5 しんそう

5 しんそう


「ここにいたんですね」

『としょかん』の近く、夕暮れ時の森の中に、求めるフレンズは立っていました。

 ぼくの声に、彼女はそっと頷きます。

「どうしてあんなことをしたんですか――トキさん」

「あら、何のことかしら」

「とぼけなくてもいいですよ。トキさんが、ツチノコさんたちを裏切っていたことは、もうわかっているんですから」

「むふ」トキさんは口元に手を当てて笑います。「こういうのってなんだか燃えるわね。一応、どうしてそう考えたのか聞いておこうかしら」

「はい。最初に疑問に思ったのは、どうしてぼくの仕掛けがうまくいったのか、ということです。あの卓の上には、ハートの4を上に貼り付けた『一枚目のジョーカー』と、ぼくが箱から取り出して来た『二枚目のジョーカー』が出ていました。ぼくがこれを手札として晒した段階では、観戦中のフレンズの皆さんも含めて、誰も異変に気が付かなかったんです。ツチノコさんの驚いた表情を見て、初めて気が付いた……」

「それの何がおかしいのかしら?」

「カード立てに立てて、二枚のジョーカーの背面を見せていたので、カードの裏に何か目印をつける、という方法でないのは明らかでした。それなら、ぼくが『二枚目のジョーカー』を場に出した段階で、異変に気付かれていたはずですから。

 ということで、目印はにおいでつけたのではないか、と思ったんです。でも、それもおかしい。もし二枚ともに同じにおいをつけていたなら、二枚が場に出た段階で気づかれます。違うにおいを別々につけていたとしても、それが同時ににおうのはおかしいので分かるはずです。場に出たジョーカーにだけにおいをつけたのではないか、と考えましたが、二枚のジョーカーのうちどちらを使うかは、ぼくが選択したもので、あとからにおいをつけるようなそぶりは見られませんでした」

「ふふふ。だんだんわかってきたわ。ちなみに、ツチノコたちは、二枚のジョーカーのどちらにも、『こうざん』の花のにおいをつけていたのよ」

「はい。ぼく自身、ツチノコさんにその点を確かめました。その事実で、二枚のジョーカーの一件は決定的におかしくなったんです。どうして、ツチノコさんたちは『二枚目のジョーカー』が場に出たとき、異変に気が付かなかったんでしょうか? ツチノコさんたちの鼻の良さなら、二枚のカードから同じにおいがする、ということにも気が付けたはずです」

「さあ、どうしてでしょうね」

「簡単なことです。裏切り者が、『二枚目のジョーカー』から『こうざん』の花のにおいを取ったんですよ」

「においを取る? どうやってかしら?」

「あの部屋の中には、昼ご飯に食べたカレーのにおいが充満していました。一方で、『こうざん』の花のにおいは特徴的ではありますが、かすかなものだといいます。『二枚目のジョーカー』を持ち出して、炊事場にあるカレーの鍋にさらし、カレーのにおいを強烈につければ、においは上書きされるでしょう」

 トキさんは興味津々という様子で聞いている。

「裏切り者は、ぼくが『二枚目のジョーカー』を使って何かできるように、先手を打っておいたんだと思います。もちろん、裏切り者が、あらかじめ『こういうことができるかもしれない』と綿密に考えていたとは限りませんし、うまく使ってもらえればいい、とぼくに委ねていたという方が、自然な考え方でしょうが」

 彼女の微笑みが、自分の推測が正しいことを裏付けてくれる。トキはすうっと息を吸い込むと、試すような表情を浮かべて言った。

「なるほどね。裏切り者がそういう方法でにおいを消した、というのはわかったわ。でも、じゃあなんで私がその裏切り者っていうことになるのかしら?」

「フレンズさんたちの中で、炊事場に近づけたのはだれか、を考えればいいんです。

 ぼくがカレーを完成させて『としょかん』に上がってきてから、ツチノコさんが二枚のジョーカーのうちどちらをゲームに使うかを、ぼくに選ばせました。裏切り者が『二枚目のジョーカー』を手にする機会があったのは、これ以降です。

 一方で、第一回のゲームの最中には、誰も席を立っておらず、パンサーカメレオンさんも、せわしなく『通し』をさせられていたので抜け出す機会はありません。そして、このゲームの最中に『二枚目のジョーカー』はぼくの手中に収まり、第二回のゲームで場に出るまで、ぼくが持っていました」

