物語は続いていく

「……俺の負けだよ。リン。完敗だ。約束通り、なんでも言うこと聞いてやるからな」

 心からの気持ちをこめて、俺は言った。

「………………」

「俺にできることならどんなことだって」

「……ううん」リンは、ぎゅっとしがみついて、静かに俺の言葉を遮った。「……いっこだけでいいよ」

 ずっとそばにいて。

 そんないじらしい言葉に、胸が張り裂けそうになった。頭がクラクラする。夢か、これは。確かめるようにリンの頭を撫でる。サラサラの髪の毛をすく。ピンク色に上気した頬に触れる。いい匂いのするマフラーに自分の顔を埋める。夢でもない。幻影でもない。リンは、はっきりとそこに居る。肉付きは違うけど、肩とか背中とかに、遠い日のリンの面影を感じて嬉しくなる。

「リン。聞いてくれ」

 なに、と呟こうとして声にならず、かすれた息が漏れただけなのが、たまらなく愛しい。

「あのとき言えなかった言葉があるんだ」

 すーーっとリンが静かに息を吸って、そして吐いた。

 コクン、と小さな頭が動くのを肩の上に感じる。


 愛してる。

 おまえが好きだ。

 二度と離さない。

 ずっと一緒に居てくれ。

 想いがあふれ、言葉にできない。

 俺はぱくぱくとコイみたいに口を開く。


「……なあに?」俺の肩に頭を置いたリンが、静かに耳元でささやく。色気を帯びた甘い声。「……ちゃんと、聞かせて?」


 お前が居れば他には何もいらない。

 ただ、そばで笑っていてくれれば、それだけでいい。

 聞いて欲しい話がたくさんあるんだ。

 お前に聞きたいことだって山ほどある。

 お前が実の妹とかじゃなくて本っ当によかった。

 お母さんに、今度こそ自信もって言ってやるからな。リンは俺がもらうって。

 ダメだ。喉がつまって言葉が出てこない。

 なんのために、俺は今日まで頑張ってきたんだ。

 矜持よ、我に力を。


「俺は……」

 とつぜんリンが俺から大きく身体を離した。

 飛び出すんじゃないかというくらい大きく目を見開いて。

 期待に満ちた顔で。

 俺を見る。黒目が涙の膜でキラキラ輝いている。美しく整った大人びた顔で、こんな子供みたいな表情されると、ギャップが凄まじい。

「俺は……」

 うん。うんっ。うん!

 リンが大きくうなずきながら、幼い動作でどんどん顔を近づけて来る。

「俺は……おれは……おまえが……」

 バカみたいに繰り返す。

 い、い、言えねーーーーー。

 なぜだ。どうして、こう、いつも肝心なところで、歯が浮くセリフが得意なはずのタキくんはこうなんだ。

 カッコつけて、バス降りて、走ってきて、なのにこのザマか。

 リンも絶対そう思ってるはず……。

 ……あ、ホラ。ジトっとした半目で俺を見ているし。

 今や、完全に呆れて、怒ってる顔。

 リンは、はーっと深いため息をついた。

「しょうがないなー」 

 リンは、軽やかな動作で、首のマフラーをくるりと外す。

 その両端をつかんだまま、ふわりと俺の首にかけた。

 ぐいっとマフラーがひっぱられ、

 俺の顔はリンのほうへ強引に引き寄せられる。

 吐息がかかる距離。

 じっと見つめられる。

 魅入られたように見つめる。

 見つめ合う。

 夏の入道雲のように、汚れのないまっしろな笑顔で。

 リンは微笑む。

「好きだよ。ずっと。あなただけを。どんなときも。変わらずに好きでした」

 俺がどうしても言えなかった言葉をいとも簡単に。

 女の強さ、ひたむきさに比べて、男のプライドとか意地の、なんとガキくさく、薄っぺらなことか。

 けっきょく、肝心な時に、俺たち男は、絶対に女には勝てない。

 そして――たぶんずっと試され続ける。

 だけど、「コイツには勝てない」と思える女に愛されるほど、幸せなことってきっとない。

 だから俺は、リンが恋し続けた『タキ』に負けない俺にならなくちゃいけないんだ。一生かけて。

 夜空から雪が舞い降りる。

 リンの小さな顔に両手で触れる。

 耳元が冷たい。マフラーで繋がった俺たちの顔と顔の間で、吐かれる息が白いかたまりになって、ひとつに混ざる。

 ふたりの顔が近づく。

 綺麗な桜色の唇。

 吸い込まれそうな瞳。

 リンの大きな瞳は少しずつ開かれていく。

 唇が触れる瞬間。それが一気にぎゅっと閉じられた。

 待っていたかのように、リンの手が俺の腕をつかむ。

 夢でも見ている気分で、俺はそっと、あの時はしなかった大人のキスを。

 脳が痺れる。粉雪が舞う。

 舌が艶やかな歯に触れ、柔らかいかたまりに触れ、つるりとした感触に触れ、甘みに触れる。

 リンの手に、ますます力が入る。爪が腕に食い込む。視界が白に染まる。

 時間が逆流する。

 俺たちの記憶が高速回転する。

 世界が反転する。

 歯車がかみ合う。

 割れた固い石がようやくひとつになる。

 いや、言葉なんて、もういい。

 死ぬほど幸せってことだ。

 

 ◆


 あの夜、リンとの物語が終わった、俺が終わらせた、

 ……そんなふうに決めつけた。

 でも物語ってのは、俺ひとりが、勝手に始めたり終わらせたりするものじゃない。

 この地上に、俺が生きて、リンが生きて、シノが生きて、アリカが生きて、カスヤや、いろいろなひとが生きて、関わって、繋がって、そして紡がれていくのが『物語』だ。

 だから、昨日も、今日も、明日も、これからも。

 俺たちは、何かを求め、誰かを愛し、必死になって、空回りして、壁にぶつかって、裏切られて、怒って、哀しんで、許せなくて、全然上手くいかなくて、憎んで、失って、それでも、心にある大切なものを捨てられず、諦めきれず、嫌いになれず、夢を見て、願って、信じて、憧れて、出会って、そうして、時を重ねて。生きていく。

 自分だけの物語を創っていく。

 語っていく。

 続けていく。


 俺たちが生きる、この場所で。






 おわり










 もうひとつの物語  【青イナツ風】


 初出:2017年3月19日 133,475文字 ★51


 かつて作家志望だった「俺」は、その夢に挫折し、小説嫌いの私立探偵になっていた。


 そんな俺の元に、友人の弁護士が、一冊の小説を持ってくる。


 本の作者は、レラ。


 俺が大学生だったころ、不思議な町で出会い、恋をした高校生の女の子。


 レラが書いた物語を開いたとき、俺の脳裏に、あの懐かしい夏が蘇る……

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ひと夏の妹 天津真崎 @taki20170319

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