第09話「SUFFOCATE」

 ボディバッグからアランの指を引き出してセンサーにかざすと、ドアは気圧の差が埋まるとき独特の音を発して開き、廊下は爆音の音楽に包まれた。

 慌てて部屋に駆け込んだヨランダが、コンソールパネルの上にあるビンテージもののコンポのスイッチを切る。

 僕たちはふさいでいた耳から手を離し、改めて部屋の中を見回した。


 空気がよどんでいるような気はしたが、何の飾り気もない、僕らのと同じシンプルな部屋だ。隅にあるベッドには、就寝用のベルトで固定された姿のレジーが眠っている。

 いや、眠っているように見えた。と言うのが本当だろう。いくらなんでもこんな環境で、微動だにせず眠り続けることなど出来ないだろうとは、僕たち全員が思っていた。


 意を決してレジーの傍らに立った僕は、恐る恐る手を伸ばし肩をゆする。

 触れた瞬間に分かる生命の抜けた皮膚の感触。

 生きている時と同じ物質で構成されているはずなのに、まるで10倍もの厚みになったかのような弾力の無い彼の皮膚は、固く、冷たく、僕の指を拒んだ。


「死んでる」


 僕は誰もが分かっている結論を告げる。

 僕の体を押しのけたドンソクが、レジーの口に耳を近づけ、頸動脈をふれて脈を診て、瞳孔を確認した。サイドテーブルの引き出しも勝手に開け、中からピルケースに入った何らかの薬品も見つけ出す。

 錠剤に刻まれたアルファベットを素早く確認し、通信端末で検索を掛けた彼は、納得したようにうなづいた。


「分かりにくいが、チアノーゼが出ているようだ。窒息死だろう。薬は……ずいぶん強い薬のようだが、一応合法の睡眠薬だ。眠っている間に何らかの原因で窒息したのだろう。死後……半日と言ったところか」


 最後に「素人の考察だがな」と言い添えて、ドンソクはそう語った。

 僕はもう一度レジーを見る。

 最初に見たイメージの通り苦しんだ様子もなく、本当に今見てもただ眠っているだけのようにも見えたし、口や鼻の周りに何か詰まるようなものも見当たらない。

 眠っている間の窒息死と言うのは、苦しみも感じないのかもしれないが、そもそも喉に詰まらせるものも首に絡まるものもないこの状況で、どうやって窒息したと言うのだろうか。


 疑問を頭の中で整理している僕と、まだレジーをあれこれ調べているドンソクの間に割って入ったジェラルドが、神に祈りをささげながらレジーの両手を胸の前で組ませた。

 ドンソクがジェラルドに向かってため息をつき、せっかく組ませた指先や爪を調べる。

 何度も頭をひねりながら勝手な捜索を続けるドンソクは、顔も上げずに言葉をつづけた。


「……ヨランダ、レジーは日常的に睡眠薬を?」


 その言葉で後ろを振り返ると、ヨランダは胸を押さえてうつむき、肩を上下させていた。

 すっかり失念していたが、日常的にDVを受けていたとはいえ、恋人が死んだのだ。僕は彼女の元へ向かい、肩を抱いた。


「ヨランダ、大丈夫?」


 触れられたとたん、ビクリと体を震わせた彼女は、まるで人が近づいてきたことに初めて気づいたように顔を上げ、それが僕だと言う事をゆっくりと認識して、体の力を抜いた。

 もう一度ドンソクが同じ質問をする。

 ヨランダは「ええ、毎日飲んでいたわ」と少しかすれた声で答えた。


「……部屋で横になった方がいいよ」


「そうじゃな、蓼丸たでまるくん、連れて行ってやってくれんか?」


 憔悴している様子のヨランダを気遣ったジェラルドの言葉に、僕は彼女の手を引いて部屋を出ようと移動を始める。

 それまでレジーの体を調べていたドンソクが急に顔を上げ、僕らを止めた。


「ちょっと待ってもらいたい。ヨランダ、恋人が殺されたというのに随分と落ち着いているようだが、まさかすでに死んでいることを知っていたんじゃないだろうね?」


「なにを言っておるんじゃ。口を慎まんか」


「いや、言わせていただこう。パイロットが死んだ時には半狂乱になって悲鳴を上げていたというのに、近しい人間が死んだ今は、ただ俯いているだけ。……私にはとても不自然な反応に見えるのだが」


 ヨランダはまた体を固くして、顔を伏せる。

 尋問みたいなことをやめさせようと、僕は彼女を体の後ろに隠そうとしたが、気丈なヨランダはドンソクの冷たい視線をキッと見つめ返し、口を開いた。


「アランが亡くなった時には取り乱してしまって済みませんでした。今は自分を律することが出来ています。……成長するのが人間でしょう?」


「それだ。ヨランダ、キミはパイロットとは知り合いだったのかね?」


「……なぜそんなことを?」


「一言二言言葉を交わしただけのはずのパイロットを、キミだけが『アラン』と名前で呼ぶ。……それから、キミの個人の通信端末の中に2人で写っている写真を見つけたのだ」


 自身の犯罪を軽く告白し、ドンソクはコピーをとったのであろう写真を自分の通信端末に表示する。

 そこには、パイロットスーツ姿のアラン・クライトンと、キャビンアテンダントだったころのヨランダ・真里・ドロブニッチが、まぶしい日差しの下、仲睦まじく笑顔を見せていた。


