第91話 84




 べれれれれ、おれれれれれ、と。

 銀鱗を持つ女が身を曲げ、激しい嘔吐を繰り返す。




 兵たちは動かない。

 初めて見るアルケオの姿に衝撃を受けているのだろう。




 おぼろろろ、おべれれれれ、と水っぽい吐瀉物が滝のごとく地を打つ。

 時折混じる強い黄色は胃液のようだ。




 往来を歩めば十人が十人とも振り返るほどの美女が、霧雨の中で消化液を吐き散らす。

 面頬の隙間から熱い息を吐くつわものたちは、まるで魅了でもされたかのようにその光景に見入る。




 おぼっ、おぼぼぼぼっ、と

 女はいよいよ腹に手を当て、胃袋の中身を押し出すように嘔吐を続ける。

 

 


「馬鹿が」


 ランゼツ三位が蔑笑を浮かべ、吠えた。


「射かけよ!!」


 武士と大貫衆が素早く身を屈め、数十の弓兵が一斉に矢を放った。

 何十ものむちのしなりに似た風切り音。

 霧雨が慌てふためくように晴れ、怒れる群魚を思わせる矢の雨が吸い込まれるようにして銀の女に襲い掛かる。


 だかかかかっ、という異音。


(!)


 銀のアルケオは目にも留まらぬ速度で酒蔵の戸板を引き剥がし、盾にしていた。

 致命傷を与えるはずだった矢の雨はすべて板切れで止められている。


「盾か」


 身を屈めていた男たちが左右に割れた。

 俺と三位は視線を交わし、一歩前へ。

 どちらも、矢は番え終えている。


「生憎だが、傘門十弓われわれに――」


 赤紫の狩衣に、緑の狩衣が並ぶ。


そんなものは通じない……!!」


 二度、弦が鳴る。

 一直線に飛ぶ矢。大きく迂回する矢。

 二矢は瞬く間に飛燕を追い越し、飛鷹の速さに至る。


 三位の強烈な矢は船底を穿うが旗魚かじきさながらに、どがっと戸板と持ち手を揺らす。


「『骨の矢』」


 やじりが爆ぜ、木片が飛び散る。

 体勢を崩した銀の女の脇腹目がけ、曲線を描いた矢が噛みつく。


「『蛇の矢』!」


 回避不能の一撃。

 かつ――――


(『獺祭だっさい』)


 ――かつ、即死の一撃。

 当たりさえすれば、巨竜すら数射で死に至らしめる強毒。




 ぱしん、と。

 戸板の陰から伸びた銀の腕が、気安く俺の矢を掴んだ。




 兵たちがどよめく。

 その無様を叱責するかのように、ひゅぱっ、と三位が二射目を放つ。


 銀の女が戸板の割れていない部分を掲げ、矢を受けた。

 『骨の矢』による破砕。

 砕け散る木片の中から、銀の女の顔が見える。


 気だるげな顔に億劫さと不快感を貼り付けた表情。

 不快感が向けられているのは俺たちではない。

 おそらく己の吐き気に、だ。


 三位の三射目と俺の二射目が同時だった。

 曲直の二射。

 アルケオは病人のごとくよろりと横へ動いて三位の矢を、のろりと後方へ引いて俺の矢をかわす。


「いい目だ」


 ランゼツ三位がくるくると手の中で三つの矢を回す。

 ぴたりと止まり、怒声。


「射かけよ!!」


 再び、矢の雨。

 よろよろと歩き出した銀のアルケオは重傷者がそうするように一枚の戸板にすがりつき、剥いだ。

 再びの盾。

 とかかかか、と啄木鳥きつつきを思わせる的中音。


 おぼろろろ、おべれれれ、と再びの嘔吐。

 食道に残る汚液をかき出すような咳。


「てつだいましょうか」


 カヤミ一位は川面を舞う糸蜻蛉いととんぼでも見るようにぼうっと敵を眺めている。


「不要です。……九位」


「はい」


「私に使ったアレをやれ」


 目元に皮肉げな色が浮かぶ。


「……承知」


 びょびょう、と三位が手の中で矢を回す。

 こりりり、かりりり、と鯨の骨に似た腕甲が開閉する。

 

「射かけよ!!」


 矢の雨。

 アルケオが漬物石を持ち上げる老人のごとく、もったりと戸板を掲げた。

 たかかかかっ、と木の板が剣山と化す。

 

