回答編
「……オレは今から、昨日の質問に回答しようと思う。だが、その前に確認させて欲しいことがひとつある」
「あら、なにかしら?」
問い掛けられた女子生徒は、グラスの光る唇を緩ませた。
時刻は午後六時。ヤマクニはおらず、『探偵クラブ』部室内にいるのはリアムと、美しい紫の瞳をした少女のみである。
「キミは、自分がどこで生まれたか知っている?」
リアムはロッキングチェアに座らず、椅子の前に立っていた。
少女もまた、立ちながらリアムと対面している。少女はリアムの問いかけに対し、首を傾げて応答してみせた。細い首筋が薄暗い室内で白く浮かび上がっている。
「面白いことを聞くのね。ママに聞いてみないと分からないわ。昔から色々な国を点々としていたから……」
リアムは赤く染まった頰を見られまいと下を向いた。
「現時点では正確に分からないって事だね。より厳密に言えば、君は自分が生まれた場所を、実体験としては知らない。だれも、赤ん坊の時のことなんて覚えていないからだ。もちろんオレもね」
「ええ。自分が生まれた時のことなんて分からないわ」
少女は質問の意図が分からないのか、不思議そうな顔付きで美しいバイオレットアイをリアムに向けている。
ミス・バイオレット。リアムは彼女のことを、心の中でそう呼んでいた。
「君は自分が生まれた場所を知らない。このことを踏まえて、オレはひとつの仮説を提示する。君が宇宙人であることを証明するために、必要な仮説だ」
「……どうぞ」
ミス・バイオレットは艶やかな唇に、柔らかな弧を描いた。リアムはなけなしの威厳を出そうと咳払いをひとつ。
それから、肺が悲鳴を上げるくらい、長く息を吸い込んだ。
「『君は宇宙ステーション等含む宇宙空間で産まれた。したがって、君は宇宙人だ』」
これが数時間前、ヤマクニとの会話の中で、リアムが導き出した回答だった。
「この国では、例え両親が日本人であろうと、『アメリカ合衆国で誕生した者は、アメリカ国籍を取得できる』。つまりアメリカ人を名乗れるわけだ。この理屈で言えば、『宇宙空間で誕生した者は、宇宙籍を取得できる』。それを宇宙人と呼んでも差し支えないだろう」
無論、本来であれば仮説を立証する必要、そもそも宇宙籍などという概念に関して論じなくてはならないが、これは単なる言葉遊びである。難しい定義は必要ない。
重要なことは一つ。この仮説を彼女が否定できないことだ。
荒唐無稽な説にしか思えないが、まるっきり笑い飛ばすことはできない。
何かをしたことを証明するのは容易いが、何かをしていないことを証明するのは、困難である。すなわち――悪魔の証明。
『彼女が宇宙空間で誕生した』という説は非常にばかばかしいが、『彼女が宇宙空間で誕生していない』ことを証明するのは非常に難しい。否、今の彼女にはできないだろう。
これを否定するには自分がどこで誕生したのかを立証することが一番の近道だが、多くの人は誕生の瞬間など覚えていない。よって、この仮説はこの場において成立する。
もちろん、出産時のことを知る証人(母親など)を呼べば一瞬で崩れ去ってしまう、儚い砂上の楼閣なのだが。
「この仮説に準じれば、君が宇宙人を自称しようと、オレはそれを否定しない。だから――オレが君を愛すのに、なんの障害もないんだ」
「面白いわ。さすがリアム君。確かに私は、自分が宇宙で産まれていないとは反論できないもの」
「そ、それじゃあ約束通り、オレと……」
続く彼女の言葉に、リアムの自信は打ち崩された。
「でもね、私その答えは好きではないわ」
その回答に、がっくりとうなだれる。
今のがこれ以上ないくらいの回答のはずだった。
どこをどう間違えたんだ?
