第5話 エメラルダさんとキマイラの名付け方

 春休みになってから、深刻そうな表情のエメラルダさんを見かけることが増えた。キャニーシャさんがわざわざ俺の部屋まで来てエメラルダさんについて相談するくらいだ。


 「声をかけてくれないかしら」とキャニーシャさんに頼まれたので寮内でエメラルダさんを見つけた俺はさっそく話を振ることにした。


「……エメラルダさん、暗い顔をしているな、何があったんだ?」


「リューちゃん。心配してくれたんだ、ありがとう」


 エメラルダさんが強張った顔をゆるめた。そうして意を決したような双眸を向けてくる。こそこそと小声で話しかけてきた。


「ここじゃ話せない。場所を移せないかな」


                   ◆


 俺はエメラルダさんに引っ張られるような形で彼女の自室へ呼び出された。

 エメラルダさんは少しだけ戸惑った様子を見せたが唇を震わせながら俺を見上げて言う。


「――キマイラに名前をつけてあげたほうがいいのかな」


「……え?」


「ずっと考えていたの、キマイラの名前。私もリューちゃんとシバジロウのように呼んであげたほうがいいのかなって」


 そう言うエメラルダさんの顔はとても真剣だった。


                   ◆


 キャニーシャさんはホワイトドラゴンを名前で呼んでいる。


 シェザさんもそうだけど、彼はコカトリスと呼ぶときもある。


 ダーグナーさんはブラックドラゴンのことを決して名前で呼ばない。


「魔獣を名前で呼んでいる人とそうでない人がいるよな」


 そう俺がエメラルダさんに問いかけると彼女はコクンと頷いた。


「今の私たちの状態は仮契約。卒業のときに契約が継続されるとは限らない。下手に愛着が湧いたら辛いだけ。そう考える人もいる。……でもわかっていても名前を呼びたい人もいる」


「とはいえエメラルダさんのは人工魔獣だから……」


「うん、人工魔獣キマイラはそもそも名前がついていないだけ。卒業しても私はずっとキマイラと契約する。今だって別に仮契約っていうわけじゃないし」


 だから愛着を持ちたくないから呼ばない、というわけではないのか。


 それだったら名前をつけてあげればいいだけだと思うのだが――


 そもそも何故名前をつけなかったのか?


