四幕_1

四幕




 あおいの神楽まいは、夏の暑さが日々増すとともにめきめきと上達をみせた。

 連雀の手本は完全にらなくなり、指導の声も減った。足りないのは流れるように自然なりと動作の切れ、あとは表現力だという。

 神事当日に実際に使われるひのきたいでの練習も行われるようになると、いよいよ本番が近付いてきているのだという実感が湧いてくる。

「成功、させなくちゃ」

 舞台の上、流れるあせをぬぐいながらあおいはつぶやく。

 この神楽舞を成功させることが、鳥界山での暮らしに仙として交じるための第一歩。──最近そんな気がしている。そういうことを思う自分がどこかおかしくて、あおいは小さく笑って空を見上げた。

 神域を囲む深い緑に切り取られた、雲ひとつない青い空が見える。

(わたし、仙として認められたいのね? 連雀や吉備さんだけじゃなくて、ここに住むたくさんの鳥仙たちに)

 鳥界山に来てから、あおいは吉備と連雀以外のちようせんとほとんどかかわったことがない。あおいが貴重な純血二世の鳥仙ということでさわぎにならないようにと、どうやら連雀が意図的にそうしている節がある。それがあおいのためだとはわかるけれど、最近ではそれが少しさびしくもあった。

 町ですれちがうたくさんの鳥仙たち。これからずっとここで過ごすのならば、彼らは仲間だ。早く自己しようかいをして仲良くなりたかった。

(わたし、ここにいたい。いてもいいってみんなから認められて暮らしたい。仙らしいことは何一つできないけど、それでも……)

 周囲から認められたいのは、自分で自分を認めるほどの自信がないから。

 だからこそ、神楽舞を成功させたい。神楽がうまくえたら、きっと自分という存在を自分自身で認められる。そんな気がする。

「午前の練習はもう切り上げるか。あとは夕になってから……」

 本番で使うのと同じたいを鳴らしてひようをとっていた連雀が、楽器にしたたった汗をぬぐいながらそういうのを、あおいは首をふってさえぎった。

「わたし、もう少しやりたい。連雀は先に帰っていいから。太鼓もいらない。一人でだいじよう

 最近はすっかり鳥界山の町並みにも慣れてきた。道も覚えたことで連雀の心配も減ったのか、一人で出歩くことも許してもらえるようになっていた。せつかくなら満足するまでやってみたい。

「無理をするな。仙気が乱れてるぞ」

「そう? 確かに暑いけど、もう少しできるし、やりたいの。いいでしょう?」

「……わかった。あまり無理はするなよ」

「うん」

 あおいがうなずくと連雀は太鼓を手に舞台を下りていった。

 その後ろ姿を見送ることなく再びあおいは右手にすず、左手にしのざさをもってあしびようみはじめる。太鼓も笛もいらない。連日続いたけいのおかげですべてそれらは体にみついている。

 あおいは激しく足を踏み鳴らし、鈴と篠笹をふって舞い始めた。

 神事で納められるのはにもある天岩戸伝説、そのほんの一部だ。あおいが任されているのは岩戸にもってしまった天照大神の興味をくために舞った、天宇受売命の舞。

 激しく、明るくにぎやかなその舞は、ちゆうばんじやな千早をぎ捨てる。重いそれを舞台の外へとほうり投げ、身軽になった舞子はさらに激しくつややかに舞い、かみかりながらうわはかまも脱ぎ捨て、最後にはひらひらとかろやかになびくしやの一枚となって舞いおどる。

 伝説によれば周囲の神々はそれに大いに盛り上がり、たかまがはられ動くほどのかんせいを上げたという。天照大神は何事だろうと不思議に思い、岩戸を少しだけ開けてのぞこうとする。そのすきから日の神である天照大神自身から放たれる光がれ出て、長鳴鳥にわとりが朝一番を鳴いた。

 それを合図に神鏡がつき出され、鏡に映ったまばゆいばかりの自身の姿におどろいた天照大神が、ついに少しだけ戸の外へと体を現すのだ。

 情景を心に思い浮かべながら、あおいは無我夢中で舞った。

 開いた岩戸をこじ開けるあまのぢからおのかみの登場で、さっと身をひるがえして舞台のはしひざまずき、そこでようやくあおいの舞は終わりをむかえる。

 激しい息を無理やり静かな呼吸へと整えて、あおいは深く頭を下げた。

(…………できた……)