「じゃあ、裏切り者が『二枚目のジョーカー』を持ち出して、においを上書きできるのは、あなたがジョーカーを選んでから、第一回のゲームが始まるまで、になるわね」

「はい。そのとき席を外したのは、カレー皿を運んだ、ぼく、サーバルちゃん、トキさんです。サーバルちゃんはこのイカサマの事実を知らないので、イカサマを妨害する方策は考えようもありませんし、一往復目は互いに監視の目がありました。でも、トキさんは二往復してくれましたよね。だから、機会があったのはトキさんしかいません」

「ええ。正解よ」

 トキさんは頷いてから、木々の隙間から除く夕暮れを見上げました。

「じゃあ、最初の質問に返ってもいいですか」

「いいわよ。で、何だったかしら? 話が長いから忘れちゃったわ」

 僕は笑いながら「そうですよね」と返す。

「どうして、裏切りをしたのか――つまり、理由です」

「そうだったわね。一言で言うのは難しいけど、そうね……」

 トキさんは目を細めて、夕暮れを見つめながら言いました。

「寂しいものだと、思うからよ。この世のどこにも、自分の仲間がいないかもしれない、というのは……」

 ぼくの耳に、トキさんの歌声が蘇ってきます。仲間を求めて歌い上げる、どこか物悲しい歌詞が蘇ってきます。エキセントリックにすら思えるトキさん自身の態度に触れていると忘れてしまいそうになりますが、あの歌の中には、彼女の言う寂しさが確かに詠み込まれています。

「もし『うみ』の向こうにあなたの仲間がいる可能性があるなら、私は、その可能性に賭けるのは悪いことじゃないと思うの。ううん、むしろ、私ならそうする、って思うわ。潮風の上を長く飛んだことなんてないから、危険かどうかはわからないけど……」

「……そうですね」

「私だって、かばんがいないと寂しいわよ。だから、引き留めたい気持ちは、みんなと同じ。でも、あの子たちがずるをして、サーバルを勝たせようとしてるって、そうして『うみ』の向こうに行かないでってお願いしようとしてるって聞いてから、私、胸のあたりに、ずっともやもやが溜まっていって……」

 トキさんにとっても、そんな感情が芽生えるのは初めてだったのでしょう。彼女は胸のあたりを押さえながら、苦しそうな表情を浮かべました。

「それは、違うって、思ったのよ」

「なぜですか」

「だってそれは、あの子たちが決めることじゃないもの」

「それで、ぼくの手助けを?」

「手助けなんて呼べるものじゃないわ。ささやかなことだったもの。でも、私自身、自分の寂しさをあなたに押し付けていいのか迷って、あなたの気持ちを確かめようとしたのかもしれないわ。もし、あなたがこのジョーカーを使うなら、あなたも『うみ』の向こうに行きたいって思っているんだわ、って……」

「そうですね……」トキさんの目を見ながら、ぼくは自分の気持ちを言葉に整理しようと努めます。「もちろん、サーバルちゃんのことも、みんなのことも、大切です。ヒトが本当に絶滅したとしても、それよりも大切なものを、得られた気がします。でも、それとは別に、『うみ』の向こうに行ってみたいっていう興味もあるんです」

「だから、あなたは勝ったのね」トキさんは満足そうに頷いた。「ちゃんと自分の意志で」

「自分の意志――」

 その言葉を聞いた瞬間、ぼくの胸が、きゅうっと、締め付けられたようになります。

「違います、違うんです」

「何が違うの? だって、あなたはあのイカサマを見破って、こうして勝ったじゃない」

「でもそれはぼくの力じゃないんです。サーバルちゃんが勝たせてくれたんです。ぼくは、ぼくは最後の最後、サーバルちゃんの手に委ねたんです。残酷なことを、サーバルちゃんにしたんです――」

 ぼくは洗いざらいトキさんに話しました。胸に溜まったものを言葉にすればするほど、胸のつかえが降りていくのを感じました。トキさんがぼくの手を握りながら、根気強く聞いてくれたおかげでした。