 そう俺が問いかける前に彼女が口を開く、


「最初の話に戻るけど……名前をつけてあげたほうがいいのかな?」


「……つけたければ、つければいいと思うけど」


「その必要性は感じない。だけど、私の気のせいかもしれないけど魔獣と仲良くしているように見える人たちは名前で呼び合っているように思えるから」


 エメラルダさんは少しだけ俯いた。彼女は彼女なりに、今後キマイラとどう接していいか悩んでいるのだ。


「よし、みんなに話を聞いてみよう」


「え、でも……こんな小さなことで……」


「エメラルダさんは本気で悩んでいるんだろ? だったら俺は力になりたいから」


 俺が笑うとエメラルダさんが申し訳なさそうにしながらも嬉しそうに微笑んだ。


                   ◆


 早速、俺はキャニーシャさんの部屋に行くことにした。


 キャニーシャさんにエメラルダさんが気になっていることを尋ねると彼女は不思議そうな顔で首を傾げた。


「私がミケの名前を呼んでいる理由?」


 質問にキャニーシャさんは複雑そうな表情を見せて答えた。


「うーん、だってミケはミケだったし……あまり深くは考えなかったわ。……どうしてそんな質問をするのよ?」


「キマイラに名前をつけようか悩んでいるの」


 一緒についてきたエメラルダさんが俺の代わりに答える。


「まさか、ここ最近元気がなかった理由って……」


 キャニーシャさんの驚いた顔を心外だというように、エメラルダさんが至極真面目な顔で腰に手をつき、大げさな動作をしながら言う。


「そう、かなり大変な悩み。私的に」


 半眼になりながらエメラルダさんは言葉を続けた。


「とりあえずキャニーシャ王女は参考にならないことがわかった」


「えっ、ちょっと……」


 はっきり言われてキャニーシャさんは不服のようだ。


「し、仕方ないでしょ! 無意識なんだもの! 大体、最初から私はミケを名前を呼んでいたし、特段気にすることもなかったし」


「はいはい、キャニーシャ王女はいつもそんな感じだね」


「エメラルダさん、私の対応雑すぎじゃないかしら」


「そんなことない。誰にでも私こんな感じだよ」


「そ、そうかしら……」


 キャニーシャさんは納得していないようだ。

 だが彼女の話は参考にはならないことは確かだ。明日は別の人にも聞いてみようか。


                   ◆


 翌日、教室にいたダーグナーさんに聞いてみたが、彼の対応は冷淡なものだった。


「俺がブラックドラゴンの名前を呼ばない理由?」


 そう言いながら鬱陶しそうな目でこちらを見つめてくる。


「くだらん。その質問に答える必要はない」


 ブラックドラゴンとダーグナーさんの無感情な双眸の前に、俺はスゴスゴと引き下がるしかなかったのだ。


                   ◆


 学園の廊下でシェザさんに出くわした。せっかくだから彼にも尋ねてみることにする。


「俺がコカトリスの名前を呼んでいる理由、だと?」


「ていうかシェザさんは名前を呼んだり呼ばなかったりしているよね」


「そもそも俺は呼ばないぞ」


「え?」


 シェザさんはとんでもない答えを返してくる。

 彼は呆れ果てたような顔で言った。


「何故、驚く。コカトリスはコカトリスだ。名前を呼ぶ必要がない。それそのものが、ありのままの存在だからだ」


 また意味不明なことを言っている。

 しかしシェザさんの言葉はおかしいぞ。俺は彼が何度もルバムと呼んでいたのを聞いたことがある。


「でも、時々ルバムって呼んでいるよな、シェザさん」


「呼んでいない」


「つまり無意識?」


「呼んでいない! しつこいぞ」


「本当にそうかなあ」


 疑惑の目を向けるとシェザさんは苛立ったのか顔を背けてしまった。俺を置いてズンズンと進んでいく。


「まったく、本当に失礼な奴だな、用がないなら、もう行かせてもらう。俺は忙しいんだ。行くぞ、ルバム」


 ほら、やっぱり呼んでいるじゃないか。

 彼に名前を呼ばれた小さなコカトリスはピョンピョンとシェザさんの後をついて行ったのだった。


                   ◆


 その日の夜、俺はエメラルダさんの部屋に寄って彼女に他の人たちから返ってきた答えを共有した。


 エメラルダさんは椅子に座ってフンフンと興味深げに聞いていたが、すぐに俺に話を振ってきた。


「リューちゃんはどうなの? どうしてシバジロウの名前を呼んでいるの?」


「シバジロウはシバジロウだからだ」


「……リューちゃんも貴族の奴と同じ方向性だね」


「シェザさんと一緒にされると困るんだが」


「私からすると同じだよ」


 きっぱりとエメラルダさんは言い切った。


「それは心外だな」


 不服であることをアピールするとエメラルダさんが疑問符を浮かべているような顔をしたので俺は説明を補足した。


「俺はシバジロウとは、ここに来る前から一緒なんだよ」


「……じゃあダーグナーさんと一緒? 彼はたしかガルダームに来るまでに既に異質の存在ブラックドラゴンと本契約していたし。でも彼と違って名前を呼んでいるのは何故?」


「俺はシバジロウとそこそこ長い付き合いだからな」


「じゃあ、最初に会ったときは呼んでいなかったの?」


 立て続けにくるエメラルダさんの質問に俺はタジタジだ。

 元いた世界でが柴犬はいっぱいいる。だから名前をつけて個体を識別するのが普通なのだが、さすがにこれは言えないな。


「いや――最初に出会った時から、ずっと名前は呼んでいるけど」


「それじゃあ、シバジロウとの間で培ってきた時間が理由ではないよね?」

 エメラルダさんは立ち上がって俺に近づき、ぐっと顔ごと迫ってくる。


「何故?」


「当たり前のことだから。……だってこれからも一緒にいるんだから名前で呼び合うのが普通だと思っているからな」


「……」


 エメラルダさんが一歩引いた。もう一度ストンと椅子に座り込んだ。しばらく考え込んだあと、アッサリとした顔で彼女は言った。


「じゃあ私はまだ決めない」


「なんで?」


 ここまで悩んだんだ。彼女はキマイラに名前をつける選択をすると思ったのだが。

 エメラルダさんはアッケラカンとした様子で言った。


「だってリューちゃんの言っている意味がわからないから」


「えええ、わかりやすいと思うぞ」


 俺はシバジロウとの縁を語っているだけなのだから。

 困惑している俺にエメラルダさんはクスリと笑った。


「――これから、もしリューちゃんの言葉がきちんと理解できていると自覚したら、その時に改めて名前を決めるか検討するよ」


 そう言いながら彼女は俺の手を取った。ニッコリ笑う。


「色々話してくれてありがとう、リューちゃん。これはお礼だよ」


 エメラルダさんは俺の掌に口づけした。


「ええ!」


 驚いている俺の横でエメラルダさんは立ち上がりしゃがみ込むと俺の足下にいたシバジロウの手を取り口づけした。


 シバジロウは「?」というような顔でエメラルダさんをじっと見つめている。


 エメラルダさんにとっては口づけは魔獣にも行える挨拶のようなものなのだろう。

 そうわかっていてもドキドキしてしまうのだった。


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