 ろうじゆうじつかんが一気に押し寄せて、あおいは立ち上がることもできなかった。

 額を舞台の上にこすりつけるようにして、ただただ自分の息の音を聞いた。

 激しいようで、静かで。深いようでいて、浅い。

 吸い込んだ息がのどを通って胸に満ちていくのがわかる。自然となみだがこぼれた。

 自分自身でなつとくのいく最高の舞だった。これならきっと毎日指導してくれた連雀だってめてくれるに違いない。

 満足感が体中に満ちる。同時に、少しだけ残念でもあった。

 連雀が見ているうちに、これだけの舞が出来ていたらよかった。彼が帰った後では、どんなに説明してもきっと信じてくれないに違いない。

 それがくやしくて、残念で。

 手をにぎめたまま、立ち上がることができなかった。

「──よく、やったな」

 かけられた声に驚いて、あおいははっと顔を上げた。

「ほんとうに、よくがんった。あおい」

 目の前には、連雀の顔。息がかかりそうなほどに近いきよに彼の顔があって、あおいは更に驚いてしりもちをついた。

「れ、連雀……帰ったんじゃ……」

「水をみに行ってきただけだ。お前が練習しているのに先に帰るわけがないだろう」

「そ、そう、なんだ」

 近い。近いっ!

 尻餅をついた状態のあおいに、かがみこんだ連雀はその手をついとばしてくる。思わずぎゅっと目を閉じたあおいは、次にひんやりと?ほおが冷たくなるのを感じた。

 目を開けてみれば、連雀が水で冷やした手ぬぐいであおいの?をいてくれていた。

つかれただろう。すこし休んでから帰ろう。もう十分すぎるくらい頑張った。──今までで一番のらしい舞だったぞ」

「……うん」

 ありがとう、といった声は自分でも驚くくらい小さかった。体がかすかにふるえてしまうくらいうれしくて、うつむきがちに手ぬぐいを受けとった。


(見てて、くれたんだ。連雀……)

 帰ったと思っていた。

 暑熱の中、あおいのために毎日太鼓を打ち続ける連雀だって相当に疲れがまっている。神事も近付き、当日の手配にほんそうする彼はあおいの練習が終わった後もなにかといそがしい身だ。それなのに、あおいに付き合って残っていてくれた。

 それが、うれしい。

 出来のよかったまいを見ていてもらえたことよりも、その事実こそが震えるほどに嬉しかった。

「ありがとう、連雀」

 今度こそはっきりと言えた。汗にぬれたかみをかき上げて連雀がみをかべる。

「あとは、歌だけだな」

「思ったんだけど、それって津久見さんに指導をお願いできない? 彼女が去年までやってたんでしょう?」

 あせをふき取り顔を上げると、連雀の苦い表情とかち合った。

「えっと、何かまずいの?」

「津久見なら、げた」

「逃げ……ってどうして?」

 言われた言葉の意味がわからなくて、あおいは数回まばたきをり返した。

「地上界に人のこいびとがいるという話は聞いてたんだが。その男にどうやらごういんえんだんがもちあがったらしい。け落ちといううわさだ」

 連雀は参ったというように目元をんだ。

 恋人に縁談……。それであわてて鳥界山を下りたということだろうか。

「そのお相手って、もしかして十五年間ずっと彼女のことを待っていたの?」

「らしいな。相手の男はとっくに所帯を持ってないといけないねんれいらしい。たまりかねた周囲がよめを連れてきたという話だ。津久見もお前が見つかって、もうここに残る理由はないと考えたんだろう」

 なるほど、それで歌を教える師がいなくなってしまったのだ。連雀は歌えないみたいだし、どうにかならなかったのだろうかと思ってしまう。

「二人で鳥界山で暮らすっていうのはだったの?」

「ここはせんかいだ。ただびとをいれるわけには行かない。結ばれたいのなら地上界に下りるしかないな」

 結ばれたいなら、地上界に下りる。──その言葉で思い浮かぶのはやはり、まみえた事もない鳥仙の両親のことだ。表面的に親と言ってもまだ実感はわかないけれど。

「わたしの両親、も駆け落ちしたのよね」

「……ああ。不如帰ほととぎす仙は舞子だった上に、当時は仙同士であってもこんいんが認められてなかったからな。だがお前が生まれたことがわかると、ひめの許可さえもらえれば鳥界山で夫婦めおととして暮らすことも可能になった。まだ一例もないが」

 結ばれるために手を取り合って鳥界山を去った両親。幸せだっただろうか、と思いをせた。そして津久見も、幸せになってくれたらいい。

「──っていうか、姫って?」

 許可を出す立場のようだから、単にえらい人のむすめというわけではなさそうだ。あおいが聞くと連雀は驚いたように目をみはった。

「姫の話をしていなかったか?」

「してないわよ。鳥仙のお姫様?」

 じゃあお殿とのさまもいるのだろうか。すこしわくわくしながらたずねると、連雀はいや、と答えた。

「姫というのはつうしようで、正確にはせいほうきみという。鳥界山に住む鳥仙をまとめている、ここのあるじだ。おおという鳥は知っているか?」

 あおいは首をふる。鳥仙をまとめる主。では鳥仙に仕事をさいはいしているだれかというのが、その姫様なのかもしれない。

「大瑠璃は名のとおりあざやかな瑠璃色を持った美しい鳥だ。しかしそれもおすだけで、本来めすは地味なかつしよくをしている。だが姫はあまりの仙力の高さから神に認められ、つばさに美しい瑠璃色をさずかった素晴らしいお方だ。我々はひめとお呼びしている。もしお会いすることがあってもそうなんかするなよ」

