二幕_1

二幕



れんじやく。きみ、化け物呼ばわりされたそうですね」

 小店の窓内でぱたぱたと炭火をあおぎながら、やさしげなおもちの青年は微笑んだ。腰まで垂れた長いかみは黒く、そのうち二ふさほどがあざやかな黄みを帯びている。身にまとった着物はしゃれた絹のつむぎたすきけしてはいるものの、どうみても小店で働くのに適しているとはいえない上等なものだ。

 それを横目でにらむのは、店内の小上がりに腰をかけた連雀と呼ばれた青年。

 うつとうしげに赤みがかった灰褐色の髪をかき上げ、手にしていたこうばしいかおりのくしきにかじりつく。

「──生焼けだ。もっとよく焼け」

「ちがいます。外はカリっ、中はトロっ、がおいしいんです。話、そらしましたね?」

「うっさい。だれから聞いたんだ、そんな話」

「ふふ、駕籠かご屋の猿兄弟から。ウケてましたよ。天下のせんが化け物呼ばわりされるとは」

 こらえきれない笑いがれて、青年のかたがかすかにれる。

 じようだんじゃない、と連雀は目元を苦くした。

「神に仕える仙を化け物だと言ったんだぞ、あのむすめ。そのうえ失神して二日目だ」

「ああ、目を覚ましてはまた気を失うのり返しだとか。よほどおそろしい目にあったのでしょうねえ」

、なんだその目は。何か言いたげだな」

「いえ、べつに。ただ、さる兄弟もあきれていましたよ。何でもがけからき落としたんだとか?」

「それはちがう」

 連雀はふいと顔をそむけた。

「崖から飛ぶように言った。そしたらあの娘が、おどろくことにつうに落下したんだ。落ちるのをほうっておいたら死にそうだったから助けた。平手で?ほおを打ったら目をあけたから、あらためてもう一度、もう少し高いところから落としてやったんだ」

 そのときだ。仙であるこの身を「化け物!」と大声でとうしてきたのは。嫌なことを思い出した連雀はそのきつい目元をすがめた。

 対する吉備はあきれ顔でじっと連雀を見つめる。

「………………ええと、そのこころは?」

「本能だ」

「はい?」

ねこは高いところから落とせば本能でうまく着地する。飛べないようだったから、思いついた。あいつももっと高いところから落とし直せば、本能を発揮するかと思った。それだけだ」

 一応後ろ暗い気持ちはあるのか顔をらした連雀に、吉備は非難するような視線を向けた。

「それだけって、なにをアホなことを。自分の正体も知らずに育ち、よくへんも出来ないような娘さんにそんなちやをしたのですか。常々きみはアホだと思っていましたが、やはりしようしんしようめい脳ミソ痛いみたいですね」

 連雀は絶句し、ぎこちなく立ち上がる。

「────もうもどる」

 空になった小皿の上に手をかざす。

 手のひらがわずかに光を帯びた次のしゆんかん、そこから一文銭のようなぜにが三枚落ちた。それが普通の銭と明らかにちがうのは、その材質が銅でなくすいでできている点だ。

「連雀。仙どうしで仙貨をはらってどうするのです。しかもあなたが今食べていたブドウ串は三文でなく六文です」

「細かいな。そもそもがタダならまけたっていいだろう」

 連雀が三文を回収しようとすると、吉備が先にさっと手をばして拾い上げた。

「きみからのおくり物としてかざっておきます」

「早起きで得した程度の贈り物がそんなにうれしいなら勝手にしてろ。──それよりも吉備、さっきのことだが……」

「わかっていますよ、口外しません。しかし猿兄弟も口が軽いですね、いくらわたしがきみの大親友とはいえ、口止めされていることをうっかり漏らしてしまうだなんて」

「どうせお前が口八丁で聞き出したんだろうが。だが、重ねてきつく口止めはしておく必要があるな」

 できれば、ひなが自力で巣立つまでは周囲に知られないほうがいい。雛鳥は巣の中にいてさえあらゆる肉食動物のじきとなる。一瞬の油断で命を落とす。

 連雀がそう考えていると、それを読んだかのように吉備がゆるく首をった。

「どんなに口止めをしても結局はどこかから漏れます。うわさというものはそういうものですよ。それに神事の日が来れば彼女のしようかいをせずにはいられません」

「わかってる。だから一刻でも早く巣立ちをさせる。その前に神事の準備が先だ。とにかく時間が無いというのになんだ、二日もて過ごすなど……冗談ではないぞ」

 連雀は苛立たしげにまゆを寄せた。吉備は対照的なほどほがらかに目を細める。

「目覚めているといいですね、その娘さん。きみにいいこと教えてあげます。『急がば回れ』ですよ。そんなにも急いでいるのなら、まずはがおを心がけて優しくすることです。ひどく混乱しているでしょうからね、やさしくていねいあつかって落ち着かせることです。なにせきみはそもそもの目つきがきようあくすぎますから、人一倍優しく心がけないと、何日たっても目覚めてなんてくれませんよ」

