第2話 シェザさんと鶏にしか見えないコカトリスの春休み

 春休みの真っ昼間から俺はシェザさんに魔獣の住むパウロウ界域の入り口に呼ばれていた。


 シェザさんは既に約束の場所に来ていた。鶏にしか見えないコカトリスを抱えた金髪の貴族っぽい外見は遠くからでも目立つ。


 黒豆柴のシバジロウを入れた鞄を持った俺を見て、シェザさんは不敵に笑って声をかけてくる。


「よく逃げずに来たな」


「約束だったしな。……今からここで戦うのか?」


 かつて俺はシェザさんと試験で勝負をしたことがある。その結末にシェザさんは納得しておらず、いつか俺と再戦するのだと宣言していたのだ。どうやらシェザさんも春休み中の里帰りはしていないようだ。彼の取り巻きは帰省したらしくシェザさんの周りにはいない。もしかしたら、この再戦のためにガルダームに残ったのか? まさかな。


 シェザさんはコカトリスを胸に抱えたままフンと鼻息を鳴らして言う。


「だが誤解するな。貴様とは正式な場で決着をつけるつもりだ。……今日はあくまで本番前の軽い準備運動のようなものだ」


「運動ね。なるほど」


 結局は勝負に変わりない気もするが、突っ込むのも面倒なので頷いておく。真剣事には違いないからな。


「そうだ。戦いではなく、あくまで健全な勝負で、貴様のもふもふと俺のコカトリス、どちらが優れているかを決めるんだ」


「で、何をする気なんだ?」


「あれだ」


 シェザさんは遠くに見える大木を指差した。


「あの木まで、そこの黒いふわふわもこもこと、俺のコカトリス、どちらが先にたどり着けるか勝負だ」


 短距離走ね。面白そうだ。


               *    *    *


 シェザさんは小型化しているコカトリスを地面におろした。


 コカトリスはシェザさんの足下でパタパタと羽ばたきながら、小さな足でチョコチョコとシェザの周りを歩きまわりはじめる。


 どう見てもただの小さな鶏だが本来の姿であるコカトリスはかなり迫力がある。俺は巨大な翼と嘴と鶏冠を持つコカトリスの姿を思い返した。うん、結局、小さくても

大きくても鶏は鶏なのだが、大きい方が魔獣っぽい。


 あの太い足で走るのだとしたら、いくらシバジロウでも追いつけるかどうか。良い勝負になるだろう。シバジロウにもワープを使わないようにきちんと念を送っておかなければ。


 勝負は公平でなくちゃな。


 俺はシェザさんに尋ねた。


「それで、いつコカトリスを元の大きさに戻すんだ?」


 シェザさんの顔がみるみるうちに不機嫌なものに変わっていく。低い声で言った。


「ふざけたことを。小さいままで勝負するに決まっているだろう」


「――は?」


 間の抜けた声を出してしまう。

 まさか鶏のまま犬と勝負する気なのか?

 呆然とした俺の顔をシェザさんは鼻で笑いながら笑った。


「貴様のふわふわと本来のコカトリスでは体格差がありすぎて勝負にならないのは目に見えているだろうが。こんな基本的なことを貴様の目の前でわざわざ説明しなければいけないとはな。……いいか、勝負とは公平である必要がある。俺は世界三大貴族の一人だ。その名に恥じぬ戦いをする必要がある!」


「……ええと、つまり……」


「小さいままで貴様のふわふわモフモフに挑むということだ。なに、気にすることはない。この程度の足かせがあるくらいが、ちょうどよいだろう」


 シェザさんは腕を組んでふんぞり返っている。


 凄まじい自信だ。


 もしかして、この小型なコカトリスは走るとスゴいのだろうか。おそるおそる尋ねてみる。


「全力疾走するとして、小型だと、どのくらい速いんだ?」


「知らん。少しくらいなら走ったことはあるが全力はない。だが俺のコカトリスだ。当然速いに決まっている!」


「やめたほうが……」


 俺が呟くように言うとシェザさんは目を釣り上げて答えた。


「……何故、そのようなことを言う?」


「それは今までシェザさんのコカトリスが全力で走ったことがないなら……」


 俺の言葉は地雷だったらしい。

 シェザさんが顔を真っ赤にして怒鳴ってきた。


「貴様! 俺のコカトリスを馬鹿にするな! まだ始めてもいないのに可能性を自ら潰すような真似を俺がすると思うのか! 俺のコカトリスの実力は無限大だ! 俺は誰よりもコカトリスの力を信じている。だからこそコカトリスも俺の信頼に応えてくれるのだ!」


 シェザさんの声に呼応したのか、足下にいるコカトリスがやる気をアピールするようにピョンピョンと跳びはねる。


 いや、俺の知らないだけで実は鶏はかなり速いのかもしれない。

 たしかに決めつけるのはよくない。


 俺はゆっくりと頷いた。


「わかった。勝負だ」


 そう言って俺は鞄からシバジロウを出した。

 シバジロウは興味しんしんな様子でコカトリスに鼻を向けながらプレイバウの姿勢をとった。


 無邪気な瞳は真っ直ぐコカトリスに向けられている。

 シバジロウはちょこまか動き回るコカトリスとじゃれ合いたいようだ。


 まずい。勝負以前の問題だ。


 このままではコカトリスがシバジロウの遊びに巻き込まれてしまう。短距離走どころの話ではない。


「シバジロウ、駄目だ。これは遊びだが遊びじゃない。みんな真剣なんだ」


 そうシバジロウに話しかけるがシバジロウはチラとこちらを見るだけで、すぐにコカトリスへと視線を戻す。


 命の危険がないから、シバジロウは今の状況を舐めているのだ。

 でもシェザさんとコカトリスは真剣勝負をしようとしている。


 どうにか魔獣使役者として、それを理解させないといけないのだが――


「シバジロウ、そうじゃない。あっち、木の方向に向かって……」


 シバジロウは俺を一瞥するだけでプレイバウの姿勢を変えようとはしない。

 うん、これはまずい。駄目だ。


「シェザさん、ちょっといいか」


「今度はなんだ!」


 酷い剣幕で怒鳴るシェザさんに俺は弱々しく言う。


「勝負はまたの機会にしよう」


「今更逃げる気か! 俺のコカトリスに恐れをなしたか!」


「もうそれでいいから、ちょっと……」


「ふざけるな! 納得いく説明をしろ!」


 コカトリスは感情を昂ぶらせる主人が気になるようでオロオロした様子で彼の足下をうろうろしている。シバジロウの様子に気付いてはいないようだ。


 そんなコカトリスの動きがもっと気になったのか、シバジロウが更に前足をピンと伸ばした。


 ああ、まずい。もう間に合わない!


 シバジロウに飛びつかれてしまった哀れなコカトリスがピギーッと泣き叫んだ。


「ルバムー!」


 シェザさんの、コカトリスの名を呼ぶ声が空に響きわたった――。


               *    *    *


 勝負はまたの機会になった。


 シェザさんは怯えきったコカトリスを抱きかかえて帰ってしまった。コカトリスは油断していたときに急に襲撃されたことがよっぽどショックだったらしい。

 部屋に戻った俺は鞄からシバジロウを出してため息とともに言う。


「遊びに誘う前には一声かけよう、シバジロウ」


 シバジロウは困ったように首を傾げるだけだった。

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