第3話 キャニーシャさんと仲の良くないミケの春休み

 キャニーシャさんは金髪ツインテールという髪型の見た目通り、活気にあふれた女の子だ。彼女はレティシア酷のお姫様であり、この世界で俺を助けてくれた恩人だ。色々あって俺は彼女の専任騎士をしている。


 たまに俺は彼女に部屋に呼ばれて悩みごとの相談を聞いている。今日もそうだった。


「聞いてよ、リュウ。ミケのヒゲが固くて痛いの」


 だが椅子に座った彼女の口から出てきたのは、いつもより難易度の高い相談内容だった。


「……ミケさんにヒゲって、あったっけ?」


「そうよね、ごめんなさい。ええと、針で刺されたような……なんだかよくわからないけど、あんなに鋭利である必要はないと思うの」


 キャニーシャさんは足下をフンフンしていたシバジロウを抱き上げた。


「たとえばシバジロウちゃんをミケに見立てて、こうやって頬ずりするでしょ?」


 キャニーシャさんは微妙な顔をしているシバジロウの顔を頬でスリスリした。


「そうすると結構痛くて……でもシバジロウちゃんのは痛くないでしょ?」


 キャニーシャさんは難しい顔をしながら言う。シバジロウは無表情でなすがままだが、ものすごく嫌な気持ちを抱いているようだ。そんな空気が伝わってくる。


 キャニーシャさんは肩を落としながら言った。


「シバジロウちゃんは大人しいけどミケは暴れちゃうから、私の頬に突き刺さっちゃいそうっていうか……ヒゲを柔らかくできないのかしら……って思わず呟いたらミケったら、かなり不機嫌になってしまって……私も不用意なことを口にしてしまって反省しているのよ」


 キャニーシャさんはシバジロウを床におろすとシュンとした様子を見せた。


「あと最近、ミケと散歩していたら、ピイピイスプスプって小さな声で鳴くの。それがすごく可愛くて、どうして鳴いているのって質問したらミケが不機嫌になってしまって……」


 キャニーシャさんは頬に手を添えて首を傾げた。


「聞いちゃ駄目だったのかしら」


「タイミングが悪かったのかもしれないな」


「そうよね、その辺りの空気がうまく読めないのよね」


 キャニーシャさんはため息をついた。


「じゃあ、キャニーシャさんの相談事はミケさんの察してほしいことをどう読めばいいかって話?」


「そうではなくて……。ごめんなさい、話はまだ続くの。この間、一緒に寝ていたらうっかりミケの尻尾を踏んでしまったの。ほら、ミケの尻尾って小型化しても太くて長いじゃない? 毛布に隠れていたみたいで、それに気付けなくって……」


 後悔するようにキャニーシャさんは目を閉じた。


「もちろん謝ったわ。だけどミケからしてみたら、小型化してもそれなりの大きさがあるんだからわかるだろう的なことを話してくるの。次も気をつけるってもちろん言ったんだけど……」


