第3話 誰かの声③

 (何よ、アレ――!)


 エリザベスは走った。走り続けた。何故か。――逃げ出すためだ。


 (何で、あんなことになってるのっ!)


 調子よく、親父の店のそばまでは辿り付けて。其れで、戸口の方に近づこうとして。そしたら、見てしまったのだ。

 ――店から、ズタ袋を運び出す男たちを。


 (そんな、危ない橋を渡る様な奴じゃな無かったでしょっ)


 裏の家業にだって、ルールはある。その点、あの親父はよく弁えてたし、後ろ盾も持っていた。


 (抗争でもあったって言うの!?)


 事実どうあれ、エリザベスは走り続けた。後ろから、人の走る音が聞こえる気がする。でも、振り向きはしない。そんなことをしてる間に、追いつかれたら溜まったもんじゃない。


 (餓鬼の頃から、通り続けた道なんだからっ)


 この代わり映えしない石造りの道々でも、頭の地図が居場所を教えてくれる。

 荒事に巻き込まれたのも、初めてじゃないんだから、今回だって逃げ出してみせる!

 でも――


 (嫌な予感がする。機械を入れた左の頭が、警報を鳴らすんだ……)


 だから。走って、走って。走り続ける。




 ――もうどれくらい走ったか。いい加減、息が苦しい。もう、体力だって底を突きそうだ。だっていうのに。


 (なんで未だ聞こえるの!?)


 依然、後ろから響いてくる革靴の音。でも、困惑する方が可笑しいのだ。大の男の体力に、ただのの少女の体力が叶う筈がなくて。地の利を取って、何とか釣り合ってるだけで。

 だけど。


 (っはあ。もう、限界っ)


 足がふらついてきた。心も、もう持たない。最後の足掻きで、廃屋の窓に飛び込んで、隠れる。


 (お願い、来ないで――)


 切れた息を、精一杯に潜めて。口を思い切り手で塞いで。

 隠れる所だって見られてないはず。大丈夫。来やしないから――




 ――ダン、と。音が聞こえた。それは、床を叩く革靴の音。絶望の、音。




 「何で……?」


 堪らなくなって、エリザベスは聞いた。もう、隠れる必要もないから。だって、バレてるんだもの――


 「何でねえ……。簡単だ、聞こえるんだよ」


 親切にも、男は答えてくれた。細身の男。黒いスーツの男。其れで、何の解決になるわけでも無いけれど。


 「逃げたってことは、見ちゃいけないモノを見たって理解ってるんだろう。だからさ、お嬢ちゃん――」


 淡々と、男が続ける。妙に饒舌なのは、勝者の余裕なのか。

 まあ、其れは正しい。もうエリザベスには、どうすることも出来ない。




 「――すまないが、死んでくれ」


 撃鉄が起こされる。リボルバーの冷たい銃口が、エリザベスを向いた。




 (こわい)


 こわい。もう、其の感情以外の、全てが掻き消えようとしていた。只管ひたすらに膝を抱えながら、縮こまるだけで。もう、エリザベスには何も出来なかった。

 彼女の脳裏に浮かぶ、恐怖以外の思いなんて、精々一つくらい。


 (いたい)


 そう、それ。左の頭が軋んで、酷く頭痛がして。ズキズキと疼く度に、余計に恐怖が増して。何やら、右の視界も、チカチカする。走りながら気付いたけれど、視力が落ちているみたいだった。

 そんなアレコレも、すぐに忘れて、すぐそこに迫る死が、鎌首をもたげて


 (あ――)


 撃鉄を起こす音が聞こえた。

 もう、お終いなのか。その先を考える間も無いまま、銃爪ひきがねが引かれて――




 ――ガキィン!


 響いたのは、金属音。正確に打たれた弾丸は、正確にエリザベスの頭蓋を捉えて――そして弾かれた。




 衝撃に、エリザベスは仰け反る。


 (痛い!)


 何時もの鈍痛じゃない、鋭い痛みが頭に走る。

 男が撃った弾が、帽子に隠れた金属装具に当たった所為だ。


 (生きてる!)


 何でか、までは今のエリザベスには判断できなかった。それでも、張り詰めた緊張の糸はぷっつりと切れて。

 そうして、急に吹っ切れた。暗く閉ざし始めた筈の視界も、少しマシになった。チカチカは相も変わらずするけれど。その先に見える男の顔が、酷く困惑しているのも判った。


 (立てっ、走れ!!)


 己の五体に、命令した。恐怖は未だ消えていないけれど。純粋な本能が、脊髄を駆け抜けて。手足だって、其れに応える。

 一歩、踏み出せた。其の足が、思い切り床を蹴って、前に進もうとしてくれる。


 「クソッタレ!」


 男の反応は速かった。一瞬で撃鉄を起こし直して、狙いを構える。

 男までの距離は凡そ4メートル。遠くは無いけど、だから確実に。相手の弾丸はエリザベスの急所に刺さるだろう。


 (負けるもんか――!)


 その一心だった。膝を抱えてるうちに、身体だって休まった。だから、出来る筈。

 其れでも無慈悲に、相手の銃口は。今度はエリザベスの心臓を捉えて。




 『――よく立った』


 頭に声が響いた・・・・・・・。男の声。尊大で傲慢な、力強い声。頭痛は、更に鋭く突き刺さって。右の視野が、緑色に埋め尽くされて。チカチカ、チカチカ。うざったらしいぐらいに、点滅していて――




 ――パアァン。銃声が響いた。結末は決まっていた。銃弾は、狙い通りに正確に飛んで。

 そうして、何故か。人肌を知らないまま、無機質な壁へと突き刺さる!


 「何だってえんだッッ!」


 何が起きたか、黒スーツの男は正確に認識していた。だからこそ、自分の眼とを信用できなかった。

 実際、起きたこと自体は、とても簡単で。


 「何で生身の人間が、弾丸を躱せるんだ・・・・・・・・――!」


 超常な反応をもって。少女の肉体は、射線の外に出ていた。




 ――頭のボルトが、煌めいて。

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