「……大丈夫よ。きっと、あの子なら許してくれるわ。最後の最後に委ねたんですもの。やっぱり、あなたたちの信頼は人一倍ね」

「でも、ぼくはサーバルちゃんの気持ちを利用するようなことを――」

「利用なんかしてないわ。気持ちが通じ合っただけですもの。違うの?」

 トキさんの言葉は優しくて、良心の呵責に押しつぶされそうになっていたぼくを支えてくれました。

 ――でも、今は船もなくなってしまって、旅に出られるのなんて、当分先のことに違いないのだから……

 ――そう、だから今は、今はこのまま……。

 ごめん、サーバルちゃん。

 そして、ありがとう、サーバルちゃん。



「そんなところにいたのかよ」

 オレは『としょかん』脇の木の上に登っているサーバルに声をかけた。

「ツチノコ……」

「なんでそんなところでたそがれてるんだよ」

 それなりに低い木だったので、オレも這い登っていき、サーバルの隣に座る。

「まあ、あれだな――今回は残念だったな。負けちまって。でもまあ、すぐに出かけるって決まったわけでもないんだし」

 そう言いながら、オレの胸は痛んでいた。その理由は二つある。

 一つには、サーバルには、オレたちがイカサマをしていたことを最後まで伝えない方針を固めていたからだ。パンサーカメレオンにもこっそり帰ってもらった。かばんに「パンサーさんもおなかをすかせてると思うので、食べさせてあげてくださいね」と言われ、温めなおしたカレーを渡されたため、それは振る舞っておいたが。

 結局、イカサマをしてもなおサーバルを勝たせることができず、そのうえ、その事実をいまだにサーバルだけが知らない――アライも知らないわけだが、あえてカウントはしない――そのことに、オレは後ろ暗さを感じていたのだ。

 そして二つ目の理由。それは、かばんに『ふね』の代わりを作ってプレゼントする計画が、博士や助手をリーダーとして進行していることだった。この勝負が終わるまで、サーバルにも伏せておくようにしていた。そのことを伝えなければならないが、これもまた、気の重くなる仕事だった。

 しかし、いずれは伝えねばならない時が来る。オレは深呼吸して心を落ち着けると、よし、と腹に気合を入れて――。

「あのな、サーバル」

「違うんだよツチノコ」

「あ?」

 突然サーバルが大声をあげたので、オレのペースはすっかり乱された。

「違う――? 違うって、なんのことだよ」

「負けちゃったんじゃないんだよ、私。勝とうと思えば勝てたのに、でも、でも、かばんちゃんの気持ちを無視することもできなかったんだよ、私、それで――」

「勝とうと思えば? オマエ、さっきから何を言って」

「勝てたんだよ! だってあの時、あの時かばんちゃんは」

 サーバルは切実な声音で、一気呵成にこう言った。

「私に二枚のカードを見せていたんだもん――」


「見……見せていた……?」

「うん。私もよくわからないんだけど、ボスの表面に二枚のカードが見えてて……」

「ボス?」

 その単語を口にしたとき、オレの中ですべてがつながった。あの時、かばんの姿に覚えた違和感――。

「……反射させたのか」

 かばんはあの時、カード立てから二枚のカードを取り、手に扇形に持っていた。左手で二枚のカードを持って差し出し、少し前傾姿勢になった。その上で円卓の上に右腕を置く。右腕にはボスがついていて、その表面は鏡の役割を果たしたのだ。

 だが、光は? これも十分だった。『としょかん』には吹き抜けがあり、そこから西日が差しこんでいた。そしてかばんは、吹き抜けのある部分の向かい側に座っていた。光はかばんの方に差し込み、手元のボスで反射して、前傾姿勢の手に持ったカードを映し出す。

 かばんは親指を大きくずらして、右側のカードを押さえていた。あれは右側のカードがジョーカーで、それを取られたくないのだ、と単純に考えてしまったが、鏡像をサーバルに見せるにあたっての配慮だったのだろう。鏡の映り方がよくわかっていないサーバルは、カードを見せられてなお、間違える可能性がある。しかし、片方を指で押さえておけば、鏡に映った像でも、指で押さえている方、いない方の区別がしやすくなると考えた。

「でも、かばんがそういう仕込みをするのは納得できるが、オマエはよく気が付いたな」

「かばんちゃんが視線で知らせてくれたんだよ。私の目を見て、手元のボスを見て、っていうのを繰り返したの。だから、ボスのほうを見たら、そこにカードが見えて……」

 その言葉でまた記憶がよみがえる。かばんは深く帽子をかぶっており、立って観戦しているオレたちからは、目元が見えなくなっていた。そのうえで、帽子を少し回転させ、帽子に空いている穴の位置に、自分の目が来るようにした。

 そうすれば、穴を通してサーバルだけに視線を送り、こっそりと鏡のことを知らせることができる――というわけだ。

「でも、どうしてそんなことを」

「かばんちゃんは、私の気持ちを確かめたかったんだと思う」

 ――サーバルちゃんの気持ちを聞かせて。

 そんなかばんの声を聴いた気がした。

「勝負のかかった場で、最後の最後にそんなことを持ち出すなんてな――」

 そう口にした瞬間、オレは恐ろしいことに気が付いた。

 ゲームの始まる時、かばんは吹き抜けの向かい側の席を、自発的に取ったのだ。もしかして、あの時からこのシナリオを思い描いていたってことか……?

