グラビティ・フリー・フライト
寝る犬
第01話「BECOME THE ZERO G」
何の知識も持たない一般の人間が、相応の代価を支払いさえすれば、誰でも訓練もなしに宇宙旅行へ行けるようになって、もう数年にもなる。
今年参入が相次いだローコストキャリア(LCC)の一つ「レガンス・エア&スペース・ツアーズ(LAST)」による宇宙航路就航記念の初フライトに招待され、僕を含めて見ず知らずの乗客5名が乗り込んだスペースシップは今、宇宙空間を地球と月とのラグランジュポイントL1に建設された宇宙ホテル群へと1泊2日の行程で飛んでいる。
巨大な飛行機に吊り下げられたスペースシップがロケットエンジンを唸らせて大気圏を抜けた後、完璧な無重力空間を味わうことになった僕たちの興奮は筆舌に尽くしがたく、LCCらしく質素な機内食も、思ったよりも狭い個室も、「無重力の旅」と言う魅力の前では些細な問題でしかなかった。
――だがそれも、もう過去の話だ。
僕たちがそれぞれの個室で初めての無重力の世界に心を躍らせているまさにその頃、スペースシップを操縦することのできる唯一のプロであるパイロット、アラン・クライトンが、謎の死を遂げたのだった。
僕たちを「快適な
以前はNASAのパイロット候補にもなったことがあるという触れ込みの50代のメインパイロット、アランは、パイロットシートに体を沈めたまま目を見開いていて、紅潮した顔には血管が浮かんでいた。
第一発見者である初老の男性はジェラルド・バルサー。グレーの髪を短く刈り込んだ、年齢の割には体格のいい男だった。
彼がトイレの使用方法を確認しようと操縦室へと向かうと、眠っているアランを見つけたという。
職務怠慢を問いただそうとジェラルドがアランの肩に手を掛けると、ベルトでシートに固定されていたアランの頭がぐらりと揺れ、その無重力により膨れ上がった顔でジェラルドを
ジェラルドは慌てて彼をシートから引きはがし、蘇生処置を試みた。
しかし、その騒ぎに僕たちが気づき、パイロットルームに集まったころには、ジェラルドの救命処置は無駄に終わっていた。
唯一の女性搭乗客が半狂乱になって悲鳴を上げ、肌の黒い若い男がその肩を抱く。
緊急用の通信装置に気付いた僕は、宇宙ホテルに併設された宇宙港の管制と連絡を取った。
管制が遠隔でチェックを行ったところ、幸いスペースシップは自動運転に移行しており、月スウィングバイでの減速とL1ハロー軌道への投入までは、パイロットが居なくても行われると言う落ち着いた説明に、僕たちはほっと胸をなでおろす。
その後はハロー軌道上で宇宙港から別のパイロットがこの船へと乗り込み、宇宙港へは「何の問題もなく」安全に着陸できると言う。
死亡したアランは重力・気圧変化による脳血管性障害の可能性が高いとの所見だったが、詳しいことは宇宙港へ到着してから調べると言う事になった。
とにかく、このまま宇宙を彷徨うことになったり、スペースシップが爆発したりと言うようなことは無いようだ。僕たち乗客5人はお互いの安堵の表情を確認し、早くも紫色の死斑が広がり始めているアランの遺体を協力して遺体収納用のボディバッグへと詰め込むと、誰からともなくそれぞれの個室へと戻ることになった。
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