「『骨の矢』」


 一射。

 盾が割れる。

 二射。

 銀の女が盾を逆さにする。

 三射。

 銀の女が矢を掴み、放り捨てる。


 一射。二射。三射。

 胃の中が空になったのか、アルケオはふらりひらりと矢をかわす。

 動作は最小限。

 傍目には軽く身を揺らしているようにしか見えない。


 三位の手の中で何度も何度も矢が踊る。

 女丈夫は偏食者に向かって歩き出し、『骨の矢』を立て続けに放つ。


 一射、二射、三射。

 俺も歩き始める。


 一射、二射、三射。

 三位の手はまるで休むことなく、次々に矢を弦へ番える。


 一。二。三。

 アルケオは紙片の蝶さながらに身を揺らし、回避。


 一二三。

 一二三、一二三。

 一二三一二三一二三。


「シッ!!」


 透かし彫りの入った鏃の先に敵を見据え、弦を鳴らす。

 俺の矢が三位の矢に混じり、飛ぶ。

 今度は直線を描く矢。


 矢の雨をかわし続ける女は、傷ついた野良犬でも見るようにこちらへ顔を向ける。


「『蛇の矢』」


 アルケオは先んじて俺の矢の軌道からひょいと退いた。

 そして三位から放たれる矢の雨に目を向ける。

 

「――――『まむし』」


 女の傍を通り過ぎるはずの矢が、びょうと跳ねる。

 草むらから飛び出し、獲物に食らいつく毒蛇さながらに。


 女はまるで反応できていなかった。

 顔がゆらりと動いた時には既に、致死の矢がその腹に

 



 ばちい、と。

 何かが毒矢を弾いた。




「!」


 尾だ。

 長く垂れていた櫛歯状の尾が、生き物のように俺の矢を弾いた。


 三位の舌打ち。

 手の中で回る矢が速度を緩め、止まる。


 既に彼我の距離はかなり縮んでいる。

 が、アルケオは逃げる素振りも攻める素振りも見せない。


「面倒くさい奴だな」


 三位の目元に苛立ちが浮かんだ。


「私は私より顔の良い女は嫌いなんだ」


「それはざんねんです」


「……」


「……」


 こりこりこり、と骨の矢が開閉を繰り返す。

 弓弦がたわみ、また伸びる。


「真髄を見せてやろう」


 三位の目に邪悪な光が瞬いた。 


「『万――』」






「花の蜜を……たっぷり」

 





 銀のアルケオ――『偏食者』が初めて口を開いた。

 声音は思っていたよりも低く、皮肉にもランゼツ三位のそれに似ていた。


柑橘かんきつを……ひと搾り」


 凛とした三位の低音が「急」なら、偏食者の低音は「緩」だ。

 聞く者の緊張を緩ませるような、のんびりとした響き。


しおひとつまみ――干したきのこをひとかけら――」


 口の端を拭った偏食者は、両手で大きめの器を描いた。


「これぐらいの水に入れて、持って来てほしいなー。そうしたら、もっとコレを飲めるからさー……」


 怠惰と悠揚ゆうように彩られた、あだっぽい笑み。

 しろがねの肉体からはすっかり力が抜けている。


「笑わせるな」


 ランゼツ三位が鼻を鳴らした。

 世迷い事に聞こえたのだろう。

 俺の耳にもそう聞こえた。


「射かけ「私さー」」


 偏食者はゆらりと尾を動かした。


「あなた達についてもいいよ」


 三位がぴたりと手を止める。


「……何?」


「あー、聞こえなかったか。ごめんねー……。でも大きな声出すの、あんまり好きじゃないんだよねぇ」


 偏食者が困ったように笑う。

 兵たちが身じろぎをやめ、息を止めるのが分かった。

 更には霧雨までもが止み、しんとした静寂が訪れる。




「味方になってあげてもいい、って言ったの」




 偏食者は僅かに乱れた衣服を整え、湿り気を帯びた髪に手を入れた。

 ゆらりと動いた尾が、足元に散らばる矢を掃く。 


「これ――」


 人間で言う親指が酒蔵へ向けられた。


「おいしいから。今はこれがいいんだよねぇ」


(……!)


