しあわせのねこ8

 ある日、マンションの管理会社から書面で通知があった。

 その内容は、「夜に猫の鳴き声が聞こえてくる、と近隣住民から苦情が出ている」というもので、さらに「ペットを飼うことをやめるか、マンションを出ていくかどちらかにしてほしい」とのことだった。

 一方的な通告で、読んだときには不快な気分になったが、もともとこのマンションはペット禁止であることは賃貸借用書にも記載されていたし、マンションの管理者が近隣住民同士のトラブルを避けるためには、もっともな言い分である。

 もちろん結衣はディ子を手放すことは考えていなく、2年更新のマンションもそろそろ2回目の更新が来るので、この機会に引っ越すことにしたのだ。

 さらに引っ越しの話を蘇我にしたところ、「一緒に住もう」と提案があった。今まで家族以外と同棲したことがなかったので、少し不安があり悩んだが、最終的には不安よりも期待の方が勝り、同棲することにした。


 結衣はフローリングに座り込みながら雑誌や本を束ねていた。極力、引っ越しする荷物を減らそうと、家の中を整理している。掃除をしたら昔の雑誌がごっそりと出てきたのだ。

 雑誌の束をひもで括り片隅においた。あと3束ぐらいは作れそうだ。

 ディ子は結衣の隣でころんと横になりながら毛づくろいをしている。白と茶の毛並みが今ではもうすっかりキレイに整っている。

 束ねた雑誌の一番上には女性ファッション誌が重ねてある。今から3年も前の雑誌だ。

 そこには「カレの性格が急に変わったら?」という特集が表紙に載っていた。結衣も一度は読んでいるはずの記事だ。

 記事にはこう書いてある。


――夜のカレが急に激しくなった! カレが急に暴力的になった! カレが急に積極的になった!

 それはもしかして寄生虫の仕業かも?

 『トキソプラズマ』という原虫を知っていますか?

 トキソプラズマは猫に感染する原虫で、猫から人へも感染します。野良猫や放し飼いの猫など、屋外にいる猫の場合、トキソプラズマに感染している場合があり、感染源は猫のフンが主となります。また室内飼いの猫でも、生肉を食べることで感染することがあります。

 人に感染しても大抵の場合は健康に害なく生活出来るのですが、まれに風邪のような症状が2、3日から数週間続く場合があります。

 トキソプラズマに一度感染すると、性格までも変わってしまうということが最近の研究で分かってきています。

 しかも男性と女性で性格の変わり方が異なるというのです。

 女性の場合、社交的な性格となり、おおらかな性格となるでしょう。また、つねに魅力的に見せようとファッションにお金をかけるようになります。

 今まで人見知りが激しく引きこもりがちな女性が、突然大人びいて美しく見えたら、それはトキソプラズマのせいかもしれません。

 比較的女性はトキソプラズマに感染すると、より魅力的な女性になれるようです。これはトキソプラズマの本能によるもので種の繁栄のために受け入れやすい性格に変えてしまうのだと言われています。

 一方男性の場合は、女性とは異なり、反社会的になる、凶暴になる、失敗を恐れなくなる、といった性格に変貌するようです。

 これも、トキソプラズマの本能によるもので、「無鉄砲でも女性に向かい種を繁栄させるため」という働きのためのようです。

 もしあなたのカレの性格が急に狂暴的になったと思ったら、それはトキソプラズマのせいかもしれません。

 カレが初めて猫を触ったときに熱を出したというエピソードがあったら要注意かも――


 とん。

「これでよし」と、結衣は2つ目の雑誌の束をその上に置いた。

 ちょうどそのときスマートフォンが鳴った。

「もしもし? ――うん、片付けしてた。うん、今から来るの? ありがとう」

 結衣は嬉しそうに話す。電話の向こうに彼の声が聞こえる。

 ディ子が「にゃあ」と大きく鳴いた。

 窓の外には今にも咲きそうなぐらい大きく膨らんだ桜の蕾が見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

しあわせのねこ 雹月あさみ @ytsugawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