ミス・バイオレットは、できの悪い教え子を諭すような優しい笑みを浮かべる。
「リアム君、私が昨日言ったこと、覚えてる?」
「もちろん覚えてるさ。“あなたの気持ちは嬉しいわ。だけどもし、私があなたが大嫌いな宇宙人だとしても、その気持ちは変わらない?” と君は言った」
これ以上の失点を避けようと、脳をフル回転させ、リアムは答えた。一文字一句違わないはずだ。
「だからオレは“その質問には答えられない。なぜなら、宇宙人なんて存在しないからだ”と答えたんだ」
「ええ。そして私はこう言ったわね。“じゃあ私が
その通りだった。
『私は宇宙人である』。
リアムにとって、上の命題は言うまでもなく
前提が崩れていれば、その後に続く質問もまた成立しないからだ。
論理など取っ払って、肌感覚でいえば間違いなく正解は「イエス」だ。
“宇宙人などいるはずがない”のだから、“彼女が宇宙人であるはずがない”。ゆえに、“リアムがミス・バイオレットを愛しているのは不動の事実”。
だがそう答えてしまうと、リアムは彼女の『私は宇宙人である』という言葉を、妄言として切り捨てたことになってしまう。
彼女は“私が
前提を端から偽だと決めつけることは、今回のルールでは失格になる。
だから、彼女が宇宙人であると自分自身を納得させる必要があった。それも、自身の信義である宇宙人全否定主義を曲げることなく。
これには難航を極めた。何しろ、宇宙人の存在を認めずして、『彼女が宇宙人である』という前提を受け入れなければならないのだから。
ところが視点を変え、宇宙人の定義をすげ替えることで、リアムの納得のできる形で同じ命題を
それなのに……。今の答えの何が気に入らなかったのだろう?
その疑問は、彼女の口からすぐに明かされた。
「覚えておいて。女はロジックよりロマンが好きなの」
「そ、そんな……」
がくっ、とリアムが膝を地面につけかけたところで突然、扉が開いた。
「リアム、まだいたの? 話し声がするから変だと思ったんだ。電気も付いてるし」
そう言って現れたのは、ヤマクニである。
「あら、ヤマクニくん」
「なんだ、ルナじゃないか。……さては、宇宙人どうのって言い出してリアムを困らせたのはキミなんだね? まあ、バイオレットアイの女性なんてめったにお目にかかれるものじゃないからね」
リアムは
「や、ヤマクニッ! お前、彼女と知り合いなのか!?」
ヤマクニは当たり前のように頷く。
「ルナとは親同士が友人で、小さい頃よく遊んだんだ」
ミス・バイオレットこと“ルナ”は、一歩ヤマクニの方へ歩み出る。
「ねえ、ヤマクニくん。あなただったら、私の質問にどう答える?」
ヤマクニはきょとんと目を丸くした。
「リアムが言ってた宇宙人がどうの、って話かい? そうだなあ、僕はリアムみたいに物事を小難しく考えたりしないからなあ。『君のパーソナルデータに、
「ふふ、私その答えの方が好き」
ルナは微笑むと、自然な仕草でヤマクニの手をとった。
リアムは頭の中で何かが崩れていく音を聞いた。
それは彼が長年かけて築き上げていった論理の城壁だったのか、あるいは……。
ヤマクニは怪訝な顔でルナの瞳を覗き込む。
「けれどルナ、いい加減そのカラーコンタクトやめたら? それが本来の瞳の色だと、リアムがすっかり信じちゃってるじゃないか。君はミックスなんだし、無理して欧米寄りのアレンジをする必要はないって言ってるだろ。
それに、宇宙人だとかなんとか言い出して、リアムを虐めるのはよしてよ」
ルナこと――
「あら、虐めてなんかいないわ。私は
事実に反しない仮説を用いて『彼女が宇宙人である』ことを証明せよ。ただし、宇宙人はいないものとする。 十坂真黑 @marakon
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