事実に反しない仮説を用いて『彼女が宇宙人である』ことを証明せよ。ただし、宇宙人はいないものとする。
十坂真黑
問題編
「う〜ん……」
豪奢なロッキングチェアに腰掛け、ひとりの少年が唸っている。
しきりに身体を揺らしているので、くしゃっとした髪質の赤毛が空気に遊ばれていた。しかし、彼はそれに構う様子もない。
「珍しく考え込んでいるねえ、リアム。今回の事件は、そんなに難問なのかい?」
その傍らのソファに座り、ティーカップを指にかけている黒髪の少年──ヤマクニが言った。
ヤマクニと"リアム"と呼ばれた赤毛の少年は、共にダークネイビーのブレザーに同色のパンツ、とアメリカ合衆国でも有数の有名私立高校の制服に身を包んでいた。ここは校舎の一室なのだから、当然のことではある。
ふたりがいるのは、学内の片隅にひそかに存在するミステリアスな『探偵クラブ』の部室。彼らはこの世でたったふたりしかいない、探偵クラブのメンバーなのである。
その主な活動内容は、探偵であるリアムがアメリカ本土で起こった未解決事件の謎を推理していく、というものだ。
単に探偵の真似事で終わるのではなく、実際に事件解決の糸口を見つけ、警察から感謝状を受け取ったことも一度や二度ではない。
ちなみに、ヤマクニは雑用兼助手だ。主な職務はお茶汲みやら室内の掃除、暴走した探偵の
リアムはヤマクニにアンバー(くすんだ金色)の瞳を向けた。
「ああ、ヤマクニ。オレは今、複雑に入り組んだ謎と対峙している。
そうだな……今回の件と肩を並べるほどの難事件といったら、この間のカリフォルニアの少女降臨立て篭もり事件くらいしかないだろう」
「へえ、それは随分大変そうだね。なにしろ
リアムは「へへん!」と自慢げに鼻をこすった。ヤマクニはそれを、小さな子を見守るような微笑ましい表情で見ている。ちなみに“シャーロック・ホームズの生まれ変わり”というのはリアムが自称する二つ名である。全国を目指す探偵少年少女と同様、リアムもまたシャーロック・ホームズに傾倒している。
「そうだ。これはいや、史上最大の難問だ!
ヤマクニ、今こそ"ジャパニーズドゲザ"を披露する時だぞ」
「ドゲザはこういう時にするものではないと思うよ……僕もよく知らないけど」
ヤマクニはジャパニーズスマイル──主に日本人がする、理由もなく見せる愛想笑いを作った。
凹凸の少ない顔立ち、墨を塗ったように黒い髪などの特徴からわかるように、彼は日本に
「……ところで、そろそろその君を悩ます謎とやらを教えてくれないかい?」
ヤマクニはしびれを切らして言った。
「仕方がないな、ワトスンくん! 特別に教えてやろう」
その言葉を待ってました、とばかりにリアムは八重歯をのぞかせ、
「とある事情で名前は伏せるが、オレは昨日ひとりの女性と会ったんだ」
「その人が依頼人なの?」
「……まあ、そうだ。彼女はオレに、自分が宇宙人であると言ったんだ。とある事情により、オレはそのことを証明しなければならない」
少しの間その場を沈黙が支配した。ヤマクニは言葉を失ったためだ。
カップに口をつけ液体を喉に流し込み、そうして一拍置いたことで彼はようやく発言をすることができた。
「……その女性は宇宙人なの?」
リアムが噛み付くように唸る。
「そんなワケないだろ!
