第7話 春休み最後の日と変顔のシバジロウ

 夜も更けた頃、ドラゴン寮の談話室で俺はキャニーシャさんとエメラルダさんとお喋りしていた。今日は春休み最後の日ということもあって、朝からキャニーシャさんたちと買い物したり勉強会をしたりと、春休みらしい一日を過ごしたのだ。


 シバジロウを抱えながら壁によりかかって喋っていたのだが、シバジロウが重たくなってきたので俺はソファーにいたキャニーシャさんの隣に座った。


「あの……シバジロウちゃん、すごい顔してない?」


 キャニーシャさんがシバジロウを覗き込みながら言った。


 俺はシバジロウの顔を確認する。


 少しだけ歯を見せて目をギョロギョロさせている。焦点が合っていない。

 口から少しだけ舌を出して、手足を伸ばしてダランとした格好になっている。


 本当だ。


 可愛いけど不細工な顔をしている。


 いや、可愛いんだけど。シバジロウは本当に愛らしいのだが、こんな状況でもなんとなく周囲が気になっている感じとか。それとなく愛嬌を出そうとして失敗している感じとか。


 それでも補いきれないほどに、だいぶ、いや、かなり――ちょっと顔が変だ。


「シバジロウ、大丈夫か? 具合が悪いのか?」


 そう俺が話しかけてもシバジロウは目をギョロギョロさせている。虚ろなまま黒目を動かすものなのだから、さらに不気味だ。ハァハァと息も荒い。


「うっわ、シバジロウ不細工」


 エメラルダさんがストレートに感想を口にした。言い終わったあとで自分で「失礼なことを言っちゃったヤバイ」と思ったのか手で口を押さえる。


「いや、いいよ。実際にちょっと……でも、もしかしたら具合が悪いのかもしれないからシバジロウを連れて部屋に戻るよ」


「そうね、そうしたほうがいいわ。もうそろそろお風呂に入ったほうがいい時間だし」


 キャニーシャさんが部屋の掛け時計を気にしながら言った。


 俺が立ち上がろうとすると――


「ああ!」


 シバジロウがスルリと手から離れてダダダッと走って部屋の外を出て行ってしまった。


「シバジロウちゃん!」


 キャニーシャさんが叫んでシバジロウを追いかけようとした。


「ごめん、俺が追いかけるよ!」


 俺はキャニーシャさんを手で制し、部屋を飛び出す。見るとシバジロウはタタタッと廊下を走り抜けて壁を曲がっていってしまった。


 追いかけるが、既にシバジロウの姿は見えない。


 一体、どこに行ってしまったんだ?


 あの様子だと下手するとどこに行っているかわからない。


 あとから俺を追いかけてきたキャニーシャさんとエメラルダさんが混乱している俺に話しかけてきた。


「女性フロアはあなたが入れないところも多いから、そっちは私たちで探してくるわ。だから安心して、リュウ」


「もう寮の戸や窓は閉められている時間だから外に出ることはないと思う。……シバジロウに転移とかしていなければいいけど」


「ごめん、ありがとう」


 彼女たちの言葉が頼もしい。

 俺は頷くと、まずはシバジロウが逃げたこの階から探すことにした。


「シバジロウー、どこだー」


 呼びかけても応じる声も気配もない。


 珍しい。


 シバジロウは何かない限りは俺の声を無視しない。


 やはり具合が悪かったのか? だから混乱して――?


 いや、あの走り具合はどこか覚えがあった。だがシバジロウがいなくなったショックでうまく考えがまとまらない。


 一階のどこにもシバジロウはいなかった。


 三階の男性フロアまで来たとき、俺は男性専用の浴場から出てきたダーグナ―さんとバッタリ会ってしまった。


 ブラックドラゴンを連れてタオルを持っていた彼は不思議そうな顔で俺を見つめてくる。


「シバジロウがいなくなって――」


「はあ? くだらぬことを」


 彼は呆れかえったような顔をして俺を見つめてくる。


「魔獣使役者とあろうもの、魔獣の位置を把握しておくのは基本中の基本だろう」


「それはそうなんだけど……」


 ダーグナ―さんは焦燥感をあらわにする俺の態度に思うところがあったのか、少しだけ考え込むと言った。


「……まずは落ち着け。その上で考えろ。いなくなる直前に何か不思議に感じることはなかったか。そこに結びつくような癖は……」


「……あっ! もしかしたら……ありがとう、ダーグナ―さん!」


 俺はダーグナ―さんの言葉に心当たりがあって自室に駆け込んだ。


「――いた」


 シバジロウだ。


 俺の寝台の上に丸まってスヤスヤしている。俺の声に気付いて、ゆっくりと目を開けた。真っ黒な瞳でボンヤリとした様で俺を眺めている。


「眠たかったのか――」


 俺は異臭に気付いていた。


 寝台の横に置いていたトイレーシーツ代わりに使っていた薄いタオルの上に、こんもりと茶色の物体が置かれている。


「我慢していたんだな」


 急にあちこち走り回るのは、フンをする前のシバジロウの癖だ。


 あのシバジロウの変顔はトイレを我慢していたのと、眠たいのでどうしようもなくなってしまった結果なのか。


 いきなりいなくなったことで、そのことに気づけなかった自分が情けない。


 俺はその茶色の物体をゴミ箱に片付けながらシバジロウに話しかける。


「気づけなくて、ごめんよ」


 シバジロウに近づくと俺は背中をゆっくりとなで上げた。


「……転移しても良かったのに」


 そう俺が呟くとシバジロウの頭が持ち上がる。咎めるような目で見つめてきた。


「……そうだよな……」


 シバジロウの視線の意味を理解する。


 俺と一緒でシバジロウも春休み最後の日が楽しかったのだ。


 キャニーシャさんたちと少しでも長く楽しい一日を過ごしたかったから我慢したのだ。


 とうとう最後には我慢しきれなくて変顔になってしまったけれど、とにかく楽しくてしょうがなかったのだ。


「もっと遊びたかったか? それとも、もう満足した?」


 シバジロウはフンと鼻から息を出した。どちらとも取れるような反応だ。


 シバジロウの傍を離れたくなくて俺は何度もシバジロウの背中を優しくなでた。


 やがてシバジロウの瞼がゆっくり閉じられていく。


「リュウ、シバジロウちゃん見つかったの? ……心配で様子を見に来たんだけど……」


 部屋の入り口のほうから声がした。


 ゆっくりと忍び足で俺たちのほうにやってくるのはキャニーシャさんだ。エメラルダさんも一緒だった。


 俺はシバジロウがいなくなった理由を説明した。


「シバジロウちゃん、疲れていたのね。今日、ずっと一緒に遊んでいたものね」


「うむむ、配慮するべき、私たち」


 キャニーシャさんとエメラルダさんも申し訳なさそうな顔をしている。


「いいや、俺が気にしなきゃいけないことだから。探してくれてありが……」


 そう言いかけるとシバジロウがクシュンとクシャミをした。

 顔をブルブル横に振りながら、また眠りに落ちていく。


 その仕草が可愛くて、三人でつい笑ってしまった。


 ――俺の春休み、最後の日はこうして終わる。


 シバジロウに始まり、シバジロウで終わるのは、まったくもって俺たちらしいのだ。

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マメシバ頼りの魔獣使役者ライフ ~俺の相棒が異世界最強になりまして ~ ファミ通文庫 @famitsu

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