 サギの話によれば偏食者は人肉を食べず、特殊な食癖を持つらしい。

 偏食者がこれまで何を食べていたのかは知る由もないが、今の彼女が求めているのは――――『酒』。


 酒。

 ――酒。


(! そう言えば――)


 アキを連れて葦原の街路を歩き回った時のことだ。

 問われるがままにあれこれ答える中で、奴は『酒屋』を『魚屋』と聞き間違えた。

 すぐに俺は「酒を売っている場所だ」と訂正したが、奴は「サケ」という単語にぴんと来ていないようだった。


 どうやらアルケオには酒造の文化が無いらしい。

 あるいは、あっても嗜好品として利用されていないのか。


 なぜ偏食者が酒蔵にこもっていたのか、姿を見せるなり嘔吐したのか、その答えが分かった。

 この女、未知の飲料である『酒』をずっと飲み続けていたのだろう。

 固形物も口にしてはいるようだが、吐瀉物の色を見るにかなりの酒樽を空けているようだ。


「これをもっとたくさんくれるなら、あなた達の味方をしてあげる」


「……何だと?」


 三位が険しい顔で呻くと、偏食者は不思議そうに小首をかしげる。


「あれ、難しい話に聞こえた? ……あなた達は私にこれを寄こす。私はあなた達に手を出さない。それだけ」


「応じなかったら?」


 割って入ったタキナリに、偏食者の視線が滑る。


「そんなこと聞かないでよー……」


「……」


 無言で見返され、偏食者は心底面倒くさそうに肩を落とす。


「それなら……戦うしかないんじゃない? そっちはやる気みたいだし。……でも私、汗かくのあんまり好きじゃないからさ。適当に殺したら、適当に逃げるよ」


 ひくっと喉が鳴る。

 偏食者の顔に浮かぶのは、暗い凄味を帯びた微笑。


「逃げながら、これを奪う。追手が来たら適当に殺して、また逃げる。それで、また奪う」


 兵たちが恐怖と緊張で身を強張らせた。

 風に煽られた葦のごとく、偏食者に近い者から順にがちがちと音を立てる。




「逃げるだなんて、そんなつまらないことを言うものじゃありませんよ」




 裃姿かみしもすがたのテンライ翁が俺たちに並び、二歩前へ出た。

 顔には好々爺こうこうやのような笑み。


「せっかく来たんですから殺し合いをしましょう」


「殺し合ってもお腹は膨れないでしょー」


「腹が膨れるよりずっといい気分になれますよ」


 蜜柑みかんの皮が剥けるようにしてはらりと羽織が脱げる。


 露わとなったのは赤銅色の肉体。

 赤熱する溶岩を切り出したかのような、筋肉の鎧。


 柔和な笑みの奥に殺意の火が灯る。


「さあさあ構えて。何なら兵たちは退かしますから」


「嫌だよ。面倒くさい」


 太刀に伸びるテンライ翁の手を、さっとタキナリが掴む。


「爺さんやめろ。話がもつれる」


「……気に入らないな」


 ランゼツ三位が手の中で矢を回しながら呟いた。

 表情を大きく崩すことこそないが、発散される怒気は俺の頬を焼くようだった。 


「『適当に殺したら』? くすぐり合い程度でこちらの底を知ったつもりか?」


 こりりり、ごりりり、と骨の矢が開閉する。

 まるで持ち主の怒りに連動するかのように、烈しく。


「今度は少し強めに「やめろっての」」


 タキナリが老武士を掴んでいない方の手で三位の腕を掴んだ。


「聞くだけ聞いてからにしろ。煽られたわけでもあるまいし……」


 ぐるんと鯨撃ちの顔がこちらへ向く。


「お前は大人しくしてろよ、九位。次は噛んで止めなきゃならねえからな」


 偏食者の視線が俺たちの間を行き来し、カヤミ一位に留められた。


「そこのあなたが偉い人?」


