第08話「NOISY NEIGHBOR」
翌日、僕はよく眠れないまま朝を迎えた。
もちろん、朝とは言ってもスペースシップの基準となっているスウェーデンの時計がその時間を指したと言うだけで、太陽が昇ったり、朝日が差し込んだりした訳ではない。
それでも、朝7時を指し示す時計に合わせて、廊下やラウンジの照明は朝の波長をもつ光に変わり、酸素の濃度もさわやかな早朝の空気へと変わる。
僕は一つ伸びをすると、部屋のロックを解除してラウンジへ向かった。
「おはよう、宗也」
「おはよう、ヨランダ」
ラウンジにはヨランダの姿しかなく、僕は軽く挨拶をしてソファの上を漂うと、体を収める。
口数の少ない彼女につられて、静かに流れるグリークのペール・ギュント組曲『朝』を聞きながら、黙って食事をとった。
やがて、ジェラルドが姿を現し、ラウンジはにわかに賑やかになった。
ジェラルドがほとんど一人でジョークを話し続け、レンジで温めた機内食を食べ終わると、ナプキンで口を拭って、自分の腕時計を確認した。
「ふむ、ボーイスカウトでは無いにしろ、さすがにこの時間まで寝ておるのは感心せんな。どうじゃろう、そろそろ眠り姫たちを起こしに出かけんかね?」
ラウンジの時計を確認すると、時刻は9時。
そんなに遅い時間とも思わなかったが、僕が眠れない夜を過ごしたと言うのに惰眠をむさぼっているドンソクを想像して、起こしに行くことを決めた。
レジーは自分の起きたい時間以外に目を覚ますと不機嫌になると言うのですこし放っておくことにしたが、とりあえず僕とジェラルドはヨランダを置いて個室の並ぶ廊下へと向かう。
左右に3つずつのドアが並ぶ廊下で、僕らは丁度ドアを開けて部屋から出てくるドンソクと出会った。
しかし、僕の記憶が正しければその部屋はドンソクの部屋ではない。僕の部屋の斜め向かい側のドア、それはヨランダの部屋であるはずだった。
「……ドンソク、その部屋で何をしている?」
思わず自分の声色が1オクターブ低くなっていることに僕は気づく。
一瞬僕の顔を忌々しげに見たドンソクは、小さくため息をつくとドアをしっかりと閉じ、こちらに向き直った。
「いやなに、レジーの部屋で鳴っている音楽がうるさくてね。ドアベルを鳴らしても出てくる様子がないので、ヨランダにボリュームを下げるように言ってもらおうとここに来たのだ。すると偶然ドアがロックされていなくてね。開いたところに宗也、キミが偶然居合わせたと、ただそれだけのことだよ。……キミが考えているような事は何もない」
「中に入ってただろ?」
「ドアが開いたので、ヨランダが居るのかと中を覗いただけだ」
確かに、僕が見たのはドンソクがドアから出てくる姿だけだ。ちょっと身を乗り出して中を確認し、すぐに出てきたのだと言われれば、それを否定できる根拠はない。
しかし、僕は今までのドンソクの行動と、昨日の夜に彼が語った「パイロットを殺したのかもしれない犯人、僕を殺そうとしたかもしれない犯人」と言う言葉から、ドンソクが殺人の証拠を探っていたのではないかと言う考えが頭から離れなかった。
僕とドンソクの間に微妙な緊張が走る。
その空気を察して、ジェラルドが僕の肩にポンと手を乗せた。
「まぁそうピリピリするんじゃない。パクくん、あんたも開いていたとはいえ女性の部屋を勝手に覗き込むのはいい趣味とは言えんの」
「ふむ、たしかに軽率だった。ミスタージェラルド、今後は気を付けるとしよう……すまない」
ジェラルドにたしなめられ、ドンソクが謝罪をしたとなれば、僕一人がいきり立っている訳にもいかない。
後でヨランダに謝罪することを約束させて、僕はとりあえず追及をやめた。
「さて……」
この話はこれで終わりだとばかりに両手をポンと打ち合わせて、ジェラルドは今ドンソクの出てきたドアのもう一つ向こう側、全く同じデザインのドアへと視線を向ける。