「だったらお前が引き受ければいいだろう」

「なにを言うのです。きみがひめから任されたお仕事でしょうに」

 連雀はしぶい顔で吉備をいちべつすると、吉備の営む『ヤキイモ屋』を出た。

 外に出れば、まぶしい日差しとともにくんぷうがさっとける。いつしゆん目をすがめた連雀は、彼を呼ぶあわただしい声を聞いた。

「──連雀様、連雀様!」

 おおだなはさまれたせまい裏道を小さな子供がけてくる。──いや、子供ではない。子供と同じたけの、それは二本足で歩くたぬきだ。しっかりと着物を身につけた狸は、しかしどこか人間じみて見える。

「ポろう、どうした。お前には娘の見張りを命じてあったはずだが」

「そ、その娘がげ出しましたのでス!」

 はぁはぁと肩で息をつきながら、狸は連雀の前で頭を下げる。連雀はうんざりとした顔つきで一瞬空をあおいだ。

「ちゃんと見ていろと命じたはずだ」

「き、きちんと見ていましたとも! ですのできちんとのがすことなく追いかけまして、現在いる場所もきちんとあくしておりますのでス」

「おやおや、逃げられちゃったんですか? やはりよほどこわかったんですねえ」

 明らかにおもしろがっている顔で吉備が店から出てくる。

「うっさい」

「あちらです、連雀様! 道を下った先、たなにおりまス」

 連雀は駆け出した。後ろを楽しそうに吉備がついてくるのをいまいましく思いながら大路に出る。地をった足がそのまま宙にいたのはそのせつだ。

 黄色や赤の飾り羽がついたはいかつしよくつばさが一つい、大きく羽ばたいて飛び去った。






 あおいは走っていた。

 足はだるくえていたし、空腹はもう痛いほどだった。

 けれど、それでも走る。

(これは、夢! だけど、どこからどこまでが夢なの!?)

 夢なら逃げる必要はないとも思いながら、それでも足が止まることはない。夢とわかっていても怖いものは怖いのだ。

(化け物の! 早く逃げないと、食われる……とり殺される!)

 あおいが目覚めたのは、ふわふわのまるで雲のようなやわらかさのとんの中だった。

 しよみんの家に布団なんてものはふつう無い。あおいがだんくるまっているのは布団がわりの?かいまきで、とても比べ物にならない高級そうなそれに、あおいはてっきり輿こしれ先にたどり着いたのだとばかり思った。

 起き上がってみれば、身につけていたのはなめらかなざわりの絹のじゆばんで、なおのことそこがくだんの良家なのだと思った。

 ────けれど。

 それはとんでもない思い違いだったのだ。

 着いた早々に寝込んでしまったのかと慌てて人を呼べば、れいただしくふすましようを引いて入ってきたのは、なんと服を着込んだ狸だったのだ! たぶん悲鳴を上げたようなおくがある。

 その次の記憶はまた布団の中だった。再び起き上がって、同じように人を呼べば同じように狸がやってきた。しかもその次起きたときには狸はすでに室内に入っていて、あおいが寝ている布団の横にしよくぜんをしつらえていた。

 空腹から思わずうつわの中をのぞき込むと、なんとしゆりの美しいわんの中には生に違いない木の実、そしておぞましいほどのうにょが入っていたのだ! 野菜によくくっついてるうにょうにょしたあれだ!

 だがさすがにこのじようきように慣れてしまったのか、あおいの意識はそこでれなかった。ただ、逃げ出さなくてはというきようの感情がせりあがってきて、あおいはとりあえず気を失ったふりをして狸が出ていくのを待った。

(あんな、虫と木の実だらけのたぬきぜんなんて、たとえ夢でもだれが食べるもんですか!)