 一位は応じなかったが、偏食者は確信したらしい。

 翡翠色の目で、じっと一位を見つめている。


「どうする?」


 カヤミ一位は庭の松でも眺めるように、ぼうっと偏食者を見やっていた。

 数秒経っても返事がなかったためか、アルケオの方が軽く息を吐く。


「私は『偏食者』って呼ばれてる。この通り、身体の造りが他の子達とは違う」


 銀の鱗に包まれた手が、同じく銀の鱗に包まれた脚に触れる。

 長い尾が蛇さながらに腰に巻き付き、肩に乗る。


「食べ物もそう。私は好きなものしか食べないし、食べられない」


「と、いうと?」


「私、人を食べないの」


 緩い笑みが浮かぶ。


「戦う理由、無いでしょ?」


「……や、敵であることは変わらんだろ」


 左右の腕で豪傑を一人ずつ抑え込んだタキナリが溜息をつく。


「こっちにつけば、お前は同族を裏切ることになる」


「私に同族はいないよ」


 一拍、間を置き。


偏食者わたしは私だけ」


 顔に浮かぶのは変わらない緩い笑み。

 声音に感情は込められていなかった。


「向こうの軍にも属してないし、指図も受けない。今までもそうだったし、これからもそれは変わらない」

 

「……そうまでしてこっちにつきたい理由は?」


「これ」


 偏食者は酒蔵を示した。


「力ずくで奪ってもいいけど、手間が掛かるでしょ。保管の仕方も分からないし、造り方も分からない。だったら造るのも保管するのも任せて、私は貰うだけがいいかなって」


 三位の眉がきりきりと吊り上がる。


「我々を飼うつもりか」


「逆だよ。『私を』飼ってほしいの」


 偏食者は両手を広げた。


「手枷、足枷、檻、ご自由に。水浴びぐらいはさせてもらうけど、そっちが何もしなければ私から何かすることはない」


「降伏する、ってことか」


「そういう捉え方でもいいんじゃない?」


「……」


 俺たちは顔を見合わせた。

 そこで偏食者は「あー」と思い出したように呻く。


「聞きたいことがあったら答えてあげてもいいけど、私、一人ぼっちだから期待しないでほしいなぁ」


 あと、とついでのように言葉が足される。


「アルケオとは戦わないから、あしからず」


「ある……何だって?」


「『アルケオ』。あの子たちの『生き物としての名前』。……一応、私もか」


 再び俺たちは視線を交わしたが、今度は猜疑が混じっていた。


「……やっぱり仲間が大事なんじゃねえか」


「違うよ。私が出るまでもないからだよ」


「あ?」


「これからあっちに攻め込むんでしょ?」


 偏食者は機嫌の良い猫のようにへらりと笑う。




「あなた達はアルケオに勝つよ」




 唐突な言葉に俺たちは面食らった。


「勝つだと?」


「勝つよ。負けるわけないじゃん。数、すごく多いんだから」


 だから、と偏食者は続ける。


「私をアルケオと戦わせる必要はない。簡単な話でしょ?」


「……」


「私からはそれだけかな」


 偏食者はへらりと笑い、酒蔵へ消えた。

 が、すぐに酒樽を抱えて舞い戻る。


 ずん、と重たげな音を立てて置かれた酒樽には太い縄が巻かれていた。

 偏食者は朝顔の蔓をむしるように縄をほどき、蓋をぱこりと開く。


「んん~」


 立ち昇る香りに女は恍惚の笑みを浮かべた。

 そして今の話も、俺たちの存在すら忘れたかのように柄杓ひしゃくを樽へ突っ込み、口へ運ぶ。











 兵に包囲を任せ、俺たちは後退した。


 偏食者はざぶざぶと柄杓で酒を掬い、心の底から美味そうに喉を鳴らしている。

 夏の盛りに大工が冷水を呷るように。

 

