5.



 森を抜け、街道を歩いていると、一人の少年が二人に近づいて来ました。


「領主さま!」

「おや。キース、ちょうどいいところにきたね」


 少年・キースのゴールドの髪を撫でたフレンは、彼をソーニャの前に立たせました。


「このお姉ちゃんは?」


 キースは、フレンを見上げながら尋ねます。


「キースを助けてくれたソーニャだよ」

「え!? あなたが魔女さま!?」


 キースは、目をキラキラさせながらソーニャのジェイドの瞳を見つめました。

 少年を見て、幼きころの記憶が蘇るソーニャの表情は固いものでしたが、少年から悪意は感じません。

 ソーニャは、ごくりと生唾を飲み込むと、少年に答えました。


「はい。魔女のソーニャです」


 すると、腰を少しかがめ話しかけたソーニャの手を、キースはがしっと掴みました。

 小さい、温かい手でした。


「ぼく、『魔女の涙』で病気が治ったんだよ! もう家で寝てなくてよくなったんだよ! ありがとう!!」


 満面の笑みでお礼を告げるキースを、ソーニャはぽかんとした表情で見ていました。

 涙をあげた人は数え切れません。しかし、お礼を言われたのは初めてだったのです。



「キースは、僕が初めてソーニャに会いに行った日にきていた女性、彼女の息子だよ」


 フレンは、キースの肩に手を置きながら言いました。

 フレンが言った日のことはよく覚えていました。初めての友達と初めて会った日ですから。忘れられるはずがありませんでした。


「あの時の……」


 たしかに女性は、息子が病気だと言っていました。

 ソーニャは、胸をきゅっと掴まれるような感覚をもちました。


「魔女さま! 街に来て! お母さんにも会って! それから、ゴーダおじさんとアリスおばさんとナッシュとケリーと……えっとえっと、とにかくたくさん! みんな魔女さまにお礼を言いたいと思ってるんだよ!」


 キースは、ソーニャの腕を引っ張りました。

 ソーニャは、戸惑いながらもキースに着いていきました。





 街では、領主であるフレンに気が付いた人々が集まってきます。

 そして、人々の視線は彼の連れのソーニャにも向けられました。


「あれは、魔女!?」


 ソーニャのに気が付いた人の言葉が、彼女の耳に入りました。

 ソーニャは身を固くします。

 けれども、何も怖がることはありませんでした。

 みんな、先ほどのキースと同様に、いえ、それ以上に、次々に絶え間なくソーニャへお礼を伝えました。


「魔女のソーニャさん。その節はありがとうございました! おかげさまで妻は今でも健康です」

「本当にありがとうございます! お陰様で、母は寿命いっぱい生きることができました」

「ありがとうございます!」

「ありがとう、ソーニャさん!」


 みんな笑っていました。

 幼きころ見た意地悪な、歪な笑顔ではありません。

 心から感謝の気持ちを持った人の笑顔でした。



 ジェイドの瞳から、雫が垂れおちました。

 とめどなく溢れ、頬に痕を残していきます。

 鼻も目も真っ赤になってしまいました。


「魔女さま、どこか痛いの?」

「魔女さま、悲しいの?」


 子どもたちが心配そうに顔を覗のぞき込みます。

 ソーニャは、首を横に振りました。

 言葉は音になりません。



 この涙が、いつもの塩辛いものとは違うことに、ソーニャは気づいていました。

 いつもは胸がズキズキと痛むのに、ぽっかりと虚しさが襲うのに……今はどうでしょう。

 胸はきゅっと音を鳴らし、心地よい痺れを感じます。虚しさはおろか、ぽかぽかしたもので満たされていました。


「それが嬉し泣きだよ」


 ソーニャの後ろから声がしました。

 フレンのものでした。


「嬉し泣き……」


 ソーニャは、初めて悲しみ以外の感情で泣いたのです。

 塩辛いのも、目が熱く火照ほてるのも、鼻がツンと痛むのも、いつもと変わりません。

 けれども、"嬉し泣き"というのは、とても心地よいものでした。

 幸せでした。




「フレン。わたし、間違っていたわ。外の人が怖いって決めつけたりしないで、きちんと向き合えばよかった。そうすれば、嬉しい涙も、もっと早く知れたかもしれない」

「そうだね。ひとりで知ることのできる感情は少ないよ。たとえ失敗しても怖がらずに向き合っていかなきゃね。ソーニャならきっとできるよ」


 フレンの優しい言葉に、ソーニャは笑みを浮かべました。

 それは、まっ白な積雪からひょっこりと顔を出した雪中花のような、可憐なものでした。



 フレンは、にっと口角を上げると、ソーニャを引き寄せ自分の胸におさめました。

 そして、嬉しそうに言うのです。


「ソーニャ。僕がこれからも色んな感情を君にあげる。どうか僕の隣で生きてほしい」


 フレンの突然の申し出に、街人の歓声が上がりました。

 その声にかき消されてか、ソーニャの返事は聞こえませんでしたが、フレンの背中に回された手を見れば……お分かりですね。




  ◆  ◆  ◆




 大陸の西、国境の半分が海に面した小国・アルカンドラ王国には、ある噂がありました。


『魔女の涙は、百薬の長 どんな病も、たちどころに治る』


 ある人にとっては、絵空事。

 ある人にとっては、最後の頼みの綱。

 そして、バーナード領の民にとっては、嘘偽りのない真実でした。 




 領主フレン・ナシャータ・エルカ・アルカンドラの治世下において、バーナード領の民はみな健やかに暮らしました。

 領主の隣にはいつも、シルバーホワイトの髪の女性がいたといいます。



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魔女の涙―孤独な魔女は嬉し泣きを知らない― 駿河 晴星 @Sei_WindMasters

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