第9話 魔物だって……

 俺は今、拾った黒い子猫を頭に乗っけて傾斜になっている森を駆け下りていた。


 この子猫と打ち解けたのはつい先程、餌付け成功からかれこれ2時間もかかってしまった。

 思いの外警戒心が強く、俺から触れるのに数十分、持ち上げてから宥めるのに更に数十分となかなか手強かった……

 だが今こうして頭で子猫のモフモフを堪能出来ている訳だし、必要な時間の消費だったと思う。


 後頭部から正面に向かってぺたりと張り付き、異様に長い尻尾を鉢巻みたく俺の頭に巻き付け振り落とされないようにしている。

 この尻尾を見れば分かるが、見た目通りの普通の子猫ではない。


 魔物の一種。


 尻尾の先が帯電していたのも体内の魔力を扱えるからで、魔物であることに間違いはない。

 普通の猫ならまだしも、魔物を飼うことをマリーカさんは許してくれるだろうか?

 少し心配になってきた。


 魔物の定義は至って簡単。

 体内の魔力が膨大かどうか、だ。

 動物や植物、空気中から水中までこの世界の至る所に魔力は存在する。

 場所や環境、個体各自の特徴など様々な要因で保有する魔力も量は変わってくるが、それは人型の種族と比べると微々たるものと言っても差し支えない。


 しかし時折、人型の種族と変わらないか、あるいはそれ以上の魔力を持った個体が生まれる。

 そしてその個体を持つ集団は、その個体の持つ魔力が空気を通して影響し、同じくらいの膨大な魔力を持つようになる。

 この拡散現象を『魔素伝搬』と言うらしい。

 魔素というのは魔力の古い言い回しだそうだ。

 俺の前世から魔物として代表的なゴブリンやスライムなんかは、この世界では伝搬に伝搬が重なって元々の種族が全て魔物化してしまったと考えられているのだと。


 魔物化した生物は野生化したり外見が変わったり、賢くなったりと様々なのだが、多くは人を襲うようになってしまう。

 そのため一般的な見解は魔物=害ある生物となってしまっているのだ。

 その事を教えてくれたのはマリーカさんだが、マリーカさん自身がそう思っているかどうかは分からない。

 このモフモフ……じゃなかった、この子猫(魔物)を飼ってもいいと言ってくれることを祈るしかないか……






「さて、到着っと」


 森を抜け街道らしき道を少し走り、我が家にたどり着いた。

 いつもよりもだいぶ遅く、もう日が暮れ始めていた。


「ただいま〜」

「み〜」

「あらジルア、お帰りなさい。いつもより随分遅かったようですが、どうしたんで……」


 夕食の用意をしていたマリーカさんが奥から出てくると、俺の頭の上のモフモフに目が釘付けになった。


「…………なんとも可愛らしい帽子を拾ってきたものですね」


 初見の印象は良さげであった。

 だが……


「ですが、その尻尾。魔物ですか?」


 顔つきや言葉に少しだけ鋭さを含ませて、マリーカさんは問うてくる。

 マリーカさんの一瞬の変化に若干怯んだが、俺はもう「飼うのはダメだ」と言われて「はいそうですか」と引き下がれない。

 2時間程度ではあるが、パリパリして引っ掻かれて頭に乗っけて、妙に愛着が湧いてしまったのだ。

 絶対子猫こいつを飼ってやる!


「うん、魔物だよ」


 俺は深く頷き、真剣な表情にして本題を切り出す。


「マリーカさん、俺はコイツを飼いたいんだ。……ダメかな?」


 目を閉じ暫しの沈黙の後、マリーカさんは再び問いかける。


「襲われるかも知れませんよ?」

「知ってる」

「餌はどうしますか?」

「俺が採ってくる」

「住まわせるスペースは?」

「俺の部屋でいいよ」


「『魔素まそぐるい』を起こしたら、貴方が始末しなければなりませんよ」

「っ!?……始末って……?」


 始末って……殺傷のことなのか?

 それに『魔素狂い』?

 俺は初めて聞く言葉と内容に驚愕をあらわにする。


「この事はまだ教えていませんでしたね。『魔素狂い』というのは、魔物に稀に起こる現象で、その名の通り魔素に当てられ狂暴化してしまうことです。どんな魔物も元々、魔法を扱える人々にとって大した脅威になる得るものではありませんでした。それが身に余る魔力を持って生まれてしまったが為に、自らの力を扱いきれず、襲うことのなかった人々に手を出し脅威と認識されてしまった。人々にとって魔力が魔法という利益を齎したものであっても、他の生物にとっては害のあるものでしかなかったのです。そんな害あるものを身に宿しながら生きていくことが出来ているのは、害となる魔力の大半が影響を及ぼさない眠っている状態だから。もし魔力が全て活性化してしまったのなら、それは瞬く間に宿主の身体を蝕み狂わせてしまう。それが『魔素狂い』です」