 カヤミ一位はぼんやりと、ランゼツ三位は忌々しそうに、テンライ翁は物欲しげにその様子を見つめていた。

 タキナリは腰に手を置き、もう片方の手の甲で額を叩いている。


「カヤミ一位。どうするんだ」


「私にも聞いてくれませんかねえ」


「聞くまでもないだろ。あんたは殺す気満々だろうが」


「ですねぇ」


 テンライ翁は羽織を着込んでいたが、殺気はまるで収まっていない。

 嬉々とした笑みのせいで顔の血色が更に良くなっている。


「あれはもしかすると過去のどんな英傑よりも強いかも知れません。これはもう、死合うしかない」


「何が『しかない』だ。これだから武人は……」


 タキナリは黒頭巾で覆った頭を盛大に抱えた。


「タキナリくんはおめおめと逃げ帰るおつもりですかね?」


「ああ。持ち帰って検討すべき話だ。俺らじゃどうにも判断がつかん」


 幸い、と親指が偏食者に向けられる。


「あいつは逃げる気も襲う気も無さそうだ。なら都に持ち帰って、お偉いさんの判断を仰いだ方がいい」


「判断を仰ぐ?」


 ランゼツ三位がせせら笑った。


兵部省ひょうぶしょうじじい共に一体何の判断を仰ぐつもりだ? 六傑」


「別に正しい判断をしてくれとは言わんさ。責任さえ取ってくれりゃ、それでいい」


「向こうも同じことを考えているぞ」


「何?」


みやこ脂爺あぶらじじい共は、正しい判断など最初からするつもりがない。気の利かん返事を寄こすに決まっているだろう」


 ランゼツ三位は嘲りを浮かべた。


「『できるものなら味方に引き込め。酒でも何でもくれてやれ。ただし、五体満足では置かせるな』。……ま、そんなところだろう」


「ですねぇ」


 くくっとテンライ翁が笑った。


「都の皆様は小金稼ぎに忙しくておいでだ。国難などに構っている場合ではないでしょう」


「溜め込んだ小金で品性が買えると良いのだがな」


「買えたところでどうしますか。それが必要な輩は、買わなければならないことに気付いてもいないのに」


「違いない」


「……武人はどいつもこいつも性格が悪いな」


 タキナリは疲労感を滲ませながら呟く。


「要するに、持ち帰ろうと持ち帰るまいと、あれとやり合うのは避けられないってことだな?」


 ああ、と六傑は首を振る。


「この場の判断であれの受け入れを決めた場合は別か。……カヤミ一位。どうする?」


 一位は物憂げな表情を浮かべていた。


「今ここでやる、今ここで和解する、持ち帰ってからやる、の三択だな。決めるのは一番位の高いあんただ」


(……)

 