ちょっとしたクイズだ。言ってしまえば何の意味もない言葉遊びの一種。だが……」
リアムはそこで言葉を止めた。
透き通るような琥珀色の瞳に、鋭い眼光が宿る。
この状態のリアムを見た時、人はよく『獲物を前にした狼のようだ』と表現する。彼にとって謎こそが最大のご馳走なのだ。
放っておけば、舌なめずりまでしそうである。
「これは、絶対に負けられない知恵比べだ」
知恵比べ。それを聞いて、少しヤマクニは安心した。初めは依頼人のおかしな文言を間に受けて、リアムが暴走し始めたのかと思ったからだ。蓋を開けてみれば、いつものリアムの言動である。ロジックを愛し、常に小難しい論理や推理を脳内でこねくり回している、彼そのもの。
ヤマクニは、おそらくこうなのだろうと予想をする──"その女性はリアムになんらかの依頼をしようとしたが、「果たしてティーンエイジャーであるこの若き探偵が、期待通りの働きをしてくれるのだろうか?」と不安になり、それでこんなテストを持ち出した"、のだと。
同学年の生徒たちよりも小柄で、頼りないという印象を持たれがちなリアムを前にしたら、そう思ってしまっても仕方がない。
リアムは負けず嫌いだ。実力を疑われたことにも腹が立っただろう。それに、その女性が提示した問題は、リアムの知的好奇心を刺激したようだ。
彼が重大な事件以外にここまで没頭するのは、とても珍しいことだ。
しかし、である。
「で、結局のところ、リアムはどうすればその女性の問題をクリアできるんだい?」
ヤマクニは眉を曲げ、困惑をあらわにする。
宇宙人ではない女性を宇宙人だと証明しろ?
なぜ? どうやって? ヤマクニには完全にお手上げである。
「もちろん、普通の方法じゃ無理だ。だがオレにはこれがある」
そういって、リアムは人差し指でこつんと自らの頭をつついた。
「ロジック――論理だ。言葉遊びを成立させるには、言葉を連ねるのが一番だろ。
そこでオレは、仮説を使ってこの命題を
ヤマクニの脳裏に無数の疑問符が沸いた。つまりは一体、どういうことだろう?
「そうだな。勉強不足なワトスンの為に、分かりやすい例を挙げてみよう。
ここでは『ヤマクニがサムライである』という命題にチャレンジしてみるぞ。
俺が提示する仮説はこうだ。『ヤマクニはサムライである。なぜなら、ヤマクニの両親はサムライだから』。
オレは、この“なぜなら~”に続く部分を考え出せば良いってワケだ。
確かサムライは世襲制だったな」
「へえ、そうなんだ……って、いやいや! 僕の両親はいたって平凡なニッポン人で、サムライじゃないからね!? そもそも、サムライはとっくに絶滅したらしいし」
サムライが世襲制、という豆知識(?)にうっかり感心してしまったが、突っ込むべきはそこではない。
ヤマクニが慌てて否定すると、リアムはにやりと笑った。
「そうだ、それがキモなんだ。確かにヤマクニの両親はサムライじゃあないだろうが、オレにそれを言ったことがあるか? ないだろう。
つまり、オレの知識の中ではヤマクニの両親はサムライかもしれないし、そうでないかもしれない。あやふやなんだ。
仮説を立てるとは、真偽が分からないことをとりあえず
──最も、たった今その仮説は
「当たり前だ!」
否定しながらも、ヤマクニは少しずつリアムの発言を理解し始めていた。
まず『その女性は宇宙人である』という点を疑ってはならない。それは前提となる部分だからだ。
それを踏まえて、『その女性が宇宙人である』それらしい理由(仮説)をでっちあげる。
その仮説が女性、そしてリアム自身が納得できるものであれば、リアムはテストをパスできる、ということか。
「しかし、よりによって宇宙人とはね」
ヤマクニが言うと、リアムは毛先を弄んでいた指先を止め、まるで濃いブラックコーヒーをそれとは知らずに飲んでしまった時のような、ひどく苦しそうな顔を見せた。
「ああ。お前も知っての通り、オレは宇宙人否定派だ。
もしいたとしたら、
この赤毛の探偵は、幼い頃に見たホラーSF映画がトラウマとなり、今でも宇宙人否定主義を貫いているのだ。
ちなみに、リアムの母親は熱心な珍味食材のコレクターである。
「でも、今だけは君もその宇宙人の存在を認めないといけないね。なにしろ、その女性を宇宙人に見立てなければいけないんだから」
ヤマクニは当然、リアムがしぶしぶながらも首を縦に振るものだと思っていた。
しかし、リアムは首を大げさに横に振り、
「バカ言え、オレはいつなんどきも宇宙人なんてもんは認めないぞ!
