フレンズたちのお楽しみ
闇来留潔
1 とらんぷ
そのカードの背には不思議な文様が刻まれていた。
どんなフレンズの毛皮にも似ていない文様だ。あえて言えば、ヒトが作った「遺跡」に残る彫刻のそれに近い。ヒトの営為を確かに感じさせるところが、考古学好きのオレの血を騒がせるには十分だった。
「ええと」本から顔を上げたかばんが言う。「このカードは、『トランプ』、というみたいです」
『としょかん』には、オレのほかに、かばんとサーバル、そして博士と助手が集まっていた。博士と助手が『としょかん』から見つけたという、箱に入ったカードの正体を、文字の読めるかばんに教えてもらおうとしていたのだ。かばんが先ほどから熱心に読み込んでいるのは、カードについて書かれているという、ヒトの残した辞典だった。
「そのカードはどのように使うのですか?」博士が聞いた。
「いろいろなルールを使って、運や駆け引きを楽しむみたいですよ」
「ルールを作る……」サーバルが考え込むしぐさをした。「あっ、それって、かばんちゃんがヘラジカとライオンたちのところでやったようなこと?」
「そうです。ヘラジカさんやライオンさん用には、体を動かすものを考えましたけど、こっちは頭を使うゲームですね」
「頭を使うのかぁ」サーバルは椅子に深く座り込んだ。「じゃあ、わかんないや」
「われわれにはできそうですね、助手」
「ええ、われわれにはできます。かしこいので」
「そのゲームっていうのは、具体的にはどうやるんだ?」オレは焦れて口を挟んだ。
「いろいろとあるみたいです。例えば、ポーカーという遊びでは、配られた五枚のカードが、特定の形になることを目指すみたいです。枚数を指定して入れ替えをして、目指す形になればラッキー、という運の要素もありますが、この本によると、お金を賭けるときに、駆け引きがあるみたいですね」
「お金って?」
「通貨だよ。オマエはジャパリまんだと思っていればいい」
「ジャパリまんを『賭ける』っていうのは?」
「勝ったら相手のジャパリまんをもらえて、負けたら取られるってことなのです」
サーバルがギョッとしたような表情を浮かべた。
「で、その特定の形、っていうのはどんなのなんだよ!」
オレはうきうきとしながら本を覗き込んだが――そこには理解不能の文字列と、絵柄が並んでいた。
「文字が読めないのはわかってたが……よくよくみると、このカードの絵柄もわからんな」
「そうですね。たとえば、これはワンペア、という形です。スペードの2と、ハートの2がありますよね。2のペアが一組できていて、あとは揃っていないので――」
「ちょっと待ってくれ。その、スペードとか、ハートってのは、なんだ?」
「え?」
かばんが目を丸くした。ペア、という言葉が組を意味することと、2という数字のことはわかった。だが、スペードという言葉と、ハートという言葉、そしてそれが目の前の図柄とつながることがわからなかった。そもそもペアというが、黒と赤で別物じゃないか。
「かばん。フレンズたちには象形文字が通じないのです」
「われわれは文字が読めないだけでなく、こういった形で表現する、という概念がそもそも弱いのです」
「しょーけいもじ? がいねん?」
「オマエは少し黙ってろ」オレは言った。「今のでなんとなくわかってきた。この記号は、それぞれ何かのものをあらわしてるんだな」
かばんは頷くと、オレたちの前にカードの図案を広げてみせた。赤いカード、黒いカードがずらっと並び、『ばすてき』なものに乗ったヒトが描かれた2枚が、少し離れた位置に置かれた。
赤いカードを見ると、なるほど、四角い形と、丸っこい形の二種類があることがわかってくる。このどちらかが、「ハート」という形なのだろう。
「トランプは4種類、13枚のカードをあわせた52枚がメインになっています。赤いマークは、それぞれ、ハート、ダイヤ。ハートは、心臓の形をあらわしたマークで、ダイヤは宝石――そうですね。サンドスターみたいなものです。黒いマークは、スペードとクラブ。スペードは剣の先端の形で、クラブは植物のクローバーと似た形です」
「心臓……心臓ってこんな形してるのか」オレは言った。
「これが剣の先端なのですか。ヒトの考えることはよくわからないのです」
「でもでも、確かに、先っぽとがってて痛そうだよ」
「それを言ったら、『はあと』だって先がとがっているのですよ」
かばんの説明を受ければ受けるほど、ヒトの遺物であるこのカードに対する疑問が高まってきた。第一、10までは数字通りのマークがならんでいるのに、11、12、13は数字の表記がなく、人の顔が書いてあるのもオレには気に食わなかった。しかも、マークごとにちょっとずつ顔の角度が違ったりしていて、いちいちイライラとさせられた。
『ジョーカー』というのが、様々なゲームで重要な役割を果たすことや、ポーカーのほかに、ババ抜きや七並べといった簡単なものから、ブリッジやブラックジャックといったより難しいゲームがあること、昔ヒトがこれを使ってどのように遊んできたか、という歴史の話を聞いた。オレが気に入ったのは、とりわけ歴史だった。こんな紙切れに通貨を賭けるなんて、ヒトの考えることはわからない。
しかし、カードの扱いになると、オレには頭の痛いことがたくさんあった。例えば、黒いカードと赤いカードでも、同じ数字なら「ペア」扱いになることもあれば、同じ色同士でないと成立しない役もあるという。ポーカーというゲームの役だけ、すべての役と成立条件をかばんから聞いてみたが、フレンズにとってはあまりに複雑にすぎた。
