第3話 一週間児の決意

(ここは……)


 ゆっくりと瞼を開く。

 日の光が眩しく辺りがぼやけて見えた。

 簡素な石造りの灰色の天井と壁。

 使い古された本が並ぶ本棚。

 体を包む暖かい毛布。


(俺は死んだはずじゃ……)


 俺は交通事故によって確かに死んだはずだった。

 なのに意識があるとはどういうことか。

 それにここは見える景色から判断して、どうやら病院ではないらしい。


(ーーーは……!?)


 何よりも心配なのは彼女が見当たらないことだ。

 あの時俺は彼女を抱きしめたまま意識を失った。

 もし俺が死んだのではなく生きていたならば、外傷が少ない彼女だって生きているはずなのだ。

 しかし実際彼女どころか近くに人がいる気配がない。

 別の個室で安静にしているのだろうか?


(……体が重い。それにひどく眠い)


 まだ完全に回復しきれていない、ということだろうか?

 取り敢えず人を呼んで状況を説明してもらうのがいいだろう。


「あうあうあー?(誰かいませんかー?)」


 …………


「あうあー……(誰かー……)」


 …………


 なんだろう……。

 俺の耳には赤子が親を呼ぶような幼い声が聞こえてくるのだが……。

 近くにいた赤子の声が俺の声に被さってしまったのかな?

 もう一度言えば、流石に被らないだろう。

 3回もタイミングよく重なるなんてそうそうないしな。


「あう……(だれ……)」


 ……これは夢だ。

 もしくは寝ぼけていたから聞こえた幻聴だ。

 しばらく眠っていよう。

 夢から覚めたら彼女の顔を見れるといいな、と思いながら俺は再び眠りについた。








 一週間が過ぎた。

 ようやく現状の整理が付けられるようになった。

 どうやら俺は赤子として新たに生を受けたらしい。

 転生、というものなのだろう。

 あの声は幻聴でも何でもなく、俺自身の声であった。

 未だに信じられないと思うこともあるが、認めざるを得ない決定的のことが1つあった。


「ーーーー、ーーーー」


 赤子の俺を抱いてあやしてくれている20代半ばくらいの女性である。

 シスターが着ているような修道服に身を包むその女性は非常に整った顔をしており、の髪をしていた。

 髪の色は髪の根元から色付いていて染めている訳ではないことが分かるが、それだけではない。

 修道服のベールに隠れて対面して見る分には見えないが、抱き抱えられている俺だけは見ることが出来る特徴的な

 彼女が好きだったファンタジー物によく登場する、エルフと言われる種族の耳に近似していたのだ。

 本物の耳なのか確かめるために触らせてもらったこともあったが、


「い〜い〜(耳を……触らせてもらえないだろうかっ!)」

「ーーー?ーーーーー」

「あう!(ありがとうございます!)」


 本物だった。

 尖った先の方まで血が通っていて温かいし、触れば擽ったそうにピクピクと動くのだ。

 その時の横目で見た女性の顔は、またなんとも可愛らしく……ご馳走様でしたとだけ言っておこう。

 ファンタジー作品では、エルフは不老長寿で有名であるから、見た目通りの年齢であるか微妙なところだが……

 閑話休題。


 で、なんだかんだあって、俺は自分が転生し、しかも地球ではない世界に生まれたと理解したのだ。






 この一週間で俺は、何故転生したのか、これから何をするのか、という事を考えてみた。

 前者は、かなりご都合主義的に思考して、彼女と新たな人生を歩むためだと考えた。

 自身の幸福を真っ先に考えるぶっ飛んだ発想だが、あながち外れていないのではと思っている。

 そもそも前世(一度死んでいるはずだから前世という表現であっていると思う)で、俺と彼女が関わる祝い事やらデートの時に好都合なことがほぼ毎回起こっていると、2人で不思議に思っていたのだ。

 雨が止んだり、台風が逆走したり、挙句花火大会の日の方が俺たちのデート日に重なるように延期になるとかエトセトラ。


 まあ考えても原因は分からなかったため、俺たちの周りでは良いことがよく起こるのだ程度に考えていた。

 だから今回の転生も、何かしら俺と彼女が得する意味みたいなものがあると思っている。


 では、その意味は何か?

 頭に浮かんだのは彼女の病のこと。

 彼女が患っていた病は深刻なもので、20歳半ばまで生きられればいい方だと医師に言われていた。

 その病のことを聞いたのは小6くらいだったけど、今でも俺はその日彼女の胸で永遠と泣いていたのを覚えている。

 本当は、泣きたいのは彼女の方なのに、俺が泣き止むまでずっと頭を撫でてくれていて、その手の温もりにどれほど心救われたものか……

 その時からだろうか、前々から愛おしいと思っていた少女のために、自分の全てを捧げてあげたいと思い始めたのは。

 人の半分も生きられないのならば、人の何倍もの笑顔をあげよう。

 泣きたくなるような悲しみが襲うならば、心躍る楽しみを、涙が出るような喜びをあげよう。

 幸せに満ちた笑顔で逝けるように。


 随分とキザな考えだけど、それが俺の偽らざる本心だった。

 決め台詞を使うなら、「俺の生きる理由は、彼女の笑顔が見たいからだ!」とかだろう。

 そんな俺のことだから、これから何をするのかなんて既に決まっていた。


 この世界で彼女を探して、もう一度幸せにする。


 彼女も転生しているのかどうか分かっていないから徒労に終わる可能性があると言っても、俺の生きる理由が理由だから探しに行かないなんて選択肢は端から無いのだ。


 俺が赤子から転生していることから、周囲の環境などで変わる容姿は宛にならない。

 前世の彼女に瓜二つな人物であっても『彼女』本人であるかは分からないのだ。


 また、転生している俺は、前世に関する個人の名前を思い出せないでいる。

 彼女のことを『彼女』としか表現出来ないのはこのためだった。

 幸い、思い出せないのは個人名だけで、彼女との思い出は一欠片も余すことなく思い出せるが、この世界で人探しの旅をするのに然したる利点にはならない。

 実質何一つ手掛かりのない状態で困難極まる旅に出ることになる。


 容姿も声も分からない人探し。

 会ったこともなければこの世界に居るかどうかも分からない、前世で愛を誓った愛しい彼女運命の人

 これは人探しと呼べるのかさえも疑問になるかもしれない。

 それでも、俺は『彼女』に出会えると信じている。

 根拠なんていらない。

 理由も一つ、会いたいから、それだけで十分だ。

 それに俺なら分かる。

 どんなに姿が変わっていても、『彼女』ならば俺は分かる。


 虱潰しに探すとしたら数年、もしくは数十年の長い旅になるだろうから、この世界の事をもっとよく知っておくべきだろう。

 目下やるべき事は情報収集かな。


 と言っても、この世界の言葉もろくに理解出来ていないのだ。

 言語学習から始めなければ……


 英語苦手だったんだけど大丈夫かな……


 生後一週間で言語学習に励む赤子の誕生である。

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