「また踏んだのか」


「ええ」


 肩を落として彼女は頷いた。

 ゆっくりと顔を持ち上げて、上目遣いでキャニーシャさんは頼んでくる。


「……その、つまり完全にミケの機嫌を損ねてしまったから、ミケとの仲を取り持ってくれないかしら」


               *    *    *


 俺は早速ミケさんに会いに行った。

 普段のミケさんは巨大で美しい穂賄賂ドラゴンなのだが、今は小型化している。ミケさんはキャニーシャさんの寝台の上で丸まって座っていた。


 俺は抱えたシバジロウの目を見つめて、彼にミケさんとの翻訳をお願いした。


『……ということなんだがミケさん。機嫌を直してくれないか』


 俺は正直にキャニーシャさんのことをミケさんに話した。


『断る』


 だがミケさんの態度は冷たい。

 プイと俺から顔を背けていた。毛が逆立っている。


『そもそも儂にヒゲなどない』


 そこか。俺は首をひねりながら言った。


『たぶんミケさんの頬毛をヒゲと勘違いしたんだよ』


『勘違いなどではない、あれは本気の目をしていた』


 ミケさんは薄く目を開けて答える。


 とりつくしまもない。


 どうすればいい。そうだ、散歩のときの話をしてみよう。


『そういえばミケさん、散歩のときに鳴……』


『鳴いていない』


 ミケさんは即答した。


『あれはキャニーシャの勘違いだ』


『そうなのか……?』


『鳴いていない』


 ミケさんは無表情に淡々と言う。


『それじゃあ尻尾について……』


『思い出したくもない。触れるな』


 ミケさんの毛がさらにフシューと逆立ち、頭を小さく上下に揺らしてプンプンし始めた。こりゃ、取り返しのつかないくらいにこじれているぞ。


 だが、このままで終わるわけにはいかない。

 誠意をもって対話すれば解決手段はあるはずだ。


『キャニーシャさんだって悪気があるわけじゃないんだ』


『悪気がないから何でも許されるわけじゃない』


 正論だ。だが俺は食らいつく。


『キャニーシャさんなりにミケさんと仲良くしたいんだ』


『仲良くしたいからという気持ちが免罪符になるわけじゃない』


 ミケさんは厳しい。だが彼の言葉がふっと和らいだ。


『……だが、たしかに儂も大人げないな』


 そう言ったミケさんは、ゆっくりと俺のほうに目を向けてきた。


『わかった。きちんと反省するなら、そして儂の望みを聞いてくれるのであれば今までのことは水に流そう』


               *    *    *


 ミケさんの望みはみんなで登山することだった。


 かつてキャニーシャさんがミケさんと契約した山だ。


 あまり木々も生えておらず斜面も厳しく険しいこと極まりない山道を、キャニーシャさんと俺は重いリュックサックを背負いザックを持って歩いている。キャニーシャさんのリュックの上にはミケさんが乗っていた。


 前回はキャニーシャさんが力業で崖を登ったが、今回はミケさんの望みで山道を歩くことになったのだ。リュックの中にはレインウェアや水筒、非常食などが入っている。これもミケさんの要望だ。山道であるからこそ軽装ではなく、何かあっても対処できるようにきちんとした装備で歩いてほしいとのことだ。


 ちなみに俺のリュックはシバジロウが魔力で何とかしてくれているのか、かなり軽い。歩いていても疲れたと思った瞬間に疲労が吹き飛ぶ。さすがシバジロウすぎる。そんなシバジロウは手に持っている鞄の中だ。気持ち、その鞄もいつもより軽い。


 俺はキャニーシャさんの様子を伺っていたが、ずっと気になることがあった。


 プスプス、プスプス、音がする。


 音の出所はキャニーシャさんのリュックの上、つまりミケさんだ。


 キャニーシャさんの言うとおりだった。


 ミケさん、プスプスという鼻息のような鳴き声を上げているのだ。


 キャニーシャさんも気付いているらしく何とも言えない微妙な顔をしている。

 突っ込みたい気持ちを堪えながら俺はキャニーシャさんへと視線を向けるが彼女も同じようで、ゆっくりと首を横に振った。


 だがこれはチャンスかもしれない。俺は勇気を出してミケさんに話しかけてみることにした。


『ミケさん、どうかな、山登りは』


『ふむ、上々』


 ミケさんは上機嫌な声だ。俺は続けて質問する。


『ミケさん、どうして山に登りたかったんだ?』


『儂の寝床だったんだ。たまには景色を見たい気持ちにもなる』


 プスプス、プス。


 あ、ミケさん、また鳴いているぞ。


『そういえば空気もほどよく冷たくて気持ちいいし、ミケさんのいたところから眺めたら景色も良いかもな』


『お前の言うとおりだ。景色だけでなく空気も澄んでいる。部屋の中に閉じこもって

いると外の空気が吸いたくなるんだ』


 プスプス、プス。


 ミケさんが鼻を大きく膨らませている。


 その言葉で俺は察した。


 キャニーシャさんを見ると、彼女も優しく笑っている。


 勉強の甲斐あって、彼女はミケさんの古代言語をそこそこに理解できるようになっ

たのだろう。何故ミケさんが散歩のときに鳴くのか、わかったのだ。


『あの、ミケ……』


 遠慮がちにキャニーシャさんがたどたどしい古代言語で話しかける。


『それなら、今日だけじゃなく、また私はあなたとこうして山登りしたいわ』


 ミケさんは少しだけ考え込んで、


『……ああ、そうだな』


 そう言って目元を和らげたのだった。

 プスプスとミケさんの鼻から音がした。


               *    *    *


「あー、疲れたわ」


 山登りも終わり、そう言いながら、くたくたになった顔で寝台に座っているキャニーシャさんは傍に立ている俺を見上げながら言った。


「今日はありがとう、リュウ」


「いやいや、キャニーシャさんこそ大変だっただろう」


 だがキャニーシャさんは首を横に素早く振った。


「ううん、大丈夫よ。……ミケね、私が頑張ったら笑ってくれるの。今日見ることができて嬉しいわ」


 キャニーシャさんは顔を真っ赤にしながら両手で顔を覆い隠す。


「ううう、こんなしょうもない理由なんて恥ずかしいわよね」


「そんなことないよ。俺もシバジロウが喜んでくれる姿が見たいと感じるのは日常だからな」


 俺の答えにキャニーシャさんは指と指の隙間から俺を見つめる。


「うん、私もいつかリュウとシバジロウちゃんくらいに、ミケと仲良くなってみせるわ」


 そう彼女は恥ずかしそうに宣言するのだった。

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