いきなり繰り返して恐縮だがこの作品は「トイレで読む、トイレのためのトイレ小説」ということでここまででトイレと七回も言ってしまった。
そもそも「トイレ小説」とはなんなのか。せいぜいトイレを舞台にするなりトイレが登場するなりといった意味合いだろうが、すでに私はこの段階でトイレという言葉がゲシュタルト崩壊してむしろトワレに見えてきた。
それはそうと本作を取り上げたのは実に小説らしい作品だとも思ったからでもある。
トイレのときにでも読んでほしいライトな作品集なのをウリにしているわけだが、実際には私はトイレで読んだことはなくむしろ電車の中とかメールの受信トレイを開きながらとか蕎麦屋のトレイの上に携帯を置きながらとかそういうことの方が多くて、要はトイレにいないのにまるでトイレのなかにいるような気分にさせられるわけだが、そういう時間感操作などの誘導を果たす言葉の力が凝縮された芸術というのもまた小説の重要な一面なのである。
(必読!カクヨムで見つけたおすすめ5作品/文=村上裕一)
ここまでトイレ愛の詰まった短編集を私は今まで見たことがありません。
雨の日も風の日も、苦しい時も辛い時も、どんな時でもかかせないトイレ。
トイレに国境はなく、国境もまたトイレにはありません。
いがみ合ってる人達でも、呼吸とトイレは絶対します。
いうなれば愛。
トイレは愛と平和の架け橋になれる可能性を秘めた場所なのです。
思い起こせばこの短編を読んで笑った土曜、泣いた土曜、ポテチを食べた土曜等、数々の土曜日を過ごしてきました。
毎週土曜はトイレの日だと、無意識に認識してこのページを開く。
そんな習慣が出来上がっていたものです。
まさか完結するとは夢にも思いませんでしたので、再開を望む抗議デモを敢行したいと思います。
もちろん、トイレの中から。
皆様も一度お読みになって、素敵なトイレワールドに魅了されて下さい。