#9 すべてのテディベアを殺せ
砂漠の町はしばしばニュースにとりあげられたが、あいかわらず、そこには、僕が破壊したものや殺したものはいっさい映らないままだった。
それが、番組を作っている会社によるものなのか、それとも別の理由なのか、僕にはわからない。でも、気にしている人間もそう多くはないはずだ。テレビが不快なものを映さないのはいまでは当たり前のことだから。
いっぽう、僕の仕事は続いていた。
機械の身体に乗り移って、僕は砂漠の町に落とされる。仕事の内容はいつもどおり、機械に指示されるだけ。すべてのテディベアを殺せ。僕はそれを忠実に実行する。
標的は自動的にマーキングされて、僕の視界に反映されるから、何も考えなくていい。眠くなるぐらいだ。気分としては工場の作業とほとんど変わらない。
僕が機械を操作しているのか、機械が僕を操作しているのか、わからない。あるいはそのふたつに差なんて最初からなかったのかもしれない。
ふいに、むなしいような。なにひとつ得られなかったような気分になった。
そういう気分になることが最近よくあった。
かつてのある時期、僕は、工場でとても退屈な仕事をしていた。
ただシールを貼るだけの仕事だ。外国から輸入されたなにかの部品に、説明書きの印刷されたシールを貼るだけ。僕はそれがなんの部品かすら知らないまま、ただシールを淡々と張り続けていた。
ぺたり、シールを張った。次。ぺたり。次。
その仕事を機械にやらせずに、人間の僕にやらせる理由はただひとつだった。その部品にシールを貼る機械を用意するより、シール貼り人間を雇ったほうが安上がりだったからだ。それだけ。
仕事が終わると、ゲームで遊んだ。
ゲームの世界では、僕は客観的に言ってプロクラスのプレイヤーだった。それで生活できるほどではなかったけれど、賞金も何度か獲得したことがあった。自意識では、工場でシールを貼ることより、そっちが本当の仕事だと思っていた。
そういう人間から見ると、ほとんどの他のプレイヤーの動きは、言ってしまえばあまり上手いものではない。カジュアルプレイヤーは、ゲーム内の戦局をメタに見たり、ゲーム内での他のプレイヤーの思考をトレースすることをしない。だから、待っていれば必ず不合理な行動を取る。
僕はシールをぺたぺた貼り付けるみたいな気分で、ゲームの中で彼らの頭を撃ち抜いていた。僕はスナイパーだった。
毎日そうしていた。シールの仕事のない日は一日中。
ゲームを遊んでいるのか、ゲームに遊ばされているのか、わからなかった。あるいはそのふたつにやっぱり差なんて最初からなかったのかもしれない。
いまから考えれば、僕はゲームをあまり楽しんでいたとは言えないんだろう。
でもそれは自分なりに一番いいやり方だった。
自分の考えではこうだった。ゲームから楽しみを得るプレイヤーがいる。普通はそうだ。ゲームは楽しむものだ。だが、もしゲームから楽しみ以外の要素、たとえば仕事にするとか、賞金とか、そういう要素を引き出すことを望むなら、楽しみはある程度、あるいは全部あきらめるべきだ。
それは取引のようなもので、ひとつ求めればひとつ失う。
僕だって、はじめは好きでゲームをしていた。でも、いつのまにかそう考えるようになっていた。どこでボタンをかけちがったのかわからないけれど。たまに失ったものが無性に恋しくなってたまらなくなることがあった。子供のころに新しいゲームを初めて遊んだときの気持ちとか。
僕はそういう思いはわきに追いやることにしていた。敵の頭を撃つじゃまになるから。
そして今、僕は現実で同じことをしていた。
テディベアを撃つたびに、僕の頭のなかでシールが一枚貼られる。
ぺたり。次、ぺたり。
自分に人を殺している実感はあるだろうか。
そう自問してみることもできる。
でも実感ってなんだろうか。
毎日シールを貼っていたころの僕に、シールを貼っている実感はあるか、と問いかけたら、その頃の僕はどういう答えをするだろう。わからないが、大したことは言わないだろう。だいたいそのぐらいのリアリティだ。
人殺しの仕事が終えた僕は、テレビのニュース番組をザッピングして、砂漠の町の映像を探した。いつの間にかそうする習慣がついていた。理由は自分でもわからない。ただなんとなくだ。たぶん、なにか実感みたいなものが欲しかったんだと思う。
しかし、テレビに砂漠の町が映ることはだんだん減ってきていた。
そして、ある時を境に、どの局もぷつんとそれに関する報道をしなくなった。
それでも僕の仕事はつづいていた。
ザイフリート、またの名をジークフリート。
これは僕の操縦している機械の名前であり、そのもともとは、ドイツの英雄叙事詩に出てくる英雄の名前だ。それはとてもとても古い物語で、わざわざ読む者もほとんどいない。
英雄叙事詩というジャンルは、表現手段としてはとうに滅んでしまっている。そんな化石みたいな物語から、どうしてわざわざ名前をとったんだろう。
ザイフリートはある時不死身になった。