「この中から、一つ、やってみないか?」
オレはそう提案して、七並べというゲームを遊ぶことにした。かばんから聞いたことを生かして、自分が一番早く手札をなくせるよう、カードを止めてみたが、サーバルなどは「わたし、このカード持ってるよ!」だの、「かばんちゃん、これってこの位置で合ってる?」などとあけすけに聞いてしまうため、駆け引きもくそもなかった。
「これ、本当に楽しいのか?」オレは不満を隠しきれずに聞いた。
「ババ抜きやこのゲームは、運の要素が大きいので、子供が遊んだり、家族や友達と遊ぶことが多いらしいですよ。さっきお話ししたような、賭け事をする人は、もっと複雑なのをやりますね。頭を使う要素が大きいような」
「そうなんだ! でも、これ結構面白かったよ!」
「そりゃオマエはなあ」
オレはそう呟いてみたが、それが皮肉であるとも気が付かないのがサーバルである。
「結構難しい品物、ということはわかったのです」
「これではあまりフレンズにはやりそうもないのです」
「すみません。あまりお役に立てなくて……」
「そう思うなら、今日も料理をするのです」
「するのです」
ええー、と漏らしながら、かばんは炊事場に追い立てられていく。
オレはトランプを手で弄んだ。結構古いものらしいが、封を切られていなかったためか、それなりに保存状態が良い。考古学好きとしては、ありがたいことだった。
このカードは理解しきれなかったが、面白い話はたくさん聞けた。それだけでも今日は収穫といえる。やはり、ヒトという存在は興味深い……。
顔を上げたとき、そこにまだサーバルがいることに気付いた。
てっきり、かばんについていったと思っていた。さらにおかしいのは、読めもしないはずの本のページをじっと見つめていたことだった。
「オマエは行かないのか?」
「えっ」
サーバルは顔を勢いよく上げた。
「ああ、うん、そうだね。『りょうり』はぜんぜんできないけど、野菜切るくらいならわたしにも手伝えるしね。ツチノコも早く行こうよ」
不自然なくらいの早口だった。
「オマエ、なんか気になることでもあんのか?」
人の事情に首を突っ込むのは、正直オレの性分ではない。だからこそ、その言葉が口をついて出てきたとき、一番驚いたのはオレ自身だった。
「ええっ、どうしたのツチノコ。変なものでも食べた?」
「聞いたオレがバカだったよ。そういうことにしとけ」
ケッ、と吐き捨てながら、先ほどの発言を少しだけ後悔する。
「……かばんちゃんは、『うみ』の向こうに、いつか行っちゃうのかなって」
「は?」
虚をつかれた形だった。サーバルの顔に目を向けると、珍しいほど物憂げな表情をしている。
「今日、もともとは、かばんちゃんの調べものに付き合ってここに来たんだ。ヒトについて書かれた本が、ここにはあるんじゃないか、って」
「……なるほどな。それで、来てみたら博士と助手に捕まったわけだ」
「うん。かばんちゃん優しいから」
でもそれ以上に、知識に関しては貪欲だ。
いずれ、かばんが『うみ』の向こうに行くかもしれない――。ツチノコはあまり考えたことがなかった。確かに、この地域にヒトがいないからといって、『うみ』の向こうはどうかわからない。消息こそ知れないが、ミライという女性がいたことも、この前の一件でわかった。もしかばんがヒトと会えたならば、それはかばんにとっても幸せなことだろう。
――トランプ一つとってもそうだ。オレたちでは結局、ヒトの思考に完璧に追いつくことができない。
自分と同じ、あるいはそれ以上の速度と深度で考える対等な存在とともにあることができるならば、かばんにとっても良いことなのだろう。その仮定を過小評価するわけにもいかないし、オレらと一緒に過ごすことの価値を過大評価するわけにもいかない。
「否定はできないだろうな」
オレは結局、そんな一言だけを選り分けた。サーバルの肩が震える。
「オマエはどうしたいんだよ」
「わたし? わたしは……かばんちゃんが元気でいてくれるなら、それで……それに、ヒトのフレンズがほかにもいるなら、会ったほうがかばんちゃんも幸せだろうし……」
「かばんがどう思うとかはいいんだよ。一度オマエの本音を言ってみろよ」
いったそばから、自分で自分に舌打ちしたくなる。こんな言い方しかできないのか、オレは。
サーバルは目の前で手でもはたかれたように驚くと、しばらく目を伏せてから、意を決したようにオレの目を見据えた。
「――ずっと一緒にいたい。離れたくないよ」
「そうか」
それを聞いた瞬間、聞かなければよかったと思った。
――オレもとんだお人よしだな。
「なら、そう仕向けちまえばいいじゃねえか」
「そんなの、どうやってやるの」
「そうだな。決闘なんてどうだ。勝ったほうがなんでも一ついうことを聞かせられる、っていうルールで」
我ながらいきなり単細胞な発想が出てきたことを恥ずかしく思った。
「駄目だよ、かばんちゃんと喧嘩するなんて」
「じゃあ、ヘラジカとライオンみたいに玉遊びだ」
「かばんちゃんと私じゃ、体が違うもん」
「なるほど。確かにな。旅に出るか出ないか、なんて重要な決断を迫る決闘で、自分にとって不利だと思われたら、そもそも勝負になんて乗ってこないわな」
「いや、そういう意味じゃないんだけど……」
「つまり、対等に見せかければいいわけだ」
え、というサーバルのつぶやきを無視し、オレはトランプを手に取った。
「さっきかばんが言ってただろ」オレは笑って見せる。「こいつで賭けるんだ」
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