「瑠璃姫様って、きれいな方なの?」

「もちろんだ。翼の色もさることながら、髪の一本からつめの先に至るまで美しいぞ」

 そくとうする連雀はどこか熱っぽい目をしていて、それを見たあおいの心臓は何かにぎゅっと握られたような痛みを感じた。

「……どういう方?」

がらはかなげで、それでいてしんのある方だ。りんとしたたたずまいは気品にあふれているな。深くありながら、責任を負った英断も下せる。まさに姫の中の姫だと俺は思ってる」

「そ、そう、なんだ……」

 連雀がその瑠璃姫に対して好感をいだいていることは、瑠璃姫の素晴らしさをあおいに伝えようとするしんけんさが物語っていた。

 あせりや不快感にも似た、いやな感情が胸にき上がる。

(……その表情は、なに? どうしてそんな顔をするの、連雀)

 これはしつだ。

 自分でもそれがはっきりとわかる。自分でない女性について熱い目で語られるのが、とてつもなく嫌な気分だった。しかもその感情は連雀に対して向けられているのではなく、一度も会ったことのない瑠璃姫の方へと向いているのだ。

(こんな、みにくい感情。わたしの心は……全然美しくない)

 れいだという瑠璃姫。綺麗じゃないわたし、そしてわたしの心。

 今の表情を連雀には見られたくない。とても見せられない。

 あおいは立ち上がった。微かな風にしやすそれると、今の格好が下着同然なのだということが思い出された。

 ずかしさがこみ上げると同時に、自分自身がものすごく無様な生き物に思えた。

「おい、もう少し休んでから……」

「いいの。帰って横になりたいから」

 自分の心根が恥ずかしい。り返ることなくぎ捨ててあったころもに駆け寄る。拾い上げようとしたとき、みようかんしよくにあおいはようやく気がついた。

 い終えてからずっと無意識ににぎりしめていた左の手。手ぬぐいを持ったのとは逆の手の中にかたい感触がある。

 不思議に思って開いてみれば、小さくて平べったい、あめいろをした四角い何かが夏の日差しにきらりと光っていた。

「なにこれ」

「それはべつこうだ」

「ひゃっ!」

 あおいがそれをじっと見ていると、いつのまにか連雀がかたしにのぞき込んでいた。

「仙貨の一つで、すいの一文仙貨で言うと四〇〇文弱の価値になる」

「よ、四〇〇文っっ!」

 つまりいつしゆぎんのようなものだ。ぎょっとけ反ったひように指からすべり落ちそうになる。あわてて握りめてから、もう一度ゆっくり指を開いた。

「四〇〇文っていったら、サザエのてんが百個も食べれるじゃない。百個! そんなのどっから……」

 言いかけて、ゆるゆると連雀の顔を振りあおぐ。連雀はかすかに笑んでうなずいて見せた。

「それはもちろん、お前の手から出たんだろう。ようやく出せたな、仙貨」

「…………仙貨、これが、わたしが出した仙貨……」

 あおいはその場にへなへなと座りこんだ。

 いったいいつ、どうやって出したのかも覚えていない。けれどまぎれもなくそれはあおいの手から出た、初めての仙貨だった。

「──────あ! そうだ、はいこれっ」

 連雀から体をはなすと同時に、あおいは彼の鼻先に仙貨をきつけた。

「…………なんだ?」

「少ないけど、今まで色々と立てえてもらった分の返金!」

「……立て替え?」

 いぶかしげに連雀は仙貨を見つめる。

「立て替えをした覚えはないな。そもそも仙貨は金銭とはちがって仙気のけつしようだ。お前のような未熟なひなに仙気をもらうほど俺は落ちぶれてない」

「でも」

「お前の気が済まないというのなら、早く巣立つことだな。それまでは雛だ。大人しくえさを運ばれていろ」

「うう……はい」

「わかったならあせいてえろ。帰るぞ」

 連雀はそう言ってあおいのそばにみずおけぬぐいを置き、たいを降りた。

 あおいは急いで汗を拭きとりそで一式に着替え、後を追う。連雀はけいだいを下る階段の手前で待っていてくれた。

「あおい、気持ちはわかるがあまりぼうっとするな。転げ落ちるぞ」

「うん、わかってる。ただ……わたし、ほんとうに仙だったんだなって」

 先ほど抱いた瑠璃姫への感情は現金なもので、すっかりおどろきとあんに押し流されていた。

 あおいは手のひらをそっと広げて見る。四〇〇文弱の価値だというその鼈甲の仙貨はまぶしくかがやいていた。




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