「……ええ、レガンスエア時代の友人だわ」


「なぜ隠して居たのかね?」


「レジーの前では、古い男性の友人なんて口が裂けても紹介できなかったのよ。分かるでしょう?」


 納得できる理由に、僕はうなづく。

 それよりも、犯人捜しのためとはいえ勝手に彼女の荷物を漁ったドンソクに、僕は最初に出会った時の嫌悪感がよみがえるのを感じた。


「ドンソク、探偵ごっこはそこまでにしなよ」


「ドンソクさんと呼べと何度言えば――」


「――黙りなよ犯罪者。僕は船を降りたら、キミの犯罪行為を告発する」


「それは好きにするがいい。だがいいのか? その女は連続殺人犯かもしれないのだぞ」


 連続殺人と言う言葉に、僕は思わず冷笑を顔に浮かべた。

 最初からそうだった。不幸な事故が続いたこの旅の間中、自称小説家と言う妄想癖の強い彼の頭は、殺人事件が起こっているという妄執に凝り固まっていたのだ。


「パイロットの死は重力・気圧変化による脳血管性障害だって言ったじゃないか。それは君も認めていたはずだ。それに、レジーはロックした自分の部屋の中で眠ったまま死んでた。苦しんだ様子も争った痕跡もない。たぶん心臓麻痺とかそんな突然死だよ。それともキミは、開けるまでに1時間もかかったこの部屋で……密室殺人でも行われたって言いたいわけ? バカバカしい。バカバカしいよ、小説家の先生」


 思いっきり皮肉を込めたつもりで、僕は一気にまくしたてる。

 ちょっと息苦しさを感じた僕は、強く大きく深呼吸をした。


 その僕の姿を見て、ドンソクが天井を見上げる。

 静かに僕たちの話を聞いていたジェラルドも、何かに気付いたように周りを見回し、顔の周りで手のひらをパタパタと動かした。


「どうも空調が止まっているようじゃな」


 そう言いながらコンソールに近づいた彼は、空調のスイッチをカチカチと操作したが、スイッチは何の反応も示さない。

 それを見ていたヨランダが、僕の袖を引いた。


「以前聞いたことがあるわ。無重力の空間では空気の対流がほとんどないの。だから、眠っている時みたいに静かに長時間呼吸していたり、一気に大量の酸素を消費したりすると、周囲の酸素が失われて二酸化炭素が顔の周囲に溜まって、窒息死することもあるって……」


「そんなことは常識だ! だからこそ空調が止まったり、故障したのに警報もならないなどと言う事はあり得ない」


「警報装置も同時に故障したんではないかの?」


「それこそあり得ない。生命維持はすべてに優先されるのだ。何重ものチェックが行われ、そのどれが故障しても他のチェック機構から警報が鳴る。チェック機構を良く知る人間が、完璧に同期をとって故意に手を加えたとしか思えん。少しでも停止させる時間がずれたら、遅れた方のチェックに引っかかるのだからな」


「ドンソク……ドアのロックの事だってさっき見たじゃないか。このスペースシップのプログラムはどこか抜けてる。そんな偶然の抜け道があったとしても、僕はいまさら驚かないよ。それに、そんなにたくさんのチェック機構を完璧に同時に止めるなんて人間業じゃない。不可能だよ。何でもかんでも殺人犯ありきで考えるのはやめた方がいい」


 チェック機構を完璧に同時に止める。

 いつもの癖で、それを実現するにはどんな方法があるのだろうかと無意識に考えていた僕は、一つの可能性を見つけた。

 このスペースシップには、最低限の生命維持以外のシステムが全て停止していた時間があった。

 太陽光発電装置が故障して、全船が停電状態になったあの時間だ。


 そしてあの時間に、仲間の監視を受けずに、一人で行動できた唯一の人間。


 僕は思わずヨランダの顔を見た。

 さすがは元キャビンアテンダントだ。美しく整った顔が僕を見返す。

 この航空会社「レガンス・エア・ツアーズ(LAT)」が「レガンス・エア&スペース・ツアーズ(LAST)」に名称変更し、この小型スペースシップでは基本的にキャビンアテンダントの仕事は無いと決まった直後に辞めたとはいえ、スペースシップについての研修は受けているだろう。

 パイロットのアランとも、ミュージシャンのレジーとも、どちらとも知り合いであるただ一人の人物で、スペースシップや無重力空間の知識もある。


 まぁあの船外活動の時、僕が見たヨランダは部屋で突っ伏していたんだ。何か細工をする時間は無かっただろう。

 ……いや、そもそもあの部屋は本当にヨランダの部屋だっただろうか?

 隣のレジーの部屋と勘違いしてはいなかっただろうか?

 だとすれば、僕が見た「コンソールに突っ伏して泣いている可哀そうなヨランダ」は、もしかして「警報装置が止まっているのを利用して、コンソールに細工をしているヨランダ」だった可能性も否定できない。


 僕は全て事故だと思ってはいたが、もし殺人であると仮定するならば、彼女以外に犯人はあり得ないような気がした。

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