最終話「MAKE A LANDING」

 日曜の午後、東京の片隅で、僕はコーヒーをすすりながら情報端末でニュースサイトを開く。

 そこには小さくドンソクの顔写真が載っていて、一審で執行猶予なしの有罪判決が出たと言うタイトルが躍っていた。

 パク・ドンソク。無名の自称小説家。韓国国籍。42歳。独身。

 LCCによる宇宙旅行の際、パイロットや同乗客の死によって精神錯乱を起こし、次々と他の乗客を襲ったとある。

 被告は判決を不服として上告するそうだ。


 僕を睨んでいるようなドンソクの写真を閉じ、僕は情報端末をポケットにしまう。

 春のうららかな風に、河川敷の桜が空を舞った。


 あの事件から、もう数か月が過ぎていた。


 ジェラルドはなんとか一命を取り留め、僕も数日間は入院したが、すぐに復職した。

 そして今日、突然連絡をもらい、あれから初めて彼女に会うことになったのだった。


「宗也」


「やぁヨランダ。久しぶり」


 彼女は春色のカーディガンを肩にかけ、まぶしげに空を見上げながら現れた。

 あの日、スペースシップで飲んでから好きになったという紅茶を注文した彼女は、地球に帰ってきてからの事を淡々と話してくれた。


 レジーとはもともと内縁関係だが、南アフリカの風習として遺産の分与があったため、金銭的には何不自由ない生活をしているという。

 ただ、やはりマスメディアやネット上では、彼女はセンセーショナルな好奇の対象であり、人によってはアランとの不倫関係やレジーの殺害を噂する者たちも少なくないため、旅から旅へ点々としているのだそうだ。


 僕も、ネットや雑誌はいくらか見た。

 何か所からか、取材の申し込みも受けた。


 それでも僕はただ事件に巻き込まれただけでなにもしていないし、面白い話もできないからと、そのすべてを断っていた。


「ええ、だから来たのよ」


 彼女はもう誰も信用できなくなっていたのだ。

 全ての人を遠ざけ、完全に一人で生きている。それでもやっぱり寂しくなることはあるのだと、彼女は笑った。


「車で話さない?」


 周囲の何人かが彼女に気付きはじめ、少しのざわめきが起き上がったのに気付いたヨランダが僕を誘う。僕は今日、会いたいと言う彼女の言葉でここまで来たのだ。ここで断るわけもなかった。





「今安心できるのはここだけ」


 彼女のイメージとは程遠い、フルスモークでゴツゴツとした、まるで戦車のような車に僕らは乗った。

 バッグから取り出した情報端末で何かをチェックする。

 それはこの車に盗聴器や発信機などが付けられていないかを自動でチェックしてくれるアプリだった。


 端末をしまい、車を走らせる。行先も告げずに高速道路に乗った彼女は、海へ向かってアクセルを踏みこむ。

 まるで大気圏を抜けたあの宇宙旅行のようなGを感じて、僕らは高速を走った。


「全部聞いてほしい」


 彼女のお願いはそれだった。

 だいたい予想していた僕は「いいよ」と軽く答える。

 一度ペットボトルの紅茶でのどを潤した彼女は、ゆっくりと話し始めた。



 レジーとは、9年前に出会った。

 彼女が19歳、彼が15歳。


 レジーがミュージシャンとしてデビューしたばかりのころで、LCCのエコノミークラスしか使えないような時から、付き合いは始まった。

 最初はお互いに結婚も考えていたのだが、レジーの曲が爆発的なヒットを見せるにしたがって、ヨランダの存在は陰に隠されるようになって行く。

 のみならず、レジーは少しずつ、暴君の本性を現してゆくことになったのだ。

 一度は別れを決意したヨランダだったが、怒り狂ったレジーは金にモノを言わせて、ギャングのような者たちに彼女を探させた。

 彼女をかくまった友人にまで危害が加えられるに至って、彼女はもう全てをあきらめるようになる。


 そんな時、職場で彼女に安らぎを与えてくれたのがアランだった。

 自分の倍の年齢で妻子も居るアランと男女の関係になることは無かったが、それでも、ヨランダの心は彼によって救われた。


 しかし、今年に入ってレジーは、ヨランダに男の影があるのに気付いた。

 アランのことはバレてはいなかったが、知られてしまうのは時間の問題だろう。

 その問題を相談すると、長年レジーの暴力にヨランダがが苦しめられたのを知っていたアランは、ある計画を練り上げる。


 それが今回のレジー殺害の計画だった。


 タイマーによりスペースシップの電源を落とし、その間にレジーの部屋の空調を切る。チェック機構も全てOFFにするのは、船外活動をしているアランには無理なのでヨランダの役目だ。

 レジーは強い睡眠薬を常用しているので、空調の切れた部屋で眠れば、数時間で勝手に窒息死してくれる。

 後は宇宙港に着陸した後に、全ての機器をONにするだけで、睡眠時無呼吸症候群での突然死は完成する。

 外傷もない。死亡したときのアリバイはロック機構が証明してくれる。ただそれだけ。簡単で完璧な計画であるはずだった。


 アランの持病が悪化して、よりによって無理をして乗り込んだこの旅の始まりに、彼が死んでしまうまでは。


「そういう事よ。もう裁判は終わっていて、私には無罪判決が出ているけど……話したければどこで話そうとも構わないわ」


 ギアを落とし、アクセルを深く踏み、彼女は車線を替えて疾走する。

 僕は真っ黒なスモークガラスに映る彼女の無表情な顔を眺めながら、ただ「言わないよ」とだけ答えた。





 大きな夕日が背後に輝く時間に、僕らは海岸に立っていた。

 彼女はヒールを脱いで、砂浜を歩く。


 僕もゆっくりと、その後ろをついて歩いた。


「ねぇヨランダ。レジーのこと……本当に好きだった?」


「ええ、とても……好きだったわ」


「アランも?」


「もちろん、好きだった。でも……」


 彼女が振り返り、指に引っかけたヒールがゆらりと揺れる。

 夕日が影を作り、彼女の表情を隠した。


「……宗也。一緒に旅をしない?」


 波が寄せ、波が引き、最後の陽光を反射して海が輝く。


 きらきらと輝く光の中、一歩彼女へと歩み、口を開いた。

 なぜだか突然空気が薄くなったような感覚に襲われ、僕は喘ぐように息を吸う。


「――」


 僕の答えは波の音にかき消され、誰の耳にも届くことは無かった。



――了

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