第03話「PRIVATE DETECTIVE」

 空中に漂いながら、飽きもせずに宇宙空間を眺めていた僕は、ノックの音に現実へと引き戻された。

 本当に小さなその音に、声を出すのもはばかられるような気持ちになって、黙ってそっとドアに指を滑らせて、今となっては珍しい指紋認証のロックを開く。

 事故の際に各部屋が脱出ポッドとなるように設計されたというドアは、気圧が均一化されるとき独特の音を小さく鳴らして、素早く開いた。


 通路のスロープにつかまってそこに立っていたのは、僕の期待した女性の姿ではない。

 黒い衣服に身を包んだ長身の男。

 パクは素早く周りに目を配り僕に顔を近づけると、かすれたようなささやき声を漏らした。


「死体を確認する。ついて来たまえ」


「何を確認するって?」


 彼は僕の疑問を無視して、周りをうかがいながら操縦室へと向かう。

 仕方なく僕も彼についてスペースシップの中を進んだ。


「他殺かどうかを調べるのだ。何かあった時に証人となる人間がほしい」


「……光栄ですね。あなたが僕のことを証人として選ぶなんて」


「なに、気にすることは無い、単なる消去法だ。レジーとヨランダには声を掛けられない。ジェラルドは、これが殺人であった場合の第一容疑者だ。パイロットが生きていれば彼が適任だったのだが、死んでしまっている。そうなると残念ながらこの船にはお前しかしか残っていない。理解できたかね? 日本人」


「ジェラルドが容疑者だって?」


 皮肉を効かせて言葉を返したつもりが、僕は彼の言葉に思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

 睨むパクの視線に口を閉じた僕は、モヤモヤとした気持ちを胸に、ただ彼のあとをゆっくりと進んだ。


 誰も部屋から出てくる気配がないのを確認して、苦虫を噛み潰したような顔のパクが小さくうなづく。

 僕は説明を求めて、彼の黒い瞳を見つめ返した。


「第一発見者を疑うのはセオリーだ」


「それだけの理由で?」


「わからん奴だな。だからそれを調べに行こうと言ってるんじゃあないか」


 地球を旅立った空港のあるスウェーデンの時間に合わせて調光されている船内は「夜」の明るさになっている。

 僕たちの移動に合わせて周囲は薄明るく照らされはするけれど、パクはどこからか取り出したペンライトで進行方向を照らしながら進んだ。

 操縦室に到着し、エアロックを開く。

 僕たちが端に寄せたアランの遺体は、数時間前に固定された場所にじっとたたずんでいた。


 パクは無言のままペンライトを口にくわえ、ボディバッグのジッパーを下ろす。

 丸く、明るいLEDライトの光に照らされた顔は、ひどいものだった。


「ふむ、やはり脳内出血……くも膜下出血あたりか」


 口からライトをとり、遺体の隅々を照らしてゆく。

 僕はその風船のように膨らんだどす黒い顔、見開かれたままで今にも飛び出しそうな目、ぽかんと開かれた口、そして紫色に変色した首筋を見て吐き気をこらえた。

 正視できない僕は、早々に操縦室の外へと移動し、ちょうどよく調整された空気の中、少し震えながら深呼吸をする。

 2~3分も経ったころだろうか、パクも調査を終えて部屋からぬっと顔を出した。


 逃げ出した僕に勝ち誇ったような顔を向け、彼はエアロックを閉じる。

 少し気まずいものを感じた僕は、務めて平静を装った。


「どう?」


「やはり外傷はない。死後の経過を見ても、脳内出血からの急死だろう」


「……パクは医者なの? それとも検視官?」


「小説家だ」


「小説家って、死因の特定までできるんだ」


「もちろんネットで調べたのだよ。日本人、お前の持っている端末は何のためにネットワークに繋がっているのかね?」


「……ああ。なるほど。……ところでいい加減その『お前』とか『日本人』とか呼ぶのはやめてもらえないかな? 僕にも一応蓼丸たでまる 宗也そうやと言う名前があるんだ。宗也でいいよ」


「ならばお前も……宗也もパクと呼ぶのはやめるんだな。呼ぶならば『パク・ドンソクさん』か『ドンソクさん』だ」


「わかった。ドンソク」


「……頭が悪いのか、それともわざとやっているのか? 目上の者には敬称をつけろ。タメ口で呼ぶのを許すとしても『ドンソガ』だ」


 確かに彼は40代で僕は35歳だが、年齢以外に彼を尊敬する理由も見当たらない。年齢が上だろうが何だろうが、僕は尊敬のできないものを「目上の者」だとして敬称をつける気にはなれなかった。それに、韓国の名前の呼び方やルールにも全く興味はない。

 僕は彼をドンソクと呼ぶことに決定して、でもあえてそれは口に出さずに、ただうなづいた。


「ところで、死因はくも膜下出血で間違いないんだよね?」


「ああ、宗也も見ただろう。無重力に入った時に我々の頭にも血は上ったが、あの顔の腫れあがり具合はそんなものじゃない。……たぶん無重力が引き金になって脳内の血圧が上がり、出血を起こして死亡したのだろう。脳内の出血でこうも早く死亡したのだから、くも膜下出血である確率が高い。まぁあくまで素人の診断だがね」


 地上で生活をしている僕たちの血液は、重力により下半身に集中している。

 これが宇宙に出て無重力状態になると、血液は全身に均等に分布することになるため、健康な人でも顔はむくみ、血管も浮き出すのだ。

 数日から数週間で心臓も環境に順応し、それも少しずつ収まるのだが、血圧や何かに健康上の問題を抱えている人にはそれが致命傷になることもある。


 もちろんパイロットなのだから、その辺りの診断は受けた上での搭乗ではあっただろうが、あり得ない話ではないと、ドンソクはネットで調べた知識を語った。


「じゃあ、殺人じゃなかったってことで良いね?」


「ふむ、今のところは事故死……あるいは病死の確率が高いな」


「だろうね。まぁ僕は最初から分かってたけど」


 ドンソクの故郷ではどうだか知らないけど、だいたいどこの世界でも、小説みたいに簡単に殺人事件が起こったりしないものだ。

 鼻息荒く勝利宣言をした僕へ蔑むような視線を向けて、ドンソクが反論しようと口を開きかけたとき、船内に緊急事態を知らせるアラームが鳴り響いた。

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