殺した龍の血を浴びて、その力が彼を不死身にしたのだ。だが、血を浴びたとき、背中に葉っぱが一枚張りついていた。その部分だけ龍の血がつかなかった。そこだけが彼の弱点となった。不死身の英雄は、そこを刺されて死ぬ。
ようするに不死身じゃなかったのだ。そんなつもりになってただけ。
僕の場合もそれは起こった。
ある日、僕の最後の仕事になる日。
僕はいつもどおりテディベアを撃ち殺していた。
狭い路地に逃げ込んだテディベアたちを追っていた。他の作業員がロックアウトして動けなくなって、彼が逃した敵を僕が追うことになった。弾は残り少なかった。
「すべてのテディベアを殺してください」
ザイフリートの身体は、両脇の建物を破壊しながらその路地を進んでいった。障害物が多いが、歩幅はこちらがはるかに有利だ。ライトマシンガンが敵の背中をひとつひとつ破裂させていく。路地を抜ければすべて殺せるだろう。
路地はすぐに抜け、広さのある通りに出た。
通りの両脇には、もぬけの空になった屋台が並んでいた。たぶん市場なのだろう。商品を残したまま空になっている店もあった。その中の屋台のひとつは、お菓子の画像でマスキングされて売り物が見えなかった。たぶん肉屋なんだろう。機械が売り物をグロテスクだと判断し、視界を検閲したのだ。
市場を逃げるテディベアたちは、疲労のせいだろう、走れなくなっている。もうこちらのものだった。
武器を構え、弾をむだに消費しないよう、いくらか距離を詰めた。
そのとき、屋台の影から別のテディベアが飛び出してきた。
それは両手を広げ、動けなくなった仲間をかばうかのように、僕の前に立ちふさがった。ああ、ばかだな。弾は貫通してしまうから、意味なんてないのに。
人間なんか盾にもならないのに。
いつもどおり殺した。
いつもどおりテディベアは崩れ落ちた。
地面にお菓子が飛び散った。
その飛び散ったお菓子のなかに、ひとつ見慣れないものがあった。
カメラだった。
見覚えがあった。この場所に似合わないデザインのカメラ。
同じものを見たことがある。
僕はしばらくその場に立ち尽くした。
次の瞬間、全身から冷たい汗が吹き出した。
背骨のあたりを強烈な吐き気がのぼってくる。
いや、でも。違う。
同じカメラなだけだ。
たまたまこのテディベアが同じカメラを持ってただけ。
そうだ。見ればわかるはずだ。
ポリアンナの解除コードを実行しようとした。その操作は初めてだった。
たかが死体を見るだけじゃないか。大したことはない。
ただ、これが彼女じゃないことを確認するだけだ。
カメラなんか贈らなきゃよかった。
僕はそんなことを何度も頭のなかでつぶやいていた。あるいは実際に声に出していたかもしれない。記憶がない。
身体がばらばらになってしまったようで、操作に何度も失敗した。深呼吸を繰り返して、なんどもジェスチャを入力し直した。
「作業に、戻って、ください」
機械の声が何度も同じことを僕に命令していた。
「作業に、戻って、ください」
ようやく入力に成功した。ポリアンナが解除され、視覚検閲が外される。
僕は吐いた。
吐けるものをすべて吐いてしまっても、吐き気はおさまらない。
もう機械の操作どころか、自分の身体すら操作できなかった。のたうち回るようにして、体からコントローラーをむしり取った。ヘッドセットを外しても、視界に見たものが張りついて消えなかった。
洗面台に走って、水を飲んで、飲んだ水を全部吐いた。
落ち着くまで何時間もかかった。いや、もしかしたら五分か十分だったのかもしれない。時間の感覚はぐちゃぐちゃだった。
部屋に戻ると、机の上に置かれていたテディベアと目があった。
僕は叫んだ。自分が何を叫んでいたかもわからない。
窓に駆け寄って、カーテンをむしるように開け、外を見た。
外に吸い込まれるような気がした。自分がどこにいるのかわからなかった。見なれた窓の外の風景はにじんでぐちゃぐちゃになっていた。
夕方だったんだと思う。赤い光が目に入ってきた。車のライトだったんだろう。赤い。さっき見たものが視界にふたたび現れた。
部屋にいたくなかった。死んでしまうと思った。
走ってエレベーターに飛びこんだ。
エレベーターの扉が閉まるとき、首を絞められてるみたいに苦しくなった。窒息しそうになる。せまいところが怖ろしかった。
僕は息を止め、歯を食いしばっていた。目をぎゅっと閉じてエレベーターの着地を待った。まぶたの裏にまだ彼女が焼き付いている。
エレベーターから飛びだした。
とにかく生きた人間が見たかった。コンビニの店員でもくたびれたサラリーマンでもチンピラでもなんでもいい、とにかく他人が見たかった。自分じゃない人間が見たかった
ビルの外に出た。
スクランブル交差点にいっぱいのテディベアの群れ。
すべてのテディベアを殺せ まくるめ(枕目) @macrame
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