 俺には一位の返事が予想できている。


 捕虜は取らず、殺し尽くせ。

 それが俺たちに下された命令だ。

 偏食者とて例外ではない。


 ゆるりと一位の唇が開く。




「もちかえることは、できません」




 三位とテンライ翁がぴたりと口を閉じた。


「じかんがかかりすぎます」


「……。ま、そうだろうな。兵部省ひょうぶしょうの上まで引っ張り出さなきゃならん話だ。返答まで四、五日は掛か――」


 ぼりぼりと頭を掻いていたタキナリが、はっと言葉を切る。


「四カ国会談が始まるか」


「ええ。よくありません」


「……この状況で要人を迎えるわけには行かない、という話ですか」


 俺がおずおずと問うと、一位は首を振った。


「じかんがたてば、このはなしがたこくにもれます」


「? それはそう、ですが……」


「もれれば、たこくもだまってはいない」


 一位の視線が偏食者へ。




「かのじょが、唐やエーデルホルンにつくおそれがある」




「っ?!」


「かのじょは「『アルケオとは』たたかわない」といいました」


 テンライ翁がランゼツ三位を見、三位がタキナリを見、タキナリが俺を見た。

 答えを促されているようで、思わず口を開く。 


「『人間相手の戦いなら、手を貸してやってもいい』……?」


「そういうふくみがあります」


 ならば、と一位は続ける。


「かのじょがわかいをもうしでるあいては、あしはらだけとはかぎらない。ひとはつねに、ひととたたかっていますから」


「……嫌らしい話だな。自分の強さを理解した上で、国同士に奪い合わせるはらか」


 タキナリが苦い顔をした。


 要するに偏食者は傭兵と同じ脅し文句を使っている。

 自分を雇えば安全を約束するが、雇わなければ誰かの尖兵となってお前たちを襲う、と暗にそう告げているのだ。


「この場で決めあぐねたら他国よそがあいつを勧誘するかも知れんわけだ。もしくは、やり合っても仕損じたら――」


「ええ。いしゅがえしにたこくにつくかもしれない」


「それが嫌なら大人しく自分を受け入れろ、か。何つう高飛車な……」


「はー。今のご時勢だと、どこにつかれても面倒ですねぇ」


「唐辺りだと最悪だな。……内乱の燃料になるのは大歓迎だが、うっかりすると――」


「我々が冒涜大陸へ攻め込んでいる間に、アレが葦原の横腹を突くかもしれない」


 ランゼツ三位の言葉で、誰もが渋い表情を浮かべる。


「四カ国全部が彼女を拒めば済む話ですが……」


「ありえない。エーデルホルンとブアンプラーナはともかく、唐は喜んであれを受け入れるぞ」


「そもそも、ザムジャハルが残ってるだろ。あそこに飼われたら大戦争だ」


 沈思。

 誰もが一つの結論に辿り着きつつあった。




 既に、『都に判断を仰ぐ』という道は途絶えている。


 取るべき道は二つ。

 戦いか、和解か。


 偏食者と戦えば、おそらくこの場には血風が吹き荒れる。

 ――かなりの犠牲が出るだろう。

 しかも逃げられたら、彼女は他国の尖兵と化すおそれがある。


 偏食者を受け入れれば、その心配はない。

 それどころか、最弱の国家である葦原にアルケオ最強の女が味方することになる。

 他国の要人を暗殺することもできるし、ただ『置く』だけでアルケオの侵攻を阻むことすらできるかもしれない。

 対価は酒。




「……まさかとは思いますが、カヤミ一位」


 三位が射抜くように一位を見る。


「あれを懐柔するつもりではないでしょうね」


「かんがえどころです」


 一位は軽く首を傾げ、三位を見た。


「さいあくのじたいは、われらがぜんめつすることではない。あれがたこくにくみすることです」


「……」


「へたにうばわれるぐらいならいっそ――」


「情け無用の戦いだったはずです」


 三位が強い口調で割って入る。


「なさけではありません。ころせるのなら、そのほうがよい」


「ではそうお命じください。まさか我々が命を惜しんでいるとでも?」


「やれますか、ほんとうに」


「……!」


 三位が挑戦的な目で見返した。


「いまだに三位がきずひとつつけられないあいて。しかもせんいがうすく、とちゅうでにげだすかのうせいがある」


「……」


「ひくもせめるもじざいなあいてを、ちからずくでおしつぶせますか」


「私とあなたが全力を出せばいい」


「――」


「出し惜しみをしている場合ではないでしょう。早晩、使うことにはなる。我々の――」


 まあまあ、とテンライ翁が間に入った。


「それも全部、アレが信義を尊べばの話でしょ? 葦原であれ、他国であれ、受け入れた後で裏切られたらおしまいだ」


「そうですね」


「そうですね、じゃあないでしょう。そこの確信が得られない以上、寝言なんて聞かずに斬って捨てるべきだ」


「……俺は反対だな」


「ほら、タキナリくんもこう言ってますよ」


「あんたに反対だって言ってるんだよ、爺さん」


「ええ……?」


「奴の話がどこまで真実なのかは知らんが、『共同体に属してない』って話が本当なら、潰しても向こうの戦力がまるで削がれないってことだろ」


 タキナリはむっつりした顔で遠方を見やった。


「十弓のカヤミ一位、ランゼツ三位、ワカツ九位、七太刀のテンライ翁、護衛の獣面、それに俺……。戦った後で何人残るのかは知らんが、はぐれ恐竜女一匹のために減らしていい戦力じゃない」