 あおいが今すそをたくし上げて全力で走っているのはゆるやかに下る大路だ。

 あのあと庭園の木々にかくれながら、襦袢姿のままなぞのおしきを逃げ出してきた。お屋敷はおどろくほどに広くて、それはまさに思いえがいていた輿入れ先のようにもみえた。

 明らかに違うとわかったのは、そのお屋敷で右に左にといそがしく働く小間使いたちが、だれもかれも人間ではなかったからだ。驚くことに大小さまざまな狸が二本足で立って家事を働いていたのだった。

(なんなのなんなのなんなのここ───!? もういや──っっ)

 振り返れば、追いかけてきていた大狸の門番がようやく見えなくなっていた。

 それでもあんに胸をなでおろすことはできない。なにせ大路を挟んで並ぶ大屋敷のもんぺいの前には、まだ化け物がわらわらいるからだ。

 狸にきつねに犬にねこに、いのししやらくまやらの姿もあった。その誰もが二本足で一丁前に立って歩き、ちゃっかりと綿めんの着物に身を包んでいる。

 あおいは転びそうになりながらも一つの角を曲がる。逆くの字のように折り返すそこを過ぎると、今度は二階建ての小店が立ち並ぶ、いかにも庶民的な町人地の風景が現れた。

(武家地と町人地? 江戸によく似てるわ)

 てんびんぼうかついだ行商のあきなう声、客の注文の声、子供の泣き声、笑い声、けんそうといってもいいほどの活気。

 大路を挟んで並ぶおもてだなの合間には裏木戸があって、それをくぐればきっとうらだなや裏長屋に続いているにちがいない。すれ違う町人たちがみなケモノであることを除けば、まるきりみある風景だった。

「あ、っと、ごめんなさい」

 おどおどと周囲をうかがいながら走っていたあおいは、勢いよく誰かの背にぶつかった。

 とつに謝りながら見上げると、相手は毛むくじゃらの狸──ではなく、せいかんな顔つきの男性だった。

(人間!)

 助けて、と言いかけて、あおいはぎょっと目を?いた。

 男性の目の周りにはみような白いくまり、かみは染め糸のようなうぐいすいろだったのだ!

「ひ、ひと!? 化け物!?」

 男性が何を言うより早く、再びあおいは駆けだした。

 よく見れば、通りには歩くケモノ以外にも、美しい人間の姿をした者たちの姿がある。しかし彼らの髪に黒は少なく、赤に白にちやまだらにと明らかにつうではない。

 海をわたってきたなんばんじんに見えなくはないけれど、彼らは全く驚く様子も無くケモノたちと接していた。とても声をかける勇気は出てこない。

 あらかった息が、限界をえてぜいぜいといやな音を立てる。

 町人地に似た町を抜けると、視界は一気に開けて長閑のどかな棚田が広がっていた。

 数段を駆け下りて、あおいはようやく足を止める。限界だ。もうこれ以上は走れない。

 周囲を見回して追ってくるモノがないことをかくにんしてから、あおいはくずれるように田んぼのあぜこしをおろした。

 ゆっくりと呼吸を整えてから、棒のようになった足をさする。あおいはほうにくれて空を見上げた。

「…………だめ。頭が混乱して、なにを考えたらいいのかもわかんない」

 なんだか変だ。これはたぶん夢なのに、走ればすごく苦しいし、腰をおろした畦からはのうこうな若草のにおいがする。せんめいすぎてどこかみようだ。

(まぁ、夢だって言うならやっぱり玉の輿こし話からが夢よね。わたしがとびきり美人ならともかく、目鼻立ちも地味だし。それにあの使いの人……)

 赤みがかった灰褐色の髪の男。背が高くて、きれいな顔なのに目元がするどくて。ちょっとだけ見とれてしまったけれど、態度はすごく悪くって。

「あれ? あの人の案内で駕籠かごに乗って、山道を登って……それからどうしたんだっけ?」

 記憶が不思議とぼんやりしている。思い出そうとすると、背すじにゾッとふるえが走った。

 なんだか嫌な予感がする。謎のお屋敷では化け狸に驚いたけれど、それよりも前に化け物を見たような……。しかもなんだかあの男と無関係ではないような感じがする。あの人も狸だったんだろうか。

「……って、これってもしかして、化かされていたってこと?」

 あおいはさっと青ざめた。

「どうしよう! じゃあここは昔話でよく聞く『化けだぬきの里』なんだわ!」

 思わず立ち上がると、背後でこらえていたものをきだすような笑い声が上がった。

 ぎょっとしてりかえれば、一段上の畦に立って男二人がこちらを見下ろしていた。しかもその背にあるものは、どこからどう見ても人間の背にはついていないものだ。

「──つ、翼……」

 腰がくだけた。その場にへたり込んで、あおいはそれらをぎようする。

 一人はそう、例の使いの男。その背には髪と同じ色合いの大きな翼が一対。風切り羽には白や黄色の模様と赤いかざりがついている。

 もう一人は初めて見る男だ。顔立ちは使いの男とは対照的にほんわかとやさしげで、けれどもやはり同じように大きな翼を背負っていた。風切り羽にわずかに黄みの入った、しつこくの翼。着ている着物と髪の二ふさあざやかな黄色だ。