 説明を終えると一息つき、改めて問いかける。


「ジルア、貴方はその子がもし『魔素狂い』を起こしたなら、責任をもって命を奪うことが出来ますか?」


 マリーカさんの言葉が先程よりも余程重く感じた。

 前世で猫を飼う程度の気持ちでは軽すぎだった。

 命を預かり、奪う覚悟が必要だった。

 俺が元の18歳であっても容易には決断できない選択だった。

 でも……それでも……


「命は……出来れば奪いたくない。でももしそうしなくちゃならないんだったら……やるよ。コイツを森の中に1匹だけにして、生きてくれって祈るしか出来ないくらいなら、その時が来るまで一緒にいてやりたい」


 俺は頭に乗っかっていた子猫を降ろして胸に抱えた。


「狂暴化した魔物は、大の大人が数人係でも危険な程速さも力も数段上がります。多少運動が出来る程度では痛い目を見ることになりますよ」

「だったら、もっと強くなるよ!身体は鍛えるし、魔法だって使えるようになってみせる!それに、俺が頑張ってコイツが狂暴化しても簡単に抑えられるようになれば、殺さないで済むかもしれない……俺がそれだけ強くなればいいだけなんだ」


 必要な努力なら、どんなに辛くたって積み重ねてみせる。

 だから……


「だから……お願いします!!見捨てたくないんだ……」

「………………」


 深く頭を下げて懇願する。

 何故ここまでこの子猫に執着しているのか、既に自分ではなんとなく分かっている。

 この子猫に、死の危険が身近にあった『彼女』を重ねてしまっているのだと思う。

 前世では『彼女』の傍にいる事が精一杯で、延命も現状維持も医者に頼らざるを得なかった。

 そして今はマリーカさんに頼らなければ、この子猫どころか俺自身の命すら危ないかもしれない。

 人に頼ってばかりで自分では何も出来ない、何も助けられないでいる人生に、浮かんでくるのは自嘲の笑みだった。


「……はぁ。決意は硬いようですね。わかりました、いいですよ。ここで飼っても」

「――――っ!!」

「ただし、途中で勝手に投げ出さないこと、いいですね」

「はい!」


 歓喜して顔を上げた俺は勢いよく返事をする。

 目の端に留まっていたものが少し零れてしまった。







「じゃあマリーカさん、魔法教えてください!」

「ジルア、それは圧縮で色が見えてからと言ったではないですか」


 マリーカさんは聞き分けの無い子供に言い聞かせるような優しめの声音で窘める。


「うん、だから見えるようになったよ」

「…………またまた冗談を」

「ついさっき出来るようになったんだ」

「私は成功するまでに3年かかりましたよ。そんな簡単に成功してもらっては先生としての立場がですね……」


 未だ信じていないようなマリーカさん。

 そう言われても、出来てしまったものは仕方がないのですよ。

 こうなったら実際に見てもらうのがいいだろう。


「ちょっと見てて」

「ジルア、少し待ってくれませんか……!?私の威厳が崩れる予感がします!」


 マリーカさんが必死に何か訴えているような気もするが、今は俺の成長を見てもらおう。

 抱えていた子猫をもう一度頭の上に乗せ、手と手の間に意識を集中させる。


「いくよっ!【魔力圧縮アド・プレッシャー】ッ!」

「えぇ!?詠唱!?あれ、でも圧縮は出来てる……綺麗な青色ね……ちょっと待って、そんな詠唱知らないのだけど!というかなんで魔法でもないのに詠唱を!?それでなんで出来てるの!?もう訳わかんない〜!!」


 あ、これはまずい、マリーカさんがトリップし始めた。

 受け入れられない(受け入れたくない)現実を直視してしまい、脳の処理能力を大きく超えてしまったのだ。

 俺は慌ててどうにか宥めようとする。


「マ、マリーカさん、落ち着こう、ね!大丈夫だよ!マリーカさんに教えて欲しいことはまだまだあるし、成功したのが3年か1年かなんて大したことじゃないよ!」

「うぐっ……大したことじゃ……ない?」


 あれ、マリーカさんが膝から崩れ落ちた……


「う、うん。だって俺は魔法について何も知らなかったから偏見がなくて変わった発想を思いついたんだし、3歳だからいろんな面で成長が早かったんだと思うよ」

「……つまり私は、何も知らなかったから3歳児にすら負け、あまつさえ慰められている、と……うぅぅ……」


 泣き出しちゃったよ……ほんと、どうしよう……?

 この後、マリーカさんを落ち着かせるのに子猫の時以上に気を使う事になった。

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