第8話

 次の日、仙月は姉の一件につき経過を武后に報告した。武后は昨夜の乱心を全く身体にとどめず、いつものように冷静さを保っている。武后の宝座の背後には、これまた弐娘が慎ましく、香炉を手に侍立していた。


 眼前の二人に対し、仙月は突然、えも言われぬ疎外感に襲われた。自分は最も近く武后に仕え、武后の眼となり耳となり、また武后の全てを知っていると信じて疑わなかった。だが、事実はそうではなかった。


 ――「鳳」の字を分解すると、「凡鳥」になる。


 よく知られた言葉遊びが、脳裏に浮かんだ。自分が「鳳凰」とも仰ぎ見る女主人と、もっぱら軽侮と苛立ちの対象にしてきた「凡鳥」たる女は、まるで共犯者の関係のように、秘密を共有している。


 そして、宮女のをした忠犬は、内心に生じた焦りと嫉妬を消すため咳払いをすると、おもむろに切り出した。

「…どうか皇后様のお力をお借りいたしたく」

「望みは何じゃ?と聞くも愚かであろうな」

「この宮中において、皇后様のお望みが叶わぬことはございませぬ。無窮たる御方ならば、私の望みなど哀れに思し召すほどささやかなものにございます」

 一息に言ってのけた仙月は息を詰めたが、武后はほう、と眼を細めたきりだった。わずかな間、沈黙が主従の間に落ちる。仙月は、自分の仕掛けた「賭け」の結果をかたずをのんで待った。


「…よくもまあ、簡単に申すな。本当のところ、いかに私の力をもってしても、宮女が一足飛びに妃になることは容易いことではない。……が、約束は約束、聞き届けてやろう。姉の代わりに貴妃となれば満足かや?」

「恐縮の極みに存じます」

 仙月は、娘達の栄達を望んでいた父と、おそらくは冷宮れいぐうに送られたであろう姉の呆然とした顔を想像すると、笑みがとまらなかった。

「…では一度出宮して宅へ帰り、我が使者を待つが良い。必ずや果報となるであろうから」

「出宮できるのですか?」

 それは思ってもみなかった命令であった。いちど入宮したからには自分は籠の鳥同然で、自邸に帰るなど夢のまた夢と思っていたのである。

「不満を申すか?」

「いいえ、聖恩に感謝いたします」

 仙月は、心持ち拝礼の呼吸が速くなった。

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