エピローグ

エピローグ




——四年後。




 渓は久しぶりに古巣市を訪れていた。大学卒業以来だから三年ぶりだ。


 卒業と同時に就職はせず、地元に戻って祖母の家を古民家カフェとして再生させるのに奔走してきた。


 初めの一年はなかなか集客に苦戦したが、広い部屋の一部を地方にIターンをして仕事を見つけたいという若手向けのコワーキングスペース——共同オフィスのようなもの——として解放を始めてからというもの、徐々にクチコミで利用者が増え始め経営が安定してきていた。


 そして最近は大学を卒業した従兄弟いとこが手伝ってくれるようになり、彼の計らいで久しぶりにまとまった休みが取れたのである。






 古巣市の駅前やピーコックストリートは、学生時代とはずいぶん景色が変わっていた。知っている店がなくなったり、あるいは新しい店が出来ていたり、何もなかった場所に背の高いマンションがそびえていたり。


 しかしうずら通り商店街の方へと足を踏み入れてみるとその景色はあまり変わらなかった。


 いや、正確に言えばだいぶ変わっている。


 「カフェ・ニューネスト」ができたことで以前のうずら通り商店街には滅多にいなかった若い女性や学生をちらほら見かけるし、空き店舗だったカフェの隣の店は新しい店ができるのか何やら工事中の様子である。


 それでも変わらないと思ったのは、鼻をくすぐるメンチカツを揚げる香りと、よく知る人々の声が店の奥から聞こえてくるからなのかもしれない。


 流れた月日を噛み締めるかのようにゆっくりと歩いていた渓の横を、幼い子供が二人駆けていく。


「な、明日どこで待ち合わせにする?」


「ニューネストの前にしようぜ!」


「わかった! んじゃまた明日なー!」


 彼らの会話を聞いて、思わず渓の顔がほころびる。


 よそ者だった自分たちが作った店が、いつの間にかこの街に住む人たちのシンボルになっている。


 四年前に一人で悩んでいたことが急に馬鹿馬鹿しく思えてきた。


 あの頃はこの街で過ごすことが当たり前になっていて、距離以上に大切なものがあることを失念していた。


 だがこうして実際にこの街を離れて時間が経ってみて分かる。


 忘れるものか。


 自分ががむしゃらにやって、誰かの心を動かしたことを。誰かが手を差し伸べてくれて、自分の心が動かされたことを。


 人はそう簡単には忘れない。


 マチカツ部がやってきたことは、目に見える形でも、見えない形でも、この街の資産としてずっと残り続ける。






 渓は「カフェ・ニューネスト」の扉を開く。


 カウンターの向こうにいたショートヘアの女は、渓の顔を見ると優しく微笑んだ。髪の色はいつの間にか落ち着いた茶髪になっていて、その顔を彩るナチュラルカラーの化粧は彼女をずいぶん大人びて見せたが、それでも二つの瞳の中にあるまっすぐな光は少しも変わっていない。


 彼女は口を開くと、「いらっしゃいませ」より先にこう言った。


「おかえり、渓」


 香ばしいコーヒーとメンチカツの匂いがすっと鼻をかすめる。


 渓は彼女に向かって微笑み返し、商店街中に響くような大きな声で言った。


「……ただいま!」




*end*



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マチカツ! 乙島紅 @himawa_ri_e

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