「はー! つまらないことを考えますねぇ」


「地に足ついてると言ってくれ」


 タキナリは鼻を鳴らした。 


「冒涜大陸へ侵攻する前にそれだけの戦力を減らして何になる。それこそ他国よそが大喜びするだけだ」


 テンライ翁は顎を撫で、意地悪な目を向けた。


「危ない話だと思いますけどねえ。万事首尾よく運んだとして、唐やらエーデルホルンやらに攻め込む理由を与えることになる」


「ぼうとくたいりくへのしんこうがおわれば、なんくせをつけられるのはめにみえている。どのみち、おなじこと」


「ま、それもそうですねぇ」


「勝手に懐柔を決めて、都が納得するとお思いですか、一位」


「そこはわたしのりょうぶんです。三位がきにすることではありません」


「――」


「九位はどうかんがえますか」


 唐突に水を向けられ、俺は飛び上がった。


「! 俺、ですか……」


「アルケオとかかわったじかんは、あなたがいちばんながい」


「九位に聞いてどうするんです」


 三位が無遠慮に吐き捨てた。


「そいつは自恃じじと逆張りを美徳だと思っているフシがある。時間の無駄です」


「で、あればなおのことです。まなびのきかいをあたえなければ」


 九位、と一位が俺に向き直る。


「このばでたたかうこと、どうおもわれますか」


 俺は思惟を巡らせた。

 たっぷり数十秒かかった。


「戦いは――――無謀かと」


「根拠は?」


「シャク=シャカとアルケオの剣士の戦いに居合わせました」


 俺は瞳を細め、以前見た光景を思い起こす。


「奴はシャク=シャカを打ち負かした後、包囲を嫌がって逃げに転じています」


 ですが、と続けながら偏食者を見る。


「あの女にその様子はない。性格や状況の差を考慮しても、かなり異様です」


 偏食者が酒蔵にこもってからかなりの時間が経過している。

 彼女は酒蔵の主に姿を見られたことも認識しているし、葦原の軍が包囲を完成させるに十分な時間があったことも理解している。

 なのに、あの構え。


「タキナリ殿の仰る通り、奴は向こうの軍のはぐれ者です。それこそ、唐軍におけるシャク=シャカのような……。苦労して討ったところで、見返りは小さいかと」


「じゃ、和解はどう思います?」


 テンライ翁が試すような目を向ける。


「特に信義について聞きたいですねぇ。唐やザムジャハルみたいに『嘘も方便』なんて言い出されたらぜんぶご破算ですから」


「安い嘘なら問題ない。最悪なのは、この接触が計算ずくだった場合だ」


 ランゼツ三位が俺を見下ろす。


「下手をすると葦原が内側から食い破られる」


「……はい」


「ご高説を賜ろうか? ワカツ九位」


「……」


 自種族の中で最も強靭な個体を、あえて弱国に遣わす。

 一時虜にして、後に腹を破らせる。

 ――ありえなくはない。


 だが――――


「侵攻が始まれば四カ国の大軍がアルケオの本拠地へ向かう。その状況で偏食者一人を葦原で暴れさせる意味があるでしょうか」


「あるさ。本当に強いのなら、使いようはいくらでも」


 三位の目に学の無さを嘲るような色があった。

 

「あるとして、それを強制できますか。自種族の中で最も強い一人に「虜囚の辱めを受けろ」と言い渡すことになる」


「連中の支配者次第だろう。ザムジャハルのような国体なら十分に考えられる」


「偏食者本人が言い出したんじゃないのか、九位」


「その可能性はありますが……」


 先ほどちらりと覗いた『無感情』。

 偏食者は自分を異常個体だと理解している。

 そして理解させられてもきたのではないか。


 アルケオは一枚岩ではない。

 サギのような者もいるし、羽が黒いというだけで排斥を受ける者もいる。

 いかに強くとも、偏食者が同じでないとは言い切れない。


「本人が言い出したにしては……やり方が雑過ぎる気がします」


「騙し打ち前提なら雑も丁寧もないだろう。相手は良いように解釈するのだから」


「だとしても、仕込みが足りないように思います」


「ま、それはあるな。降伏前提にしては、ここまでの行儀が良すぎる。少し暴れてからの方が色々と効くだろうに」


 三位は蜥蜴とかげを思わせる目で俺を見下ろしている。


「で、それだけか? もう少し有意義な話を聞けると思ったんだが」


「……アルケオにおける偏食者の立ち位置と、忠誠の程度が窺い知れません。これ以上のことは申せません」


「毒にも薬にもならないご意見ですねぇ」


 テンライ翁が肩を揺らした。


「しかしまあ、そんなものでしょうねぇ。信不信なんて、結局は博打ばくちですよ」


「なら、少しでも見返りが期待できる方に賭けた方がいいな」


「いやぁ、負けが小さい方に賭けるのが良いでしょう。博打は勝とうとした時点で負けですよ」


 俺は一位をちらと見る。


「……一位。ニラバ二位にも話を聞かれてはいかがでしょうか」


「要らん」


 三位が吐き捨てた。


「あの人は確実に和解派だ。話がこじれる。……それに上から三人が出張ったら、この件の責任は丸ごと『十弓』に押し付けられる」


「ですねぇ。いやぁ、こういう時に葦原は不便で仕方ない」


「全くだ。煩わしい」




 かこん、と。

 何かが音を立てた。


 見れば偏食者が柄杓ひしゃくで酒樽の縁を叩き、腹を抑えているところだった。

 満腹、ということらしい。




「……カヤミ一位。そろそろ頃合いじゃないのか」


 タキナリが腕を組む。 


「どうするか決めてくれ。俺たちはそれに従う」


 一位は少し考え、獣面を呼びつけた。

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