僕らもつられて目を向けたそのドアの向こうからは、防音構造になっているのにもかかわらず、ズンズンとお腹に響くような重低音が聞こえていた。
「この様子だと、ずいぶん大音響で鳴ってるみたいですね」
「ああ、もう1時間以上も鳴りっぱなしだ」
「ワシが起きた7時30分にはまだ鳴っておらんかったはずじゃ」
ジェラルドが腕時計を確認する。
9時10分。
ドンソクの言葉が確かならば、ジェラルドがラウンジへ向かった直後から鳴っていることになる。ミュージシャンの生活がどのようなものかは想像もつかないが、さすがにそれは文句を言ってもよさそうな気はした。
何度もノックをして、ドアベルを鳴らしたが、やはりレジーが出てくる様子はない。
ラウンジのヨランダも呼んで電話も鳴らしてもらったが、それにも反応はなかった。
「おかしいわ。目覚まし代わりに音楽を鳴らすとしても、こんなに長く起きてこないなんて事は今までなかったわ」
最初は単なるレジーの迷惑な行動だろうと苛立っていた僕たちも、さすがに少し心配になる。
しかし、ドアロックは指紋認証でロックされており、マスターキーとして登録されているアランも今はもう亡くなっている。中からレジーが解除してくれない限り、このドアを開く
僕とヨランダは操縦室へと向かう。僕がサブパイロットコンピューターへ向かい、なんとかロックを解除する方法を探っている隣で、彼女は宇宙港との緊急通信で状況を説明していた。
何度目の「緊急」通信だろう。
その古い電話機のような形の仰々しい通信装置を眺めて、僕は自嘲的に笑う。
コンピューターからも緊急通信装置からも「しばらくお待ちください」と言う言葉の後に帰ってきたのは、「セキュリティポリシーの都合上、個人のロックは解除できません」と言う紋切り型の返事だった。
「メインまたはサブパイロットの生体認証を使用して解除してくださいですって」
「コンピュータの回答も全く同じだよ」
メインパイロットは死亡していて、サブパイロットに至っては元々生体ですらない。
通常のパイロット2名での運用から設定を変更していないのだろう、この単純で致命的なミスを孕むお粗末なシステムを作った人間のことを考えると、僕は同じエンジニアとして寒気を覚えた。
だがいつまでもプログラマに同情もしていられない。
後で問題になるだろうが、システムをハックしてアドミニストレータ権限を手に入れ、誰かの指紋をマスターとして登録するくらいしか思いつかないが、それもどのくらい時間がかかるかは分からなかった。
新しいパイロットが乗り込んでくる予定の午後までかかると言うなら、大人しくハロー軌道への投入と、到着を待った方がいい。
そう考えれば、僕がわざわざサイバー犯罪に手を染める必要は無さそうだと僕は考え直した。
ふと操縦室の片隅、壁際に固定されたアランの遺体が目に入る。
そもそも彼が生きてさえいてくれたなら。
そんな是非もない事を考えていた僕は、ある事実に気づいて膝を打った。
「どうしたの?」
「いや、どうして思いつかなかったんだろう。単純なことだ。この船の旧式の指紋認証装置なら、パイロットに開けてもらえば良いだけだったのに」
「宗也、アランはもう……死んでいるのよ?」
「うん。でもそれは大きな問題じゃない。生体認証とは言っても、ただ指の模様を画像認識しているだけの旧式のロックは、細緻なコピーでも開けられるからね。本人の指があると言うのなら、それはもう鍵の現物があるのと同じだよ」
またあの膨れ上がったアランの顔を見るのは気が進まなかったが、今はそんなことも言っていられない。
僕は壁の留め金を外し、アランの遺体が詰まったボディバッグを引っ張りながらレジーの部屋へと向かった。
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