお
「千早だ。奥に上がらせてもらう」
「千早でございますか。では、ご案内をわたくしが」
白鼠はひげをそよそよと動かしながら先を
通されたのは八
あおいたちを案内した白鼠はすぐに茶と菓子ののった
「では、ごゆるりと。白鶴様を呼んでまいります」
そう頭を下げて、白鼠は下がっていった。
「白鶴様って、白鶴屋の
「ああ、この店は鶴仙のものだ。とはいっても仙貨を集めているわけじゃない。神事の衣装を仕立てるのが白鶴に
そういえば、とあおいは
「ねえ、仙ってみんな仕事を誰かから与えられているの? あまり働いているようには見えないんだけど。例えば、あなたとか」
ぶっ、と連雀は口をつけていた茶を
「ば、ばかをいうな! 毎日仕事してるだろうが!」
「もしかして、神楽舞を教えるのが連雀の仕事?」
「ちがう。俺の仕事は神事の準備を
「それってつまり、連雀のほうが津久見さんよりも
「年に四度の神楽舞は仙の
年月が長い、という言葉がふとあおいは気になった。仙は不老不死だという。この目の前にいる見た目が青年姿の仙は、いったいどれほどの月日をもって『長い』といっているのだろう。
(聞いたら失礼? 女性じゃないからいいかな? でも、千年とか言われちゃったら、なんか化け物感が出てきていやかも……)
あおいが
すっと
「いらっしゃいませ。連雀、今日は千早の仕立てとうかがったのだけれど、津久見は引退なさるのかしら?」
連雀が
「こちらの
雛と呼ばれたことに
「はじめまして」
「この雛の名はあおいという。
連雀が紹介すると白鶴は驚きと、次いで
「この娘さんが、
「後は何も聞かないでほしい。どうせ神楽舞の集合練習になれば多くの仙が知ることにはなるんだが、今は静かに舞の練習に打ち込みたい。なによりあおいはまだ飛ぶこともできないんだ。
飛べないと聞くと白鶴はさらに目を見開いてあおいを見つめる。そんなに驚くような事なのかとあおいも逆に驚いた。飛べないと何か困ったりするのだろうか?
白鶴は何かを胸にしまうような
「千早はお前の裁量でいい具合に仕立ててやってくれ」
連雀が言うと、一転して今度はぱっと表情を明るくさせる。
「まあ! では
「あの、よろしくお願いします」
あおいはもう一度頭を下げた。白鶴はまるで我が子の晴れ着を仕立てるかのように
「さあお立ち下さいな。あぁ、千早の新調だなんてしばらくぶりですこと。しかも噂の仙の千早だなんて、腕が鳴りますわ」
白鶴が
(すごい!)
その
「あなたの母の時の千早は
「ええと……」
目がくらまんばかりの輝きに何も言葉が出てこない。困って連雀を見れば、いつの間にか菓子の折敷を
「白鶴に任せたらいい。彼女は
連雀の言葉に白鶴は心底
腹が減ったか、と聞かれてあおいが
かつては一日二食だったことが
「それにしても、つかれたぁ」
「お前は何もしてないだろう。動いていたのは白鶴だ」
あおいが店に置かれていた
「確かにほとんど立っていただけだけど、それがあんがい
「だがいいのができそうだろう」
運ばれてきた
「いいのがって、ちゃんと見てたの?」
「当たり前だ。何のために俺も同席していたと思ってる」
「だって、お
「初めはな。ある程度決まってからでないと見ても仕方がないだろう。淡い
「あ、ありがとう」
服を仕立てる楽しみというのはよくわからなかったけれど、異性に
「……おいしいね」
「そうだな。たまには外食も悪くない」
膳をはさんで向かい合う連雀も、きつい印象のする目元を
なぜだかこんなひと時がすごく楽しくて幸せだと思う自分がいることに気がついて、あおいは内心かすかに戸惑いを覚えた。
(な、なんだろう、この感じ……。吉備さんとだって、お茶してるし、連雀よりもずっと会話も多いし、
「ん、どうした?」
「べつに、すごく、おいしいなぁって」
ふいに、連雀にがつがつ食べているところを見られているのが
「なんでもないの、ほんとに」
「そうか? 金つばでも買ってから帰ろうかと思ったんだが、具合が悪いようなら
「それは
声を上げてから、あおいはしまったと思った。これではまるで、金つば食べたさに食い意地を張っているように聞こえてしまうではないか。
(──だけど、駕籠でまっすぐ帰るのは……なんだかイヤ)
それは
駕籠は一人乗りだ。しかも鳥界山には町駕籠のような、乗り手が丸見えの駕籠が存在しない。その辺で拾って乗るような駕籠でさえ、どれも箱状になった高級な駕籠しかない。それで帰るということは、
それはなんだか味気なくて、
二人で並んで、
「そんなに金つばが好きなら、ポ太郎に届けさせてもいいぞ?」
「そ、そうじゃなくて。別に食い意地張ってるわけじゃないの。本当に具合なんて悪くないし、それにほら、金つばが食べたいのは連雀のほうでしょ?」
白鶴の店で菓子を口に運ぶ連雀はどこか幸せそうで、きつい見た目とは裏腹に、あんがい甘党なのかもしれないという印象を
「よくわかったな」
「やっぱりそうなんだ。わたしも好き、甘いもの。金つばなんて
「じゃあ、
連雀は金つばがよほどの好物なのか、心の底から嬉しそうな笑みを
(…………それ、反則だわ)
目つきの悪い連雀は、笑うと険しさが
胸の
なんだか苦しくて、それを
「……じゃあ、
「こういうときは男が出すものと決まっている。返されたら
「そうなの?
店を出るとき、あおいはさりげなく胸を押さえた。
(…………なに、これ……)
熱く、苦しく、高鳴る鼓動。熱とともに何かむずむずとした
──これは、この感情は。
(まさか、わたし……わたし連雀のこと……)
好き、なの?
まさか、と否定しようとしながらそれができない。このひとの笑顔を見ると、自分でも不思議なくらい嬉しくて胸が高鳴る。
どんなに目つきが悪くても。玉の
自覚したら、
そんな顔を見られたくなくて、あおいは連雀の一歩後ろを俯きがちに歩いた。
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