グレイっぽい奴が目の前に現れてリンカーン暗殺を告白しようと、オレはそいつを警察に突き出さない。なぜならそいつは、頭の狂った宇宙人信者が成りすましてるか、出来の悪いロボットだからな」
子供のようにぎゃあぎゃあと声を荒らげる。
これにはヤマクニも呆れ果てた。
「そんなこと言ってる場合かい? 宇宙人を認めないのに、
「だから考えてるんだろうが!
……実をいうと、この問題は宇宙人側に仮説を立てれば簡単なんだ。
当然、彼女は宇宙人を観測したことがないから、それを否定や肯定する材料を持たないからな。
例えば『バイオレットアイを持つのは宇宙人のみである』『彼女はバイオレットアイを持っている』よって、『彼女は宇宙人である』……とか。こんな三段論法、声に出すだけでも気分が悪いが」
彼女は紫の眼をしているらしい。ヤマクニは「へえ、珍しいねえ」と、声を漏らした。様々な人種が入り乱れるアメリカにおいても、その瞳を持つ人はそう多くはない。全校生徒数千人を超えるこの学園でも、ひとりいるかどうか。
今までぼんやりしたシルエットでしかなかった女性に、少しずつはっきりとした輪郭が浮かぶのをヤマクニは感じた。
なるほど、バイオレットアイといえば、リアムを唸らせる難問を生み出した女性のイメージにはぴったりと合う。闇をたたえたような紫の眼には、無条件に知性が漂うものだ。
「がうー‼︎ どうすりゃいいんだ?
宇宙人を認めずに、彼女が宇宙人であると肯定するには!」
獣じみた声をあげ頭を抱え始めたリアムを見て、ヤマクニは空になったティーカップを手にしながら、おもむろに立ち上がる。
「少し気を落ち着けたほうがいいよ、リアム……。
ほら、今お茶を淹れてあげるから」
するとリアムはくんくんと鼻を鳴らし、
「さっきから思ってたんだが、今日のティーはいったいなんだ? 嗅ぎ慣れない匂いがする」
「グリーンティーだよ、今日はニッポンのお茶を淹れてみたんだ。
ニッポン人の友人に貰ったから、パッケージが全部日本語なんだよね……。僕は日本語が読めないからよく分からないけど、身体にいいって聞いたことがあるよ」
揺らしていた足を止め、リアムは「ニッポンか……」と思案顔をする。
ヤマクニは尋ねた。
「リアム、砂糖は入れる? どうやら普通は砂糖を入れないものらしいけれど」
普段、リアムはコーヒーや紅茶など、大概の飲み物には糖類を加える。水分を摂るだけでなく、どうせなら糖分も摂取した方が合理的だ、という考えのためである。
「ニッポン……、ヤマクニ……アメリカ」
しかし、リアムはその問いには答えず、難しい顔をして単語を漏らし続けている。どうやら思考に没頭しているらしい。
ヤマクニは部屋の片隅にあるシンクの前に移動し、使用したカップを洗った後、ケトルのような形の“キュウス”を手に取る。緑茶と同様、友人に貰ったものである。
リアムの功績が学校側から認められたおかげで、探偵クラブの部室内は最低限の生活なら送れるほどの設備が整えられている。今リアムが腰掛けているロッキングチェアも学校からの支給品であるし、ヤマクニが座っていた革張りのソファもそうだ。
簡易的なガス台も備え付けてあり、金庫ほどの小さなものとは言え冷蔵庫まであるのだから、まさに至れり尽くせりである。
「砂糖、入れるよ?」
ヤマクニは備品の一つである棚から、装飾の施されたティーカップをひとつ取り出した。
「そうだ……それだ!」
「えっ⁉︎」
ロッキングチェアが倒れそうなほどの勢いで、リアムは立ち上がった。ヤマクニは思わず振り返る。
リアムは満面の笑みをたたえていた。
「分かったぞ! 宇宙人を認めずに、彼女を宇宙人だと認める方法が!」
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