 思えば、あいつは二枚目のジョーカーを手中に収めていたのだ。オレがジョーカーの入った箱を無造作に置いていたから、卓につく前にあらかじめ手に入れておいたに違いない。

 こんな事実もある。タイリクオオカミがオレとツチノコの手札を入れ替えたとき、あいつは笑った。サーバルに二枚のカードをさらして選ばせる、この最後の仕掛けのためには、自分の手札にジョーカーがあることが絶対条件だ。あいつにとって、ジョーカーが戻ってきたのは渡りに船だったのだろう……。

 かばんに踊らされていた、とまでは言わないが、あいつの思い描いていたシナリオにすべてが嵌まっていったことに、オレはうすら寒さすら覚えた。

 ――ヒト、か。

 考えれば考えるほど、オレたちの挑戦は無謀だったように思われてくる。なんてものを相手にしようとしていたのだろうと、そんなうすら寒さすらこみあげてきた。

「私」

 サーバルが声を震わせる。

「私、引いちゃおうと思ったんだ。私が勝てば、かばんちゃんはずっと一緒にいてくれる。ゲームでの約束なんて、本当に守ってくれるかはわからないけど、ずっと一緒にいたいって、気持ちは伝えられるでしょ? 私がここで引いたって、かばんちゃんは怒ったりしないって、わかってた。だけど、だけど――」

 できないよ――。

「かばんちゃんの想いを無視するなんてできなかったんだよ。『うみ』の向こうには、かばんちゃんの仲間もいるかもしれないのに、私とだけずっと一緒にいてなんて、言えなかったんだ。かばんちゃんが旅に出たいっていうなら、応援したいもん――」

 だから、と言ったきり、サーバルは黙り込んで、うつむいて肩を震わせた。涙がサーバルの手のまだら模様の上にこぼれる。

「……馬鹿だな、オマエ」

 なんでオレはこういう言い方しかできないんだろう。

「泣くくらいなら、引いちまえばいいんだ」

 サーバルも、ほかのフレンズも、そういってしまえば否定するだろうが、かばんは残酷な奴だと思った。同時に、とんだお人よしだとも思った。九分九厘支持してくれると思っていても、人生の選択を他人の手に委ねようなんて、甘ちゃんのすることだ。しかも、きっとあの真面目なかばんのことだから、この選択を少しは後悔しているだろう。

 ――あーっ! くそ!

「オマエ、ちょっと一緒に来い!」

「えっ! ツチノコ、どうしたの!」

 ツチノコはサーバルの手を引いて木の上から飛び降り、『としょかん』に駆け込むと、博士と助手に怒鳴った。

「オマエらに聞きたいことがある! この前、かばんのためにジャパリバスを改造する話をしたな! バスの前方部分を浮かせる計画だ、それで――」

 オレは『としょかん』の円卓を叩きながら声を張り上げた。

「後方部分を浮かせることは出来るか――それにはどれくらいの材料がいる?」

「ツチノコ……?」

 サーバルは未だに迷子の子供のような表情を浮かべていた。その顔を見ていると、なんだか無性にイライラが募ってきて、オレはサーバルの両肩を掴むと、叩き付けるように言葉をぶつける。

「行っちまえ! お前もついていくんだよ! それなら一緒にいられるだろ、違うか? オレたちが二つ、船を作ってやる! だから――とっとと行っちまえ!」

 サーバルは理解が追い付かない様子だったが、急に顔を輝かせると同時に、目に涙を浮かべて、オレの体を両腕で力強く抱きしめた。

「ありがとう――ありがとうツチノコ!」

「ああ!? うるせえバカ! めんどくせーし恥ずかしいから、海の向こうでもなんでも行っちまいやがれ!」

「うん、うん、ありがとう、ありがとう、大好き、みんな大好き……」

「……なんなのですかこれは、博士」

「……わからないのです。われわれの仕事が増えたことだけはわかるのです」

 オレはこの場の空気に耐えきれなくなって、サーバルの両肩に手を置き、引きはがそうとした。しかし、サーバルの安心しきった表情を見ていると、なんだかそれも阿呆らしくなってきて、ポン、ポン、と、軽く肩を叩いてやる。まだうまくいくのかも分からない計画に、こうまで喜べるとは、なんて能天気なやつなんだろう。深いため息を一つつくと、「嬉しいならそんなに泣いてんなよな」とだけ声をかけた。

 まったく、オレもとんだお人よしだ。

 かばんのことを笑えない。

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フレンズたちのお楽しみ 闇来留潔 @gigantdragon9

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