螺鈿の鳥

結城かおる

第1話

 大唐は長安の日輪にちりんの上、告天子ひばりが一声鋭く鳴けば、いらかの波もまどろみから醒めて鈍くきらめく。


 

 太常卿たいじょうけい(注1)の崔子温さいしおんには二人の娘がおり、その歳は二つ違い、名を仙花せんか仙月せんげつといい、どちらも勝ち気そうな容貌と、それを裏切らぬ気性の持ち主であった。

 才貌双全さいぼうそうぜんかつ大官たいかんの愛娘たちということで、定婚(注2)の引き合いは星の降るごとくあり、だが二人を溺愛する父親はより条件の良い結婚を望んで相手をえり好み放題、また本人達も自身を安売りするつもりは毛頭なかったのである。


 さて、崔子温は高官の身として、女傑で名高い皇后の悋気りんきは恐れつつも、やはり栄達のため娘達の入宮を強く望むようになり、また本人達も父親以上に宮中に上がる野望を身のうちにたぎらせていた。

 しかし、宮中より声がかかったのは姉の仙花のみであった。後宮の花に選ばれた仙花は有頂天となり、歯軋りやまぬ妹を尻目に、目もくらまんばかりに華やかな礼服に身をつつみ、五色の房が垂れさがった輿に乗って、彼女は意気揚々と蓬莱宮ほうらいきゅう(注3)に吸い込まれていった。

 

 おさまらないのは妹である。手巾しゅきんを噛みはなをすすり、ひとしきりくやし涙に暮れた彼女は、ついに一月ひとつき後、父親にある申し出を行った。

「…しかし、お前、そんなことをお前がつとめおおせると思うのか?」

 仰天する父親を意に介さず、白い頬に朱をのぼせ、仙月は頑として自分の望みを主張し続けた。かたくなな娘に父親は困じ果て、ついには折れて彼女の願いを叶えてやった。

 

 それからさらに一月後、今度は黒塗りの地味な輿が宮城の後門に消えていった。



「そちが崔子温の娘か」


 后妃達の住まう掖庭宮えきていきゅう(注4)の一角、鳳凰ほうおうの彫刻も優雅な宝座の前で、宮女姿の若い女が拝跪していた。

 さようでございます、と面を伏せたまま答えた宮女に、後宮の主人である武后ぶこうは冷たい笑みを浮かべた。凄惨な宮中の闘争を制して皇后の位に上り、いまは病勝ちである夫に代わって政治を切り回す彼女の全身からは、間断なく権力の香りが立ち上り、仙月はそれに当てられ頭がくらくらした。

「さきごろ入宮した崔才人さいさいじん(注5)の妹でもあるな。…哀れなことよ、父母を同じくする姉妹とはいえ、片や後宮で一殿を構え聖上のご寵愛を待つ身、片や一介の宮女とはのう。これで私ではなく聖上のお付きともなれば、お目にも留まり、寵愛を得ることも難しくはないであろうが」

「いいえ、私はかねてより皇后様の盛名を仰ぎ見、鴻徳こうとくをお慕いしてまいりました。晴れて御許でお仕えできますれば、過分な幸せにございます」

 さらに頭を低くした新入りの宮女を武后は一瞥いちべつした。深い紅の唇から、鞭のようにぴしりとした声が飛び出す。


 「巧言令色こうげんれいしょくとは、よく言うたものだ。……わざわざ我が殿への出仕を望んだ理由を私が知らぬと思うか。そなたの性情を私が何一つ知らぬとでも思うか……よりによって、とんだ女狐がやってきたものだ」


 言いしな、相手を威嚇するかのように、武后は立ち上がった。さすがの仙月も顔を青ざめさせ、背に汗をかいた。彼女の頭上に、甲高い笑声が響き渡る。

「は!よろしい!ここで狐を飼ってみるのも一興。崔子温の娘とやら、我がもとで仕えるを許す。聖上と私、そして帝室の名を汚さぬよう、いささかも懈怠けたいなく努めよ」


 ***

注1「太常卿」…中国の官制である九卿の一つ。太常は、祭祀儀礼を掌る。

注2「定婚」…婚約。

注3「蓬莱宮」…長安の東北に位置する大明宮は、一時このように呼ばれていた。

注4「掖庭宮」…後宮。

注5「才人」…後宮の妃嬪の一。

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