 その優しげな男のほうが、なみだまでかべて可笑おかしそうにあおいを見ていた。

「ば、化け狸の里……ふふ、おもしろいむすめさんですね、連雀。確かにきみの屋敷は狸のじゆうせいばかりだけれど、くくく……」

「吉備、笑う前におこるのが普通じゃないのか? 神聖なるちようかいさんを狸のそうくつ呼ばわりされたんだぞ」

「なにいってるんです。そこまで誤解させるような連れ出し方をしたのはきみでしょうに。ねえ?」

 ねえ、という同意を求める言葉が自分に向けられたものだと気がつくのに、あおいは五はくの時間を要した。

「あ、は、はい……?」

 腰が砕けてげられないというきようあせりが少しだけしぼんだ。吉備という鳥男(?)の顔からは害意はまるで感じられない。それどころか親しみをこめた温かさまであって、悪い化け物ではないような気がしてくる。

 まどうあおいの様子を察したのか、吉備はゆったりとしたやわらかな動きで段差を下り、あおいからほんの少しはなれたところへと腰を下ろした。大きなつばさは背にぴたりとたたまれている。

おびえる必要はありません。驚いたでしょうけど、わたしたちはようかいとは違いますから」

「…………違いが、よく…わからないんだけど」

 勇気を出してそう口に出した。吉備は気分を害した様子もなく困ったように笑う。

「でしょうね。連雀も道中きちんと説明をしながら連れてくればよかったものを。かわいそうに」

「説明が必要だとは思わなかっただけだ」

 苦い表情で連雀も一段をおりてあおいに並ぶ。

「だが、必要だというなら今答える。何でも聞け、一つずつな。俺は連雀。こっちは吉備だ」

 彼の言葉にあおいはすぐに口を開いた。

「ここは、わたしの夢の中じゃないの、よね?」

「ちがうな」

「ここはどこ」

「鳥界山だ」

「ちょうかい山?」

 確かに山だ、とは思う。ここまで逃げてきた道はずっとゆるやかな下り調子だったし、急斜なたななどいかにも山腹をけずりだして作ったものに違いない。

「だけど、普通の山じゃないわ。変な狸とか変なさるとか変な色の髪の人たちとか!」

「当然だ。鳥界山だからな」

 要領を得ない連雀の答えに、吉備が助けぶねを出してくれる。

「鳥界山とは、せんかいです。仙の住む山。ええと、仙っていうのは知ってます?」

 頭痛がしそうだ、とあおいは思った。わけがわからない。もしかしたらまだ狸に化かされているちゆうなのかもしれない。そう思いながらも力なくうなずいた。

「仙て、せんにんとかせんによとかの仙でいいのかしら。かすみを食べて、空を飛んだり、妙な力を使ったり、不老不死だとかいう、あれ?」

「まあ、へんけんもありますがそんなところです。この鳥界山はその仙のなかでも鳥からなる『ちようせん』と呼ばれる仙たちの住む山なのですよ」

「鳥!? 鳥も仙人になれるの?」

「なんだ、人だけがなれるとでも思っていたのか」

 連雀は不快そうにまゆひそめた。あおいはその表情がこわくてあわてて目をそらす。

「そんなわけじゃないけど。そもそも仙人だなんてただのおとぎ話だと思っていたし」

「目の前に二人もいるだろう」

 おずおずと視線をもどして翼を見つめる。化け物か仙かはともかく、彼らが人でないことだけはちがいないようだった。

「……かえして」

「ん?」

「元いた所に、江戸の町に帰して。仙人だって言うなら悪いことはしないんでしょう? わたしをわざわざさらってきて、たぬきなべならぬ人鍋にして食べてしまおうってわけじゃないんでしょう? だったら早く帰してちょうだい!」

 涙が出てきそうだ。鹿みたいだと思った。良家にもらわれるだなんてとんだ夢物語を聞かされたあげく、連れてこられた先は仙だか狸だか化け物だかの巣窟だなんて。

 みじめ過ぎて悲しいよりもくやしかった。ぬか喜びにもほどがある。

 二人を真っえながら涙をこらえるあおいに、鳥仙を名乗る二人の男は困ったように顔を見合わせた。

「なによ?」

「……戻ったところで、貧しいほうこうの身に変わりはないだろう。そんなに愛着のく身分でもないと思ってたんだが」

「あ、愛着なんてないわよ! そりゃびんぼうつらいわよ! でも、こんなところにいられない!」

「どうして?」

「人だからに決まってるじゃない!」

 あおいはさけんだ。いかりからか悔しさからか、くちびるふるえる。連雀と吉備はさらこんわくの表情を見せた。

 奉公の下働きが玉の輿こしだとおおさわぎをした主人やきんりんの住民たちは、あおいがだまされました?うそでしたと言って出戻ったらどんな顔をするだろう。町中があおいを笑いものにするに違いない。とんだおおはじだ。想像しただけでずかしくて逃げ出してしまいたくなる。

 ──けれど、帰らなくては。仙界だとか化け狸の里だとか、じようだんではない。こんなところにわざわざ連れてこられる意味がわからない。

「早く帰してよ。あなたが連れてきたんでしょ?」

 責めるように見ると、連雀は大きなため息を一つ落としてから立ち上がった。

「──わかった」

 その言葉にほっとしてあおいも立ち上がる。だが、次のしゆんかん

「きゃっっ!」

 あおいは小さな悲鳴を上げた。なぜだか連雀のうでの中に強くきしめられていた。

「や、やだ、なにを……!」

「やはり落とそう」

「は?」

 見上げれば、その整った顔立ちと切れ長の目がすぐそこにあって、相手は人でないとわかっているのに反射的に顔にしゆがのぼった。

「暴れるなよ」

「や、やだ……」

 連雀はあおいの耳元に顔をうずめるようにしてささやいた。ていこうしようとした手足に力が入らない。頭の中まで真っ赤に燃え上がってしまいそうだった。

「連雀、きみ、なにをしようとしてるんです!」

 焦ったような吉備の声。

「もう一度落としてみる。それで本能が目覚めるかもしれない。説得するよりずっと手早い」

「ああもう、きみはまたしてもそんな馬鹿なことを!」

 あおいは熱に浮かされたようにぼんやりとした目で吉備を見た。連雀のかたしに見えるあわてふためいたような表情。それがなぜだかすっと遠くなる。

 あっと思ったときにはもう、足先に地面のかんしよくがなかった。熱かった体中が冷水を浴びせられたようにさっと体温を失う。連雀の背にある翼が羽ばたいていた。

 ──空を、飛んでいる。

(あ)

 あおいのおくげきされる。こんなことが前にもあった気がした。

 羽ばたく美しい翼、赤みのあるはいかつしよくかみと、せっかく整っているのに見事にげんそうな顔。それがすごくすごく近くて、なんだかふわふわとして、それから──。

「ちょ、ちょっと、おろして!」

 あおいは慌ててじろぎした。思い出してきた。なんだかこれはすごく怖いことだ。

「今おろす」

 強くあおいを抱きしめていた腕が、言葉とともにぱっと離される。

 ものすごい反射神経であおいは連雀の首にすがり付いた。とつ?つかんだ着物や髪の一部がちぎれる音がしたけれど、それどころじゃない!

「ちがう、ちがくって!! ちゃんとおろして! そっと、そぉーっとよ!」

「それは自分でやるんだ」

「なに言ってんの!? わけわかんないでしょ!」

「いいか、よく聞け」

 連雀はずり落ちそうになってしがみ付くあおいを再び強く抱きなおす。

「いいか、お前は人ではない」

「ひ、人でなし!」

 まるでこいびとのように強く抱きしめながら耳元に囁かれて、あおいの心臓のどうは激しくね上がっていた。それがときめきによるどきどきなのか、きようによるそれなのか、わけがわからなくてあおいはさらに混乱した。

 内臓は恐怖でこおりつきそうなのに、顔は火がきそうなほど熱い。

「うぅ、助けて。なんかいろいろ助けて」

「聞けといってるだろ。お前は人ではない。俺たちと同じ鳥仙だ」

「……………………はあ?」

「必ず飛べる。体の中心に力を入れろ。たんでんで練った仙気をつばさの形に広げるんだ」

 ?ぜんと連雀の顔を見ようとしたあおいは、その不機嫌そうな目つきがいつしゆんにして遠ざかっていくことに気がついた。すでに彼の腕は無情にもはなされてしまったのだ。

「ぃぃいやあぁあああああああああ──────っっ!!」

 あらん限りの悲鳴を上げた。

 あおいは遠ざかる意識の中で、連雀に空から落とされるのがこれで三度目だということを思い出していた。





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